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第4章 死が二人を分断つとも
54 死が二人を分断つとも
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雨が、ポツリポツリと暗い空から落ちてきた。
冬の冷え切った雨は触れるだけで凍えそうだった。
そんな澄み切った冷たさの雨粒が頰を打って、でも私にはそんなことは気にならなかった。
鍵を持っていかれてしまった。
私が記憶と力を取り戻すための鍵。
晴香が私を守るために命をかけて守って、そしてその命を投げ打って私に還してくれた鍵。
それは私にとって必かなめなものであると同時に、晴香の想いであり形見のようなものだ。
それを、他人の手に渡してしまった。
身体中の力が抜けて、私はその場にへなへなと崩れ落ちた。
慌てて氷室さんが駆け寄ってきて支えてくれたけれど、それにお礼を言う力もなかった。
『真理の剣』は淡く消え去って、私に満ちていた力もスッと引いていった。
静寂に包まれた学校の校庭の中で、雨音だけが緩やかに響く。
「アリスちゃん……」
歯を食いしばりながらもなんとなく体を起こした善子さんが、切ない顔を私に向けた。
何か言おうとして、でも言いあぐねて口をもごもごと閉じる。
「アリスちゃん。そう気を落とすことはないよ」
夜子さんがのそのそと歩み寄ってきて、変わらぬ口調で緩やかに言った。
もうそこに先ほどまでの威圧はなかった。
既に転臨の力を引き出したことによる変化は解けていて、髪の色は黒から茶髪に戻って、猫耳や尻尾も無くなっている。
いつも通りの姿の夜子さんが、いつも通りの声色で言う。
「確かに君自身が鍵を手にすることはできなかった。しかし、今その封印を解くのは確かに最善とは言えなかったよ」
「どういう、意味ですか……?」
「今のアリスちゃんの心は酷く不安定だ。君自身は強く成長したけれど、今このタイミングに関してはとても脆い状態だった。今封印を解いていれば、君の心は負けていたかもしれない」
でもそれは結果論だ。
鍵を取られてしまったことの肯定にはならない。
「もちろん私としても奴の手に鍵が渡ったのは好ましくはないけれど、最終的な目的、それに用途は変わらない。個人的感情を度外視すれば、鍵を持っていかれたとしてもさして問題はないのさ」
「…………」
その感情が追いつかないから困ってるんだ。
私は力が取り戻せなかったのがショックなんじゃない。
晴香の想いに応えてあげられなかったことが堪らなく辛いんだ。
その命と人生を懸けて私のために守ってきてくれた鍵を、人の手に渡してしまったことが。
晴香は私のために命の限りを尽くしてくれたのに。
その全てを投げ打って私のために尽くしてくれたのに。
だっていうのに、私はなんだ。
わがままばかり喚いて晴香を困らせて、より苦しむ道を強いて、その命がけの想いさえも受け取らずに。
恩を仇で返しているどころじゃない。
「私、最低だ……」
思わず言葉が口から溢れた。
自分の弱さが嫌になって、自分の愚かさに吐き気がして。
晴香は私にとって本当に大切な友達だったのに。
私が守りたかった掛け替えのない日常だったのに。
私が一番守らなくちゃいけないものだったのに。
なのに私は、それを台無しにしてしまった。
「あーもー辛気臭いわねぇ! 見てらんないわ!」
突然声を張り上げたのは千鳥ちゃんだった。
眉間にこれでもかとシワを寄せて私をカッと睨んでいる。
そんな千鳥ちゃんを氷室さんが鋭い瞳で見返して、私を庇うように抱いた。
けれど千鳥ちゃんはそんなことお構いなしに私の前にしゃがみ込んだ。
「やられたらやり返せばいいじゃん。取られたもんは取り返せばいいじゃん。落ち込んでたって仕方ないでしょーが!」
「そんなこと、言ったって……」
「じゃあメソメソしてれば解決するわけ? 行動起こさなきゃ何にも変わんないって!」
「……千鳥ちゃん、そんなにポジティブだったっけ……?」
「うっさいわ!」
容赦のない言葉に少し皮肉を込めて言い返すと、千鳥ちゃんは更に眉根を寄せて私にデコピンをしてきた。
氷室さんが殺気立ったけれど、でも千鳥ちゃんは気にしなかった。
「いつもポジティブなアンタが落ち込んでんだから、他の誰かがそういうこと言ってやらなきゃいけなくなんのよ!」
