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第一章
第一章
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帝国歴一八七四年、九月。ユリウス・ザルツハイムは飛行学校を卒業し、空軍第二師団、ヴェストホーフェン基地に配属された。
十四歳での最前線基地への配属は、さすがに空軍始まって以来と言われ、基地へ向かう輸送機の中でも、視線がうるさかった。
「今年の、新兵はとっておきだって聞いていたんだぜ。よろしくな」
輸送機から降り立ったユリウスに、気さくに声をかけてきたのは、いかにも帝国人といった、明るい褐色の髪に、その髪よりは濃い薄茶の瞳の男だった。
「ユリウス・ザルツハイム二飛です」
ユリウスは、飛行学校で習った通りの敬礼を返した。
「アルベルト・ヘッセ、准尉だ。うちの小隊長は、いま司令に呼び出されていてな。代わりに迎えにきた」
ユリウスの後ろから、もうひとりタラップを降りてきた。ようやく少年の域を超え、そろそろ青年と呼ばれるようになる年頃だ。背だけが高く、まだ肩も胸も薄い。彼もユリウスの横に並び、敬礼をした。
「カール・シフェラー二飛です」
「やあ、今年の首席だそうだな。優秀な若手がきてくれるのは、いつでも大歓迎さ」
「そう言っていただけると、光栄です」
カールは、少し顔を紅潮させて答えた。アルベルトは手元のボードに挟んである資料をぺらぺらとめくりながら、話を続けた。
「それにしても、全科目おしなべて首席ってのは、大したもんだ…。あ、いや、爆撃成績だけは、二番だったのか」
その言葉を聞いたカールは、ユリウスの目からみても、明らかにむっとしていた。
「ん? あ、そうか。爆撃は、ザルツハイムが首席だったか…。うん、なんだ? ザルツハイム、貴様、他の成績はひどいもんだな。よく、卒業させてもらえたな」
アルベルトは、軽く資料を叩きながら、ユリウスのほうを見た。皮肉めいた言葉とはうらはらに、笑っているように見えた。
「実技の成績は、それほどひどくなかったもので…」
飛行学校の成績は、実技と座学がある。座学は常に赤点すれすれだったが、実技では、爆撃は首位、その他の飛行科目も十位くらいまでには入っていたはずだ。
「まあ、そうだろうな。このヴェストホーフェンは、最前線だ。生半可な成績じゃ、寄越されても困る」
そこまで言って、アルベルトは困ったように、あごに手をあてて、ユリウスを見た。
「聞いてはいたんだが…。それにしても、小さいな」
「…」
これについては、ユリウスは何も言えなかった。
確かにユリウスは小さい。身長は、百四十七センチしかなく、体重は四十キロに満たない。ぱっとみれば、やせぽっちの子どもだ。
「女の子がくるって、うちの隊の奴ら、楽しみにしてたんだぜ」
「…それは、期待に沿えず、申し訳ありません。しかし、自分は、戦闘のために、ここに来ましたので」
「ははは、冗談さ…」
そう言うと、アルベルトは、ユリウスの髪をくしゃくしゃとかき回した。
ユリウス・ザルツハイムは、十四歳の少女兵だった。
リヒテン・ライヒと呼ばれるこの帝国は、千年を経てもなお大陸を治め、海に散らばる島々を植民地として栄えてきた。しかし、帝国歴一六八七年、一部の民主主義者が叛乱を起こし、西方の大陸へ移住の後、独立した。
ノイエ・デモクラティアと称したその国は、植民地となっていた島々を次々と解放し、その連邦の一部として版図を拡大していった。
一方、領土を奪われ続けた帝国も黙ってはいなかった。大洋を挟んだ二つの大陸が睨み合うこと、およそ二百年。海戦が幾度となく繰り返されてきた。
決定的な変化が起きたのは、三十二年前、航空機の出現である。
航空機は戦いの様相を一変させてしまった。艦艇の数十倍の速さで移動し、かつ上空からの攻撃が可能となった。爆弾は砲で発射するものではなく、空から落とすものになった。
