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第4章 死が二人を分断つとも
19 覆らない現実
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浴槽のお湯が全て凍りついたかのように、あらゆる熱がさっと引いていった。
温まっていた身体は血の気が引いて、お湯の中にいるはずなのにその実感を得られない。
今肌を触れ合わせている晴香の体温さえ、うまく感じられなかった。
「ちょっと……そういう冗漫、やめようよ……」
自分が何を言っているのかもよくわからなかった。
そんな言葉が口から溢れおちて。でも、晴香がそんな冗談を言わないことくらい私はわかっていて。
私の中に収まっているはずの晴香の存在がパッと消えてなくなってしまうような気持ちにかられて、私は慌てて晴香を強く抱きしめ直した。
強く強く抱きしめることで、取り乱しそうになる気持ちを何とか堪える。
突拍子もない告白。けれど、晴香がそんな嘘や冗談を言わないことは私がよく知っている。
「どういう、ことなの……? だって晴香、もう元気だって言ったよね? 今朝だって大したことないって言ってたよね? どういうことなの?」
「ごめんね、アリス」
晴香は消え入りそうな声で呟いた。
違う。私が聞きたいのはそんなことじゃない。
謝って欲しいんじゃない。寧ろ謝ってなんか欲しくない。
「晴香、身体丈夫じゃん。今までだって病気なんてほとんどしたことなくて、学校だって休んだことない。そんな晴香が、もうすぐ死んじゃうなんて……そんなこと言われても、信じられないよ」
「………………」
晴香は黙ってしまった。
言いにくいことだっていうのはわかる。
その一言を口にするだけでも、物凄い勇気が必要だったんだってことも。
そのことをずっと黙っていたことだって、絶対に辛かったはずだ。
でも、聞かずにはいられない。聞かないわけにはいかい。
私の大切な親友の生き死にに関わる話を、見過ごすことなんてできない。
「……アリス、怒らなかったね」
「お、怒ってるよ! 怒ってる! もう一回言ってあげようか? 私、怒ってる!」
和ませようとしているのか、眉を寄せておどけた言葉を口にする晴香に私は眉を吊り上げた。
口調を合わせつつも、でもこの気持ちを確かに伝える。
そんな私の顔を見て晴香は少しだけ微笑んだ。
「ごめんねアリス。ちゃんと……ちゃんと話すから」
そう言うと、晴香は腰を浮かせてくるりと回って向かい合わせになった。
私の中に収まりながら器用に膝を折って私に向き直る。
元気なく眉を落とす晴香の顔が、湯気の漂う中でもよく見て取れた。
私はそんな晴香の手を取って引き寄せた。
引っ張られて顔を更に近付けた晴香は、少し困ったようにはにかんだ。
「まずね、私は別に病気とかじゃないの」
「じゃあ、今日学校休んだのは……?」
「うーん。具合が悪いっていうのは本当、かな。実は今もそれは変わってないの。ただ誤魔化してるだけ」
晴香の言っている意味がわからなくて私は首を傾げた。
具合は悪いけど病気ではなくて、でも死んでしまう。
晴香が大袈裟に言っているわけじゃないことはわかるけれど、理解はできなかった。
「いつかはこうなるってわかってたの。覚悟はしてるつもりだった。でも、いざその時が来たら何だか怖くなってきちゃって。でもなかなか言い出せなくて……」
晴香は飽くまで笑う。
困ったように、悲しさを誤魔化すようにはにかむ。
私に心配をかけまいと、そうしている。
「アリスにしか話せない。でも、アリスに知られるのもちょっぴり怖くて。ずっとずっと、どうしようって……」
「…………」
「でも、何日か前から兆候を感じるようになって。もうだめだって思って。だから、だから私……」
晴香の顔から少し余裕がなくなって、唇を噛み締めた。
私の握る手は小さく震えている。
私はそんな震えを押さえるように強く、強く握りしめた。
「ごめんねアリス。私ずっと黙ってた。アリスのためにずっと黙ってたの。そうしないといけなかったから、ずっと黙ってたの。全部全部アリスのためだったの。だから怒らないで欲しい」
「うん。怒らないよ」
私のことなんかよりも自分のことを考えて欲しかった。
自分が大変な時に私の心配なんかしなくていいのに。
でも、それが晴香だ。
私が優しく微笑んで頷くと、晴香は意を決したのかのように眉をキュッと寄せた。
「私、魔女なの」
唐突に吐き出すように放たれた言葉が、私の脳みそを穿った。
晴香の口にした言葉の意味が理解できなかった。
いや、理解はできる。ちゃんと聞き取れた。何を言ったのかは耳が拾って脳で認識した。
私が理解できないのは、どうして晴香の口からその言葉が出てくるのか。
いや、その言葉自体は別に変な言葉じゃない。
でも、私が知っているその言葉の意味と同じだったとしたら。
でも、そんなことって。でも、でも、でも。
「私の身体はもう限界まで『魔女ウィルス』に蝕まれてる。もう、終わりが近いの。感じるんだ。私は、もうじきウィルスに食い潰される」
『魔女ウィルス』という単語が決定打になって、私は全身の力が抜けてしまった。
晴香の手を取り落とし、私の腕は力なく浴槽の底に沈んだ。
ただ呆然と、いつもと変わらないはずの晴香の顔を見つめる。
私のよく知る晴香。ずっとずっと一緒にいる晴香。
その晴香が魔女? 『魔女ウィルス』に侵食されきってる?
そんなの、信じられるわけなかった。
でも、晴香の口からその言葉が出てきた以上、それは紛れも無い事実で。
私がどんなに否定したところでそれは覆らない。
決して知るはずのない言葉を晴香が知ってる時点で、それはもう認めざるを得ない現実なんだ。
「……いつから……いつから、なの……?」
言葉を選ぶ力もなくて、ただ無意識に溢れた言葉を口にした。
何が聞きたいのか、何から聞くべきなのか。
整理する頭が働かなかった。
私があまりにも脱力したからか、逆に晴香は下げていた眉を上げた。
不安そうな困り顔は消えて、落ち着いた表情になる。それもまた、無理をしているのかもしれない。
私の問いかけに、晴香は少し表情を引き締めて応えた。
「五年前。五年前の、夏」
温まっていた身体は血の気が引いて、お湯の中にいるはずなのにその実感を得られない。
今肌を触れ合わせている晴香の体温さえ、うまく感じられなかった。
「ちょっと……そういう冗漫、やめようよ……」
自分が何を言っているのかもよくわからなかった。
そんな言葉が口から溢れおちて。でも、晴香がそんな冗談を言わないことくらい私はわかっていて。
私の中に収まっているはずの晴香の存在がパッと消えてなくなってしまうような気持ちにかられて、私は慌てて晴香を強く抱きしめ直した。
強く強く抱きしめることで、取り乱しそうになる気持ちを何とか堪える。
突拍子もない告白。けれど、晴香がそんな嘘や冗談を言わないことは私がよく知っている。
「どういう、ことなの……? だって晴香、もう元気だって言ったよね? 今朝だって大したことないって言ってたよね? どういうことなの?」
「ごめんね、アリス」
晴香は消え入りそうな声で呟いた。
違う。私が聞きたいのはそんなことじゃない。
謝って欲しいんじゃない。寧ろ謝ってなんか欲しくない。
「晴香、身体丈夫じゃん。今までだって病気なんてほとんどしたことなくて、学校だって休んだことない。そんな晴香が、もうすぐ死んじゃうなんて……そんなこと言われても、信じられないよ」
「………………」
晴香は黙ってしまった。
言いにくいことだっていうのはわかる。
その一言を口にするだけでも、物凄い勇気が必要だったんだってことも。
そのことをずっと黙っていたことだって、絶対に辛かったはずだ。
でも、聞かずにはいられない。聞かないわけにはいかい。
私の大切な親友の生き死にに関わる話を、見過ごすことなんてできない。
「……アリス、怒らなかったね」
「お、怒ってるよ! 怒ってる! もう一回言ってあげようか? 私、怒ってる!」
和ませようとしているのか、眉を寄せておどけた言葉を口にする晴香に私は眉を吊り上げた。
