上 下
194 / 984
第4章 死が二人を分断つとも

32 転臨

しおりを挟む
「魔女になってしまった以上、『魔女ウィルス』の侵食による死は逃れられるものではありません。遅かれ早かれ、いずれはその肉体を食い潰され、侵され尽くした肉体は死を迎えます。しかしその死を迎えた後、再び自我を取り戻し、新たなる生を取り戻すことがあります。それこそが、姫様がお知りになりたいという転臨でございます」

 転臨。今日もそうだけれど、昨日も何度かその言葉は聞いた。
 アゲハさんのことを指して、『転臨した魔女』という言い方を千鳥ちゃんはしていたっけ。

「それは、生き返るっていうことなんですか?」
「そうですねぇ。生き返る、というのとは少々異なります。肉体そのものはウィルスに食い潰され、書き換えられ、通常の人間のものとは違う造りをしているのです。そしてそれ故に一度絶命している。生き返りと言ってしまえば聞こえは良いですが、似て非なるものでしょう」
「…………?」

 クロアさんは努めて私にわかりやすく説明してくれようとしているみたいだったけれど、なかなか上手くまとまらない様子だった。
 申し訳ないというように眉を寄せて困り顔をした。

「簡単に言うとさ、転臨した後はもう人間じゃないんだよ」
「えっ……」

 そんな隙間にレイくんがさらっと言葉を挟んで、私は息を飲んだ。

「『魔女ウィルス』に食い潰された時点で、その死に方をした時点で、もう人間とは呼べない状態だしね。そこから自我を取り戻しても人間に戻れるわけじゃない。転臨というのは、『魔女ウィルス』に書き換えられ乗っ取られた身体を、強い自我によって支配し直した状態のことなんだよ」
「そんな……」

 人間じゃない、という言葉が物凄く頭の中に残った。
 確かに一回死んでそれを克服した、という状態が普通じゃないということはわかっていたつもりだったけど、でも人間じゃないなんて。

 私たちを尻目にベッドでゴロゴロとしているアゲハさんも、じゃあもう人間じゃないってこと?
 見た目は普通の女の人で、私たちとなんら変わりなんて見えないのに。

「なんだ、そのことくらいはわかっていたと思っていたんだけどなぁ。アゲハの力を見たんだろう?」
「それは……」

 レイくんに指摘されて思い出した。
 アゲハさんの背中から生えた大きな蝶の羽。
 あの美しくも同時に身の毛のよだつ様な醜悪さを感じさせた、異質な羽。

 確かにあれはとても人間のものとは言えないし、それにただ単に魔法で生やしたものとも思えなかった。
 あの羽には、何か理解のし難い邪悪なものを感じた。

「転臨した後の魔女は『魔女ウィルス』から再び身体の支配権を奪い返し、その全てを制御下に置くことで元の外見を取り戻すことができる。しかし中身は変わってしまったままだ。『魔女ウィルス』の侵食率が百パーセントになり、次のステージに進むことで強力な存在へと昇華できるけれど、大きな力を使う時はその本来の姿を曝け出さざるを得ない」

 アゲハのあの羽がまさにそうだってことだ。
 確かにアゲハさんはあの羽を生やすことでその力は膨れ上がっていた。
 醜悪な肉体と引き換えに強大な力を持っているってことだ。

「ワルプルギスの魔女は、みんな転臨しているの?」
「わたくしとレイさんは既に。しかし残念ながら皆ではありません。転臨とはそもそも、誰でもできるものではないのです」
「え、そうなんですか……?」

 あからさまに落胆の表情をしてしまった私を見て、クロアさんは悲しそうな顔をした。

「可能性という意味では、『魔女ウィルス』に感染した者には等しくございます。しかし実際転臨に至ることができるかは、適性率に比例すると言っても過言はございません。適性率が高ければ高いほど、転臨に至ることのできる可能性も高いでしょう」
「後は個人の選択の問題だね。転臨を好まない魔女だっているだろう。人間を辞めてまで生きたいと思うかどうかっていうところがネックかもね」

 誰でも転臨できるわけじゃない。
 そして転臨できるとしても、人間をやめることになる。
 確かにそれは単純な死の克服とは違うし、生き返るというのともわけが違う。

 もし晴香が転臨をできるとしても、晴香自身がそれを望むのか。
 私は晴香が人間じゃなくなったとしても、一緒にいてくれるのなら嬉しい。
 けれど晴香自身がそこまでして生きたいと思えないのならば、それは意味がない。

「……その、転臨ができるかできないかの、ボーダーラインみたいのってあるの?」
「これと定義できるものはないね。まぁ数日で死んでしまうほどの適性率の低さでは無理だろうけど、数年単位で生き残っている魔女ならば、可能性はあるかもね。ただ、まぁ……」

