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第5章 フローズン・ファンタズム

32 許せないけど憎めない

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「ごめんなさい、アリス」
「え……?」

 唐突に頭を下げられて、私はぽかんと返してしまった。
 私の手を壊れ物を扱うようにそっと握りながら、長いポニーテールを垂らしている。

「私は、あなたに散々酷いことをしてしまった」
「それは……うん」

 D4が悪い人ではないということはわかってる。
 私のことを想ってくれている親友だということも。
 けれどD4が二度、私の前に現れてした言動は、まさしく私にとっては敵だった。

 私を連れ戻そうと襲いかかってくるだけならまだしも、透子ちゃんを酷く傷付け、今もなお目覚めない状態にしたのは他でもないD4だ。
 その後に会った時もD4は、飽くまで大切なのは昔の私だと、今の私のことを否定した。

 その事実は確かに私の中に傷として残っている。
 友達だったとしても、親友だったとしても、それが私を想っての行動だったとしても。
 負った傷は確かな事実だ。

「私は、私たちは、目の前が見えなくなってしまっていたの。やっとあなたに会えたから、やっとあなたを救えると思って、今ここにいるあなたの気持ちを無視しまっていた。ごめんなさい、アリス」
「……頭を、上げて」

 項垂れるように深く頭を下げるD4。
 私が声を掛けても、D4は微動だにせず頭を下げ続けた。
 悪いと思っている気持ちは伝わってくるけれど、それでは話ができないから、私は空いた手でD4の顎を持ってぐいっと持ち上げた。

 D4の驚いた顔が私を見上げた。
 大人びた優しげな顔が、今は不安に暮れていた。
 賢そうなキリッとした顔立ちは、普段は頼もしいお姉さんのようなんだろう。
 けれど今はただの女の子みたいに弱々しく見えた。

「どうして、急に?」
「本当ははじめから、ちゃんとあなたと話したかった。けれど、いざあなたを目の前にすると、どうしても冷静ではいられなかったの……」

 D4はD8ほど激情型ではなかったとはいえ、それでも私に対して激しいコンタクトを取ってきた。
 それなのにどうして今はその行動を悔いているのか。
 私が尋ねると、D4は目を伏せた。

「やっとアリスに会えると思って浮き足立って、あなたの気持ちを考える余裕がなかった。アリスを目の前にしてみれば、逸る気持ちを抑えられなかった。あなたが去ってしまった後、とっても後悔したの。もっとちゃんと、今のあなたと話をするべきだったって。それでもこの間も、私は自分の気持ちを抑えきれなくて……」

 唇を噛み締めて、過去の言動を悔いるD4。
 大人びていて冷静に見えるD4だけれど、彼女もまた一人の女の子に過ぎなくて、その気持ちをどうしようもなくなってしまっていたんだ。
 頭でわかっていても心が追いつかなくて、本来したいこととは別のことをしてしまう。
 それはきっと、誰にでもあること。けれど、だからといってD4がやったことの事実は消えない。

「あなたが私にしたことは、きっと簡単には許せない。でも、仕方ないかもしれないって思ってしまう自分もいるの。だって私たちは今、あまりにも立場が違いすぎる。だからあなたたちの行動の全てを責めることは、私にはできない」

 透子ちゃんをあんなになるまで傷付けたことを、簡単に許すことなんてできない。できるはずがない。
 けれど二人は魔法使いで魔女狩りで、魔女とは敵対する関係なんだ。
 だからこの場合、本当に論ずるべきは魔法使いと魔女の関係性であって、二人の行いそのものじゃない。

 それでもそうと割り切れないのが人間で、どうしても環境や立場や制度よりも個人を憎んでしまう。
 私だってD4やD8に思うところはある。けれどそうやって俯瞰して見てしまうのは、彼らのことを親友だと知ってしまっているからかもしれない。
 彼らには彼らの想いがあると、知ってしまっているからかもしれない。
 だからどうしても憎みきれないんだ。

 二人の行動が、私のことを想えばこそのものだと知っている私には、どうしてもそれを責めることができなかった。
 辛いはずなのに、苦しいはずなのに、それでも二人の心を思うとどうにも強く責めることができなかった。
 私自身のことはいい。でも、透子ちゃんはこんな私に怒るかな……?

