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29日目②

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 痛みというよりはヒリヒリした疼きを持つ頬を片手で押さえながら、私は自室へと戻った。

「…………リジーが居ない」
「ええ。お父様のところに行かせたから」

 扉を開けた途端に、可愛いリジーがお出迎えしてくれると思いきや、すでにここへ来ていた母様からそんなことを言われてしまった。

 ビンタされたことより、リジーを取られてしまったことのほうが正直言って、かなり悔しい。今こそ、彼女の癒しが必要だったのに。

「まぁ、リジーのことは諦めなさい。夕食前にはちゃんとここへ戻ってくるんですから。それから頬ずりするなり、なでなでするなり、お好きになさい。ミリア、それより早く頬を冷やしましょう」
「……………はい」

 リジーのことで一瞬忘れていた。けれど、母様から言われて、再び頬がヒリヒリと疼きだした。でも、そこまで痛みは無い。 

 なのに母様は強引に私をベッドに座らせると、豪快に湿布薬を塗り込み、そして張り付けた。………どうでも良いことかもしれないけれど、手首の捻挫の時より、重症扱いだ。これ如何に?

「母様、そんなに念入りにしなくても大丈夫よ。痛みなんて全然ないし」
「何言ってるの。あなたの為に手当てするんじゃないの。これはお父様の為」
「は?」
「【は?】じゃありません。ミリア、口を閉じて。手当てができないでしょ。…………そう。大人しくしてなさい」

 ぴしゃりと言われて私は、素直に口を閉じた。

 でも頭の中は混乱を極めている。そして、『何故、父上の為?』という疑問はしっかり顔に出ていたようで、母様はため息を付きながら口を開いた。

「あの人ったら、いつかやるとは思っていたけれど、まさかこんな時にやらかすとはね…………。そして今頃、全力で後悔しているわ、きっと。間違いなく滝に打たれてるわ」
「……………………ん?」
「あら?ミリア気づいてなかったの?お父様はあなたを溺愛しているわ。まぁ………恐ろしいほど不器用ですけどね。そして滝に打たれるのは、反省の意味もあるけれど、泣くのを見られたくないからなのよ」

 いや、父上の滝に打たれる理由、そんなあっさり吐露しちゃって良いの!?結構な個人情報だと思うけれど。

 あと、父上の病的な支配欲を不器用な愛という言葉に変換する母様が、ちょっと遠く感じてしまう。

「ミリア、あなたすごい顔しているわよ。ふふっ、まぁ、あなたにとったらお父様は、クソウザい父親でしかなかったかもしれないわね。でも、あなたが生まれた時、お父様はあなたを抱き上げて号泣したのよ。『こんなに可愛いのに、いつか嫁いでしまうなんて』って」
「…………………」
「本当にもう、泣いて泣いて…………あなたまで釣られて泣き始めて………今でもあの時を思い出したら、騒音で頭痛がするわ」

 自分の子供と夫を騒音扱いする母さまに、少々物申したい。

 でも母様は私を産み終えた後、疲労困憊だったはず。そんな中、獣の咆哮のような鳴き声と、甲高い子供の泣き声をくらったのだ。たまったもんじゃなかっただろう。

 そんな私の心中をよそに、母様は語り続ける。

「それから、あなたが危険な目に合わないように必死に先手を打っていたのよ。だから、毎回毎回、長期で留守をするときにはあなたにだけ、必ず手紙を書いていたでしょ?男女交際禁止に夜会禁止って」
「………………」

 私の頬の手当てはとっくに終わっている。

 だからもう口を開いても怒られない。でも、私はきゅっとスカートの裾を握りしめて、俯いてしまった。

 知らなかった。父上がそんなふうに私のことを思っていてくれたなんて。…………ってうか、父上、極端すぎるだろ。ぶっちゃけ、あの軍事規則のような手紙を愛情と受け止めるには、私には不可能だ。アレだよアレ、ディアガペイエフの暗号より難易度が高い。高すぎる。

 ────なんてことを言いたい。言いたいけれど、なんか喉がつかえて、うまく言葉にできなかった。その代わり、母様のドレスの袖を握って、ちょっとだけ憎まれ口をたたいてみる。

「ねえ…………母様」
「なあに?ミリア」
「私、玉の輿に乗れなくてごめんなさい」

 瞬間、母様はなぜか、大爆笑をした。

「ふふっ。もう、何を言い出すかと思えば、そんなこと?あのね、私があなたと、ロフィ家との縁談を進めたのは、アイリの教え子だったからよ?」
「へ?」

 間抜けな声を出した私だったけれど、すぐに母様の腕をぶんぶん揺すりながら真相を確かめる。

「ねえ、母様。もしかして、アイリってアイリーンさんのこと!?」
「ええ、そうよ。もうかれこれ10年近く親交があるのよ」
「うそ!?」

 いろんな感情が混ざった私の叫びは綺麗にスルーされた。でも母様は、ちょっとだけ煩いと言いながら顔をしかめてくれた。そして、呆れた顔をしながら淡々と語り始めた。

「レオナード様は公爵家といっても、もとは軍人の家系だからあなたと話も合うだろうし、何よりアイリがわが子のように教育した男の子なら、そこら辺の男の子よりは少しはマシだと思ったのよ」
「…………母様、ちょっと私、与えられた情報が多すぎて混乱しているわ」

 そう、もう混乱しすぎて、えずきそうだ。

 思わず、うっとせりあがって来たものを抑え込むように両手で口を押えた瞬間、母様から容赦ない言葉が飛んできた。

「あとミリア、あなたの愛用のソロバンより、私が使っているソロバンの方が使いやすいから、後で取りに来なさい」
「ん?」
「【ん?】じゃありません。ナナリーちゃんの嫁ぎ先の病院で、経営のお手伝いをするんでしょ?」
「んん!?」

 目をひん剝いて再び大声を出した私に、母様は机を軽く指さしながらこう言った。

「手紙、あんなところに置きっぱなしにして。それをたまたま目にしたリジーが驚いて、驚きすぎて泣いてしまったのよ。まったく、なだめるのに大変だったわ」
「…………ごめんなさい」

 親を騙したことより、リジーを泣かしたことの方が罪が重いようだ。もちろん、私も同感なので、ここは素直に謝罪する。

 そうすれば、母様は深く頷いてくれた。そして、表情を柔らかくして、静かな声音で問いかける。

「荷造りは終わったの?」

 こくりと私が頷けば、母様は、そう、と短く返事をして私の頭をなでてくれた。そして、そのままふわりと私を抱きしめて、こう言ってくれた。

「ミリア、この部屋はずっとこのままにしておくわ。だから、辛くなったらいつでも戻ってきなさいね」と。

 ちなみに吐き気はショック療法でどこかに吹き飛んでいた。
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