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168・サンキューグッバイ

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 サフィールはふらふらと手すりに寄りかかり、片手でひたいを押さえ込んでしまった。軍服を飾るサファイアと見分けがつかないくらいに顔面蒼白だ。人間の顔がそんな青くなることある? そのまま俺の方など目もくれず、一人で何事かを呟き始める。

「まさかジルコンが……殿下の方からもそんな……いや、しかしたった今、彼の背中を押してしまったのは他ならぬ俺自身で……」
「……あ、あのー……」
「応援……すべきなのか? しかしそうなれば我が国、我が騎士団はどうなる? それとも今こそ俺が決断するべきか? 自らの手を汚してでも、国の危機を救わねばならない時だと言うのか?」
「ヒッ」

 息を呑んでも声を上げなかったことは、自分で自分を褒めたいところだ。あかん。ここにいたらまずい、絶対に。そろそろと音を立てずに後ずさり、らせん階段の入り口までたどり着いたところで、大袈裟な苦悩のポーズで振り返ったサフィールと目が合った。

「あっ、待て!」
「ヒィッ! 殺さないで!! サンキューグッバイまた明日!!」

 端的にそれだけ言い捨てて、脱兎のごとく階段を駆け下りる。しばらく俺を追いかけてきた足音は、一階分降りるか降りないかのところで聞こえなくなった。トホホー! もう高いとこなんてコリゴリだよー!! 明日からはサフィールと二人きりにならないようにしなくちゃねー!!



 駆け足で城を出てから、ワープを使って寮の入り口に飛んだ。寮の扉を開けようとして、ちょっと躊躇する。翼人との決闘に向けて目下絶賛修練中のジルコンは、朝早く寮を出て深夜に家に戻ってくる。この時間に顔を合わせることはめったにない。出迎えの声がないのはちょっと寂しいけれど、そんなことよりはジルコンの修行の方がずっと大事だ。
 だから今日もそのつもりで、重厚な鉄製のハンドルを押した。帰りの挨拶を口に出したのも、返事を期待したわけじゃなくて単なる習慣だった、のだが。

「たっだい、……ま゛ッ!?」
「ああ。チュー太郎、今帰ったのか」

 言葉の後半がカエルのように潰れた。玄関先で鉢合わせしたのは、ちょうど上の階から下りてきた、ここにいないはずのジルコンだった。いつもの軍服じゃなくて、前に一緒に出かけたときみたいな、シンプルな白シャツ姿だ。シャワーでも浴びていたのか、濡れて輝きを増した髪の毛を、肩のタオルで拭いながらこちらに歩いてくる。この瞬間を雑に撮るだけで、ちょっとしたブロマイドにでもなりそうだ。
 固まる俺を不審に思ったのか、ジルコンは自分の姿を見回した。それから「ああ」と頷いて、紐で閉じた喉元をちょっとつまんでみせる。

「この服か? 鍛錬の途中だったんでな。執事は休業中だ、構わないだろう」
「あ、うん……や、そうじゃなくて……うん」
「? 妙な奴だな。体調でも悪いのか」
「いやッ、そのっ」

 近寄ってくるジルコンに思わず片手を突き出し──かけて、寸前で止めた。サフィールとあんな会話をしたあとだ、気まずいのは気まずい。いや、正確には気まずいと言うより、俺が一方的にどういう顔したらいいのかわからない。だけどそれはジルコンには関係ないことで、ましてや俺は、腹をくくると決め込んだばっかりだ。ここでまた逃げてどうする。
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