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第5章 フローズン・ファンタズム
13 器
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「でもその、ドルミーレに近づいているっていうのはどういう意味なんですか?」
「そうですねぇ。姫様は既にその一端を目にされているかと」
私の問いにクロアさんは少し逡巡してそう言った。
どこか私を憂いているように寂しげな顔で、少し眉を落として私に優しく微笑みかけてきた。
「……もしかして、『魔女ウィルス』による死と関係があるんですか?」
昨日の出来事を思い出して、私は暗い気持ちを押さえ込みながら尋ねた。
クロアさんほんの僅か目を伏せて控えめに頷いた。
「左様でございます。魔女がウィルスによって死を迎える現象、または転臨こそが、魔女がドルミーレ様に近づいていくものだということの表れでございます」
「…………?」
自分で答えておいてなんだけれど、全くイメージがつかなかった。
あの死に方のどこが、ドルミーレに近づいていることになるんだろう。
「先日わたくしたちは、『魔女ウィルス』の本来の目的は、人間の肉体を書き換えることだとお教えしましたね。それがつまりそういうことなのです」
「……というと?」
「『魔女ウィルス』とは、感染した人間の肉体を新たなドルミーレ様の器にするべく、その肉体を書き換えるものなのです」
「────────!!!」
一瞬で血の気が引いていったのを感じた。
新しいドルミーレの器?
そんなものにするために、魔女たちはその身体を蝕まれているっていうの……?
「死に至った魔女とはつまり、器としての素養が足りなかった者ということ。書き換えられたものに肉そのものが耐えられず、正しい形を保つことができなくなった結果なのです。それでも体内の『魔女ウィルス』が器を形作ろうと力を放出させた結果、目を覆いたくなるあの無残な成れの果ての姿へと変貌を遂げるのです」
昨日の光景がフラッシュバックする。
肉体が暴れ狂い、膨張して爆散した晴香。
その血肉が集い、崩壊と再生を繰り返す見るも無残な肉の塊。
あれは、『魔女ウィルス』がドルミーレの器にしようとして失敗した結果だったなんて。
「あぁ、おいたわしや」
クロアさんは弱々しい声を上げると身を乗り出してきて、手に持ったハンカチで私の額の汗を拭ってくれた。
私はよっぽど酷い顔をしているのか、クロアさんの顔は心配そうに歪んでいた。
「少し、休憩いたしましょうか」
「いえ、でも……」
「少しだけでございます」
私の言葉を遮るように強く、でも柔らかく言ったクロアさんは、すっと立ち上がると私の隣の席へと移ってきた。
落ち着いた様子でゆっくりと腰を下ろして、その腕を私の背中に回してそっと柔らかく私の身体を抱いた。
「昨日は大切なご友人を亡くされたと伺いました。お辛いでしょう」
クロアさんに引き寄せられるがままに、私は身を預けてしまった。
柔らかく温かな包容力を持って抱かれて、じんわりと温もりが伝わってくる。
その女性らしい柔らかさと母性に満たされた温かさは、全てを委ねてしまいたいと思ってしまうほどに優しかった。
「無理する必要はないのです。頑張りすぎる必要もないのです。わたくしがついていますよ」
「…………」
その癒しはとても甘美で、何もかも任せて楽になりたいという気持ちが浮き上がってくる。
この人に甘えきってしまえば、辛いことから逃れて全てなるようにしてくれるんじゃないかって。
包み込むこの優しさに委ねてしまえば、それが楽なんじゃないかって。
「……いえ、それはできません」
でも、それではダメなんだ。
逃げるのは簡単だし、人に押し付けたり任せたりするのも簡単だ。
でもそれじゃあその時、私の責任はどこへいくんだろう。
私を想ってくれる人たちの心はどこへいくんだろう。
私が戦うこの日々は、私の人生はもう私だけのものではないんだから。
私のために戦ってくれる人がいる。
私のことを想って支えてくれる人たちがいる。
私が諦めて挫けて投げ出すということは、その全てを無駄にしてしまうことだから。
どんなに楽でも、甘美でも、私はその道に逃れることはできない。
「クロアさん、続きを教えてください。ドルミーレの器になるとは、どういうことなのかを」
「姫様……」
クロアさんに枝垂れかかっていた体を起こしてその腕を解くと、クロアさんは少し寂しそうな顔で私を見た。
しかしすぐにその顔に緩やかな笑みを取り戻して頷いた。
「姫様にお覚悟があるのでしたから、わたくしも同じように添ってゆかねばなりませんね」
その笑みは慈しむようで、子供の成長を見守る母親のようで。
やっぱり子供扱いされていると思いつつも、私は唇を結んでクロアさんを真っ直ぐに見つめた。
「魔女が死に至ってしまうのは先程お伝えした通り。ウィルスによる書き換えに肉体が耐えられなかった結果です。しかしそれに耐えられるだけの力を持つ者は、次なる段階へと進むことができるのです」
「それが、転臨?」
「ご明察」
クロアさんはぱっと優しい笑みを浮かべた。
それを聞いてようやく、先日の『魔女ウィルス』の適性という表現に合点がいった。
普通に考えれば人を死に至らしめる『魔女ウィルス』にはマイナスのイメージしかないから、それに順応することがいいこととは思えない。
けれどそれに対応できればできるほど、死には至らず次の段階へと進んでいけるものならば、確かにそれは適性と言える。
ドルミーレの器になるための適性。そういう意味なんだ。
でもそれが個人にとっていいものとは思えない。
だって普通に考えれば、他人の器になりたいなんて思うわけないんだから。
でもそれを語るクロアさんの言葉は前向きに聞こえるし、ワルプルギスは何を考えているんだろう。
「そうですねぇ。姫様は既にその一端を目にされているかと」
私の問いにクロアさんは少し逡巡してそう言った。
どこか私を憂いているように寂しげな顔で、少し眉を落として私に優しく微笑みかけてきた。
「……もしかして、『魔女ウィルス』による死と関係があるんですか?」
昨日の出来事を思い出して、私は暗い気持ちを押さえ込みながら尋ねた。
クロアさんほんの僅か目を伏せて控えめに頷いた。
「左様でございます。魔女がウィルスによって死を迎える現象、または転臨こそが、魔女がドルミーレ様に近づいていくものだということの表れでございます」
「…………?」
自分で答えておいてなんだけれど、全くイメージがつかなかった。
あの死に方のどこが、ドルミーレに近づいていることになるんだろう。
「先日わたくしたちは、『魔女ウィルス』の本来の目的は、人間の肉体を書き換えることだとお教えしましたね。それがつまりそういうことなのです」
「……というと?」
「『魔女ウィルス』とは、感染した人間の肉体を新たなドルミーレ様の器にするべく、その肉体を書き換えるものなのです」
「────────!!!」
一瞬で血の気が引いていったのを感じた。
新しいドルミーレの器?
