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第6章 誰ガ為ニ
41 蝶と蛸
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スカートから溢れ出した闇が、その内側を大きく膨れ上がらせた。
足元をすっぽりと覆っていたドレスのスカートから、黒くて太い蛸の足が顔を覗かせる。
ヌメヌメと水気を持った、黒紫色の悍ましい触手のような足が八本、闇と共に地を這うように広がった。
下半身を蛸のそれに変化させたクロアは、長い足で身体を高く持ち上げ、アゲハを見下ろす。
車程度であれば簡単に締め上げられそうな強靭な蛸の足は、そこに存在するだけでとても高圧的だった。
蝶の羽を高らかに広がるアゲハ。
蛸の足をねっとりと這わせるクロア。
その二人が向かい合う光景は、とてもこの世の物とは思えない。
人と人が対峙している光景では決してない。
人を逸脱し、別のものに成り代わってしまった怪物同士の対峙。
そこに、普通の人間が関与する余地などなかった。
「化け物の相手は化け物に、か……」
その光景から目を逸らさずに、千鳥は独り言ちた。
本来ならば目を背けたくなるような悍ましい光景。
人ならざる者たちの衝突など、目の当たりにしたいものではない。
しかし、千鳥はそれを見届けなければならないと思った。
この戦いがどう転んだとしても、自分はその行く末を見ておかなければならないと。
姉であるアゲハが、この戦いの果てに何を成そうとしているのかを。
「わたくしは残念でございます。同胞であるあなたと、こうして雌雄を決さなければならないなんて」
「私はべっつに? アンタのこと、前から気に食わなかったからさ!」
転臨の力を解放し、黒い闇と共におどろおどろしい気配と威圧を振りまきながらも、クロアは萎れた声で言った。
しかしそんな彼女の態度などどこ吹く風。アゲハは溢れる敵意を誤魔化そうともしない。
「寧ろラッキーって感じ! アンタをボコる理由ができてさ!」
「そう、でございますか。アゲハさんがそう仰るのであれば、わたくしも加減は致しません。まぁ元より、そのつもりなどなかったのですけれど」
クロアの足元から周囲を埋め尽くすように闇が広がった。
地を這う闇は瞬く間にアゲハの元まで広がり、アゲハは飛び上がることでそれを回避した。
飛び上がり様に無数のカマイタチをクロアに向かって放ったが、それは蛸の足によっていとも簡単に払われる。
「ぬめぬめ気持ち悪いのよ! アンタのそれ、性格と良くあってるけど見るに耐えないのよね! 全部細切れに切り刻んであげる!」
アゲハが大きく両手を振り被り、そして空をなぞるように大きく振るった。
その十本の指先からは鋭利な糸が伸びており、空間すらも切り裂くような勢いを持ってクロアに向かって振り下ろされた。
糸鋸のように細く鋭い糸による斬撃。
上空から天蓋が落ちるように振り下ろされたそれは、そこにあるものすべてを切断するほどの威力とスピードを持っていた。
クロアは蛸の足の半数を眼前に伸ばし、迫る糸の斬撃に対する盾とした。
軟体でありつつも屈強な蛸の足は、そうやすやすと切断されるほどに柔ではない。
しかし音の壁を越えたような鋭さを持って放たれた糸の斬撃は、まるでバターにナイフを落とすような手軽さで蛸の足を斬り落とした。
「っ…………!」
クロアは切断の痛みに悲鳴をあげることはなかった。
しかし歯を食いしばり、脂汗を浮かべ、その顔には苦悶の表情が浮かぶ。
それでも冷静に、クロアは瞬時に次の対処に移った。
斬り落とされた足が弾けて闇の靄と化し、膨れ上がって蠢くことで糸を絡め押さえ込んだ。
そしてその闇を霧散させると同時に糸を引きちぎる。
「アンタじゃなくてレイが残った方が良かったんじゃないのー? クロアでさ、私のこと倒せるわけ?」
蛸の足の半数を斬り落とされたクロアに、アゲハは上空からケラケラと笑い声を浴びせた。
クロアはその嘲りに耳を貸さず、眉をひそめて斬り落とされた足に目を向ける。