先に航空機を開発したのも、戦争に投じたのもリヒテン・ライヒであったが、その技術力はすぐにノイエ・デモクラティアの者たちの手によって、改良された。そして、ノイエ・デモクラティアのエンジニアたちは、その技術を高めることについては、余念がなかった。
両者の戦力が拮抗するまでに、長い時間はかからなかった。
リヒテン・ライヒが、まだ子どものような歳の少年・少女を戦場におくるようになったのは、ここ三十年のことだ。ちょうど、航空機の出現と重なる。
航空機による爆撃を受けると、艦ごと撃沈する。そして、そこに乗っていたすべての兵を失うことになる。戦争に費やされた命は取り戻せない。帝国はじわじわと人口が減り始めていた。
徴兵制を引いてはいるが、それだけでは、戦場に送る兵が足りなかった。だから、募兵という形で、こどもたちを集めはじめた。
そうして集められるのは、ユリウスのような者たちだ。
ユリウスは、孤児だった。
孤児は、募兵に応じると衣食住が保証されるた。親を亡くして増えていく一方の孤児たちの扱いに困り果てていた孤児院では、募兵の年齢である十二歳になると、まるで厄介払いのように、ほぼ全員を軍学校へ追いやることになっていた。
それでも、そんな子どもたちができる仕事は、せいぜい、通信兵や衛生兵といった後方勤務が常であり、飛行学校へ進学したユリウスは特例中の特例だった。
抜群に視力が良かったからだ。
ユリウスには昼の星が見えた。周りから嘘つき呼ばわりされるのが嫌で、自分からは、口にはしていなかったが、入隊のときの視力検査で、検査板にある記号をすべて読み取ってしまい、視力を測定することができなかった。そこではじめて、昼の空でも星が見えるという話をしたのである。
一見すると黒に見えるが、深い紅色の瞳だった。枯草のようなぱさついた金髪には似合わない色だと、自分でも思う。それに鳥の眼のように瞳が丸い。鏡を見るたびに、変な眼だと思っていた。しかし、この眼があったからこそ、飛行学校へ推薦してもらえたのだ。
そして、ユリウスは今日から、軍人として空に出ることになったのだ。
「それで、おまえさんたちの機体なんだが…」
アルベルトが、歩きながら話を続けた。ユリウスとカールは、半歩下がって後ろを歩く。
「おそらく、そのことであいつが呼び出しを受けたと思うんだ。ああ、ちょうど戻ってきたな。おい、オスカー!」
いきなりアルベルトが上官を名前で呼んだことに二人は驚いた。軍というものは、上下関係が厳しい。飛行学校でもそれを叩き込まれてきた。それを初日から覆されたのだ。
その声に軽く手をあげて合図したのが、小隊長であろう。銀に近いプラチナブロンドを短く刈りこみ、隙なく軍服を着こなした、いかにも帝国軍人といった風貌の男だった。
「ヘッセ准尉。出迎えご苦労。それから、オスカーはやめろ。いつもいっているだろう」
「はいはい、隊長殿」
そう冗談めかして言いながら、アルベルトが敬礼をした。ユリウスとカールも慌てて敬礼をすると、オスカーと呼ばれた小隊長も敬礼を返した。
「オスカー・ティーゲルハイト。少尉だ」
「この男とは飛行学校からの腐れ縁でね。まあ、そのころの話はおいおいしてやるよ」
「ヘッセ准尉」
そのひとことでアルベルトを黙らせると、踵を返し、手だけでついてくるように合図をした。
足を踏み出そうとしたそのとき、カールが肘でユリウスの肩をつついた。背丈がかなり違うため、見上げるように横をむくと、小声でカールが話かけてきた。
「あれを見たか?」
「あれ?」
「少尉の襟章だ」
「星の形の…。確かに、階級章とは違うような」
カールの頬が幾分か上気しているように見えた。
「撃墜王。敵の撃墜数が百を超えているっていうことだ。軍に数人しかいないはず…」
「無駄口を叩くな」
ぴしゃりとオスカーの声が飛ぶと、カールが即座に口をつぐんだ。
