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第一章 Projective identification
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しおりを挟むその晩、僕は暗い自室のベッドに横たわりぼんやりとしていた。あのキスは何だったのか。そもそも頬にされたとはいえ、キスなんて初めてだった。あの感触を思い出すだけで――。
榛原から何度か電話がかかってきていた。きっと安否確認とか、あの後どうなったかとか、そんなものだろう。
そんなものはどうでもよかった、いや、既に榛原への感情移入は消えようとしていた。
もしかするとあの少女は、僕に榛原を殺させ、そして僕に肉をそぎ落としながら自殺させるつもりだったのかもしれない。そして遺書をなんとか偽造する。どんなトリックを使ったのかわからない。本当に構造とやらが関連しているのかも、まだ確信できない。だがきっと何か方法があるのだろう。
しかし三船を間接的に殺させられた有栖のように、異常をきたすことは僕自身にはなかった。もっとも、異常を異常と自分で知覚できるのならの話だが。
僕はよく考えた。榛原が自分のことを認めてくれているかどうかはわからない。愛してほしいと思っていた時もあったが、理想の愛に近づくことはなかった。そもそも愛なんてものが何なのかわからない。「愛」なんて単語が安易に頭の中をよぎったことさえ恥ずかしさに自己嫌悪の原因になってしまう。
だが、僕は榛原に言ってしまった。「信じて」と。そんな言葉を使った自らの軽薄さが恨めしい。僕は榛原のことなど信じていない。
だが、あの少女、三咲はきっととても孤独な人間だ。優しさを知らないし、拒絶するだけでなく怖いとさえ思ってしまう。それは彼女が指摘したように、僕自身にも当てはまっているのかもしれない。それは空恐ろしかった。その恐ろしさをもはや感じなくなっているのであろう彼女を、一概に殺人鬼として排除してしまってもいいのだろうか。僕にとってどうでもいい人を殺しただけだ。やったことは許されない。だが証拠もなく、彼女のやった構造を利用したというのが本当なのであれば日本の法律では犯罪でもない。僕が何も思わなければ彼女は殺人鬼ではなくなる。
あの時の踏切内の彼女を助けた僕の行動は、意思は何だったのか。あの時、見殺しにしておけばこんなことにはならなかったのではないか。
しかしあの時の光景がはっきりと思い起こされる。それは踏切内に立つ三咲の姿だ。踏切の警告音が鳴り、遮断機が下りていく。その中に取り残されながら、彼女は今にも泣きだしそうに怯えていた。ぎゅっとつむった目で、肩を震わせていた。きっと死ぬのが怖かったのだ。だがあの場所に立つしかなかった。彼女は運命がどう。宇宙の意思がどうとか言っていたが、きっと何かそうしなければならない理由があったのだ。そしてそれに抗えなかった。だから、目の前にいる彼女に言い知れぬ寂しさを感じ取った僕は、この世界の不条理に抗えない不条理を感じている同族を助けようとしたのかもしれない。理由ははっきりとしない。だが、今の僕はこの雁字搦めにされた不条理に抗いたい。だからあの時の少女を助けた行動を間違いだとは思わない。もし今、再びあのような状況になったとき、見殺しにできるだろうか。きっとどうしても助けたいと思うはずだ。
僕は優しくされたいと思っていたのかもしれない。認められたいと思っているのだろう。そう思っていることは確かだ。そして優しさを誰かに向けることもできない。僕はあの少女、三咲に優しさを向けたい。どうすればいいのかわからないが三咲には優しさが必要なはずだ……。
三咲と違うのは、不条理に従うしかない彼女と、そこからいくらか自由に動ける僕の違い。だから僕は三咲も自分も、運命から解放しなければならない。
有栖は三咲は世界だと言っていた。もっとそのことを詳しく知ろう。三咲のことをもっと詳しく理解しなければならない。きっと、彼女の理解者になるのは僕の役目だ――。
しばらく考えていてふと思った。
「あの少女の名前は“三咲”、だったよな……」
三咲というのは踏切事故で死んだ子の名前。今、例の少女は生きている。死んで、生き返ったのであれば宇宙と合一したという不可思議な脳の処理も理解できなくはない。そうであれば彼女の頭の中は身体の枠を超えてどこまでも拡張できるのだから。
「やっぱり、一度死んで、生まれ変わったんだ。では彼女は幽霊? 」
思わず自らの頬を触った。しかし、あの時の温もりは確かなものだった。
「僕が自殺を止めようが止めまいが、あの少女は死のうが生きていようが、ここに存在するのは確かで、そしてきっと彼女は一つの存在なんだ。」
だが、不気味さよりも神聖さを感じた。不可思議な存在に対する尊さだろう。彼女のことをもっと知りたいと思った。
そして、踏切内から助け出すというあの危険な行為は、彼女の生死とは関係なく別の意味を持っていたのだと思った。それは、三咲の言っていた「優しさ」と関係するものだろう。
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