1 / 23
序章・皇妃の不運
しおりを挟む
手足をもぎ取られていく、その状況に近しいのではないか。
帝国の現状を、宰相は、そう言って嘆いた。
かつて、大陸の西を広く統治していた帝国・リュクリス。いくつもの王国、公国を従え、数多くの家臣団を率いていた。だが、今はどうであろう。支配下であった国々は歯が抜けるように独立を果たし、譜代の家臣も主家を離れ、今では僅かな直轄領を治めるのみとなっている。表面上、帝国に忠誠を誓っているいくつかの公国も、いつ離反するか。
「このままでは、隣国どころか、かつての自国に攻められて、帝国は崩壊いたします」
宰相からの進言に、皇帝は、力なく目を伏せるのみだった。
幼くして帝位を継いだ皇帝は、皇太后と宰相の助けなしに政は行えなかった。婚姻にしても、、皇太后の信頼の厚い侯爵家の息女を娶り、成人してからも皇太后の意のままに動く傀儡でしかなく。皇太后亡き今は、傀儡ですらない。ただの人形だった。
「どうすればよいというのか。どうせよというのか」
繰り返される言葉を聞く宰相は、嘆息で応える。
この皇帝は、もう駄目だ、と。失望をおぼえてより、どれくらい経つだろう。年上の皇妃の膝に顔をうずめ、幼子のように震えながら日々を過ごす皇帝の姿など、誰も見たくない。想像すらしたくないだろう。
もはや、あの計画を実行に移すしかない。
宰相は、皇帝の私邸に使者を向け、皇妃と、生まれたばかりの皇女を連れ出した。
「無礼な真似を」
憤りを隠さぬ皇妃を、呼び寄せた彼女の実家の侯爵家の使者に引き渡し
「恐れながら、貴方様にはご実家に戻っていただきます」
言葉だけは丁寧に、離縁を伝える。あわせて、皇帝の書面も元皇妃に向けて差し出した。侯爵家の面々は、かねてより事情を知っていたのか、何も言わずに主人たる元皇妃・メリザンドを連れ、その場を引き下がろうとする。が、メリザンドは当然共にやってくると思われていた皇女とその乳母が、その場に佇んだままであることに気づき、高く声を上げた。
「セレスティア! セレスティアをどうするつもりか」
宰相は、哀れみを込めた目を、元皇妃に向ける。
「皇女殿下は、帝国の継承権をお持ちでいらっしゃる」
「それは当然のこと」
「その皇女殿下を、外に出すわけには参りません」
侯爵家に、皇位継承権を持つセレスティアを渡すわけにはいかない。皇女は帝室に留め置く、と。理性にのみ支配された男は、答えた。
「あなたさまのご実家には、お化粧料として相応の金子と所領をお約束させていただいております。そちらでご満足いただけますよう。また、皇女殿下は、新しいお妃様が立派に養育してくださることと存じます」
「新しい、妃? とは」
「サンドリアの王女殿下、ロクサンヌ姫にございます」
メリザンドの目が、大きく見開かれる。
近年急速に勢いを増してきた隣国、サンドリア。国境の警備を固めねばならぬ、と、皇帝が重臣に招集をかけたのは、つい、ひとつきまえであるというのに。よりによって、その国と縁を結ぶとは。しかも、妃を離縁してまで。
「これは、貴殿の策略か」
「そう思ってくださって、構いません。このままでは、我が帝国が潰れるのも時間の問題。陛下はまだお若い。更にお若い妃をお迎えになられて、国を守り立てていただかねばなりません」
「若い妃……」
ハッ、とメリザンドは嗤った。
ロクサンヌは、まだ十歳にも満たぬ少女ではないか。若い、どころではない。幼い。稚すぎる。
二十歳の皇帝とも、相応に年が離れている。むしろ、三歳しか違わぬメリザンドのほうが、年上とはいえ皇帝に近い。
「悪趣味よの」
「なんとでも仰ってください。全ては、決まりましたことですから」
宰相の一言で、皇女を連れた女官は、一礼して退室する。メリザンドは、慌てて娘の後を追った。
「セレスティア」
しかし、
「お嬢様」
「いけません」
すぐに、侯爵家の使者に抑えられてしまう。
妃の座を退くこと、皇女を手放すこと。これが、メリザンドに出された皇帝命令であった。代わりに彼女の実家には、新たに領地が加えられ、更に納税に関しても免除を約束されている。斜陽の帝国にしては、破格の扱いだった。
それもこれも、侯爵家に皇女を渡さぬためと思えば、安いものである。
「のちのち皇女殿下を奉じて、帝位の継承を要求されても困る」
これが宰相の本音であった。
いずれ、ロクサンヌ王女が皇帝の子を成す。そのとき、セレスティア皇女の存在は、リュクリスにとってもサンドリアにとっても障害となるだろう。
「可哀相ではあるが」
皇女には、消えてもらうしかない。
宰相は、腹心の部下を呼び寄せた。無論、皇帝の言質は取った上で。
「皇女殿下には、『留学』をしていただこう」
帝国の現状を、宰相は、そう言って嘆いた。
かつて、大陸の西を広く統治していた帝国・リュクリス。いくつもの王国、公国を従え、数多くの家臣団を率いていた。だが、今はどうであろう。支配下であった国々は歯が抜けるように独立を果たし、譜代の家臣も主家を離れ、今では僅かな直轄領を治めるのみとなっている。表面上、帝国に忠誠を誓っているいくつかの公国も、いつ離反するか。
「このままでは、隣国どころか、かつての自国に攻められて、帝国は崩壊いたします」
宰相からの進言に、皇帝は、力なく目を伏せるのみだった。
幼くして帝位を継いだ皇帝は、皇太后と宰相の助けなしに政は行えなかった。婚姻にしても、、皇太后の信頼の厚い侯爵家の息女を娶り、成人してからも皇太后の意のままに動く傀儡でしかなく。皇太后亡き今は、傀儡ですらない。ただの人形だった。
「どうすればよいというのか。どうせよというのか」
繰り返される言葉を聞く宰相は、嘆息で応える。
この皇帝は、もう駄目だ、と。失望をおぼえてより、どれくらい経つだろう。年上の皇妃の膝に顔をうずめ、幼子のように震えながら日々を過ごす皇帝の姿など、誰も見たくない。想像すらしたくないだろう。
もはや、あの計画を実行に移すしかない。
