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第6章 誰ガ為ニ

60 助けて

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「……暑苦しいわよ」

 小さな背中に力の限りしがみついていると、千鳥ちゃんがぶすっとした声で言った。
 けれど私を振りほどくでもなく、されるがままに私に締め付けられている。

「いいでしょ。ここ寒いんだからさ」
「そうだけど。でもそんなに引っ付かれていると背中だけ変に暑いのよ」
「それくらい、我慢して」
「なんなのよ……」

 肩に頭を預けたまま答える私に、千鳥ちゃんは小さく溜息をつく。
 この腕を今は緩めたくなかった。
 今は、力の限りに千鳥ちゃんのことを抱きしめていたかった。

「……ねぇ千鳥ちゃん」
「今度はなによ」

 顔を上げ、顎を肩に乗せて横顔を見る。
 千鳥ちゃんはこっちを見ようとはせず、遠くを眺めたままぶっきらぼに応えた。

「今は、昔とは違うよ」
「は? 急にどうしたのよ」
「千鳥ちゃんはもう弱くなんかないよ。だって、千鳥ちゃんは私を助けてくれた。怖いのを我慢して逃げたいのを我慢して、私を助けに来てくれた。私のためにアゲハさんに立ち向かってくれた。そんな千鳥ちゃんは、もう弱くなんかないよ」
「なによ、それ……」

 千鳥ちゃんは微かに声を震わせて俯いてしまった。
 私の視線から逃れるように目を落として、お腹のあたりで結んでいる私の手を見つめる。

「何を根拠に、そんなこと……」
「今ここでこうしていることが根拠にならないかな?」
「…………」
「千鳥ちゃんはもう一人じゃないんだよ。みんなで帰ってこられる居場所がある。ぶっきらぼうでちょっぴり意地悪だけど、おかえりって言ってくれる人がいる。それに、こうやって千鳥ちゃんを放したくない友達もいるしね」
「……あんた、ホントにアホね」

 少し詰まった声でそう言うと、千鳥ちゃんは顔を上げてその勢いでそっぽを向いてしまった。
 それによってツインテールの一房がぺしんと私の後頭部を叩く。
 顔を背けてしまっているからその表情は窺えない。
 けれどぎゅっと真一文字に結んだ唇が、今の心境を物語っていた。

「……でもさ。今が昔と違ったからって、過去が変えられるわけじゃないでしょ」
「うん。でも、これからは変えられるよ。今の千鳥ちゃんなら、これからの道筋を変えることはできるんだよ」

 どんなに足掻いたって、過去に起きた辛い出来事は変えられない。
 けれど、昔とは違う今の力で、これから先に繋げないことはできる。
 ずっと抱えてきたものを打ち破って、新たしい未来を作ることはできるんだ。

「過去の辛かったことを乗り越えろとか、克服しろとか忘れろとか、そんな無責任なことは言わないよ。だってそれは千鳥ちゃんの大切な想いだから。その想いを心に抱いているからこその、今の千鳥ちゃんだから。私はそれを否定したりしないよ。でも、これから進むべき道はいくらでも変えられる」
「じゃあ、アンタは私にどうしろっていうのよ」
「それは……私にはわからないよ」
「は、はぁ!? アンタ、喧嘩売ってんの!?」

 素直な気持ちを言葉にすると、千鳥ちゃんはキンと尖った声を上げて勢いよく振り返ってきた。
 私の腕に抱かれたまま、身をよじって顔を向けてくる。
 その勢いでまたツインテールの一房が振れて、今度は私の顔面を叩いた。

 けれど千鳥ちゃんはそんなことは御構い無しに私を睨んだ。
 その眉間にはきつい縦ジワが刻まれていて、ムッとした剣幕で私に詰め寄ってくる。

 そんな千鳥ちゃんに、私は穏やかに返した。

「だってそれは、千鳥ちゃん次第だもん。私が何を言っても仕方ないよ」
「そ、それは……でも……」
「これからどうしたいのかは千鳥ちゃんが決めることだから、私には口出しできない。でもね、千鳥ちゃんが決めたことなら、私はなんだって力を貸すよ。千鳥ちゃんが選んだ道を一緒に歩んでいくことは、私にもできるよ」
「…………」

 さっきの剣幕はどこへやら。千鳥ちゃんは途端にシュンとしてしまった。
 私から視線を外して俯いて、胸の前で手をもじもじと握り合わせる。

 私の腕の中にすっぽり収まって小さくなっている様は、まるで幼い子供のようだった。
 不安に揺れて縮こまって、今にも泣きそうな顔で俯いている。
 それを情けないなんて思わない。むしろ助けてあげたい。守ってあげたい。
 だからこそ、これからを自分自身の意思で決めて欲しかった。

「なんだってって、言うけどさ……」

 ポツリと、千鳥ちゃんが口を開いた。

「私がこのまま逃げ続けたいって言ったら? このまま目を逸らし続けたいって言ったら? それでもアンタは、私に力を貸してくれるの?」
「もちろん。その時は、私が千鳥ちゃんを守るよ。だって友達だもん」
「っ…………」

 そうは言うけれど。そんな言葉が出てくるということは、そうは思っていないってことだ。
 ツバサさんを殺したアゲハさんから逃げて、自分の弱さから目を逸らして、何もかもを捨てた千鳥ちゃん。
 けれど、それでいいなんて思っていないんだ。そのままでいいなんて、思っていないんだ。

 それでもここまで一歩踏み出せなかったのは、きっと勇気がなかったら。
 アゲハさんに対する恐怖と、自分の弱さからくる不安が、千鳥ちゃんの足を止めていた。
 それでも望んでいるんだ。どうにかしたいって。

 だとしたら、友達である私がその一歩を導いてあげたい。

「じゃあ……じゃあ…………」

 ぎゅっと自分の手を握りしめて、千鳥ちゃんは顔を上げた。
 くりっとした目を潤ませて、弱々しくも芯の通った瞳が私を見つめる。
 かすれるような声で、けれど想いのこもった声で、ゆっくりと口を開く。

「私がもしアイツと……アゲハの奴と戦いたいって言ったら、アンタは一緒に戦ってくれる? アイツに向き合って、洗いざらい吐き出させたいって言ったら、アンタは一緒に無茶してくれる? あんな化け物みたいな奴に、一緒に立ち向かってくれる……!?」

 今にも泣きそうな、心から搾り出したような叫び。
 取り繕うことも強がることもない。それは千鳥ちゃんの純粋な気持ちだった。

「もうこのままは嫌なの……! 逃げ出すのは楽だったけれど、逃げ続けるのは辛かった。もうあんな怖い思いも、惨めな思いも、したくないの……! だから……だから────」

 俯きそうになる顔を必死にもたげて、千鳥ちゃんは叫んだ。

「お願い……私を助けて、アリス……!!!」

 悲鳴のような懇願。
 頰をいくつもの雫が伝って落ちる。

 そんな、子供のように小さくなって震える千鳥ちゃんを、私は力の限り抱きしめた。

「当たり前だよ……! だって友達だもん。私は、どんな時だって千鳥ちゃんの味方だよ!」

 強く強く、その小さな背中を搔き抱く。
 守りたいと、助けたいと、寄り添いたいと。その想いをこの手に込めて、力の限り。

 私の胸に頭を埋めた千鳥ちゃんが、子供のように大声を張り上げて泣いた。
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