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1日目③

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 このまま一生震えていろ、と心の中で吐き捨てて、私は口元だけ笑みを浮かべながら、彼に向かって口を開いた。

「偽装婚約………ものの見事に貴方様にとって、都合の良いシナリオでございますね」
「………その自覚はある」

 震えながらも、私の言葉に返事をする彼の勇気は褒めるところだ。
 
「で、貴方様にとって都合の良いシナリオの為に、わたくしは公爵家に弄ばれた可哀そうな男爵令嬢を演じろと?インチキ令嬢という何とも嬉しくない肩書に、傷モノという看板まで背負わす気ですか?」
「………ああ。だが、タダでとは言わない」

 ん?ちょっと、待て。最後の言葉が引っかかる。

「タダではないと?」
「ああ。報酬は言い値で払う。いや、金だけではなく、そこは誠意を持って対応する」

 ………どうしよう。ものっすごく、この話が魅力的に思えてきた。

 実は私、今回のお見合いを断られたのを口実に傷心旅行と題して、異国の旧友に会いに行くつもりだった。いや嘘を付いた。旧友が居る地に、帰国めどがない旅行、つまり永住するつもりでいた。

 ぶっちゃけ私、もうこの腐った階級制度の貴族社会はうんざりしているのだ。

 ちなみに旧友であり親友であり唯一の友人である彼女の名前は、ナナリー。母の実家の隣にある菓子屋の娘さんで、現在彼女は医者の若奥様として海を挟んだ大陸で、階級社会ではなく実力社会の中、新婚生活を楽しんでいるのだ。

 そんな蜜月のお二人の元にお邪魔する私は、まごうこと無きお邪魔虫なのだが、もちろんナナリーとその旦那様からは承諾は得ているし、商家から嫁いだ母さまに鍛えられた、会計能力で事業を手伝って欲しいというお願いまで受けている。

 ただ、渡航費に、海を渡ってからの当面の生活費、その他諸々出費は避けられない状態で、費用を工面するのが目下私の悩みだったりもする。

 その悩みが、レオナードのこの言葉で解決されようとしているのだ。

「………期間はいつまでですか?」

 探るように問うた私の声音に、レオナードは脈ありと判断したのだろう。きりっと居ずまいを正した。

「1ヶ月。もしかしたら、もっと短くなるかもしれない。ただ、延長は絶対に無い」

 長すぎることのない期間に、心の天秤がものすごい音を立ててグラグラと揺れる。しかし、決心するのにはまだ足りない。というか、ここでちょっと気になることがある。

「で、この1ヶ月後、あなたはまた別の女性とお見合いでもして、偽装婚約をするのですか?」

 ふと胸に沸いた疑問をそのまま口にすれば、レオナードは静かに首を横に振った。

「いいや、一ヶ月後、駆け落ちをする。だから今後、お見合いもしなければ、君との契約に延長もない」

 ………………思わず、咽てしまった。

 そして、再び湧いた疑問も遠慮なく、ぶつけてみる。

「なんで今すぐ駆け落ちしないのでしょうか?こういうのって、善は急げ又は思い立ったが吉日で、ぐわぁーっと感情のまま突っ走るもんだと思うんだですけど」

 小首を傾げながら問うた私に、レオナードはちょっと寂しそうな笑みを浮かべた。

「ああ、君の言う通りだ。本音を言うならば私も今すぐにでも、駆け落ちを結構したい。だが」
「だが?」
「彼女が同意していない。というか、現状として僕の気持ちに彼女が応えてくれない、云わば私は片思いをしている状態なんだ」
「………………はぁ?」

 付き合ってもいないのに、駆け落ちすると豪語しているが、この人大丈夫なのだろうか。思わず眉間に皺を寄せてしまう。隠すつもりはないので、それはレオナードの視界に入るのも当然で、彼は何故か気を悪くするところが、乱れた襟元を直しながら、不敵な笑みを浮かべた。

「彼女の心も射止めることもしないまま、駆け落ちするなんて愚の骨頂だと笑いたいんだね。いいさ、笑えば。っておい、本当に笑うな。いいか、今までは、私は本気を出していなかっただけだ。だが、これからは本気で彼女を口説く。そして、駆け落ちして身分など捕らわれない穏やかな地で彼女とささやかだが、平穏な日々を過ごすつもりだ」

 要約すれば、自分はやればできる子と言いたいのだろう。

 でも、このお坊ちゃまは知らないのだ。やればできる子とは、まだまだ伸びしろがある人を刺す言葉だと思っているが、本当は、傍から見たら痛々しい人間に使う言葉。まぁぶっちゃけ、相手をけなす趣旨のこめられた言葉であるのだ。

 だが、さすがにそれは口に出すべきことではないだろう。いろいろ思うところはあるが、グッジョブと親指を立ててエールを贈ることにする。

 そうすれば、彼は素直に受け取ったのだろう。少し身を前に乗り出しながら、揚々と口を開いた。

「まぁ、君に求めるのは、簡単なこと。私の婚約者として毎日ここに来てくれればいい。それ以上は何も求めない」

 めっちゃ仕事内容、楽!天秤がイイ感じに傾いていく。そしてその気持ちは思いっきり顔に出てしまっていたのだろう。レオナードはこの期を逃がさんばかりに、すかさず口を開いた。

「契約期間は我が家のシェフの菓子が食べ放題だ。言っておくが、ここに並べられている菓子は氷山の一角にしか過ぎない。ふっ、ほんの序の口だ。どうだ、ミリア嬢、本気のシェフのスウィーツを食べてみたくないか?」

 悔しいけれど、レオナードの抗えない一手に私は、頷くことしかできなかった。
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