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24日目⑦
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レオナードに向けて悪態を付いていた私だったけれど、いつのまにかヒートアップして気付けば彼に渾身の力で、廻し蹴りをお見舞いしていた。そして『この愚か者っ。今すぐ生まれ直して来いっ』と罵倒していた。
………もちろんそれは全て脳内でのこと。ただその思考は留まることを知らず、今度は私自らレオナードを生まれ直すべく鉄槌を下そうとした。けれど、それは再び着席したアイリーンさんの声で未遂に終わった。
「────急に席を外して失礼しました。………あの、えっと………ミリアさま、お話してもよろしいでしょうか?」
「…………え?あ?は、はいっ」
恐る恐るというよりも、怖々といった感じのアイリーンさんの声で、自分が鬼の形相になっていたことを知る。
慌てて取って付けたような笑みを浮かべて、アイリーンさんに、どうぞどうぞと話の続きを促せば、彼女は手にしていた本を2冊、私に差し出した。
「あの?………これは………」
条件反射で受け取ってしまったけれど、これまでの話から、本を差し出されるという流れは予測できなかったので思わず首を傾げてしまう。
そしてこれをどうして良いのかわからず、中途半端に持ち上げたままの私の手を、アイリーンさんはそっと押した。
「受け取ってください。多分役に立つと思います」
「…………はぁ」
何の?そんな疑問を抱えながら、曖昧な返事をして受け取った本の表紙を見る。そのタイトルは、どうやら旅行記のようだった。残りの一つは何だろう。けれど、それを確認する前にアイリーンさんが教えてくれた。
「あなたが渡航しようとしている国の旅行記と、辞書ですよ」
「………………っ」
驚きのあまり息を呑む。
そして、様々な感情が浮かび上がったけれど、大混乱を起こした私は、何一つ言葉にできず、ぱくぱくと餌を求めるフナのように口を動かすことしかできない。そんな私に、アイリーンさんはふわりと笑った。
「実はね、家庭教師を引退したら、ここに行こうと思っていたんです。でも結局、実行には移せませんでしたけれど。知識だけしかありませんが、あなたが行こうと思っているその国は、とても素敵なところですよ。………少し古いものですが、言語なんてそう大幅に変わるものじゃないから、きっとこの辞書は役に立つと思います。それと旅行記は、あの国の文化や風習が書かれているものですから、良かったら参考にして下さい」
流れるようなアイリーンさんの言葉は、全て私にとって驚くことばかりだ。
そしてまた気付いてしまう。アイリーンさんは私とレオナードの関係を知っているし、私達の目論見すらも知っているのだ………多分。なのに、それを咎めることも、叱ることもせず、ただ私の未来を応援してくれている。沢山の人を騙して、自分勝手なことをしようとしているのに。
ああ、全てにおいて、この人は規格外の大人だ。そんな雲の上の人に向かって、私はこんなありきたりな言葉しか出てこない。
「……………あの、あ、ありがとうございます」
「いいえ、お礼なんていらないです、ミリアさま。これは、お見舞いのお礼なんですから」
「え?」
茶目っ気のある口調に、いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げる。そうすれば、にっこりと少女のように笑うアイリーンさんと目が合った。
「今日、私があなたをお招きしたのは、これを渡したかったからなんです。……………まぁ、何だかんだと本題に入るのが遅くなってしまいましたが。改めて、お見舞いの品、とても嬉しかったです。ありがとうございました。…………ふふっ。バスケットに入ったプレゼントなんて何年ぶりかしら?ピンク色のリボンも可愛かったし、シロップもとっても美味しかったわ。それに、素敵なリネンもありがとう」
「いえ、そんな…………」
勿体ない言葉に、慌てて首を横に振る。
それに、この言葉を受け取るのは、私ではなく、レオナードのはずなのに。そんな気持ちも込めて、更に強く首を横に振れば、アイリーンさんはその全てを打ち消すように、ゆっくりと首を横に振った。
「本当に、嬉しかったわ。風邪なんて、厄介なものでしかないと思っていたけれど、こんな素敵な贈り物を貰えるなら、たまには悪くないものですね。………本当は、ここにあるものは、ほとんど処分して故郷に戻ろうと思っていたんです。でも、あなたからの贈り物は、故郷に持って帰ります」
「………………」
ほとんどを処分して故郷に帰る。
そう紡いだアイリーンさんのその言葉の中には、きっとレオナードとの思い出も処分すると伝えたかったのだろう。
その言葉を聞いて、アイリーンさんがきれいさっぱり、これっぽちもレオナードに未練がないことを悟ってしまった。
…………もう少しだけ、待っててあげて下さい。あの人に猶予を与えてください。
そんな言葉が喉までせり上がった。でも、それを口にしてはいけないことを私はわかっている。
だから私は、きゅっと、本を胸に抱きしめて、沢山の言葉を飲み込んだ。そして、私が口にできる唯一の言葉、ありがとうだけを、もう一度口にして、アイリーンさんに深く頭を下げた。
その後は、この長い話を締めくくるように、アイリーンさんは。お茶のお代わりを淹れますねと言って静かに席を立った。
一人になった私は、無性に泣きたいような、叫びだしたくなるような衝動にかられ、気持ちを散らそうと貰ったばかりの辞書を手に取った。そして、パラパラとページをめくる。何気なく手を止めた先に飛び込んだ文字はとても皮肉なものだった。
物事を明らかにして、真実を見極める。これは諦めるの語源………らしい。
もし仮にこの辞書の書いてある通りだとすれば、レオナードは、この一か月、自分の恋の終止符を打つために悪戦苦闘していたということになる。
