16 / 45
寄り道の章
イケメンに疑われました
しおりを挟む
ナギは片手で顔を覆ったまま微動だにしない。……どうやら私はうっかり失言をしてしまったらしい。
僅かな望みとして、ただ単にナギが急に具合が悪くなったという可能性も無きにしも非ずだが……。いや待って、それはそれで問題だ。
今、この屋敷で安心して接することができるのはナギしかいない。大問題だ、早々に休んで貰わなければならない。
慌てて介抱しようと私が手を伸ばすが、ほぼ同時にナギが口を開いた。
「瑠璃さま、先ほどシュウトさまは辛いことが沢山あり、それを今でも抱えている、とおっしゃっておりましたが…」
指の隙間からじろりと私を睨みながら口を開いたナギは、しっかりとした口調だった。体調は問題なさそうだ。ただ、先程までの柔和な笑みは消え失せていて、強いて言えば機嫌が悪そうだ。
とりあえず、伸ばした手を元に戻して安堵の息をつく。これはナギが体調不良だったわけでもなく、私の失言も大したことがなかったという安堵からくるもの。
それと先ほどナギに言ったことは、全て私の推測に過ぎない。だから私は、あまり深く考えず口を開いてしまった。
「だって、シュウトは人には言えない事情があって、こんな人里離れたところで、ひっそりと住んでいるのでしょ?もしかして、家督争いとかで、家を追い出されたのかしら。それとも他に後継者がいて、その人の為に家を自分から出たのかなって────……えっと、ナギさん、なにか怒っていらっしゃる…の……かなぁ?」
私の語尾はだんだん弱くなり、最後の一言は自分でも聞こえない程の小さなものになっていた。
なぜなら、ナギは私がしゃべればしゃべる程、眼光に鋭さを増していくからだ。今なら眼光だけで切り捨てられてしまう程に瞳の奥が冷たく刺すように光っている。その眼で射られると心も体も委縮してしまう。
普段のナギは口調は厳しいが温かい人だ。
しっかりご飯を食べなさいとか、薄着で外に出てはいけませんとか、小言は流れるように出てくるけれど訳もなく叱ったり、こちらの反応を楽しむような意地悪など一切しない。
そのナギが私に強い眼差しを向けている。そして、私はこの視線がどういう種類なのかを知っている、嫌疑の視線だ。ナギは私のことを間者か何かだと勘違いしているのだ。
「随分と具体的なことをおっしゃいますね」
無理をして笑おうとしたのか、ナギは口元だけを歪めてそう言った。けれどナギの声は震えていた。それは、怒りと戸惑いで、やっとこの一言だけを搾り出したようだった。
「え?あ、ただ……推測で言っただけです。よくある話かなって思っただけで、本当に何も考えてなかったんです」
「よくある?これはまた面白い、どこでそんな家督争いなどという由々しき事態が頻繁に起こっているのでしょうか」
「………………どこでしょうね……」
突然、表情の変わったナギに怯え、私は慌てて誤解を解こうとするが、手遅れのようだ。凝り固まった疑心は、そう簡単に解けることはない。
迂闊だった。ただ私の知っている歴史あるあるを語っただけのつもりだった。けれど、ここは異世界だったのだ。日本での当たり前は、ここでは通用しない。
後悔先に立たず。適当に口にしただけでも、取り返しのつかないことになってしまうことを今、気付いてしまった。
そして追い打ちをかけるように風神さんの言葉が蘇る。
【要注意人物だから、深入りしないでね】
だいぶ端折ってしまったけど、風神さんは間違いなくそう言った。
あれだけ注意されたはずなのに、見事にクリーンヒットをかましてしまった私は救いようのない愚か者だ。
不可抗力とはいえ、私はどうやらやらかしてしまったようである。
焦る私を、ナギは無言で睨み続けている。今ここで横向いて口笛吹いてみたら、あるいは聞かれてもいないことを勝手に話し出してみたら───間違いなく、火に油を注ぐことになる。そして、私一人、消し炭になること間違いない。
どうしよう、もう詰んだなコレと頭を抱える私に突如、一筋の光が差し込んだ。
それは、風神さんからの助言でもなく、シュウトの乱入でもなく……私の短い高校生活で得たものだった。
『え?カレシに浮気がばれたぁ?あー大丈夫、大丈夫。ちょっと事実を混ぜて誤魔化せば、乗り切れるっしょ』
────もちろん、私が言ったわけでもなく言われたわけでもない。ついでに言うと、カレシなんていた事もない私に、浮気なんてあろうはずがない。ただ、級友がしゃべっているのを耳にしただけだった。
あの時は聞き流していたけど、まさかこんな所でピンチを切り抜けるヒントとして思い出すとは、夢にも思わなかった。
斜め後ろのナントカさんに、心の中で感謝の言葉を紡ぐ。そして、ビッチと心の中で言ったこともついでに謝罪する。