宰相は、皇帝の私邸に使者を向け、皇妃と、生まれたばかりの皇女を連れ出した。
「無礼な真似を」
憤りを隠さぬ皇妃を、呼び寄せた彼女の実家の侯爵家の使者に引き渡し
「恐れながら、貴方様にはご実家に戻っていただきます」
言葉だけは丁寧に、離縁を伝える。あわせて、皇帝の書面も元皇妃に向けて差し出した。侯爵家の面々は、かねてより事情を知っていたのか、何も言わずに主人たる元皇妃・メリザンドを連れ、その場を引き下がろうとする。が、メリザンドは当然共にやってくると思われていた皇女とその乳母が、その場に佇んだままであることに気づき、高く声を上げた。
「セレスティア! セレスティアをどうするつもりか」
宰相は、哀れみを込めた目を、元皇妃に向ける。
「皇女殿下は、帝国の継承権をお持ちでいらっしゃる」
「それは当然のこと」
「その皇女殿下を、外に出すわけには参りません」
侯爵家に、皇位継承権を持つセレスティアを渡すわけにはいかない。皇女は帝室に留め置く、と。理性にのみ支配された男は、答えた。
「あなたさまのご実家には、お化粧料として相応の金子と所領をお約束させていただいております。そちらでご満足いただけますよう。また、皇女殿下は、新しいお妃様が立派に養育してくださることと存じます」
「新しい、妃? とは」
「サンドリアの王女殿下、ロクサンヌ姫にございます」
メリザンドの目が、大きく見開かれる。
近年急速に勢いを増してきた隣国、サンドリア。国境の警備を固めねばならぬ、と、皇帝が重臣に招集をかけたのは、つい、ひとつきまえであるというのに。よりによって、その国と縁を結ぶとは。しかも、妃を離縁してまで。
「これは、貴殿の策略か」
「そう思ってくださって、構いません。このままでは、我が帝国が潰れるのも時間の問題。陛下はまだお若い。更にお若い妃をお迎えになられて、国を守り立てていただかねばなりません」
「若い妃……」
ハッ、とメリザンドは嗤った。
ロクサンヌは、まだ十歳にも満たぬ少女ではないか。若い、どころではない。幼い。稚すぎる。
二十歳の皇帝とも、相応に年が離れている。むしろ、三歳しか違わぬメリザンドのほうが、年上とはいえ皇帝に近い。
「悪趣味よの」
「なんとでも仰ってください。全ては、決まりましたことですから」
宰相の一言で、皇女を連れた女官は、一礼して退室する。メリザンドは、慌てて娘の後を追った。
「セレスティア」
しかし、
「お嬢様」
「いけません」
すぐに、侯爵家の使者に抑えられてしまう。
妃の座を退くこと、皇女を手放すこと。これが、メリザンドに出された皇帝命令であった。代わりに彼女の実家には、新たに領地が加えられ、更に納税に関しても免除を約束されている。斜陽の帝国にしては、破格の扱いだった。
それもこれも、侯爵家に皇女を渡さぬためと思えば、安いものである。
「のちのち皇女殿下を奉じて、帝位の継承を要求されても困る」
これが宰相の本音であった。
いずれ、ロクサンヌ王女が皇帝の子を成す。そのとき、セレスティア皇女の存在は、リュクリスにとってもサンドリアにとっても障害となるだろう。
「可哀相ではあるが」
皇女には、消えてもらうしかない。
宰相は、腹心の部下を呼び寄せた。無論、皇帝の言質は取った上で。
「皇女殿下には、『留学』をしていただこう」
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜
星河由乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」
「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」
(レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)
美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。
やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。
* 2023年01月15日、連載完結しました。
* ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました!
* 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。
* この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。
* ブクマ、感想、ありがとうございます。
追放された聖女の悠々自適な側室ライフ
白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」
平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。
そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。
そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。
「王太子殿下の仰せに従います」
(やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや)
表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。
今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。
マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃
聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる