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第6夜 夢みる羊

第14話 影は消え去り、女は嗤う

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 保健室を出ると、辺りは暗くなっていた。生徒たちも帰宅してしまったようで、廊下には緋鞠と大雅が歩く音しか聞こえない。

「測定の時に怪我してた子、大丈夫だった?」
「ん? ああ、久留米由利くるめゆりか。軽い捻挫だったみたいだな」
「よかった。重い怪我じゃなくて」
「おまえな、自分の心配をしろよ。霊力枯渇癖は致命傷だぞ。戦場のど真ん中でされたら、仲間を危険な目に合わせることになる。もう少し考えて使え」
「はーい……」

 普段、ちゃらんぽらんしている人に、正論を言われてしまうと心に響く。しょんぼり項垂れる緋鞠の頭の上に、ぽんと手が置かれた。

『緋鞠……』

 幼い頃、兄にいつも頭を撫でてもらった。確か、最初の頃はぎこちなくて。割れ物を扱うように、そっと触れるような撫で方だった。

 ──ああ、それと似てるんだ。

 先を歩く大雅が不思議そうに振り返った。

「どした?」
「いや、あの……兄さんにされるのと似てて。その……懐かしいな、って」
「ああ、そういえば兄貴を探してるんだっけか」

 大雅が興味なさげに呟いた。
 まぁ、実際興味なんてないんだろうけど……。

「そんなに必死に探すようなヤツかねぇ」
「むっ!」

 緋鞠は大雅を肘でつつきながら兄のよさについて語り始めた。

「兄さんはすごいんだから! 夜のうちにふらっといなくなったと思ったら、朝には帰ってきてるし。めちゃくちゃ優しいし、あ、でも方向音痴なんだけど。ちょっと抜けてるぐらいの方が可愛げがあると思わない?」
「思わない」
「あとねあとね」

 楽しげに兄の話を語る緋鞠を横目で見ながら、大雅は自身の記憶を探る。
 師であり、育ての親でもあった男は、大雅にいつも厳しかった。

「……俺ん時とはえらい違いだな」

 自然と出てしまった、小さなひとりごと。思わず、口を押さえて立ち止まった。聞かれただろうか。 内心落ち着かない気持ちで横を向いた。
     それに気づいた緋鞠も立ち止まる。不思議そうな顔をして首を傾げると、大雅の前に出て顔を覗き込んだ。

「ん? 何か言った?」
「……なんでもねぇよ」

   どうやら聞こえていなかったらしい。ほっとして、大雅はいつもの緊張感のない表情で、小さく欠伸をこぼした。それを見て、緋鞠はガクッと肩を落とす。

「眠いだけかい!」
「俺今日頑張ったもーん。昼寝しなかったし」
「うっそだぁ! どうせ私たちが頑張ってる間、暇で寝てたんでしょ?」
「嘘じゃねーし。十分ぐらいで起きたし」
「やっぱり寝てるじゃない!」

   不満げに唇を尖らせる緋鞠を横目に、過去の記憶を押し込める。
 
   まだ、こいつは知らなくていい。

「ほら、さっさと帰るぞ。翼が夕飯作って待ってる」
「うん!」

   夕日が沈むなか、並んで帰るその姿は仲のよい兄妹のようだった。

                                                 ~◇~
 
 コツ、コツと靴音が響く。
 床から壁、天井に至るまで石で積まれた回廊を、一人の若い男性隊員が見回りをしていた。手には地図、もう一方の手には小さな燈籠カンテラを持っている。目の前の道と地図を見比べながら、少しずつ進んでいく。

 ここは、陰陽院が所有する地下に作られた牢獄だ。現在も使われているが、昔のように大罪人を入れるというよりも、命令違反をした隊員を反省させるため。また、悪いことをした妖怪を一時的に閉じ込めておくために使用している。

    ──しかし……。

    男は、錆びた鉄格子が並ぶ牢に灯りを近づけた。中は腐り落ちた手錠が転がっており、赤黒く汚れた壁や床が見える。

「うわぁ、相変わらず不気味……」

    思わず、そんな声を漏らさないではいられないほど、中は殺風景であった。明治時代辺りから特に手を加えられていない。そのため、かなり老朽化している上に、現在は使われていない鎖の手錠も埋め込まれたままの惨状であった。

「問題はないな。よし、それじゃあもど……」

 ──ガシャンっ!

 突然、足元から凍るような冷気が流れ込んでくる。あまりの冷たさに、男は燈籠を取り落とした。赤い炎が足元で燃え盛り、硝子の欠片が光る。

 男は声を出そうとするけれど、まったく声がでない。また、まるで、凍りついたかのように体が動かせなかった。

(なんだ!? どうして急に……!)

 何も問題はなかったはずだ。いつもと違うところは一つもなかったはずなのに。
 そのとき、声が聞こえた。か細い、蚊の鳴くような小さな声。

『……る?』

(は……?)

 男には、その問いが聞こえていた。けれど、その意味を理解することができなかった。しびれを切らしたのか、炎の影から生き物のように蠢く影が現れた。
 影は蝋燭の火のように揺らぐと、影から白いしなやかな女の手が伸びてきた。

 女の手が男の頬を両手に包む。

『恋をしたことがある?』

 女の声は、隊員の思考を絡めとる。紡ぐ言葉一つ一つが思考、感覚全てを麻痺させていった。

『身を焦がすほど熱く、どろどろに溶けてしまいそうな甘い。そのような恋を──』

 影は探るようにじっとみつめながら、答えを待った。けれど──。

『……つまらないヒト

 女は興味をなくし、手を離した。そうして足元の炎を両手ですくい取り、ふぅと小さく息を吹きかける。炎が風にのり、男を包み込んだ。男は悲鳴をあげる間もなく、一瞬にして塵と化した。

 炎は手のひらに収まるほど小さくなると、黒い影はそれをぱくりと飲み込んだ。すると、黒い衣服を脱ぎ去るように女が姿を現した。
 女は指先に小さく炎を浮かべ、壁の燭台に灯りを灯す。ぺたぺたと顔や髪を触ると、白い頬に赤みが差した。

『戻った……わらわの身体を取り戻したぞ!!』

 碧みがかった瞳を見開いて高らかに笑い声を上げると、心臓がひび割れるように傷んだ。女は呻くと、その場にうずくまる。

『……まだ本調子とはいかぬか。そこらの雑魚ではなく、そろそろ上質な霊力エサが欲しいのぉ』

 思い浮かぶのは、とある少年と少女だった。
 幼い頃の思い出を大事にしている二人。片方は絶望に満ちながら、一筋の希望に魅せられ。もう片方は希望に満ちながら、人知れず深い闇を抱えている。

 ──案外、少女あっちのほうが脆いかもしれぬ。

『ヌシの息子はどんな結末を迎えるかのぉ……。なぁ、美世みよ

 女は口元を三日月のように歪ませると、着物の裾を翻し、闇へと消えていった。
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