撃墜数が百と言われても、新兵であるユリウスにはそれがどれほどのものなのか見当もつかない。ただ、すれ違う多くの空軍兵の中には、ひとりも星の襟章をつけている者はいなかった。
カールの言う通り、軍に数人しかいないというのであれば、オスカーは相当な腕前のパイロットということなのだろう。
隙の無いオスカーの歩き方は、後をついて歩いているユリウスからみても、いかにも優秀な軍人という雰囲気だ。隣で軽口をたたいているアルベルトとは対照的なのに、どうやら二人はずいぶんと仲がよさそうに見えた。
オスカーの足が止まったのは駐機場だった。数十機の機体がずらりと並んでいる。飛行学校の訓練機とは違う、実戦で戦績をあげてきた雄姿がずらりと並んだその光景は壮観だった。
オスカーの姿を目にした整備兵が次々と手を止めて敬礼するが、オスカーもアルベルトも敬礼を返す様子はない。しかし、新兵であるユリウスとカールにとっては、整備兵といっても、階級が自分たちよりも上であるかもしれず、右へ左へと敬礼を返すはめになった。
「ああ、ここでは、操縦士は整備兵への敬礼は不要だ」
アルベルトが笑いながらそう教えてくれた。
「階級は気にしなくていい。操縦士は貴重な人材だからな。ただ、おれたちが無事、空に上がれるのは、彼らのおかげだ。その感謝の気持ちさえ忘れなければ、敬礼みたいな形式的なものはどうでもいいんだ」
そうは言われても、まわりを行き来する整備兵はこちらに向かって敬礼をしていく。かなり遠くにいる整備兵までも敬礼をしている姿に戸惑ってしまう。
「ああ、あれは、オスカーに対してさ。我らが撃墜王様への敬意の現れってやつだ。おまえらにしてるんじゃない」
人好きのする笑顔でそう言うと、ちょっと皮肉をこめて後をを続けた。
「忙しいときなんて、おれにだって、敬礼なしのこともあるんだぜ」
「そんな、ひどいなぁヘッセ准尉。いつもちゃんと敬礼してますよ」
そう言って、丸い眼鏡をかけた若い整備士がわざと軍靴をならして、型通りの敬礼をしてみせた。
「ティーゲルハイト少尉、ヘッセ准尉、機体の準備は整っています」
「ご苦労」
オスカーはそう短く労うと、まずカールに目で合図をした。
「L27。貴様の機体はこれだ」
「はい」
カールの声が、彼らしくもなく少し震えているように聞こえた。
L27は、このリヒテン・ライヒの主力戦闘機だ。新兵ならば、先輩のおさがりである旧機種になるものと思っていたところに、いきなり主力機をあてがわれたのだ。さすが飛行学校首席への期待は大きいらしい。
「整備を担当する、アーレ・ノイマンです。階級は曹長。これからよろしく」
「カール・シフェラー二飛です」
「首席さんの整備かあ。光栄だな。でも、大事に乗ってくださいよ。L27は貴重なんで」
「最善を尽くします」
カールが真剣な面持ちで敬礼を返すと、アーレは軍人とは思えない、やさしい顔で微笑んでいた。
「うちの隊は基本的にL27で編成されていた」
オスカーの言葉に少しひっかかりを覚えてユリウスは、心の中で少し落胆した。過去形で話したということは、自分の機体はL27ではないということだ。首席のカールと同じ機体に乗りたいと思うのはおこがましいとは思ったが、一度L27の雄姿を見てしまうと、やはり羨ましいと思う気もちは抑えらえない。
「これまで、遊撃空戦を主体とする小隊とされていたが、次回の作戦よりその任務が変わることになった」
無機質で感情のないオスカーの話し方は、ユリウスの背を少し冷たくさせる。L27はこのリヒテン・ライヒの誇る戦闘機だ。その機体にカールを搭乗させるにも関わらず、任務が空戦ではないとすると、おそらくそれはユリウスが配属されたことが原因なのだろう。
「それで、司令部に呼び出されたってわけか」
「そうだ。ノイマン、例の機体はどうなっている?」
「もちろん、仕上がってますよ。どうぞ、こちらです」
