13 / 26
3.柊の花
3
しおりを挟む碧水屋に着く頃には、牟田のおじさんが報せたのだろう、おかみさんと奈緒が、店先に出て待っていた。
「小和!」
奈緒が、ほ、と顔を綻ばせて、小走りに小和に駆け寄ってくる。小和は頭を下げる間もなく、その白萩の袖に抱き竦められた。
「お帰り、もう大丈夫なの?」
「はい、暫くはまだ、いつもよりたくさんお薬を飲まないといけないですけれど」
「そう……でも、顔色は良さそうね。あ、ええと、こちらが?」
奈緒が顔を上げて問う。小和の隣に立つ長身の大男を改めて眺めると、驚くように少し口を開けた。
「はい、りくの知り合いで」
「御堂と申す」
低く張りのある声が、先ほどと同じように短く答えて、会釈した。奈緒はそれを見て、さっと居住まいを正す。
「無作法をいたしました。妹のような子の顔を久しぶりに見たもので、ご容赦ください」
「よい、私はただの行きあいだ」
素っ気ない言い方に奈緒が戸惑った顔を見せるのを、小和はどうにか繕おうと口を開く。しかし、何も言えないうちに、おかみさんが声をかけた。
「御堂さま、どうぞ店へいらっしゃいませ。お礼にお茶をお淹れいたします」
言いながら、おかみさんは、深々と頭を下げた。
「ご厚意痛み入る」
店の二階席の、一番良い席に御堂を通して、おかみさんは厨房で茶葉を用意する。小和はおかみさんの後を追って、客席の常連客や姉さんたちへの挨拶もそこそこに、厨房に入って手伝おうとした。けれどそれを、おかみさんが止めた。
「いいから、あんたはみんなに顔を見せてきな。元気そうで安心した」
「いえ、ご心配をおかけしてすみません。お茶会も、何にも手伝えなくって……」
「いいんだよそんなの、身体が一番。ほら、今日は休んどきな」
「でも……」
迷うことなく選んだ茶筒から、おかみさんが茶葉を取り出し、茶碗で少し冷ました湯を、そっと急須に入れて、蒸らす。
茶碗に注がれたお茶は、美しい碧の水色をしていて、熟した茶葉の、深い香りがした。
「……去年できた品種ですね」
小和が言うと、おかみさんが、顔をそっと綻ばせた。
「今年の秋はこれが一番良い。茶の旨味が濃くて、それでしつこくない。――小和、お帰り」
「はい、ただいま帰りました」
小和ははにかんで、頭を下げた。
ただいま、と言える場所が、小和には随分増えた。今はもうない生まれた郷、りくの小屋、碧水屋に、尾羽の町。
おかみさんに追い出されて、あらためて客席の方へ顔を出すと、今か今かと待っていたような顔で姉さんたちとお客さんが迎えてくれる。
「姉さんたち、すみません、ただいま帰りました」
「お帰り、小和!」
店で客に茶を出していたちかが、大きな声で言った。茶を飲んでいた常連客も、他の姉さんたちも笑って、小和ちゃんお帰り、お帰り、と口々に言って手を振る。
「二階にお通しした人、りくさんの知り合いなんだって?」
「小和が大男と連れ立って帰ってきたって聞いて、そりゃもうみんなびっくりして」
「帰ってきたばっかりですぐに手伝おうとするところが、小和よねぇ」
「おかみさんが一から全部、お茶を淹れるなんて、よっぽどの人なのね」
「だから言ったろ、りくんとこから来た人なら心配はないよ」
「重さんたちはそれですぐ納得したけどさ、私らはやっぱり、気になるよ」
碧水屋の常連は、町に古くから住んでいる人が多い。やはりみな、りくの知り合いというだけで、何かを納得ずくのようだった。
厨房を振り返る。おかみさんが、茶菓子とお茶を盆に載せて、二階に上がっていく。
あんなにゆっくりとした手つきで――ともすれば、震えそうな繊細さで――おかみさんがお茶を用意するのを、小和は見たことがなかった。いつだって、丁寧な手付きではあるけれど、長年身体に染みこんでいる故の、俊敏な動きにいつも見とれるのに。
やはり、大変な人を連れてきてしまった。
そんな申し訳なさが、胸の底にぼんやりと漂う。
言い付けたのはりくだが、発端は自分だった。否、そもそも、もっと気を付けて、お遣いをしているとはいえ、笹岡たちとあまり親しくならないようにしていれば――と。
そこまで考えたとき、ごめんください、と客の声がした。
ちかが振り返る。
「いらっしゃいませ……あら、」
小和も振り向いて、息を呑んだ。
笹岡が、店の入り口から顔を覗かせていた。その後ろに、見覚えのある少女がいる。
「ああ、小和さん。今そこで、町の人からご快復したとお聞きしたんですよ。お元気そうで良かった」
小和と目の合った笹岡が微笑んだ。
その、後ろ。
艶やかな黒髪を下げ髪に結い、雪輪に紅葉の透かしが入った、縹色の小紋。肩に藤色のショールを掛けた美しい和装姿で、舘川増穂が、そっとこちらを窺って小和に手を振った。
学校で会った時のセーラー服も清楚で上品に映ったが、今日はより華やかで、どこか眩く見える。
小和は、咄嗟のことですっかり強張ってしまった体を、ハッと動かして、ぎこちなくお辞儀を返した。
「ご、ご心配をおかけしました、すみません」
「いえいえ、そんな」
「そうですわ、頭を上げて下さいませ。謝ることではありませんわ。でも良かった、ご快復なさって。私、あれからずっと、小和さんにまたお会いしたかったの」
ミルクのような、そのなめらかな声を震わせて、増穂は小和に近寄って、その白皙の指で小和の手をとる。小和は、心臓が跳ねるのを耳で感じた。それが、増穂から感じる眩しさからなのか、それとも、二階に御堂がいる不安からなのか、分からない。
「せんせ、こちらは?」
ちかが、楽しそうに笹岡に訊ねた。増穂のことだろう。表から戻って接客をしていた奈緒も、こちらの様子をそれとなく窺っている。
笹岡は、ちかから水を受け取りながら、答えた。
「舘川さんは、学年でも一等成績の優秀な方なんです。僕の授業も、与太話まで楽しそうに聞いているんですよ。それで、前から僕がよく話すこちらのお店に、行ってみたいと仰っていて。今日は連れてきました。運良く小和さんにも会えて良かった」
「小和さんとは一度、先生の資料室でお会いしたんです」
ね、と増穂が頬笑む。小和は、とられた手をそのままに、とりあえず席を勧めた。動悸を落ち着かせるためにも、そのまま給仕につこうとして、今度は奈緒に止められる。
「いいから、それより荷物を片付けて、二階の方に一度顔を出してきなさい。送っていただいたんでしょう?」
言われて、小和はまだ荷物を御堂に預けたままだったことを思い出した。さ、と血の気が引く。
「は、はい! すみません、失礼します!」
「小和がそんなに慌てるのも、珍しいわね」
小和が早足で店の二階に向かうと、転ばないようにね、と奈緒が笑った。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~
菱沼あゆ
キャラ文芸
令和のはじめ。
めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。
同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。
酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。
休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。
職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。
おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。
庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。
事故物件ガール
まさみ
ライト文芸
「他殺・自殺・その他。ご利用の際は該当事故物件のグレード表をご覧ください、報酬額は応相談」
巻波 南(まきなみ・みなみ)27歳、職業はフリーター兼事故物件クリーナー。
事故物件には二人目以降告知義務が発生しない。
その盲点を突き、様々な事件や事故が起きて入居者が埋まらない部屋に引っ越しては履歴を浄めてきた彼女が、新しく足を踏み入れたのは女性の幽霊がでるアパート。
当初ベランダで事故死したと思われた前の住人の幽霊は、南の夢枕に立って『コロサレタ』と告げる。
犯人はアパートの中にいる―……?
南はバイト先のコンビニの常連である、男子高校生の黛 隼人(まゆずみ・はやと)と組み、前の住人・ヒカリの死の真相を調べ始めるのだが……
恋愛/ТL/NL/年の差/高校生(17)×フリーター(27)
スラップスティックヒューマンコメディ、オカルト風味。
イラスト:がちゃ@お絵描き(@gcp358)様
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる