上 下
357 / 984
第6章 誰ガ為ニ

41 蝶と蛸

しおりを挟む
 スカートから溢れ出した闇が、その内側を大きく膨れ上がらせた。
 足元をすっぽりと覆っていたドレスのスカートから、黒くて太い蛸の足が顔を覗かせる。
 ヌメヌメと水気を持った、黒紫色のおぞましい触手のような足が八本、闇と共に地を這うように広がった。

 下半身を蛸のそれに変化させたクロアは、長い足で身体を高く持ち上げ、アゲハを見下ろす。
 車程度であれば簡単に締め上げられそうな強靭な蛸の足は、そこに存在するだけでとても高圧的だった。

 蝶の羽を高らかに広がるアゲハ。
 蛸の足をねっとりと這わせるクロア。
 その二人が向かい合う光景は、とてもこの世の物とは思えない。

 人と人が対峙している光景では決してない。
 人を逸脱し、別のものに成り代わってしまった怪物同士の対峙。
 そこに、普通の人間が関与する余地などなかった。

「化け物の相手は化け物に、か……」

 その光景から目を逸らさずに、千鳥は独り言ちた。
 本来ならば目を背けたくなるようなおぞましい光景。
 人ならざる者たちの衝突など、目の当たりにしたいものではない。

 しかし、千鳥はそれを見届けなければならないと思った。
 この戦いがどう転んだとしても、自分はその行く末を見ておかなければならないと。
 姉であるアゲハが、この戦いの果てに何を成そうとしているのかを。

「わたくしは残念でございます。同胞であるあなたと、こうして雌雄を決さなければならないなんて」
「私はべっつに? アンタのこと、前から気に食わなかったからさ!」

 転臨の力を解放し、黒い闇と共におどろおどろしい気配と威圧を振りまきながらも、クロアは萎れた声で言った。
 しかしそんな彼女の態度などどこ吹く風。アゲハは溢れる敵意を誤魔化そうともしない。

「寧ろラッキーって感じ! アンタをボコる理由ができてさ!」
「そう、でございますか。アゲハさんがそう仰るのであれば、わたくしも加減は致しません。まぁ元より、そのつもりなどなかったのですけれど」

 クロアの足元から周囲を埋め尽くすように闇が広がった。
 地を這う闇は瞬く間にアゲハの元まで広がり、アゲハは飛び上がることでそれを回避した。
 飛び上がり様に無数のカマイタチをクロアに向かって放ったが、それは蛸の足によっていとも簡単に払われる。

「ぬめぬめ気持ち悪いのよ! アンタのそれ、性格と良くあってるけど見るに耐えないのよね! 全部細切れに切り刻んであげる!」

 アゲハが大きく両手を振り被り、そしてくうをなぞるように大きく振るった。
 その十本の指先からは鋭利な糸が伸びており、空間すらも切り裂くような勢いを持ってクロアに向かって振り下ろされた。

 糸鋸のように細く鋭い糸による斬撃。
 上空から天蓋が落ちるように振り下ろされたそれは、そこにあるものすべてを切断するほどの威力とスピードを持っていた。

 クロアは蛸の足の半数を眼前に伸ばし、迫る糸の斬撃に対する盾とした。
 軟体でありつつも屈強な蛸の足は、そうやすやすと切断されるほどに柔ではない。
 しかし音の壁を越えたような鋭さを持って放たれた糸の斬撃は、まるでバターにナイフを落とすような手軽さで蛸の足を斬り落とした。

「っ…………!」

 クロアは切断の痛みに悲鳴をあげることはなかった。
 しかし歯を食いしばり、脂汗を浮かべ、その顔には苦悶の表情が浮かぶ。
 それでも冷静に、クロアは瞬時に次の対処に移った。
 斬り落とされた足が弾けて闇のもやと化し、膨れ上がって蠢くことで糸を絡め押さえ込んだ。
 そしてその闇を霧散させると同時に糸を引きちぎる。

「アンタじゃなくてレイが残った方が良かったんじゃないのー? クロアでさ、私のこと倒せるわけ?」

 蛸の足の半数を斬り落とされたクロアに、アゲハは上空からケラケラと笑い声を浴びせた。
 クロアはその嘲りに耳を貸さず、眉をひそめて斬り落とされた足に目を向ける。
 中腹辺りで斬り落とされた足の切断面がぐにょぐにょと蠢いたかと思うと、まるでトカゲの尻尾のように新たな足が生えた。

 クロアもまた、強い再生力を持つ。
 それはアゲハやクロア、彼女たちの特権ではなく、転臨を果たし人ならざるものへと至った者の力。
 膨大な力、強大な魔力、強靭な肉体を得ている彼女たちの、人間離れした性質だ。

「ご心配頂けるなんて、アゲハさんは優しいのですねぇ。ですが、どうぞご安心を。今この時に限っては、我ら三人の中で、わたくしが一番状況を生かせるのですから」
「はぁ? アンタ何言って────」