アーレが先導して、駐機場の裏へ回っていく。奥には軍の格納庫があった。
重い扉をアーレが開くと、中に細身の機体が収まっていた。先ほどみたL27に比べると、二回りほども小さく見える。
「S01。我々はシュルーケンと呼んでます」
軽く機体を叩きながら、アーレが言うと、アルベルトがあごに手をやりながら笑った。
「ツバメちゃんってか? かわいいじゃないか」
「従来よりも小型になってはいますが、爆撃機としての性能はあがっています」
「上等だ。ザルツハイム二飛、貴様にはこれに乗ってもらう」
「はい」
ユリウスの声も少し震えていた。爆撃機。腹に爆弾を抱えて飛ぶのが、これから自分の任務になる。
「ということは、おれたちの任務は空域確保の空戦から、艦隊爆撃に変更ということか。にしても爆撃機一機に、戦闘機三機で護衛かい? あいかわらず、うちの司令官殿の考えることはよくわからんね」
確かに、アルベルトの言葉は正しい。爆撃機の護衛にL27を三機もつけるというのは、機体確保が難しくなっている今の軍の情勢から考えて、普通とは言い難いのだろう。
「このS01は、あれを積むからな」
オスカーが親指で合図をした先には、黒い爆弾があった。爆撃機なのだから、爆弾を積むのは当然だろう。しかし、それをみたアルベルトの口は空いたままになった。
「いや、ちょっと待て、本当に言ってるのか?」
「いやぁ、そうですよね。ぼくも思います。無茶いいますよね、ぼくたちの司令官て」
アーレも、アルベルトの感想と同じなのだ。
「一応、計算上は飛べますよ。あくまでも計算上はね。設計した技師も、整備したぼくも確認済みです。でも、本当にやるんですかね?」
「任務だ」
オスカーはその一言ですませようとした。しかし、アルベルトはそれでは済ませはしなかった。
「おい、オスカー。だが、あれは…」
「オスカーはやめろ」
「ああ、もう、小隊長殿! あれは、だめだろう。あれは、100キロ爆弾じゃないのか」
「だから、どうした」
「飛べるわけない」
「飛べる。今、ノイマンが飛べると言っただろう」
「そんなの、計算だけじゃないのか?」
「ザルツハイム二飛、飛べるか?」
オスカーの感情のない、研ぎ澄まされたアイスブルーの瞳がユリウスを見ていた。この人の視線はまるで矢のようだ。射すくめられると、否やという答えなどありはしない。
「はい、飛びます」
オスカーの命令に、ユリウスは反射だけでそう答えていた。
「おれは、もともとは爆撃機乗りでね」
格納庫から出てきたアルベルトが、重くなってしまった口を開いた。新兵の二人に機体の割り当てだけを説明したオスカーは、すでにその場を立ち去ってしまっていた。
「だから、わかる。100キロ? 冗談じゃない」
「でも、まあ、司令官がそう決めて、小隊長がそれを了承したんでしょうから、仕方ないですよ」
アーレが格納庫の扉を閉めながらそう答えた。
「二十五キロを二発。それが限界だ」
「まあ、シュルーケンは、エンジン自体は従来の機種と同等で、かつ機体の重量を限界まで削ってますからね。それに…」
アーレは、言葉につまりながら、ユリウスのほうを振り返った。
「ユリウス・ザルツハイムです」
「ああ、うん。ザルツハイム二飛だから、じゃないでしょうか」
「わたしだから、ですか?」
「そうだよ。きみ、体重は? って女性に聞いても大丈夫?」
「問題ありません。配属前の身体検査では、37キロでした」
「まあ、見た目どおりだね…」
ユリウスの答えを聞いた、アルベルトとカールは、ユリウスの余りの軽さにしばらく言葉を失っていた。彼らも操縦士であるからは、体重の管理は厳密にしているだろう。とはいえ、軍人らしい体格をしているため、おそらく70キロ前後はあるはずだ。そこから考えると、ユリウスの体重は半分ほどということになる。
「ヘッセ准尉がこの機体に搭乗するなら、おれたちだって100キロを積んで飛べるなんて言いませんよ」
