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85・扉の向こう

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「ジルコンっ!!」

 寮の玄関に飛び込んだ瞬間、喉から叫び声が飛び出ていた。返事はない。ジルコンの姿も見当たらない。いつもこの時間は、俺を出迎えるように目につくあたりで仕事をしていたのに。今日に限ってはロビーにも食堂扉の向こうにも、人のいる気配はまったくない。
 残る心当たりは、中央棟の二階。ジルコンが住み込んでいる部屋だ。これまでは彼の部屋どころか、階段の踊り場にすら踏み入ったことはない。あいつと来たら俺の部屋にはずかずか入ってくるくせに、自分の部屋には一度も招いてくれなかった。招かれるような用事もなかったけど。
 少しだけ躊躇したあと、意を決して階段を上がる。チリひとつないダークオークの階段は一段上がるたびに硬い音を立て、もしジルコンが上にいるなら、これでもう確実に俺の存在に気づいたはずだ。
 到着した二階に、扉は一つきりしかなかった。重い色をした一枚板のドアを、はやる気持ちに押されて強めに叩く。

「ジルコン! おい、ジルコン、いるか!?」

 部屋の中で、椅子か何かが軋む音がした。いる。途端にわけもなく呼吸が早くなる。十秒ほどの間を置いて、内開きのドアはゆっくりと動いた。
 顔を出したジルコンは、いつもの動じない無表情のまま、俺に向けてゆっくりと一礼した。

「チュー太郎様。お帰りなさいませ」
「っ、い、いたんなら返事くらいしろよっ」
「大変申し訳ございません。少し、仕事が立て込んでおりまして」

 俺の被害妄想だろうか。ジルコンの慇懃な敬語が、妙によそよそしく聞こえる。半開きになった扉の内側は、彼の体に隠れて見えない。今の今まで考えていたはずの問いが、胸につかえて出てこなくなる。

「ジルコン、その、……あの、……っ」
「……」

 俺のうろたえぶりを予想していたかのように、ジルコンは大きく一つ息をついた。ドアを大きく引いて、薄暗い室内を手振りで示す。

「入れ」
「え?」
「廊下でする話でもないだろう。帰宅したミマにも聞かせるつもりか」

 ミマ。ジルコンの口からその名前が出た瞬間、反射的に体が強張った。彼を呼ぶジルコンのその声に、何の感情も感じられないことだけは救いだったが。いつもの傲慢口調に、なぜかわずかな安心を覚えつつ、ジルコンの背に続いて部屋に入った。
 イスとテーブル、ベッドに書棚。ジルコンの居室は俺の部屋よりも一回り狭く、王子サマの住居にしてはだいぶ質素だ。けれど堅苦しさを感じさせない程度に、ほどよく整然としていて居心地は悪くない──はずだ。こんなときでなければ。

「座れ」
「お、おう……」

 仕事をしていたと言う割にはペンの一つも出ていないテーブルを挟んで、俺とジルコンは向かい合って座る。変に緊張しているのは俺だけじゃなく、どうやらジルコンも同じのようだ。その緊張の理由が何なのか。聞くのが怖い気もする。でも、聞かなくちゃいけない。
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