そして私は彼の恋を終わらす手伝いをずっとしていたことになる。
最悪だ…………。私もレオナードも何一つこんなことを望んでいなかったのに。真実はいつだって正しいけれど、優しくはない。
………もちろんそれは全て脳内でのこと。ただその思考は留まることを知らず、今度は私自らレオナードを生まれ直すべく鉄槌を下そうとした。けれど、それは再び着席したアイリーンさんの声で未遂に終わった。
「────急に席を外して失礼しました。………あの、えっと………ミリアさま、お話してもよろしいでしょうか?」
「…………え?あ?は、はいっ」
恐る恐るというよりも、怖々といった感じのアイリーンさんの声で、自分が鬼の形相になっていたことを知る。
慌てて取って付けたような笑みを浮かべて、アイリーンさんに、どうぞどうぞと話の続きを促せば、彼女は手にしていた本を2冊、私に差し出した。
「あの?………これは………」
条件反射で受け取ってしまったけれど、これまでの話から、本を差し出されるという流れは予測できなかったので思わず首を傾げてしまう。
そしてこれをどうして良いのかわからず、中途半端に持ち上げたままの私の手を、アイリーンさんはそっと押した。
「受け取ってください。多分役に立つと思います」
「…………はぁ」
何の?そんな疑問を抱えながら、曖昧な返事をして受け取った本の表紙を見る。そのタイトルは、どうやら旅行記のようだった。残りの一つは何だろう。けれど、それを確認する前にアイリーンさんが教えてくれた。
「あなたが渡航しようとしている国の旅行記と、辞書ですよ」
「………………っ」
驚きのあまり息を呑む。
そして、様々な感情が浮かび上がったけれど、大混乱を起こした私は、何一つ言葉にできず、ぱくぱくと餌を求めるフナのように口を動かすことしかできない。そんな私に、アイリーンさんはふわりと笑った。
「実はね、家庭教師を引退したら、ここに行こうと思っていたんです。でも結局、実行には移せませんでしたけれど。知識だけしかありませんが、あなたが行こうと思っているその国は、とても素敵なところですよ。………少し古いものですが、言語なんてそう大幅に変わるものじゃないから、きっとこの辞書は役に立つと思います。それと旅行記は、あの国の文化や風習が書かれているものですから、良かったら参考にして下さい」
流れるようなアイリーンさんの言葉は、全て私にとって驚くことばかりだ。
そしてまた気付いてしまう。アイリーンさんは私とレオナードの関係を知っているし、私達の目論見すらも知っているのだ………多分。なのに、それを咎めることも、叱ることもせず、ただ私の未来を応援してくれている。沢山の人を騙して、自分勝手なことをしようとしているのに。
ああ、全てにおいて、この人は規格外の大人だ。そんな雲の上の人に向かって、私はこんなありきたりな言葉しか出てこない。
「……………あの、あ、ありがとうございます」
「いいえ、お礼なんていらないです、ミリアさま。これは、お見舞いのお礼なんですから」
「え?」
茶目っ気のある口調に、いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げる。そうすれば、にっこりと少女のように笑うアイリーンさんと目が合った。
「今日、私があなたをお招きしたのは、これを渡したかったからなんです。……………まぁ、何だかんだと本題に入るのが遅くなってしまいましたが。改めて、お見舞いの品、とても嬉しかったです。ありがとうございました。…………ふふっ。バスケットに入ったプレゼントなんて何年ぶりかしら?ピンク色のリボンも可愛かったし、シロップもとっても美味しかったわ。それに、素敵なリネンもありがとう」
「いえ、そんな…………」
勿体ない言葉に、慌てて首を横に振る。
それに、この言葉を受け取るのは、私ではなく、レオナードのはずなのに。そんな気持ちも込めて、更に強く首を横に振れば、アイリーンさんはその全てを打ち消すように、ゆっくりと首を横に振った。
「本当に、嬉しかったわ。風邪なんて、厄介なものでしかないと思っていたけれど、こんな素敵な贈り物を貰えるなら、たまには悪くないものですね。………本当は、ここにあるものは、ほとんど処分して故郷に戻ろうと思っていたんです。でも、あなたからの贈り物は、故郷に持って帰ります」
「………………」
ほとんどを処分して故郷に帰る。
そう紡いだアイリーンさんのその言葉の中には、きっとレオナードとの思い出も処分すると伝えたかったのだろう。
その言葉を聞いて、アイリーンさんがきれいさっぱり、これっぽちもレオナードに未練がないことを悟ってしまった。
…………もう少しだけ、待っててあげて下さい。あの人に猶予を与えてください。
そんな言葉が喉までせり上がった。でも、それを口にしてはいけないことを私はわかっている。
だから私は、きゅっと、本を胸に抱きしめて、沢山の言葉を飲み込んだ。そして、私が口にできる唯一の言葉、ありがとうだけを、もう一度口にして、アイリーンさんに深く頭を下げた。
その後は、この長い話を締めくくるように、アイリーンさんは。お茶のお代わりを淹れますねと言って静かに席を立った。
一人になった私は、無性に泣きたいような、叫びだしたくなるような衝動にかられ、気持ちを散らそうと貰ったばかりの辞書を手に取った。そして、パラパラとページをめくる。何気なく手を止めた先に飛び込んだ文字はとても皮肉なものだった。
物事を明らかにして、真実を見極める。これは諦めるの語源………らしい。
もし仮にこの辞書の書いてある通りだとすれば、レオナードは、この一か月、自分の恋の終止符を打つために悪戦苦闘していたということになる。
そして私は彼の恋を終わらす手伝いをずっとしていたことになる。
最悪だ…………。私もレオナードも何一つこんなことを望んでいなかったのに。真実はいつだって正しいけれど、優しくはない。
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