「千鳥ちゃん、優しいんだね」
「う、うっさい! 別にそんなんじゃないし!」
千鳥ちゃんは喚いてそっぽを向いてしまった。
まだ眉をぎゅっと寄せているけれど、横目でチラリとこっちを見てくる仕草には、心配の色が窺えた。
おでこはとてもジンジンするけれど、その優しさはとても心に沁みる。
落ち込む私に容赦なく喚いてくれるその姿勢が、なんだか頼もしかった。
「その子の言う通りだよ、アリスちゃん」
善子が優しく包み込むような笑顔を向けて言った。
横で千鳥ちゃんが、その子って言うなと喚いていたけれど、気にしていなかった。
「私は……ごめん。あんまり深い事情はわからないけれど。でも今は前を向くべきだと思うよ。アリスちゃんは下を向いちゃいけない。晴香ちゃんのことを想えばこそ、アリスちゃんは今その気持ちを堪えて進んで行かなきゃいけないと思うよ」
罪悪感や後悔や苦しみを飲み込んで、今やらなきゃいけないことに目を向ける。
下を向いて落ち込んで、重なる感情に潰れてしまうのは簡単だ。
けれどそれじゃあ前には進めないし、積み上げてきた色々なものが無駄になってしまう。
今私がすべきことは、自分が、そして私のためにみんなが培ってきてくれたものを形にすることなんだ。
「確かにアリスちゃんは今回、上手くいかなかった。でも、私はそれが間違っていたとは思わない。アリスちゃんはアリスちゃんの思いで精一杯頑張って、晴香ちゃんもまたそれを信じた。その自分自身の気持ちを否定しちゃいけないと、私は思うよ」
「何もかも、失敗したのに……?」
「それでも。それでも、その気持ちとその頑張りは間違ってない。それを否定してしまったら、アリスちゃんはアリスちゃんじゃなくなっちゃう。自分の気持ちを信じて、今は踏ん張る時だよ」
五年前の出来事、レイくんや真奈実さんとの出来事を踏み越えてここにいる善子さんの言葉は力強かった。
辛い過去を乗り越えて、それでも懸命に日々を生きて、善子さんは今も戦ってる。
善子さんだって抱えているものは決して小さくないのに、それでも私を支えてくれている。
私も、その背中を見習わないといけない。
「まぁ、そんなとこだよアリスちゃん」
夜子さんが私を見下ろしてそう雑にまとめた。
夜子さんは決して私を慰めようとはしないけれど、でもそれはそれでありがたかった。
「それに、鍵を得られなかったからといって何も意味がなかったというわけじゃない。晴香ちゃんの死は、決して無駄じゃないよ」
「どういう、ことですか……?」
「あの鍵はあくまで封印の魔法を解くものだ。そして君にかけられている魔法というのは、記憶と力を引き剥がし、隔離し封じ込めるというもの。しかし君に課せられている制限はまた別物なのさ」
制限。私が記憶と力について認識することを阻害するもの。
だから『お姫様』は私にほんの僅かにしか接触できなかったし、私は自分の真実について聞いたところで理解ができなかった。
「君に課せられた制限は、鍵を封じることで完成したものだった。つまり鍵を保護していた晴香ちゃんが死んでしまったことで、その制限は限りなく無くなった」
「じゃあ……」
「もちろん要は封印だ。それを解かないことには君は真実を取り戻せない。けれど限定的な接触や、認識の幅は広がるだろう。君の力は強大すぎるが故に封印ですら完全には押さえ込めない。今まで君がしていたような限定的な覚醒や力の行使は、以前より格段に容易になるはずだよ」
私から『お姫様』が引き剥がされている以上、私自身に記憶や力は返ってこない。
けれどそれとは別にかけられていた制限が取り払われた今、力を借りるのはもっと簡単になったということなのかな。
そして、自分自身のこととして認識できなくても、私のことについて理解できるようになるということなのかな。
「小さくも確かに一歩だよ。今日のことは、決して無駄じゃないのさ」
「…………はい」
まだ実感はわかないけれど、でも夜子さんがそう言うのならそうなんだろう。
鍵を逃して封印そのものは解けなかったけれど、私は少しだけでも前進できた。
それに封印が解けなくなったわけじゃない。
レイくんから取り戻せば、それはできる。
その時までに私はもっと、できる限り自分自身と向き合って、より強い心でそれを受け入れられるようにならないといけないんだ。
