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寄り道の章

イケメンに疑われました

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 ナギは片手で顔を覆ったまま微動だにしない。……どうやら私はうっかり失言をしてしまったらしい。

 僅かな望みとして、ただ単にナギが急に具合が悪くなったという可能性も無きにしも非ずだが……。いや待って、それはそれで問題だ。

 今、この屋敷で安心して接することができるのはナギしかいない。大問題だ、早々に休んで貰わなければならない。

 慌てて介抱しようと私が手を伸ばすが、ほぼ同時にナギが口を開いた。

「瑠璃さま、先ほどシュウトさまは辛いことが沢山あり、それを今でも抱えている、とおっしゃっておりましたが…」

 指の隙間からじろりと私を睨みながら口を開いたナギは、しっかりとした口調だった。体調は問題なさそうだ。ただ、先程までの柔和な笑みは消え失せていて、強いて言えば機嫌が悪そうだ。

 とりあえず、伸ばした手を元に戻して安堵の息をつく。これはナギが体調不良だったわけでもなく、私の失言も大したことがなかったという安堵からくるもの。

 それと先ほどナギに言ったことは、全て私の推測に過ぎない。だから私は、あまり深く考えず口を開いてしまった。

「だって、シュウトは人には言えない事情があって、こんな人里離れたところで、ひっそりと住んでいるのでしょ?もしかして、家督争いとかで、家を追い出されたのかしら。それとも他に後継者がいて、その人の為に家を自分から出たのかなって────……えっと、ナギさん、なにか怒っていらっしゃる…の……かなぁ?」

 私の語尾はだんだん弱くなり、最後の一言は自分でも聞こえない程の小さなものになっていた。

 なぜなら、ナギは私がしゃべればしゃべる程、眼光に鋭さを増していくからだ。今なら眼光だけで切り捨てられてしまう程に瞳の奥が冷たく刺すように光っている。その眼で射られると心も体も委縮してしまう。

 普段のナギは口調は厳しいが温かい人だ。
 しっかりご飯を食べなさいとか、薄着で外に出てはいけませんとか、小言は流れるように出てくるけれど訳もなく叱ったり、こちらの反応を楽しむような意地悪など一切しない。

 そのナギが私に強い眼差しを向けている。そして、私はこの視線がどういう種類なのかを知っている、嫌疑の視線だ。ナギは私のことを間者か何かだと勘違いしているのだ。

「随分と具体的なことをおっしゃいますね」

 無理をして笑おうとしたのか、ナギは口元だけを歪めてそう言った。けれどナギの声は震えていた。それは、怒りと戸惑いで、やっとこの一言だけを搾り出したようだった。

「え?あ、ただ……推測で言っただけです。よくある話かなって思っただけで、本当に何も考えてなかったんです」
「よくある?これはまた面白い、どこでそんな家督争いなどという由々しき事態が頻繁に起こっているのでしょうか」
「………………どこでしょうね……」

 突然、表情の変わったナギに怯え、私は慌てて誤解を解こうとするが、手遅れのようだ。凝り固まった疑心は、そう簡単に解けることはない。

 迂闊だった。ただ私の知っている歴史あるあるを語っただけのつもりだった。けれど、ここは異世界だったのだ。日本での当たり前は、ここでは通用しない。

 後悔先に立たず。適当に口にしただけでも、取り返しのつかないことになってしまうことを今、気付いてしまった。

 そして追い打ちをかけるように風神さんの言葉が蘇る。

【要注意人物だから、深入りしないでね】

 だいぶ端折はしょってしまったけど、風神さんは間違いなくそう言った。

 あれだけ注意されたはずなのに、見事にクリーンヒットをかましてしまった私は救いようのない愚か者だ。

 不可抗力とはいえ、私はどうやらやらかしてしまったようである。

 焦る私を、ナギは無言で睨み続けている。今ここで横向いて口笛吹いてみたら、あるいは聞かれてもいないことを勝手に話し出してみたら───間違いなく、火に油を注ぐことになる。そして、私一人、消し炭になること間違いない。

 どうしよう、もう詰んだなコレと頭を抱える私に突如、一筋の光が差し込んだ。

 それは、風神さんからの助言でもなく、シュウトの乱入でもなく……私の短い高校生活で得たものだった。



『え?カレシに浮気がばれたぁ?あー大丈夫、大丈夫。ちょっと事実を混ぜて誤魔化せば、乗り切れるっしょ』



 ────もちろん、私が言ったわけでもなく言われたわけでもない。ついでに言うと、カレシなんていた事もない私に、浮気なんてあろうはずがない。ただ、級友がしゃべっているのを耳にしただけだった。

 あの時は聞き流していたけど、まさかこんな所でピンチを切り抜けるヒントとして思い出すとは、夢にも思わなかった。

 斜め後ろのナントカさんに、心の中で感謝の言葉を紡ぐ。そして、ビッチと心の中で言ったこともついでに謝罪する。

 さて、練習する暇はない。もう、ぶっつけ本番だ。

 私はえへへっと頭をかき首をかしげた。ちょっと、ぶりっ子でアレンジしてみる。

「あれぇー?本当のことだったの?いやだっ私ったらー最近、内乱を題材にした本ばかり読んでて~そうなのかもしれないって思っただけです。あははっ偶然っ偶然~」

 半分は、本当だ。内乱を舞台にした話の中に、たしかそんな件があった。ウソじゃない。

 とりあえず、やれることはやった。事実を混ぜたし、笑ってごまかしてみた。しかし、ナギの表情は変わらない。いや更に酷くなった。もう殺気がムンムンだ。

 「ほお、偶然ですか。瑠璃殿が、そんなにカンが鋭い人とは……このナギ、思ってもみませんでした」

 はい、私も思っても見ませんでしたと、頷くのを必死で堪える。やっぱり、こんなごまかしではナギに通用しなかった。

「まぁ、今日はそういうことにしておきましょう───……今日は」

 今日という言葉を二回繰り返して、ナギは静かに部屋を出て行った。振り返らないナギの背中に向かって私は心の中で呟く。……そんな二回も言わなくていいのに、と。
 
 ナギが出て行った襖を見つめながら、ふと疑問が浮かぶ。そういえば浮気がばれた級友は、誤魔化しきれたのだろうか、と。もし、成功していたのなら───私のぶりっ子がいけなかったという結論になる。

 今更だけど、なぜ、あんな余計なことをしてしまったのか、慣れないことなどするものではなかった。悔やんでも悔やみきれない。





 そんなことを考えながら私の心の中では、レクイエムがエンドレスで流れている。さて……私、本当に詰んだようだ。

 お遣いをしに来ただけなのに、なぜこうも不測の事態に見舞われるのだろう。

 神様でも何でもいい、明日が来るのをできれば、いつもより遅めにしてほしい。
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