そんなものにするために、魔女たちはその身体を蝕まれているっていうの……?
「死に至った魔女とはつまり、器としての素養が足りなかった者ということ。書き換えられたものに肉そのものが耐えられず、正しい形を保つことができなくなった結果なのです。それでも体内の『魔女ウィルス』が器を形作ろうと力を放出させた結果、目を覆いたくなるあの無残な成れの果ての姿へと変貌を遂げるのです」
昨日の光景がフラッシュバックする。
肉体が暴れ狂い、膨張して爆散した晴香。
その血肉が集い、崩壊と再生を繰り返す見るも無残な肉の塊。
あれは、『魔女ウィルス』がドルミーレの器にしようとして失敗した結果だったなんて。
「あぁ、おいたわしや」
クロアさんは弱々しい声を上げると身を乗り出してきて、手に持ったハンカチで私の額の汗を拭ってくれた。
私はよっぽど酷い顔をしているのか、クロアさんの顔は心配そうに歪んでいた。
「少し、休憩いたしましょうか」
「いえ、でも……」
「少しだけでございます」
私の言葉を遮るように強く、でも柔らかく言ったクロアさんは、すっと立ち上がると私の隣の席へと移ってきた。
落ち着いた様子でゆっくりと腰を下ろして、その腕を私の背中に回してそっと柔らかく私の身体を抱いた。
「昨日は大切なご友人を亡くされたと伺いました。お辛いでしょう」
クロアさんに引き寄せられるがままに、私は身を預けてしまった。
柔らかく温かな包容力を持って抱かれて、じんわりと温もりが伝わってくる。
その女性らしい柔らかさと母性に満たされた温かさは、全てを委ねてしまいたいと思ってしまうほどに優しかった。
「無理する必要はないのです。頑張りすぎる必要もないのです。わたくしがついていますよ」
「…………」
その癒しはとても甘美で、何もかも任せて楽になりたいという気持ちが浮き上がってくる。
この人に甘えきってしまえば、辛いことから逃れて全てなるようにしてくれるんじゃないかって。
包み込むこの優しさに委ねてしまえば、それが楽なんじゃないかって。
「……いえ、それはできません」
でも、それではダメなんだ。
逃げるのは簡単だし、人に押し付けたり任せたりするのも簡単だ。
でもそれじゃあその時、私の責任はどこへいくんだろう。
私を想ってくれる人たちの心はどこへいくんだろう。
私が戦うこの日々は、私の人生はもう私だけのものではないんだから。
私のために戦ってくれる人がいる。
私のことを想って支えてくれる人たちがいる。
私が諦めて挫けて投げ出すということは、その全てを無駄にしてしまうことだから。
どんなに楽でも、甘美でも、私はその道に逃れることはできない。
「クロアさん、続きを教えてください。ドルミーレの器になるとは、どういうことなのかを」
「姫様……」
クロアさんに枝垂れかかっていた体を起こしてその腕を解くと、クロアさんは少し寂しそうな顔で私を見た。
しかしすぐにその顔に緩やかな笑みを取り戻して頷いた。
「姫様にお覚悟があるのでしたから、わたくしも同じように添ってゆかねばなりませんね」
その笑みは慈しむようで、子供の成長を見守る母親のようで。
やっぱり子供扱いされていると思いつつも、私は唇を結んでクロアさんを真っ直ぐに見つめた。
「魔女が死に至ってしまうのは先程お伝えした通り。ウィルスによる書き換えに肉体が耐えられなかった結果です。しかしそれに耐えられるだけの力を持つ者は、次なる段階へと進むことができるのです」
「それが、転臨?」
「ご明察」
クロアさんはぱっと優しい笑みを浮かべた。
それを聞いてようやく、先日の『魔女ウィルス』の適性という表現に合点がいった。
普通に考えれば人を死に至らしめる『魔女ウィルス』にはマイナスのイメージしかないから、それに順応することがいいこととは思えない。
けれどそれに対応できればできるほど、死には至らず次の段階へと進んでいけるものならば、確かにそれは適性と言える。
ドルミーレの器になるための適性。そういう意味なんだ。
でもそれが個人にとっていいものとは思えない。
だって普通に考えれば、他人の器になりたいなんて思うわけないんだから。
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