「心を感じて。あなたの心にはいつだって、あなたを想う人が繋がっているから」
強く私を抱きしめて、氷室さんが囁くように言った。
その細腕に包まれる感覚が、なんとも言えず心地良い。
とても安心できる。大丈夫だって、そう思える。
「今ここにいる私たちも、そして雨宮さんも。あなたの心には、いつだって寄り添う心があるから。だから、辛い時は、悲しい時は、挫けそうな時は、その心を感じて。私たちがあなたを、守るから」
「うん。ありがとう……ありがとう……」
私はまだまだ一人ではできないことが沢山ある。
自分の運命に抗うことも、困難に立ち向かうことも、全部人の力を借りないとできない。
そんな自分の非力さに辟易するけれど、でもそんな私を支えてくれる友達の存在のなんと心強いことか。
今はまだ、助けてもらってばかりだけれど。
いつかこの繋がりを辿って、私がみんなの力になれるように。
だからこそ私は、もっと強くならないといけないんだ。
それまでは、みんなの優しさに甘えさせてもらおう。
「みんな、ごめんなさい……ありがとう……」
涙はぐっと堪えた。
今はまだ泣いちゃいけない。
私が泣いたら、みんなを困らせてしまうから。
大切なものを失った。とっても大切なものを失った。
心が、身体が張り裂けそうなほどに悲しくて、苦しい。
そしてそれほどに大切なものを守れなかったことが、どうしようもなく辛い。
大好きな晴香。大切な晴香。
私の掛け替えのない幼馴染で親友。
もう晴香はいない。私の隣で笑ってはくれない。
もう、晴香には会えない。
でも、その心はここにある。
だって私たちは誓ったんだ。
例えもう会えなくなったとしても、どんな時だって心は共にあるって。
その誓いは、確かに私の胸の中にある。
だから、その死が二人を分断とうとも、この心だけは決して断ち切ることはできないんだ。
晴香がいないのは寂しい。
もう会えないんだとか、その声を聞けないんだとか。
四人でクリスマスパーティーをしようって約束は果たせないんだとか。
色んなことが頭を巡るけれど。
寂しい時はこの心を感じよう。
晴香は今も、私の心の中にいる。
それを信じて、今は前に進むんだ。
それこそがきっと、本当の意味で晴香の想いに応えるってことだと思うから。
この心を抱いて、私はずっと生きていく。
冬の冷え切った雨は触れるだけで凍えそうだった。
そんな澄み切った冷たさの雨粒が頰を打って、でも私にはそんなことは気にならなかった。
鍵を持っていかれてしまった。
私が記憶と力を取り戻すための鍵。
晴香が私を守るために命をかけて守って、そしてその命を投げ打って私に還してくれた鍵。
それは私にとって必かなめなものであると同時に、晴香の想いであり形見のようなものだ。
それを、他人の手に渡してしまった。
身体中の力が抜けて、私はその場にへなへなと崩れ落ちた。
慌てて氷室さんが駆け寄ってきて支えてくれたけれど、それにお礼を言う力もなかった。
『真理の剣』は淡く消え去って、私に満ちていた力もスッと引いていった。
静寂に包まれた学校の校庭の中で、雨音だけが緩やかに響く。
「アリスちゃん……」
歯を食いしばりながらもなんとなく体を起こした善子さんが、切ない顔を私に向けた。
何か言おうとして、でも言いあぐねて口をもごもごと閉じる。
「アリスちゃん。そう気を落とすことはないよ」
夜子さんがのそのそと歩み寄ってきて、変わらぬ口調で緩やかに言った。
もうそこに先ほどまでの威圧はなかった。
既に転臨の力を引き出したことによる変化は解けていて、髪の色は黒から茶髪に戻って、猫耳や尻尾も無くなっている。
いつも通りの姿の夜子さんが、いつも通りの声色で言う。
「確かに君自身が鍵を手にすることはできなかった。しかし、今その封印を解くのは確かに最善とは言えなかったよ」
「どういう、意味ですか……?」
「今のアリスちゃんの心は酷く不安定だ。君自身は強く成長したけれど、今このタイミングに関してはとても脆い状態だった。今封印を解いていれば、君の心は負けていたかもしれない」
でもそれは結果論だ。
鍵を取られてしまったことの肯定にはならない。
「もちろん私としても奴の手に鍵が渡ったのは好ましくはないけれど、最終的な目的、それに用途は変わらない。個人的感情を度外視すれば、鍵を持っていかれたとしてもさして問題はないのさ」
「…………」