さて、練習する暇はない。もう、ぶっつけ本番だ。
私はえへへっと頭をかき首をかしげた。ちょっと、ぶりっ子でアレンジしてみる。
「あれぇー?本当のことだったの?いやだっ私ったらー最近、内乱を題材にした本ばかり読んでて~そうなのかもしれないって思っただけです。あははっ偶然っ偶然~」
半分は、本当だ。内乱を舞台にした話の中に、たしかそんな件があった。ウソじゃない。
とりあえず、やれることはやった。事実を混ぜたし、笑ってごまかしてみた。しかし、ナギの表情は変わらない。いや更に酷くなった。もう殺気がムンムンだ。
「ほお、偶然ですか。瑠璃殿が、そんなにカンが鋭い人とは……このナギ、思ってもみませんでした」
はい、私も思っても見ませんでしたと、頷くのを必死で堪える。やっぱり、こんなごまかしではナギに通用しなかった。
「まぁ、今日はそういうことにしておきましょう───……今日は」
今日という言葉を二回繰り返して、ナギは静かに部屋を出て行った。振り返らないナギの背中に向かって私は心の中で呟く。……そんな二回も言わなくていいのに、と。
ナギが出て行った襖を見つめながら、ふと疑問が浮かぶ。そういえば浮気がばれた級友は、誤魔化しきれたのだろうか、と。もし、成功していたのなら───私のぶりっ子がいけなかったという結論になる。
今更だけど、なぜ、あんな余計なことをしてしまったのか、慣れないことなどするものではなかった。悔やんでも悔やみきれない。
そんなことを考えながら私の心の中では、レクイエムがエンドレスで流れている。さて……私、本当に詰んだようだ。
お遣いをしに来ただけなのに、なぜこうも不測の事態に見舞われるのだろう。
神様でも何でもいい、明日が来るのをできれば、いつもより遅めにしてほしい。
僅かな望みとして、ただ単にナギが急に具合が悪くなったという可能性も無きにしも非ずだが……。いや待って、それはそれで問題だ。
今、この屋敷で安心して接することができるのはナギしかいない。大問題だ、早々に休んで貰わなければならない。
慌てて介抱しようと私が手を伸ばすが、ほぼ同時にナギが口を開いた。
「瑠璃さま、先ほどシュウトさまは辛いことが沢山あり、それを今でも抱えている、とおっしゃっておりましたが…」
指の隙間からじろりと私を睨みながら口を開いたナギは、しっかりとした口調だった。体調は問題なさそうだ。ただ、先程までの柔和な笑みは消え失せていて、強いて言えば機嫌が悪そうだ。
とりあえず、伸ばした手を元に戻して安堵の息をつく。これはナギが体調不良だったわけでもなく、私の失言も大したことがなかったという安堵からくるもの。
それと先ほどナギに言ったことは、全て私の推測に過ぎない。だから私は、あまり深く考えず口を開いてしまった。
「だって、シュウトは人には言えない事情があって、こんな人里離れたところで、ひっそりと住んでいるのでしょ?もしかして、家督争いとかで、家を追い出されたのかしら。それとも他に後継者がいて、その人の為に家を自分から出たのかなって────……えっと、ナギさん、なにか怒っていらっしゃる…の……かなぁ?」
私の語尾はだんだん弱くなり、最後の一言は自分でも聞こえない程の小さなものになっていた。
なぜなら、ナギは私がしゃべればしゃべる程、眼光に鋭さを増していくからだ。今なら眼光だけで切り捨てられてしまう程に瞳の奥が冷たく刺すように光っている。その眼で射られると心も体も委縮してしまう。
普段のナギは口調は厳しいが温かい人だ。
しっかりご飯を食べなさいとか、薄着で外に出てはいけませんとか、小言は流れるように出てくるけれど訳もなく叱ったり、こちらの反応を楽しむような意地悪など一切しない。
そのナギが私に強い眼差しを向けている。そして、私はこの視線がどういう種類なのかを知っている、嫌疑の視線だ。ナギは私のことを間者か何かだと勘違いしているのだ。
「随分と具体的なことをおっしゃいますね」
無理をして笑おうとしたのか、ナギは口元だけを歪めてそう言った。けれどナギの声は震えていた。それは、怒りと戸惑いで、やっとこの一言だけを搾り出したようだった。
「え?あ、ただ……推測で言っただけです。よくある話かなって思っただけで、本当に何も考えてなかったんです」
「よくある?これはまた面白い、どこでそんな家督争いなどという由々しき事態が頻繁に起こっているのでしょうか」
「………………どこでしょうね……」
突然、表情の変わったナギに怯え、私は慌てて誤解を解こうとするが、手遅れのようだ。凝り固まった疑心は、そう簡単に解けることはない。
迂闊だった。ただ私の知っている歴史あるあるを語っただけのつもりだった。けれど、ここは異世界だったのだ。日本での当たり前は、ここでは通用しない。
