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4.雪催い
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「ふ、あ、あっははは! はっ、随分、言うようになったな!」
「……あんまり、言いたくはなかったです」
御堂の砕けた物言いに、小和はようやく、胸を撫で下ろして眉を下げる。
御堂は愉快そうに片眉を上げ、しかしすぐに居住まいを正して、増穂と小和に視線を向けた。
「二人とも、失礼をした。嘘を言ったつもりはなかったが、先日は言葉が過ぎたな」
「あ、いえ……」
増穂は呆気にとられている。
小和も、自分にまで向けられる言葉とは思っておらず、どう答えればと戸惑った。
その時。それの気配を捉える。
――ああ、やっぱり。
きっと、降ると思っていた。
待っていたそれを見上げて、小和は、細い吐息を漏らした。それが白く凍って、空にとける。
「降ってきましたね」
「え?」
小和の声につられて、増穂が天を仰いだ。御堂も空に目を向ける。
灰色の雲から、ちら、ちら、と。
雲間からの陽光に微かに煌めきながら、白いものが、空を舞い落ちてきていた。
風に踊りながら、ひらひらと。綻び始めた寒椿の紅い蕾に。常緑の鋭い針葉を伸ばした松の枝に。乾いた庭の白い土に。落ちてはす、と、淡く融けていく。
「初雪ですね」
小和が掌を上に向けて雪を受けとめると、釜の火で温まった手の上で、雪が、音もなく滴へと変わった。増穂も手を伸ばし、雪を両手に受けて赤い頬を綻ばせる。
風はないから吹雪くことはないだろう。積もるにもまだ時期が早い。小和は、己の予感が当たったことに安堵しながら、中庭の西塀の、ずっと向こうに目をやった。
「尾羽の山の冠雪は、毎年、見とれてしまいます」
小和の視線に、御堂も増穂も、小和と同じ方を見遣った。
尾羽の標高は千を越える。町に降り出す頃には、その稜線から中程までを、すっかり白く染めていた。裾野の枯れ紅葉が、まるで錦の打掛に見える。
「まあ」
増穂の弾んだ声に、御堂が僅かに、苦笑した。
「……この景色は、町からでないと見られぬな」
吐息のような、優しい声だった。
小和は茶碗棚から道具を取り出し、最後の準備を始める。
「松の枝の下か、傘に入って、火鉢にしっかり当たってくださいね。最後のお茶をお淹れします」
雪が降ると分かっていたの? と増穂が首を傾げるのに、小和は曖昧に笑った。
日取りを考えた時、もしかして、と思ったのだ。あの時、琥珀色の瞳をしたりくの後ろで、ちらちらと雪が舞っていた。それで、町の方の初雪も、近いだろうと思ったのだ。
だから、室内と野天、両方で準備を進めて、山の様子を見ながら、外にすると決めたのは昨日の夕方だ。初雪は寒さが本格的になったばかりで、積もることはそうそうない。見て楽しむより、触って楽しむ方が良いのではないかと思った。庭に出た方が、お山もよく見える。
一煎目は緊張をほぐす、香りの高いもの。二煎目は雪の中で、味を楽しめるもの。そして、最後。
小和は茶筒から新しい茎茶を取り出して、取っ手のついた丸い容器に入れる。容器の底には厚紙があてられている。それを、小和は自分の足元の七厘の上に翳した。ぱらぱらと、焦げつかないように、茶葉を転がす。
小和が碧水屋に来て最初に習ったことは、茶の焙じ方だった。
――こうすれば、苦味や渋味の強いお茶も、香りよくすっきり飲めるんだよ。昔は良いお茶は高価だったから、みんな、こうしてお茶を飲んでたんだ。
おかみさんはそう言って、りくのところから来たばかりの小和に、一杯の焙じ茶を振る舞ってくれた。それは、秋冬番茶を焙じたものだったが、毒味の消えた、夏に山を渡る夏越しの風のようなお茶で、澄んだ水と丁寧な火入れが、爽やかな香りを引き立たせていた。
きれいなところには、きれいなものが通る。
火は、浄め火なのだと、小和は思う。
どんなお茶も、きれいな水と、火を使って淹れる。そうして、人の喉を潤して、暑気を払ったり、身体を温めたりするのだ。だから、丁寧に、しっかりと火入れをしたお茶には、空気を浚って、清冽な、新しいものを呼び込む力がある。
焙じた茶葉を急須に入れ、高温でさっと煮出して茶碗に注ぐ。
