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第2章 正しさの在り方

30 束の間の解決

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「へ……?」

 とても気の抜けた正くんの声が、静寂の中で響いた。
 正くんは、粉々に砕けたピアスのかけらを呆然と見下ろして、そして苦悶の叫び声をあげた。

「お、俺の、俺の魔法が……! 俺だけの特別な力が! あぁ! 俺の、俺の……!」

 それはもう、誰にも救うことのできない光景だった。
 正くんは何もかも、失った。
 唯一の頼みの綱である魔法すらも、無残に砕け散ったんだから。

 求めるものが離れていって、追いかけても近寄れなくて。
 振りがざす力はあまりにも空虚で、それは結局紛い物で。

 正しい道を行くはずが、自らの力に溺れて、それを過信した。
 力こそが、優れていることこそが正しいことだと見誤って、他のものを取りこぼした。

 だから気持ちの伝え方がわからない。
 大切なものを、どうやって大切に扱っていいのかわからない。
 自分の道を過信した正くんには、他のものへの気持ちの向け方がわからなかったんだ。

 蹲る正くんに善子さんはそっと寄り添って、その頭を撫でた。
 もう何にをする気力もないのか、正くんは微動だにしなかった。

「……可哀想に。アンタがそんなに不器用だなんて、知らなかった。そんな気持ちを抱えているなんて知らなかった。けどね、正。他人にそれは関係がないんだよ。どんな気持ちを抱えていても、それを伝えられなきゃ意味がないんだよ。だからね、やっぱりアンタは間違ってたんだよ。その気持ちの伝え方をね」

 正くんは答えない。けれど、その言葉はきっと届いているって私は信じたい。
 何があっても正くんのことを想ってきた善子さんの言葉なら、正くんの心にも届くって信じたかった。

 正くんは決して正しくはなかった。
 でもその気持ちが間違っていたわけじゃない。
 だから彼そのものを否定する気は無い。
 だから、正くんを責める気にはなれなかった。

 確かにずっと迷惑に思ってた。うざったいと思っていた。
 今だってすごく怖かったし、痛かった。
 けれど、彼の想いに気づいてあげられなかった私にも、少なからず責任はあると思うから。

「アリスちゃん。本当にごめんね。怖かったでしょ」

 善子さんはそう言って、私を優しく抱きしめてくれた。

「私、馬鹿だったよ。私があの時点で気付いてやれれば、正はこんなことにはならなくて、アリスちゃんにも迷惑かけたりしなかったかもしれない。やっぱりあの時、まだ私には余裕なかったんだなぁ」
「善子さんのせいじゃありません。きっと、誰のせいでもないんです。ただ、どこかで何かがずれてしまっただけで」
「アリスちゃんは優しいなぁ。自分の正しいと思うことをしようなんて、格好つけたこと言っておいてこの体たらく。私はまだまだだ」

 善子さんはとても色々なものを抱えている人。
 正くんのことだけじゃなくて、自分が魔女になった時のこと、レイくんとの因縁もある。
 それでも正しくあろうとしている善子さんは、本当にすごい人だ。
 沢山の責任や想いを抱えながら、それでも強くあろうとしているんだから。

 これが、善子さんにとっての一つの区切りになればいいなって、そう思った。

 しばらくの静寂。
 蹲る正くんと、それに寄り添う善子さん。
 傷という傷こそないけど、私の打ち身などを魔法で治してくれている氷室さん。

 そんな時、どんどんと扉を叩く音が聞こえた。
 慌ててその方を見てみれば、図書室の入り口の扉を、晴香と創が血相を変えて叩いていた。

 それを見た瞬間、サッと血の気が引いた。
 一体、いつから見られていたんだろう。

「あ、あの……氷室さん」
「この図書室の扉や窓には、魔術的な施錠がされていて簡単には入れなかった。だから私たちは天井を抜いて入ったのだけれど……」
「見られちゃったよ。どうしよう……」

 だとしたら、ずっと前からこの図書室で起きていた光景を見ていたのかもしれない。
 開かない扉を必死で叩いて、私のことを助けようと。

「……仕方ない」

 氷室さんはそう呟くと、すたすたと入り口まで歩いた。
 魔法で解除したのか、扉が開くようになると、晴香と創は転がり込むように飛び込んできた。

 そんな二人が私に駆け寄ろうとするのを遮るように、前に立ちはだかった氷室さんは、二人の顔の前に手をかざした。

 すると二人は一瞬、ぼけっと気が抜けたように脱力すると、まるで何事もなかったかのようにくるりと図書室から出て行ってしまった。

「あれ、記憶操作だ。確かにしっかりと魔法の現場見られちゃあ、あするしかないなぁ。多少のリスクはあるけど。あの────氷室さん、だっけ? すごい実力者だよ」

 善子さんは驚きを隠せずに言った。

「他人の記憶や意識に影響を与える魔法は、高度だからね。相当の実力者じゃないとちゃんとは扱えない。私にはあんなことできないもん」

 二人が出ていくのを見送って戻ってきた氷室さんは、どこか申し訳なさそうに私を見た。

「……ごめんなさい。勝手な、ことを。魔法のことを知られたら、あなたが今後困ると思って。記憶操作と暗示をかけて帰らせた……」
「ううん、仕方ないよ。むしろありがとう、氷室さん」

 魔女も日常に溶け込もうとするなら、魔法は隠していかなければいけない。
 この方法が最善かどうかはわからないけれど、でも今はそうするしかなかったと思うし。
 一般人に魔女が魔法を使うリスクはあるけれど、魔法のことを知られて、巻き込んでしまった方がきっと危険だから。

 それからは氷室さんと善子さんが手分けして、魔法で散らかった図書室の中を片付けてくれた。
 正くんは蹲ったままだったけれど、善子さんが強引に担ぎ上げると素直にその肩を借りて立ち上がった。

 きっとまだ間に合う。やり直すことに遅いなんて無い。
 気持ちも関係も、いくらだって修復できる。時間はかかってしまうかもしれないけれど。
 善子さんがいれば、いつか正くんもまっすぐになるって、私は信じてる。

 正くんを引きずるように連れる善子さんと、連れ立って図書室を後にして、校舎から出た時だった。
 妙な違和感に気付いた。それは、学校においてあまりあり得ないこと。

 誰一人として姿が見えなかったんだ。
 時間はまだ部活をしている頃で、普通なら校舎内にも校庭にも生徒はまだまだいて、喧騒に包まれているなずなのに。
 学校は静寂に包まれていた。不自然なくらいに、シンと静まり返っている。

 途端、氷室さんはぎゅっと私に寄り添った。

「人払いの魔法……!」
「え、どういうこと?」
「学校全体に、人払いの魔法がかけられて、全ての人がこの場から追い払われてる。こんなことを、するのは……」
「────おいおい何だよ、つまんねぇなぁ」

 突然、小馬鹿にしたような声が静かに響いた。
 校門の方からゆっくりと歩いてくる人がいる。

「少しくらい、何かの役に立つかと思って力貸してやったのによぉ、成果ゼロとは。泣けるぜ」

 黒いコートを身にまとった男が、力なく空を仰いでそう言った。
 彼が誰なのかは知らない。けれどその黒いコートは知っている。
 この男は魔法使い────魔女狩りだ。
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