 そこでレイくんはカップをテーブルに置いて手を組んだ。
 相変わらずの爽やかな笑みの中で、その目だけは少し鋭さを持っていた。

「転臨を望む様な魔女は普通、『魔女ウィルス』の時間経過による侵食を待たない。転臨ができるほどの適性を持ち、そしてそれを望む魔女は、自らその肉体をウィルスに差し出して、強制的に死を迎えた後に転臨するのさ」
「……! そんなことが、できるの……?」
「できるとも。『魔女ウィルス』がなんたるかを知っていればね。だから、時間経過の侵食で死期が近いような弱った魔女では、転臨できる望みは薄いかもね」

 それは私の心を見透かした様な言葉だった。
 私に死んでほしくない魔女がいるのだと悟っているのかもしれない。

 誰でも転臨できるわけじゃない。
 時間経過の侵食で死期が近い魔女は望みが薄い。
 そしてもしできたとしても、その時はもう人間じゃなくなる。

 これは、果たして私が望む形なのかな。
 晴香が死なない方法として正しいものなのかな。
 もし全ての条件が揃ったとしても、それはいいことなのかな。

 死の克服と聞いて、とてもポジティブな印象を持っていた自分が恥ずかしく思えた。
 そんな方法があればみんな広まればいいのにとすら思っていた。
 でも、転臨というものはそんな生易しいものじゃない。

 そもそも『魔女ウィルス』に感染してしまった時点で、死んでしまう未来は変えられないんだ。
 転臨というその先の道も、決して正しいものとは言えない。
 レイくんたちが何のために転臨したのかはわからないけれど、でもそれが褒められたことではないということは伝わってきた。

 ここに来る前にレイくん自身が言っていた。
 進んで話したいものではないと。

 きっと、もし私が晴香に転臨の話をしても晴香は喜ばない。
 寧ろそれは晴香を冒涜する行為にすら思える。
 私のために覚悟を決めて、五年間恐怖に耐えてきた晴香に、人間を辞めてでも生きてというのはあまりにもな仕打ちだ。

 晴香には死んでほしくない。
 でも、これは違う。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小説教室・ごはん学校「SМ小説です」

浅野浩二
現代文学
ある小説学校でのSМ小説です

二穴責め

S
恋愛
久しぶりに今までで1番、超過激な作品の予定です。どの作品も、そうですが事情あって必要以上に暫く長い間、時間置いて書く物が多いですが御了承なさって頂ければと思ってます。

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

憧れのあの子はダンジョンシーカー〜僕は彼女を追い描ける?〜

マニアックパンダ
ファンタジー
憧れのあの子はダンジョンシーカー。 職業は全てステータスに表示される世界。何かになりたくとも、その職業が出なければなれない、そんな世界。 ダンジョンで赤ん坊の頃拾われた主人公の横川一太は孤児院で育つ。同じ孤児の親友と楽しく生活しているが、それをバカにしたり蔑むクラスメイトがいたりする。 そんな中無事16歳の高校2年生となり初めてのステータス表示で出たのは、世界初職業であるNINJA……憧れのあの子と同じシーカー職だ。親友2人は生産職の稀少ジョブだった。お互い無事ジョブが出た事に喜ぶが、教育をかってでたのは職の壁を超越したリアルチートな師匠だった。 始まる過酷な訓練……それに応えどんどんチートじみたスキルを発現させていく主人公だが、師匠たちのリアルチートは圧倒的すぎてなかなか追い付けない。 憧れのあの子といつかパーティーを組むためと思いつつ、妖艶なくノ一やらの誘惑についつい目がいってしまう……だって高校2年生、そんな所に興味を抱いてしまうのは仕方がないよね!? *この物語はフィクションです、登場する個人名・団体名は一切関係ありません。

悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活

束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。 初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。 ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。 それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。

【完結】公爵令嬢の私に騎士も誰も敵わないのですか?

海野幻創
ファンタジー
公爵令嬢であるエマ・ヴァロワは、最高の結婚をするために幼いころから努力を続けてきた。 そんなエマの婚約者となったのは、多くの人から尊敬を集め、立派な方だと口々に評される名門貴族の跡取り息子、コンティ公爵だった。 夢が叶いそうだと期待に胸を膨らませ、結婚準備をしていたのだが── 「おそろしい女……」 助けてあげたのにも関わらず、お礼をして抱きしめてくれるどころか、コンティ公爵は化け物を見るような目つきで逃げ去っていった。 なんて男! 最高の結婚相手だなんて間違いだったわ! 自国でも隣国でも結婚相手に恵まれず、結婚相手を探すだけの社交界から離れたくなった私は、遠い北の地に住む母の元へ行くことに決めた。 遠い2000キロの旅路を執事のシュヴァリエと共に行く。 仕える者に対する態度がなっていない最低の執事だけど、必死になって私を守るし、どうやらとても強いらしい── しかし、シュヴァリエは私の方がもっと強いのだという。まさかとは思ったが、それには理由があったのだ。

西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~

雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。 元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。 ※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。

処理中です...