「ザルツハイムだからか…」
すでに、日が傾きはじめ、ユリウスの枯草のような髪を朱色に染めていた。
十四歳での最前線基地への配属は、さすがに空軍始まって以来と言われ、基地へ向かう輸送機の中でも、視線がうるさかった。
「今年の、新兵はとっておきだって聞いていたんだぜ。よろしくな」
輸送機から降り立ったユリウスに、気さくに声をかけてきたのは、いかにも帝国人といった、明るい褐色の髪に、その髪よりは濃い薄茶の瞳の男だった。
「ユリウス・ザルツハイム二飛です」
ユリウスは、飛行学校で習った通りの敬礼を返した。
「アルベルト・ヘッセ、准尉だ。うちの小隊長は、いま司令に呼び出されていてな。代わりに迎えにきた」
ユリウスの後ろから、もうひとりタラップを降りてきた。ようやく少年の域を超え、そろそろ青年と呼ばれるようになる年頃だ。背だけが高く、まだ肩も胸も薄い。彼もユリウスの横に並び、敬礼をした。
「カール・シフェラー二飛です」
「やあ、今年の首席だそうだな。優秀な若手がきてくれるのは、いつでも大歓迎さ」
「そう言っていただけると、光栄です」
カールは、少し顔を紅潮させて答えた。アルベルトは手元のボードに挟んである資料をぺらぺらとめくりながら、話を続けた。
「それにしても、全科目おしなべて首席ってのは、大したもんだ…。あ、いや、爆撃成績だけは、二番だったのか」
その言葉を聞いたカールは、ユリウスの目からみても、明らかにむっとしていた。
「ん? あ、そうか。爆撃は、ザルツハイムが首席だったか…。うん、なんだ? ザルツハイム、貴様、他の成績はひどいもんだな。よく、卒業させてもらえたな」
アルベルトは、軽く資料を叩きながら、ユリウスのほうを見た。皮肉めいた言葉とはうらはらに、笑っているように見えた。
「実技の成績は、それほどひどくなかったもので…」
飛行学校の成績は、実技と座学がある。座学は常に赤点すれすれだったが、実技では、爆撃は首位、その他の飛行科目も十位くらいまでには入っていたはずだ。
「まあ、そうだろうな。このヴェストホーフェンは、最前線だ。生半可な成績じゃ、寄越されても困る」
そこまで言って、アルベルトは困ったように、あごに手をあてて、ユリウスを見た。
「聞いてはいたんだが…。それにしても、小さいな」
「…」
これについては、ユリウスは何も言えなかった。
確かにユリウスは小さい。身長は、百四十七センチしかなく、体重は四十キロに満たない。ぱっとみれば、やせぽっちの子どもだ。
「女の子がくるって、うちの隊の奴ら、楽しみにしてたんだぜ」
「…それは、期待に沿えず、申し訳ありません。しかし、自分は、戦闘のために、ここに来ましたので」
「ははは、冗談さ…」
そう言うと、アルベルトは、ユリウスの髪をくしゃくしゃとかき回した。
ユリウス・ザルツハイムは、十四歳の少女兵だった。
リヒテン・ライヒと呼ばれるこの帝国は、千年を経てもなお大陸を治め、海に散らばる島々を植民地として栄えてきた。しかし、帝国歴一六八七年、一部の民主主義者が叛乱を起こし、西方の大陸へ移住の後、独立した。
ノイエ・デモクラティアと称したその国は、植民地となっていた島々を次々と解放し、その連邦の一部として版図を拡大していった。
一方、領土を奪われ続けた帝国も黙ってはいなかった。大洋を挟んだ二つの大陸が睨み合うこと、およそ二百年。海戦が幾度となく繰り返されてきた。
決定的な変化が起きたのは、三十二年前、航空機の出現である。
航空機は戦いの様相を一変させてしまった。艦艇の数十倍の速さで移動し、かつ上空からの攻撃が可能となった。爆弾は砲で発射するものではなく、空から落とすものになった。
先に航空機を開発したのも、戦争に投じたのもリヒテン・ライヒであったが、その技術力はすぐにノイエ・デモクラティアの者たちの手によって、改良された。そして、ノイエ・デモクラティアのエンジニアたちは、その技術を高めることについては、余念がなかった。
両者の戦力が拮抗するまでに、長い時間はかからなかった。
リヒテン・ライヒが、まだ子どものような歳の少年・少女を戦場におくるようになったのは、ここ三十年のことだ。ちょうど、航空機の出現と重なる。
航空機による爆撃を受けると、艦ごと撃沈する。そして、そこに乗っていたすべての兵を失うことになる。戦争に費やされた命は取り戻せない。帝国はじわじわと人口が減り始めていた。
徴兵制を引いてはいるが、それだけでは、戦場に送る兵が足りなかった。だから、募兵という形で、こどもたちを集めはじめた。
そうして集められるのは、ユリウスのような者たちだ。
ユリウスは、孤児だった。
孤児は、募兵に応じると衣食住が保証されるた。親を亡くして増えていく一方の孤児たちの扱いに困り果てていた孤児院では、募兵の年齢である十二歳になると、まるで厄介払いのように、ほぼ全員を軍学校へ追いやることになっていた。
それでも、そんな子どもたちができる仕事は、せいぜい、通信兵や衛生兵といった後方勤務が常であり、飛行学校へ進学したユリウスは特例中の特例だった。
抜群に視力が良かったからだ。
ユリウスには昼の星が見えた。周りから嘘つき呼ばわりされるのが嫌で、自分からは、口にはしていなかったが、入隊のときの視力検査で、検査板にある記号をすべて読み取ってしまい、視力を測定することができなかった。そこではじめて、昼の空でも星が見えるという話をしたのである。
一見すると黒に見えるが、深い紅色の瞳だった。枯草のようなぱさついた金髪には似合わない色だと、自分でも思う。それに鳥の眼のように瞳が丸い。鏡を見るたびに、変な眼だと思っていた。しかし、この眼があったからこそ、飛行学校へ推薦してもらえたのだ。
そして、ユリウスは今日から、軍人として空に出ることになったのだ。
「それで、おまえさんたちの機体なんだが…」
アルベルトが、歩きながら話を続けた。ユリウスとカールは、半歩下がって後ろを歩く。
「おそらく、そのことであいつが呼び出しを受けたと思うんだ。ああ、ちょうど戻ってきたな。おい、オスカー!」
いきなりアルベルトが上官を名前で呼んだことに二人は驚いた。軍というものは、上下関係が厳しい。飛行学校でもそれを叩き込まれてきた。それを初日から覆されたのだ。
その声に軽く手をあげて合図したのが、小隊長であろう。銀に近いプラチナブロンドを短く刈りこみ、隙なく軍服を着こなした、いかにも帝国軍人といった風貌の男だった。
「ヘッセ准尉。出迎えご苦労。それから、オスカーはやめろ。いつもいっているだろう」
「はいはい、隊長殿」
そう冗談めかして言いながら、アルベルトが敬礼をした。ユリウスとカールも慌てて敬礼をすると、オスカーと呼ばれた小隊長も敬礼を返した。
「オスカー・ティーゲルハイト。少尉だ」
「この男とは飛行学校からの腐れ縁でね。まあ、そのころの話はおいおいしてやるよ」
「ヘッセ准尉」
そのひとことでアルベルトを黙らせると、踵を返し、手だけでついてくるように合図をした。
足を踏み出そうとしたそのとき、カールが肘でユリウスの肩をつついた。背丈がかなり違うため、見上げるように横をむくと、小声でカールが話かけてきた。
「あれを見たか?」
「あれ?」
「少尉の襟章だ」
「星の形の…。確かに、階級章とは違うような」
カールの頬が幾分か上気しているように見えた。
「撃墜王。敵の撃墜数が百を超えているっていうことだ。軍に数人しかいないはず…」
「無駄口を叩くな」
ぴしゃりとオスカーの声が飛ぶと、カールが即座に口をつぐんだ。
撃墜数が百と言われても、新兵であるユリウスにはそれがどれほどのものなのか見当もつかない。ただ、すれ違う多くの空軍兵の中には、ひとりも星の襟章をつけている者はいなかった。
カールの言う通り、軍に数人しかいないというのであれば、オスカーは相当な腕前のパイロットということなのだろう。
隙の無いオスカーの歩き方は、後をついて歩いているユリウスからみても、いかにも優秀な軍人という雰囲気だ。隣で軽口をたたいているアルベルトとは対照的なのに、どうやら二人はずいぶんと仲がよさそうに見えた。
オスカーの足が止まったのは駐機場だった。数十機の機体がずらりと並んでいる。飛行学校の訓練機とは違う、実戦で戦績をあげてきた雄姿がずらりと並んだその光景は壮観だった。
オスカーの姿を目にした整備兵が次々と手を止めて敬礼するが、オスカーもアルベルトも敬礼を返す様子はない。しかし、新兵であるユリウスとカールにとっては、整備兵といっても、階級が自分たちよりも上であるかもしれず、右へ左へと敬礼を返すはめになった。
「ああ、ここでは、操縦士は整備兵への敬礼は不要だ」
アルベルトが笑いながらそう教えてくれた。
「階級は気にしなくていい。操縦士は貴重な人材だからな。ただ、おれたちが無事、空に上がれるのは、彼らのおかげだ。その感謝の気持ちさえ忘れなければ、敬礼みたいな形式的なものはどうでもいいんだ」
そうは言われても、まわりを行き来する整備兵はこちらに向かって敬礼をしていく。かなり遠くにいる整備兵までも敬礼をしている姿に戸惑ってしまう。
「ああ、あれは、オスカーに対してさ。我らが撃墜王様への敬意の現れってやつだ。おまえらにしてるんじゃない」
人好きのする笑顔でそう言うと、ちょっと皮肉をこめて後をを続けた。
「忙しいときなんて、おれにだって、敬礼なしのこともあるんだぜ」
「そんな、ひどいなぁヘッセ准尉。いつもちゃんと敬礼してますよ」
そう言って、丸い眼鏡をかけた若い整備士がわざと軍靴をならして、型通りの敬礼をしてみせた。
「ティーゲルハイト少尉、ヘッセ准尉、機体の準備は整っています」
「ご苦労」
オスカーはそう短く労うと、まずカールに目で合図をした。
「L27。貴様の機体はこれだ」
「はい」
カールの声が、彼らしくもなく少し震えているように聞こえた。
L27は、このリヒテン・ライヒの主力戦闘機だ。新兵ならば、先輩のおさがりである旧機種になるものと思っていたところに、いきなり主力機をあてがわれたのだ。さすが飛行学校首席への期待は大きいらしい。
「整備を担当する、アーレ・ノイマンです。階級は曹長。これからよろしく」
「カール・シフェラー二飛です」
「首席さんの整備かあ。光栄だな。でも、大事に乗ってくださいよ。L27は貴重なんで」
「最善を尽くします」
カールが真剣な面持ちで敬礼を返すと、アーレは軍人とは思えない、やさしい顔で微笑んでいた。
「うちの隊は基本的にL27で編成されていた」
オスカーの言葉に少しひっかかりを覚えてユリウスは、心の中で少し落胆した。過去形で話したということは、自分の機体はL27ではないということだ。首席のカールと同じ機体に乗りたいと思うのはおこがましいとは思ったが、一度L27の雄姿を見てしまうと、やはり羨ましいと思う気もちは抑えらえない。
「これまで、遊撃空戦を主体とする小隊とされていたが、次回の作戦よりその任務が変わることになった」
無機質で感情のないオスカーの話し方は、ユリウスの背を少し冷たくさせる。L27はこのリヒテン・ライヒの誇る戦闘機だ。その機体にカールを搭乗させるにも関わらず、任務が空戦ではないとすると、おそらくそれはユリウスが配属されたことが原因なのだろう。
「それで、司令部に呼び出されたってわけか」
「そうだ。ノイマン、例の機体はどうなっている?」
「もちろん、仕上がってますよ。どうぞ、こちらです」
アーレが先導して、駐機場の裏へ回っていく。奥には軍の格納庫があった。
重い扉をアーレが開くと、中に細身の機体が収まっていた。先ほどみたL27に比べると、二回りほども小さく見える。
「S01。我々はシュルーケンと呼んでます」