その感情が追いつかないから困ってるんだ。
私は力が取り戻せなかったのがショックなんじゃない。
晴香の想いに応えてあげられなかったことが堪らなく辛いんだ。
その命と人生を懸けて私のために守ってきてくれた鍵を、人の手に渡してしまったことが。
晴香は私のために命の限りを尽くしてくれたのに。
その全てを投げ打って私のために尽くしてくれたのに。
だっていうのに、私はなんだ。
わがままばかり喚いて晴香を困らせて、より苦しむ道を強いて、その命がけの想いさえも受け取らずに。
恩を仇で返しているどころじゃない。
「私、最低だ……」
思わず言葉が口から溢れた。
自分の弱さが嫌になって、自分の愚かさに吐き気がして。
晴香は私にとって本当に大切な友達だったのに。
私が守りたかった掛け替えのない日常だったのに。
私が一番守らなくちゃいけないものだったのに。
なのに私は、それを台無しにしてしまった。
「あーもー辛気臭いわねぇ! 見てらんないわ!」
突然声を張り上げたのは千鳥ちゃんだった。
眉間にこれでもかとシワを寄せて私をカッと睨んでいる。
そんな千鳥ちゃんを氷室さんが鋭い瞳で見返して、私を庇うように抱いた。
けれど千鳥ちゃんはそんなことお構いなしに私の前にしゃがみ込んだ。
「やられたらやり返せばいいじゃん。取られたもんは取り返せばいいじゃん。落ち込んでたって仕方ないでしょーが!」
「そんなこと、言ったって……」
「じゃあメソメソしてれば解決するわけ? 行動起こさなきゃ何にも変わんないって!」
「……千鳥ちゃん、そんなにポジティブだったっけ……?」
「うっさいわ!」
容赦のない言葉に少し皮肉を込めて言い返すと、千鳥ちゃんは更に眉根を寄せて私にデコピンをしてきた。
氷室さんが殺気立ったけれど、でも千鳥ちゃんは気にしなかった。
「いつもポジティブなアンタが落ち込んでんだから、他の誰かがそういうこと言ってやらなきゃいけなくなんのよ!」
「千鳥ちゃん、優しいんだね」
「う、うっさい! 別にそんなんじゃないし!」
千鳥ちゃんは喚いてそっぽを向いてしまった。
まだ眉をぎゅっと寄せているけれど、横目でチラリとこっちを見てくる仕草には、心配の色が窺えた。
おでこはとてもジンジンするけれど、その優しさはとても心に沁みる。
落ち込む私に容赦なく喚いてくれるその姿勢が、なんだか頼もしかった。
「その子の言う通りだよ、アリスちゃん」
善子が優しく包み込むような笑顔を向けて言った。
横で千鳥ちゃんが、その子って言うなと喚いていたけれど、気にしていなかった。
「私は……ごめん。あんまり深い事情はわからないけれど。でも今は前を向くべきだと思うよ。アリスちゃんは下を向いちゃいけない。晴香ちゃんのことを想えばこそ、アリスちゃんは今その気持ちを堪えて進んで行かなきゃいけないと思うよ」
罪悪感や後悔や苦しみを飲み込んで、今やらなきゃいけないことに目を向ける。
下を向いて落ち込んで、重なる感情に潰れてしまうのは簡単だ。
けれどそれじゃあ前には進めないし、積み上げてきた色々なものが無駄になってしまう。
今私がすべきことは、自分が、そして私のためにみんなが培ってきてくれたものを形にすることなんだ。
「確かにアリスちゃんは今回、上手くいかなかった。でも、私はそれが間違っていたとは思わない。アリスちゃんはアリスちゃんの思いで精一杯頑張って、晴香ちゃんもまたそれを信じた。その自分自身の気持ちを否定しちゃいけないと、私は思うよ」
「何もかも、失敗したのに……?」
「それでも。それでも、その気持ちとその頑張りは間違ってない。それを否定してしまったら、アリスちゃんはアリスちゃんじゃなくなっちゃう。自分の気持ちを信じて、今は踏ん張る時だよ」
五年前の出来事、レイくんや真奈実さんとの出来事を踏み越えてここにいる善子さんの言葉は力強かった。
辛い過去を乗り越えて、それでも懸命に日々を生きて、善子さんは今も戦ってる。
善子さんだって抱えているものは決して小さくないのに、それでも私を支えてくれている。
私も、その背中を見習わないといけない。
「まぁ、そんなとこだよアリスちゃん」
夜子さんが私を見下ろしてそう雑にまとめた。
夜子さんは決して私を慰めようとはしないけれど、でもそれはそれでありがたかった。