口調を合わせつつも、でもこの気持ちを確かに伝える。
そんな私の顔を見て晴香は少しだけ微笑んだ。
「ごめんねアリス。ちゃんと……ちゃんと話すから」
そう言うと、晴香は腰を浮かせてくるりと回って向かい合わせになった。
私の中に収まりながら器用に膝を折って私に向き直る。
元気なく眉を落とす晴香の顔が、湯気の漂う中でもよく見て取れた。
私はそんな晴香の手を取って引き寄せた。
引っ張られて顔を更に近付けた晴香は、少し困ったようにはにかんだ。
「まずね、私は別に病気とかじゃないの」
「じゃあ、今日学校休んだのは……?」
「うーん。具合が悪いっていうのは本当、かな。実は今もそれは変わってないの。ただ誤魔化してるだけ」
晴香の言っている意味がわからなくて私は首を傾げた。
具合は悪いけど病気ではなくて、でも死んでしまう。
晴香が大袈裟に言っているわけじゃないことはわかるけれど、理解はできなかった。
「いつかはこうなるってわかってたの。覚悟はしてるつもりだった。でも、いざその時が来たら何だか怖くなってきちゃって。でもなかなか言い出せなくて……」
晴香は飽くまで笑う。
困ったように、悲しさを誤魔化すようにはにかむ。
私に心配をかけまいと、そうしている。
「アリスにしか話せない。でも、アリスに知られるのもちょっぴり怖くて。ずっとずっと、どうしようって……」
「…………」
「でも、何日か前から兆候を感じるようになって。もうだめだって思って。だから、だから私……」
晴香の顔から少し余裕がなくなって、唇を噛み締めた。
私の握る手は小さく震えている。
私はそんな震えを押さえるように強く、強く握りしめた。
「ごめんねアリス。私ずっと黙ってた。アリスのためにずっと黙ってたの。そうしないといけなかったから、ずっと黙ってたの。全部全部アリスのためだったの。だから怒らないで欲しい」
「うん。怒らないよ」
私のことなんかよりも自分のことを考えて欲しかった。
自分が大変な時に私の心配なんかしなくていいのに。
でも、それが晴香だ。
私が優しく微笑んで頷くと、晴香は意を決したのかのように眉をキュッと寄せた。
「私、魔女なの」
唐突に吐き出すように放たれた言葉が、私の脳みそを穿った。
晴香の口にした言葉の意味が理解できなかった。
いや、理解はできる。ちゃんと聞き取れた。何を言ったのかは耳が拾って脳で認識した。
私が理解できないのは、どうして晴香の口からその言葉が出てくるのか。
いや、その言葉自体は別に変な言葉じゃない。
でも、私が知っているその言葉の意味と同じだったとしたら。
でも、そんなことって。でも、でも、でも。
「私の身体はもう限界まで『魔女ウィルス』に蝕まれてる。もう、終わりが近いの。感じるんだ。私は、もうじきウィルスに食い潰される」
『魔女ウィルス』という単語が決定打になって、私は全身の力が抜けてしまった。
晴香の手を取り落とし、私の腕は力なく浴槽の底に沈んだ。
ただ呆然と、いつもと変わらないはずの晴香の顔を見つめる。
私のよく知る晴香。ずっとずっと一緒にいる晴香。
その晴香が魔女? 『魔女ウィルス』に侵食されきってる?
そんなの、信じられるわけなかった。
でも、晴香の口からその言葉が出てきた以上、それは紛れも無い事実で。
私がどんなに否定したところでそれは覆らない。
決して知るはずのない言葉を晴香が知ってる時点で、それはもう認めざるを得ない現実なんだ。
「……いつから……いつから、なの……?」
言葉を選ぶ力もなくて、ただ無意識に溢れた言葉を口にした。
何が聞きたいのか、何から聞くべきなのか。
整理する頭が働かなかった。
私があまりにも脱力したからか、逆に晴香は下げていた眉を上げた。
不安そうな困り顔は消えて、落ち着いた表情になる。それもまた、無理をしているのかもしれない。
私の問いかけに、晴香は少し表情を引き締めて応えた。
「五年前。五年前の、夏」
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