「許せない。許せないけど、だからといって私はあなたたちを憎まない。憎めないよ。だって、二人は私の親友なんでしょ……?」

 私自身は覚えていない過去の記憶。
 けれど私の心はもうどうしようもなく二人のことを感じていて、それを我慢することはできなかった。
 本当は憎むべきはずなのに、嫌うべきはずなのに、どうしてもそれができない。

「アリスは優しいね。優しすぎるくらい、優しい」
「違うよ。こんなの優しさじゃない。私はずるいだけだよ。どっちにもいい顔して、最低なだけ……」

 私はきっと、嫌うのが怖いんだ。二人を嫌うのが、怖いんだ。
 乱暴な手段で私に襲いかかってきて、透子ちゃんを痛めつけた二人のことなんて、普通は嫌いになって当然なのに。
 それでも心で感じる親友を嫌いになってしまうのが怖いんだ。
 これはただの、私のエゴだ。最低だ。

「そんなことないよアリス。あなたのそういう所は今も全く変わってない。アリスは、やっぱりアリスだよ。何があっても、どんな時でも相手を受け入れられる心の広さがあなたの優しさで、そして強さ。その心は多くの人の心を救ってきたんだから。寧ろそこに漬け込んだ私たちの方が最低なんだから」

 そう言えば聞こえはいいかもしれない。
 でも私は、自分の考え方が偽善に感じられて、とても苦しくなった。
 受け入れると言えば聞こえはいいけれど、これはただ辛いことから逃げているだけなんじゃないかって。
 だって、人を嫌いになるには勇気が必要だから。

 でも、これは私の性分だ。人を憎みきれない、嫌いになれない。
 いつかしっぺ返しがくるかもしれないけれど、でもこれだけはどんなに頭で考えても変えられなかった。
 だから今は、自分の気持ちに正直になろう。
 二人のことを嫌いになれないことを受け入れて、その中でするべきことをしよう。

「ねぇD4」
「なぁにアリス」
「一発、叩いていい?」

 私の言葉にD4は少し驚いたように目を見開いて、それから静かに頷いた。
 目を瞑ってそっと差し出す頰に、私は力の限りの平手を打ち付けた。
 街の喧騒から離れた静かなビルの屋上で、バチンと重い音が響いた。

「私が、私たちが受けた痛みや苦しみがこれでチャラなるわけじゃないよ。でも、だからといってされたことを全部やり返してやろうと思わない。だけど、一発くらいは殴っとかないと流石に透子ちゃんも許してくれないだろうから」

 結局は自分本位な感傷だ。けれどこれをケジメにして、今は前に進まないと。
 後のことはもっと先だ。私が自分の問題を解決して、『魔女ウィルス』を何とかして、魔法使いと魔女の殺し合いを終わらせて、そして透子ちゃんを目覚めさせて。

 全部全部解決した後に、全部ひっくるめてちゃんと謝ってもらう。私にも、透子ちゃんにも。
 それまでは、これで一旦この気持ちはしまっておこう。

「……痛い。でも、そうだよね。私たちがしたことに比べれば、これくらい……」
「うん。でも今は一旦これで終わりにしてあげる」

 打たれた頰に手を当てて、D4は掠れた声で呟いた。
 そんなD4の手に手を重ね、私は少し強い目で言った。

「あくまで一旦だから。今は私たちが喧嘩している場合じゃないからさ。全部終わった後、その時ちゃんと、ね」
「うん。ありがとう、アリス」

 薄く涙を浮かべた瞳で、弱々しく私を見つめるD4。
 いつものキリッとした姿はもうそこにはなくて、ただの同年代の女の子だった。

「……私よりお姉さんでしょ? そのくらいで泣かないでよ、アリア────」

 自分で口にしてハッとした。
 今の言葉はどこから来たものなのか、と。
 でももうそれは疑問を挟む余地もなく、私の心の奥から湧き上がってくる『お姫様わたし』の記憶からだとわかった。

「うん、そうだね」

 そんな私を見てD4はほんの少し笑みをこぼした。
 そしてそこから口元の緩みを抑えられなくなったのか、涙目ながらも綻んだ顔をした。

「ごめん、嬉しくて。アリスにまた名前を呼んでもらえるのが……」
「あなたも、そんなことを……」

 D8もそんなことを言っていた。
 私に名前を呼んでもらうのが好きだったと。
 長い間会えなくて、ずっとずっと私のことを探してくれていたからこそ、なのかもしれない。
 そんな顔を見せられたら、それくらいのことならしてあげたいと思ってしまう。

「……名前くらい、別に呼んであげるよ。今の私でよければね」
「もちろん。アリスはやっぱりアリスだって、もう散々わかったから。あなたに、名前を呼んでほしい」
「わかったよ、アリア」

 きっと昔の私とはどこか違うと思う。
 二人のことをよく知っていて、信頼して好いていた時の声とは、きっと違う。
 けれど私の声を聞いて、とっても嬉しそうに頰を緩ませるものだから、私は何だか居た堪れなくなってしまった。
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