 落ち着いた声色で微笑みを浮かべるクロアに、アゲハが苛立ちを覚えた時だった。
 大空に舞い上がっているアゲハの蛸の足が降り注いだ。

「わたくし相手に闇夜の大空へ飛び上がるのは、下策でございましたねぇ」

 夜の空の暗闇に紛れ、アゲハの頭上には闇のもやが広がっていた。
 クロアの足元に広がる闇の中に根元まで沈み込んだ蛸の足が、アゲハの頭上の闇から飛び出している。
 アゲハにとっては完全なる不意打ち。降り注いだ八本の足は、彼女が抵抗する暇も与えずにその身体に絡みついた。

「闇は無限に広がる果てのない海。光を飲み込み空間を捻じ曲げ、あるゆるものを混濁の中へいざなうもの。ここにあるものはそこにある。闇が広がる場所、その全てにわたくしの手は届くのですよ。今届いているのは、足ですけれど」

 口元を上品に隠し、クロアは小さく笑った。
 その姿はまるでお茶の席にいるように優雅で、とても闇をまとい人を締め上げているとは思えない。

「こんの! これしき……!」
「あらあら、わたくしも痛いのは嫌ですので……」

 身体中に巻きつく蛸の足を引き千切ろうとアゲハがもがいた時、クロアは空かさず足を動かした。
 二本の足で蝶の羽の付け根を締め上げ、メキメキと音を立てて根元を折り曲げる。
 そして一本はその白い首に巻きつけて、気道を押さえ込むように圧迫した。

「ぁ────!!!」

 声にならない悲鳴をあげ、アゲハは悶絶する。
 蛸の足に絡められ押さえつけられ捕らえられている様は、天敵に捕まり捕食を待つばかりの憐れな虫のようだった。

 そこには人への尊厳などない。
 どちらも、ヒトではないのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小説教室・ごはん学校「SМ小説です」

浅野浩二
現代文学
ある小説学校でのSМ小説です

二穴責め

S
恋愛
久しぶりに今までで1番、超過激な作品の予定です。どの作品も、そうですが事情あって必要以上に暫く長い間、時間置いて書く物が多いですが御了承なさって頂ければと思ってます。

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

憧れのあの子はダンジョンシーカー〜僕は彼女を追い描ける?〜

マニアックパンダ
ファンタジー
憧れのあの子はダンジョンシーカー。 職業は全てステータスに表示される世界。何かになりたくとも、その職業が出なければなれない、そんな世界。 ダンジョンで赤ん坊の頃拾われた主人公の横川一太は孤児院で育つ。同じ孤児の親友と楽しく生活しているが、それをバカにしたり蔑むクラスメイトがいたりする。 そんな中無事16歳の高校2年生となり初めてのステータス表示で出たのは、世界初職業であるNINJA……憧れのあの子と同じシーカー職だ。親友2人は生産職の稀少ジョブだった。お互い無事ジョブが出た事に喜ぶが、教育をかってでたのは職の壁を超越したリアルチートな師匠だった。 始まる過酷な訓練……それに応えどんどんチートじみたスキルを発現させていく主人公だが、師匠たちのリアルチートは圧倒的すぎてなかなか追い付けない。 憧れのあの子といつかパーティーを組むためと思いつつ、妖艶なくノ一やらの誘惑についつい目がいってしまう……だって高校2年生、そんな所に興味を抱いてしまうのは仕方がないよね!? *この物語はフィクションです、登場する個人名・団体名は一切関係ありません。

悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活

束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。 初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。 ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。 それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。

【完結】公爵令嬢の私に騎士も誰も敵わないのですか?

海野幻創
ファンタジー
公爵令嬢であるエマ・ヴァロワは、最高の結婚をするために幼いころから努力を続けてきた。 そんなエマの婚約者となったのは、多くの人から尊敬を集め、立派な方だと口々に評される名門貴族の跡取り息子、コンティ公爵だった。 夢が叶いそうだと期待に胸を膨らませ、結婚準備をしていたのだが── 「おそろしい女……」 助けてあげたのにも関わらず、お礼をして抱きしめてくれるどころか、コンティ公爵は化け物を見るような目つきで逃げ去っていった。 なんて男! 最高の結婚相手だなんて間違いだったわ! 自国でも隣国でも結婚相手に恵まれず、結婚相手を探すだけの社交界から離れたくなった私は、遠い北の地に住む母の元へ行くことに決めた。 遠い2000キロの旅路を執事のシュヴァリエと共に行く。 仕える者に対する態度がなっていない最低の執事だけど、必死になって私を守るし、どうやらとても強いらしい── しかし、シュヴァリエは私の方がもっと強いのだという。まさかとは思ったが、それには理由があったのだ。

西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~

雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。 元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。 ※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。

処理中です...