「最後のお茶です。本日は寒い中お越しいただいて、本当にありがとうございました」
茶碗の中、桧皮色に艶めくお茶を二人に差し出し、小和が頭を下げると、増穂と御堂も一礼を返した。芳ばしい香気が、粉雪のちらつく空に昇っていく。
「……小和の淹れたお茶ね」
ふ、と白い息を吐いて、お茶を飲んだ増穂が微笑った。
「今日のお茶、全部。尾羽の、山深くの香りがした。まるで山中の、百舌鳥の鳴き声だけが響く雪林にいるみたい」
御堂は、増穂の言葉に何も言わなかった。ただ、少しだけ、目を細めて増穂を見ている。
増穂はお茶を飲み干すと、茶碗を傍らに置いて、御堂を見た。
「御堂さんの仰ったこと、私もきっと、そうなんだろうなと、思っています」
小和は驚いて増穂を見た。
増穂は小和を一瞥して、苦笑してみせる。
「だけど、小和が怒ってくれたこと、私は嬉しかった。たとえ厳しい道でも、ほんの一筋、自分の希望が通ったことを、私は喜んで良いんだって。それを確かめたくて、私、小和に会いに行ったんです。きっと誉めてもらえると思ったから……狡いかも知れないわ。けれど、嬉しかった。本当に。私、粘り強いんです。だから、まだ、頑張ろうと思います」
ご教示ありがとうございました、と増穂は笑って、御堂に頭を下げる。
つよい人だ。
そう、小和は思った。
こわい人だと、最初は思ったのだ。増穂のことを。
自信と気品があって、少し強引で。最初に会った時、小和は無意識に気圧された。けれどそれは、増穂の芯がとても強いからで、そしてそれは、多分、御堂も、そうなのだ。
こちらがしっかりしていなければ、その強さに振り回されてしまう。本人たちにはその気もなく、こちらのことを、十分に気にかけてくれているのに。
つよく、ならなければ。
振り回されないだけの、そして、強くとも傷がつかないわけではない人たちを、傍で見守っていられるだけの、根を持たなければ。風に揺れても、倒れない草花があるように。
雪がふっと風に舞う。
小さな六花は、すぐにどこかへと飛んで、見失ってしまった。けれど、やがて尾羽の町も、山も、すっかり雪化粧で覆われるだろう。そうして、春には、融ける。
小和は、綿帽子を被った尾羽山を見た。
春になれば。
雪は融けて、尾羽に流れる、水になる。
「……あんまり、言いたくはなかったです」
御堂の砕けた物言いに、小和はようやく、胸を撫で下ろして眉を下げる。
御堂は愉快そうに片眉を上げ、しかしすぐに居住まいを正して、増穂と小和に視線を向けた。
「二人とも、失礼をした。嘘を言ったつもりはなかったが、先日は言葉が過ぎたな」
「あ、いえ……」
増穂は呆気にとられている。
小和も、自分にまで向けられる言葉とは思っておらず、どう答えればと戸惑った。
その時。それの気配を捉える。
――ああ、やっぱり。
きっと、降ると思っていた。
待っていたそれを見上げて、小和は、細い吐息を漏らした。それが白く凍って、空にとける。
「降ってきましたね」
「え?」
小和の声につられて、増穂が天を仰いだ。御堂も空に目を向ける。
灰色の雲から、ちら、ちら、と。
雲間からの陽光に微かに煌めきながら、白いものが、空を舞い落ちてきていた。
風に踊りながら、ひらひらと。綻び始めた寒椿の紅い蕾に。常緑の鋭い針葉を伸ばした松の枝に。乾いた庭の白い土に。落ちてはす、と、淡く融けていく。
「初雪ですね」
小和が掌を上に向けて雪を受けとめると、釜の火で温まった手の上で、雪が、音もなく滴へと変わった。増穂も手を伸ばし、雪を両手に受けて赤い頬を綻ばせる。
風はないから吹雪くことはないだろう。積もるにもまだ時期が早い。小和は、己の予感が当たったことに安堵しながら、中庭の西塀の、ずっと向こうに目をやった。
「尾羽の山の冠雪は、毎年、見とれてしまいます」
小和の視線に、御堂も増穂も、小和と同じ方を見遣った。
尾羽の標高は千を越える。町に降り出す頃には、その稜線から中程までを、すっかり白く染めていた。裾野の枯れ紅葉が、まるで錦の打掛に見える。
「まあ」
増穂の弾んだ声に、御堂が僅かに、苦笑した。
「……この景色は、町からでないと見られぬな」
吐息のような、優しい声だった。
小和は茶碗棚から道具を取り出し、最後の準備を始める。
「松の枝の下か、傘に入って、火鉢にしっかり当たってくださいね。最後のお茶をお淹れします」
雪が降ると分かっていたの? と増穂が首を傾げるのに、小和は曖昧に笑った。
日取りを考えた時、もしかして、と思ったのだ。あの時、琥珀色の瞳をしたりくの後ろで、ちらちらと雪が舞っていた。それで、町の方の初雪も、近いだろうと思ったのだ。
だから、室内と野天、両方で準備を進めて、山の様子を見ながら、外にすると決めたのは昨日の夕方だ。初雪は寒さが本格的になったばかりで、積もることはそうそうない。見て楽しむより、触って楽しむ方が良いのではないかと思った。庭に出た方が、お山もよく見える。
一煎目は緊張をほぐす、香りの高いもの。二煎目は雪の中で、味を楽しめるもの。そして、最後。
小和は茶筒から新しい茎茶を取り出して、取っ手のついた丸い容器に入れる。容器の底には厚紙があてられている。それを、小和は自分の足元の七厘の上に翳した。ぱらぱらと、焦げつかないように、茶葉を転がす。
小和が碧水屋に来て最初に習ったことは、茶の焙じ方だった。
――こうすれば、苦味や渋味の強いお茶も、香りよくすっきり飲めるんだよ。昔は良いお茶は高価だったから、みんな、こうしてお茶を飲んでたんだ。
おかみさんはそう言って、りくのところから来たばかりの小和に、一杯の焙じ茶を振る舞ってくれた。それは、秋冬番茶を焙じたものだったが、毒味の消えた、夏に山を渡る夏越しの風のようなお茶で、澄んだ水と丁寧な火入れが、爽やかな香りを引き立たせていた。
きれいなところには、きれいなものが通る。
火は、浄め火なのだと、小和は思う。
どんなお茶も、きれいな水と、火を使って淹れる。そうして、人の喉を潤して、暑気を払ったり、身体を温めたりするのだ。だから、丁寧に、しっかりと火入れをしたお茶には、空気を浚って、清冽な、新しいものを呼び込む力がある。
焙じた茶葉を急須に入れ、高温でさっと煮出して茶碗に注ぐ。
「最後のお茶です。本日は寒い中お越しいただいて、本当にありがとうございました」
茶碗の中、桧皮色に艶めくお茶を二人に差し出し、小和が頭を下げると、増穂と御堂も一礼を返した。芳ばしい香気が、粉雪のちらつく空に昇っていく。
「……小和の淹れたお茶ね」
ふ、と白い息を吐いて、お茶を飲んだ増穂が微笑った。
「今日のお茶、全部。尾羽の、山深くの香りがした。まるで山中の、百舌鳥の鳴き声だけが響く雪林にいるみたい」
御堂は、増穂の言葉に何も言わなかった。ただ、少しだけ、目を細めて増穂を見ている。
増穂はお茶を飲み干すと、茶碗を傍らに置いて、御堂を見た。
「御堂さんの仰ったこと、私もきっと、そうなんだろうなと、思っています」
小和は驚いて増穂を見た。
増穂は小和を一瞥して、苦笑してみせる。
「だけど、小和が怒ってくれたこと、私は嬉しかった。たとえ厳しい道でも、ほんの一筋、自分の希望が通ったことを、私は喜んで良いんだって。それを確かめたくて、私、小和に会いに行ったんです。きっと誉めてもらえると思ったから……狡いかも知れないわ。けれど、嬉しかった。本当に。私、粘り強いんです。だから、まだ、頑張ろうと思います」
ご教示ありがとうございました、と増穂は笑って、御堂に頭を下げる。
つよい人だ。
そう、小和は思った。
こわい人だと、最初は思ったのだ。増穂のことを。
自信と気品があって、少し強引で。最初に会った時、小和は無意識に気圧された。けれどそれは、増穂の芯がとても強いからで、そしてそれは、多分、御堂も、そうなのだ。
こちらがしっかりしていなければ、その強さに振り回されてしまう。本人たちにはその気もなく、こちらのことを、十分に気にかけてくれているのに。
つよく、ならなければ。
振り回されないだけの、そして、強くとも傷がつかないわけではない人たちを、傍で見守っていられるだけの、根を持たなければ。風に揺れても、倒れない草花があるように。
雪がふっと風に舞う。
小さな六花は、すぐにどこかへと飛んで、見失ってしまった。けれど、やがて尾羽の町も、山も、すっかり雪化粧で覆われるだろう。そうして、春には、融ける。
小和は、綿帽子を被った尾羽山を見た。
春になれば。
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