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20日目③

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 ゴミはゴミ箱に。という標語があるように、このゴミのような質問も、燃やして灰にして聞かなかったことにしようかと本気で思う。けれど、私の思考を読んだかのように、レオナードの瞳が猫のように細くなった。

 価値観は人それぞれにある。この質問、レオナードにとったら、かなり重要なことなのだろう。

 内心、クソどうでもいいと思いつつも彼の質問に答えることにする。まぁ.........要は、アイリーンさんを手段を選ばずに口説いても良いか?と聞いているのだろう。それならこの質問の答えは一つしかない。

「それは私が決めることじゃないわ、レオナード。口説く相手がどう受け止めるかが大事でしょ?アイリーンさんと私は同じ性別だけれど、こういう繊細な部分は安易に答えられないわ」
 
 呆れた口調でそう答えれば、レオナードは静かに首を横に振った。

「いや。今は君に質問している。ミリア嬢、君ならどう思う?正攻法以外で口説かれて、君は恋に落ちると思うか?」
「………………さあ。私、どこからが正攻法で、どこまでが騙し討ちなのかわからないわ」

 愚門すぎるその問いに、一応ちょっとだけ考えてみた。でも、答えはこれしか出なかった。っていうか、なぜそんなことを私に聞くのだろう。ああ、そっかぁ.........それ程までにレオナードは追い詰められているということか。

 そんな気持ちから労りの眼差しをレオナードに向ければ、彼はがっくりと肩を落としてしまっていた。

 答え方を間違ってしまったようだ。よくよく考えれば、アイリーンさんを口説くのに機嫌はあと10日。しかも私は思わぬトラブルで2、3日はレオナードと会えないのだ。その間、彼は私をダシにしてアイリーンさんに会いに行くこともできない。だから今は少しでも恋愛関係の知識が欲しいのだろう。

 そう思ったら申し訳なさが倍増してしまい、私は罪悪感から必死に彼へのエールを絞り出すことにした。

「えっとね、レオナード。私は恋愛に疎いから、気の利いたアドバイスはできないわ。でも、どんな方法でもその人が恋に落ちたなら、それは正攻法になると思うの。だから気を落とさないで」
「………………本当に、君はそう思っているのか?」
 
 言葉だけを受け取れば、勘繰りを入れているように聞こえる。けれど、レオナードの表情はとても不安そうで、まるで私に縋っているかのよう。だから、私は余計なことは口にせず、ただただ黙って頷いた。もちろん微笑んで。

 そうすれば、やっとレオナードは、ほっとしたような笑みを浮かべてくれた。

 良かった。やっぱり短い時間とはいえ、一回ぐらいはレオナードの笑顔を見たかった。やっぱり仏頂面でお別れをするのは寂しいものだ。

 そんな気持ちから笑みを浮かべた私に、レオナードは懐から小さな包みを取りだした。

「ミリア嬢、我が家のシェフティエからの救援物資と思って受け取ってほしい。少量ではあるが、完成度は高いクッキーだ」

 レオナードの手のひらに乗っているそれは、水色の柔らかい包装紙に黄色のリボン。中身もさることながらそのラッピングの可愛さに思わず受け取れば、以外に大きかった。多分、レオナードの手が大きいから、そう見えたのだ。

 そんな小さな発見に気付いた途端、馬車は静かに停車した。我が家に到着したのだ。

「レオナード、送ってくれてありがとう。やっぱり、あなたとちゃんと話ができて良かったわ」
「ああ。私も君と少しでも会話ができる時間ができて良かった」

 御者が扉を開ける直前にそんな会話をして、私は馬車を降りる。そしてお互い小さく頷き合う。

  「じゃあ、また会いましょう。レオナード」
  「ああ、必ず。検討を祈る」

 まるで今生の別れのような言葉を口にしたレオナードは、表情までも悲痛なものだった。公爵家のお坊ちゃまをそんな顔にさせてしまい胸が痛い。でも、その悲壮な表情、本当の病人みたいで良いかもと思ってしまったことは、私だけの秘密として墓場まで持っていくつもりだ。

 そんなことを考えながらレオナードを見送った私は、彼の馬車が見えなくなった途端、自室へとダッシュした。


 そして私は髪を振り乱しながら、大急ぎで部屋の片づけをして、母様と打ち合わせをして、殺気ムンムンに兄二人にしっかりと余計なことは口にするなと言い含め.........父上を迎える為の全ての準備を整えることができた。

 ─────それから1時間後。 

 晴天だった空が、一気に灰色の雲に覆われた。遠くで雷が鳴っている。そしてそれはどんどんこちらに近づいてくる。

 そんな嵐の前兆のような天候の中、巨大な馬に跨った額に傷がある厳つい男………いやいや、父上が我が家に足を踏み入れた。

「おかえりなさいませ」

 玄関扉が開いた瞬間、屋敷の住人一同がきっちり礼を取る。

 もちろんその中に私もいる。修道女のような衿の詰まった紺色のドレスに着替えて。そして、この華やかさと着心地の良さが皆無なこの衣装は、父上がいる間、私の普段着となってしまうのだ。

 亭主元気で留守が良い。なんていう古いキャッチフレーズを思い出しながら爪先を見つめれば、野太い声が玄関ホームに響いた。

  「今、戻った」

 よく言えば威厳のある声。悪く言えば逆らうことができない威圧的な声。ここにいる全員に向けて発したものとはわかるけれど、その声を聞くだけで、見えない手枷足枷が付けられたような気分になってしまう。

 そんなテンションだだ下がりの私の元に、足音が近付いて来た。 

「ミリア、ロフィ卿から聞いた。お前、そこの長男と婚約をしたそうだな。………私の承諾もなく、勝手な真似をしたな」
「………………」

 ここで顔を上げる勇気は残念ながら持ち合わせていない。腰を折る角度を更に深くして、一先ずやり過ごすことを選ぶ。そして、しばらくの間のあと、声の主こと、父上は再び口を開いた。 

「まぁ良い。話は、明日聞く」

 そう言い捨てて父上が何処かに去っていった途端、激しい雨が降り出した。

 玄関ホームの窓を叩き付ける大粒の滴を見つめながら、私は早速、クソジジイと悪態を付いてみる。

 さてこの天候、これは私の未来を表すものなのだろうか。それとも、ここでポジティブに雨降って地固まる的なことを期待するのは、愚かなことなのだろうか。
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