中腹辺りで斬り落とされた足の切断面がぐにょぐにょと蠢いたかと思うと、まるでトカゲの尻尾のように新たな足が生えた。
クロアもまた、強い再生力を持つ。
それはアゲハやクロア、彼女たちの特権ではなく、転臨を果たし人ならざるものへと至った者の力。
膨大な力、強大な魔力、強靭な肉体を得ている彼女たちの、人間離れした性質だ。
「ご心配頂けるなんて、アゲハさんは優しいのですねぇ。ですが、どうぞご安心を。今この時に限っては、我ら三人の中で、わたくしが一番状況を生かせるのですから」
「はぁ? アンタ何言って────」
落ち着いた声色で微笑みを浮かべるクロアに、アゲハが苛立ちを覚えた時だった。
大空に舞い上がっているアゲハの頭上から蛸の足が降り注いだ。
「わたくし相手に闇夜の大空へ飛び上がるのは、下策でございましたねぇ」
夜の空の暗闇に紛れ、アゲハの頭上には闇の靄が広がっていた。
クロアの足元に広がる闇の中に根元まで沈み込んだ蛸の足が、アゲハの頭上の闇から飛び出している。
アゲハにとっては完全なる不意打ち。降り注いだ八本の足は、彼女が抵抗する暇も与えずにその身体に絡みついた。
「闇は無限に広がる果てのない海。光を飲み込み空間を捻じ曲げ、あるゆるものを混濁の中へ誘うもの。ここにあるものはそこにある。闇が広がる場所、その全てにわたくしの手は届くのですよ。今届いているのは、足ですけれど」
口元を上品に隠し、クロアは小さく笑った。
その姿はまるでお茶の席にいるように優雅で、とても闇をまとい人を締め上げているとは思えない。
「こんの! これしき……!」
「あらあら、わたくしも痛いのは嫌ですので……」
身体中に巻きつく蛸の足を引き千切ろうとアゲハがもがいた時、クロアは空かさず足を動かした。
二本の足で蝶の羽の付け根を締め上げ、メキメキと音を立てて根元を折り曲げる。
そして一本はその白い首に巻きつけて、気道を押さえ込むように圧迫した。
「ぁ────!!!」
声にならない悲鳴をあげ、アゲハは悶絶する。
蛸の足に絡められ押さえつけられ捕らえられている様は、天敵に捕まり捕食を待つばかりの憐れな虫のようだった。
そこには人への尊厳などない。
どちらも、ヒトではないのだから。
足元をすっぽりと覆っていたドレスのスカートから、黒くて太い蛸の足が顔を覗かせる。
ヌメヌメと水気を持った、黒紫色の悍ましい触手のような足が八本、闇と共に地を這うように広がった。
下半身を蛸のそれに変化させたクロアは、長い足で身体を高く持ち上げ、アゲハを見下ろす。
車程度であれば簡単に締め上げられそうな強靭な蛸の足は、そこに存在するだけでとても高圧的だった。
蝶の羽を高らかに広がるアゲハ。
蛸の足をねっとりと這わせるクロア。
その二人が向かい合う光景は、とてもこの世の物とは思えない。
人と人が対峙している光景では決してない。
人を逸脱し、別のものに成り代わってしまった怪物同士の対峙。
そこに、普通の人間が関与する余地などなかった。
「化け物の相手は化け物に、か……」
その光景から目を逸らさずに、千鳥は独り言ちた。
本来ならば目を背けたくなるような悍ましい光景。
人ならざる者たちの衝突など、目の当たりにしたいものではない。
しかし、千鳥はそれを見届けなければならないと思った。
この戦いがどう転んだとしても、自分はその行く末を見ておかなければならないと。
姉であるアゲハが、この戦いの果てに何を成そうとしているのかを。
「わたくしは残念でございます。同胞であるあなたと、こうして雌雄を決さなければならないなんて」
「私はべっつに? アンタのこと、前から気に食わなかったからさ!」
転臨の力を解放し、黒い闇と共におどろおどろしい気配と威圧を振りまきながらも、クロアは萎れた声で言った。
しかしそんな彼女の態度などどこ吹く風。アゲハは溢れる敵意を誤魔化そうともしない。
「寧ろラッキーって感じ! アンタをボコる理由ができてさ!」
「そう、でございますか。アゲハさんがそう仰るのであれば、わたくしも加減は致しません。まぁ元より、そのつもりなどなかったのですけれど」
クロアの足元から周囲を埋め尽くすように闇が広がった。
地を這う闇は瞬く間にアゲハの元まで広がり、アゲハは飛び上がることでそれを回避した。
飛び上がり様に無数のカマイタチをクロアに向かって放ったが、それは蛸の足によっていとも簡単に払われる。
「ぬめぬめ気持ち悪いのよ! アンタのそれ、性格と良くあってるけど見るに耐えないのよね! 全部細切れに切り刻んであげる!」
アゲハが大きく両手を振り被り、そして空をなぞるように大きく振るった。
その十本の指先からは鋭利な糸が伸びており、空間すらも切り裂くような勢いを持ってクロアに向かって振り下ろされた。
糸鋸のように細く鋭い糸による斬撃。
上空から天蓋が落ちるように振り下ろされたそれは、そこにあるものすべてを切断するほどの威力とスピードを持っていた。
クロアは蛸の足の半数を眼前に伸ばし、迫る糸の斬撃に対する盾とした。
軟体でありつつも屈強な蛸の足は、そうやすやすと切断されるほどに柔ではない。
しかし音の壁を越えたような鋭さを持って放たれた糸の斬撃は、まるでバターにナイフを落とすような手軽さで蛸の足を斬り落とした。
「っ…………!」
クロアは切断の痛みに悲鳴をあげることはなかった。
しかし歯を食いしばり、脂汗を浮かべ、その顔には苦悶の表情が浮かぶ。
それでも冷静に、クロアは瞬時に次の対処に移った。
斬り落とされた足が弾けて闇の靄と化し、膨れ上がって蠢くことで糸を絡め押さえ込んだ。
そしてその闇を霧散させると同時に糸を引きちぎる。
「アンタじゃなくてレイが残った方が良かったんじゃないのー? クロアでさ、私のこと倒せるわけ?」
蛸の足の半数を斬り落とされたクロアに、アゲハは上空からケラケラと笑い声を浴びせた。
クロアはその嘲りに耳を貸さず、眉をひそめて斬り落とされた足に目を向ける。
中腹辺りで斬り落とされた足の切断面がぐにょぐにょと蠢いたかと思うと、まるでトカゲの尻尾のように新たな足が生えた。
クロアもまた、強い再生力を持つ。
それはアゲハやクロア、彼女たちの特権ではなく、転臨を果たし人ならざるものへと至った者の力。
膨大な力、強大な魔力、強靭な肉体を得ている彼女たちの、人間離れした性質だ。
「ご心配頂けるなんて、アゲハさんは優しいのですねぇ。ですが、どうぞご安心を。今この時に限っては、我ら三人の中で、わたくしが一番状況を生かせるのですから」
「はぁ? アンタ何言って────」
落ち着いた声色で微笑みを浮かべるクロアに、アゲハが苛立ちを覚えた時だった。
大空に舞い上がっているアゲハの頭上から蛸の足が降り注いだ。
「わたくし相手に闇夜の大空へ飛び上がるのは、下策でございましたねぇ」
夜の空の暗闇に紛れ、アゲハの頭上には闇の靄が広がっていた。
クロアの足元に広がる闇の中に根元まで沈み込んだ蛸の足が、アゲハの頭上の闇から飛び出している。
アゲハにとっては完全なる不意打ち。降り注いだ八本の足は、彼女が抵抗する暇も与えずにその身体に絡みついた。
「闇は無限に広がる果てのない海。光を飲み込み空間を捻じ曲げ、あるゆるものを混濁の中へ誘うもの。ここにあるものはそこにある。闇が広がる場所、その全てにわたくしの手は届くのですよ。今届いているのは、足ですけれど」
口元を上品に隠し、クロアは小さく笑った。
その姿はまるでお茶の席にいるように優雅で、とても闇をまとい人を締め上げているとは思えない。
「こんの! これしき……!」
「あらあら、わたくしも痛いのは嫌ですので……」
身体中に巻きつく蛸の足を引き千切ろうとアゲハがもがいた時、クロアは空かさず足を動かした。
二本の足で蝶の羽の付け根を締め上げ、メキメキと音を立てて根元を折り曲げる。
そして一本はその白い首に巻きつけて、気道を押さえ込むように圧迫した。
「ぁ────!!!」
声にならない悲鳴をあげ、アゲハは悶絶する。
蛸の足に絡められ押さえつけられ捕らえられている様は、天敵に捕まり捕食を待つばかりの憐れな虫のようだった。
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