後悔先に立たず。適当に口にしただけでも、取り返しのつかないことになってしまうことを今、気付いてしまった。
そして追い打ちをかけるように風神さんの言葉が蘇る。
【要注意人物だから、深入りしないでね】
だいぶ端折ってしまったけど、風神さんは間違いなくそう言った。
あれだけ注意されたはずなのに、見事にクリーンヒットをかましてしまった私は救いようのない愚か者だ。
不可抗力とはいえ、私はどうやらやらかしてしまったようである。
焦る私を、ナギは無言で睨み続けている。今ここで横向いて口笛吹いてみたら、あるいは聞かれてもいないことを勝手に話し出してみたら───間違いなく、火に油を注ぐことになる。そして、私一人、消し炭になること間違いない。
どうしよう、もう詰んだなコレと頭を抱える私に突如、一筋の光が差し込んだ。
それは、風神さんからの助言でもなく、シュウトの乱入でもなく……私の短い高校生活で得たものだった。
『え?カレシに浮気がばれたぁ?あー大丈夫、大丈夫。ちょっと事実を混ぜて誤魔化せば、乗り切れるっしょ』
────もちろん、私が言ったわけでもなく言われたわけでもない。ついでに言うと、カレシなんていた事もない私に、浮気なんてあろうはずがない。ただ、級友がしゃべっているのを耳にしただけだった。
あの時は聞き流していたけど、まさかこんな所でピンチを切り抜けるヒントとして思い出すとは、夢にも思わなかった。
斜め後ろのナントカさんに、心の中で感謝の言葉を紡ぐ。そして、ビッチと心の中で言ったこともついでに謝罪する。
さて、練習する暇はない。もう、ぶっつけ本番だ。
私はえへへっと頭をかき首をかしげた。ちょっと、ぶりっ子でアレンジしてみる。
「あれぇー?本当のことだったの?いやだっ私ったらー最近、内乱を題材にした本ばかり読んでて~そうなのかもしれないって思っただけです。あははっ偶然っ偶然~」
半分は、本当だ。内乱を舞台にした話の中に、たしかそんな件があった。ウソじゃない。
とりあえず、やれることはやった。事実を混ぜたし、笑ってごまかしてみた。しかし、ナギの表情は変わらない。いや更に酷くなった。もう殺気がムンムンだ。
「ほお、偶然ですか。瑠璃殿が、そんなにカンが鋭い人とは……このナギ、思ってもみませんでした」
はい、私も思っても見ませんでしたと、頷くのを必死で堪える。やっぱり、こんなごまかしではナギに通用しなかった。
「まぁ、今日はそういうことにしておきましょう───……今日は」
今日という言葉を二回繰り返して、ナギは静かに部屋を出て行った。振り返らないナギの背中に向かって私は心の中で呟く。……そんな二回も言わなくていいのに、と。
ナギが出て行った襖を見つめながら、ふと疑問が浮かぶ。そういえば浮気がばれた級友は、誤魔化しきれたのだろうか、と。もし、成功していたのなら───私のぶりっ子がいけなかったという結論になる。
今更だけど、なぜ、あんな余計なことをしてしまったのか、慣れないことなどするものではなかった。悔やんでも悔やみきれない。
そんなことを考えながら私の心の中では、レクイエムがエンドレスで流れている。さて……私、本当に詰んだようだ。
お遣いをしに来ただけなのに、なぜこうも不測の事態に見舞われるのだろう。
神様でも何でもいい、明日が来るのをできれば、いつもより遅めにしてほしい。
0
お気に入りに追加
269
あなたにおすすめの小説
行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される
めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」
ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!
テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。
『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。
新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。
アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
運命の歯車が壊れるとき
和泉鷹央
恋愛
戦争に行くから、君とは結婚できない。
恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。
他の投稿サイトでも掲載しております。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる