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112・昏き翼が天に満つ

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──ふざっけんなよ、お前! 出せよ! こっから出せ!!

 ……なんて。そんな風に暴れて叫んでやろうか、なんて気持ちが、一瞬でも頭をよぎらなかったわけはない。でも俺は、そうしなかった。
 理由は単純に、怖かったからだ。今俺の目の前に立っている、未知の思考を持った生き物に対する恐怖。少なくとも現時点で生殺与奪の権を握っている人物を、無駄に刺激してしまうことへの恐怖。泣き喚いてパニックに陥りたい自分を、その恐怖だけがむしろ押し留めている。
 脳裏にふと、一つの面影がよぎった。こんなとき、あいつならどうするだろうか。いつも冷静沈着な面で、恐るるものなど微塵もございませんって態度を保ったあいつなら。まあ……そんな奴の動揺した顔を、なんだかんだ俺は見ちゃったこともあるんだけど……それでもやっぱり、あいつなら。
 這い出すようにして檻の扉に近寄る。深く渋い金色に塗られた格子を、片手でそっと握り締める。

「えーっと……ちょっと、いまいちよくわかんねーんだけど。俺のため、ってどういうことよ」
「えぇ? そのまんまだよぉ」

 グラスを丸テーブルの上に置いて、アメティスタは椅子に腰かける。グラスの中身と同じワインレッドの色をした、革張りの安楽椅子だ。一日の終わりに暖炉の前で本を読むがごとく、アメティスタはその椅子に深く背を預け、歌うように何事かを呟き始める。

「──昏き翼が、天に満つ。
 太陽の帳は剥ぎ取られ、舵なき小舟は夜波に呑まれるばかり。
 黄銅の耀燈は輝きを喪い、遂には地に墜ちて砕け散るだろう。
 だが。
 ひとつの灯がただひとつの灯に成り果て、総べての輝石を宿して燃え上がるとき。
 夜をかき崩す猛き陽は、今一度昇って夜を照らすだろう──」

「……なんて?」

 唐突に始まったポエムのような何かに、思わず眉をひそめて問いかける。アメティスタは気を悪くした様子もなく、普段と変わらない間延びした口調で答える。

「預言だよぉ。知らない?」
「預言、って、なんか……オープニングとかにちょいちょい出てきてた、あれ?」
「そ。それも僕が詠んだんだよぉ。偉くなぁい?」

 掴んだ格子に、密かに力を込める。金属の格子は割り箸程度の太さだけれど当然のように頑丈で、俺がどうこうしようとしたところでびくとも動く気配はなかった。くそ。

「ええっと、つまり……その預言とやらに、俺のピンチが詠まれてるってこと? よくわかんねーけど」
「そぉそぉ。だからここにいてもらうんだよぉ。キミが死なないために。キミのため、にね」
「……それ、もしかして、前にも誰かにやってたりした?」
「んんー? どうだったかなぁ。忘れちった。今はいないよ。それでいいじゃん」

 額に改めて冷や汗が伝う。俺の鎌かけに、毛ほどの興味や追想も表すことはなく、アメティスタはワイングラスに追加のワインを注ぎ始めた。
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