「それに、鍵を得られなかったからといって何も意味がなかったというわけじゃない。晴香ちゃんの死は、決して無駄じゃないよ」
「どういう、ことですか……?」
「あの鍵はあくまで封印の魔法を解くものだ。そして君にかけられている魔法というのは、記憶と力を引き剥がし、隔離し封じ込めるというもの。しかし君に課せられている制限はまた別物なのさ」
制限。私が記憶と力について認識することを阻害するもの。
だから『お姫様』は私にほんの僅かにしか接触できなかったし、私は自分の真実について聞いたところで理解ができなかった。
「君に課せられた制限は、鍵を封じることで完成したものだった。つまり鍵を保護していた晴香ちゃんが死んでしまったことで、その制限は限りなく無くなった」
「じゃあ……」
「もちろん要は封印だ。それを解かないことには君は真実を取り戻せない。けれど限定的な接触や、認識の幅は広がるだろう。君の力は強大すぎるが故に封印ですら完全には押さえ込めない。今まで君がしていたような限定的な覚醒や力の行使は、以前より格段に容易になるはずだよ」
私から『お姫様』が引き剥がされている以上、私自身に記憶や力は返ってこない。
けれどそれとは別にかけられていた制限が取り払われた今、力を借りるのはもっと簡単になったということなのかな。
そして、自分自身のこととして認識できなくても、私のことについて理解できるようになるということなのかな。
「小さくも確かに一歩だよ。今日のことは、決して無駄じゃないのさ」
「…………はい」
まだ実感はわかないけれど、でも夜子さんがそう言うのならそうなんだろう。
鍵を逃して封印そのものは解けなかったけれど、私は少しだけでも前進できた。
それに封印が解けなくなったわけじゃない。
レイくんから取り戻せば、それはできる。
その時までに私はもっと、できる限り自分自身と向き合って、より強い心でそれを受け入れられるようにならないといけないんだ。
「心を感じて。あなたの心にはいつだって、あなたを想う人が繋がっているから」
強く私を抱きしめて、氷室さんが囁くように言った。
その細腕に包まれる感覚が、なんとも言えず心地良い。
とても安心できる。大丈夫だって、そう思える。
「今ここにいる私たちも、そして雨宮さんも。あなたの心には、いつだって寄り添う心があるから。だから、辛い時は、悲しい時は、挫けそうな時は、その心を感じて。私たちがあなたを、守るから」
「うん。ありがとう……ありがとう……」
私はまだまだ一人ではできないことが沢山ある。
自分の運命に抗うことも、困難に立ち向かうことも、全部人の力を借りないとできない。
そんな自分の非力さに辟易するけれど、でもそんな私を支えてくれる友達の存在のなんと心強いことか。
今はまだ、助けてもらってばかりだけれど。
いつかこの繋がりを辿って、私がみんなの力になれるように。
だからこそ私は、もっと強くならないといけないんだ。
それまでは、みんなの優しさに甘えさせてもらおう。
「みんな、ごめんなさい……ありがとう……」
涙はぐっと堪えた。
今はまだ泣いちゃいけない。
私が泣いたら、みんなを困らせてしまうから。
大切なものを失った。とっても大切なものを失った。
心が、身体が張り裂けそうなほどに悲しくて、苦しい。
そしてそれほどに大切なものを守れなかったことが、どうしようもなく辛い。
大好きな晴香。大切な晴香。
私の掛け替えのない幼馴染で親友。
もう晴香はいない。私の隣で笑ってはくれない。
もう、晴香には会えない。
でも、その心はここにある。
だって私たちは誓ったんだ。
例えもう会えなくなったとしても、どんな時だって心は共にあるって。
その誓いは、確かに私の胸の中にある。
だから、その死が二人を分断とうとも、この心だけは決して断ち切ることはできないんだ。
晴香がいないのは寂しい。
もう会えないんだとか、その声を聞けないんだとか。
四人でクリスマスパーティーをしようって約束は果たせないんだとか。
色んなことが頭を巡るけれど。
寂しい時はこの心を感じよう。
晴香は今も、私の心の中にいる。
それを信じて、今は前に進むんだ。
それこそがきっと、本当の意味で晴香の想いに応えるってことだと思うから。
この心を抱いて、私はずっと生きていく。
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