軽く機体を叩きながら、アーレが言うと、アルベルトがあごに手をやりながら笑った。
「ツバメちゃんってか? かわいいじゃないか」
「従来よりも小型になってはいますが、爆撃機としての性能はあがっています」
「上等だ。ザルツハイム二飛、貴様にはこれに乗ってもらう」
「はい」
ユリウスの声も少し震えていた。爆撃機。腹に爆弾を抱えて飛ぶのが、これから自分の任務になる。
「ということは、おれたちの任務は空域確保の空戦から、艦隊爆撃に変更ということか。にしても爆撃機一機に、戦闘機三機で護衛かい? あいかわらず、うちの司令官殿の考えることはよくわからんね」
確かに、アルベルトの言葉は正しい。爆撃機の護衛にL27を三機もつけるというのは、機体確保が難しくなっている今の軍の情勢から考えて、普通とは言い難いのだろう。
「このS01は、あれを積むからな」
オスカーが親指で合図をした先には、黒い爆弾があった。爆撃機なのだから、爆弾を積むのは当然だろう。しかし、それをみたアルベルトの口は空いたままになった。
「いや、ちょっと待て、本当に言ってるのか?」
「いやぁ、そうですよね。ぼくも思います。無茶いいますよね、ぼくたちの司令官て」
アーレも、アルベルトの感想と同じなのだ。
「一応、計算上は飛べますよ。あくまでも計算上はね。設計した技師も、整備したぼくも確認済みです。でも、本当にやるんですかね?」
「任務だ」
オスカーはその一言ですませようとした。しかし、アルベルトはそれでは済ませはしなかった。
「おい、オスカー。だが、あれは…」
「オスカーはやめろ」
「ああ、もう、小隊長殿! あれは、だめだろう。あれは、100キロ爆弾じゃないのか」
「だから、どうした」
「飛べるわけない」
「飛べる。今、ノイマンが飛べると言っただろう」
「そんなの、計算だけじゃないのか?」
「ザルツハイム二飛、飛べるか?」
オスカーの感情のない、研ぎ澄まされたアイスブルーの瞳がユリウスを見ていた。この人の視線はまるで矢のようだ。射すくめられると、否やという答えなどありはしない。
「はい、飛びます」
オスカーの命令に、ユリウスは反射だけでそう答えていた。
「おれは、もともとは爆撃機乗りでね」
格納庫から出てきたアルベルトが、重くなってしまった口を開いた。新兵の二人に機体の割り当てだけを説明したオスカーは、すでにその場を立ち去ってしまっていた。
「だから、わかる。100キロ? 冗談じゃない」
「でも、まあ、司令官がそう決めて、小隊長がそれを了承したんでしょうから、仕方ないですよ」
アーレが格納庫の扉を閉めながらそう答えた。
「二十五キロを二発。それが限界だ」
「まあ、シュルーケンは、エンジン自体は従来の機種と同等で、かつ機体の重量を限界まで削ってますからね。それに…」
アーレは、言葉につまりながら、ユリウスのほうを振り返った。
「ユリウス・ザルツハイムです」
「ああ、うん。ザルツハイム二飛だから、じゃないでしょうか」
「わたしだから、ですか?」
「そうだよ。きみ、体重は? って女性に聞いても大丈夫?」
「問題ありません。配属前の身体検査では、37キロでした」
「まあ、見た目どおりだね…」
ユリウスの答えを聞いた、アルベルトとカールは、ユリウスの余りの軽さにしばらく言葉を失っていた。彼らも操縦士であるからは、体重の管理は厳密にしているだろう。とはいえ、軍人らしい体格をしているため、おそらく70キロ前後はあるはずだ。そこから考えると、ユリウスの体重は半分ほどということになる。
「ヘッセ准尉がこの機体に搭乗するなら、おれたちだって100キロを積んで飛べるなんて言いませんよ」
「ザルツハイムだからか…」
すでに、日が傾きはじめ、ユリウスの枯草のような髪を朱色に染めていた。
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