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私と司令官さまの攻防戦

初体験は痛みを伴うものでした

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 ───なぁ、シンシア。君はどうやったら、私の事を好きになってくれるのだろう。私は、こんなにも君の事を好きなのに………。

 心地よい温もりの中で、そんな言葉が、不意に頭上から降ってきた。

 聞いているこちらが悲しくなってしまう程の切ない声。でも、子供が何かを訴えるようなものではなく、そこには甘さが含まれている。………とても危険な甘さが。

 ああ、私、この声の持ち主を知っている。えっと、誰だっけ?…………なんでだろう、すぐにわかりそうなのに、なかなか思い出せない。

 それがもどかしくて、思わず眉間に皺を寄せる。そうすれば、痛みを堪えるような、微かな呻き声が再び降ってくる。違う、あなたに向けてのものじゃない。というか、あなたって、どなた?

 そう言いたかったけれど、私は、深い深い夢の中に落ちてしまった。





 あれ?私、夕闇の薬草園を歩いている。そして、後ろから同じ歩幅で誰かが歩いている。なんか既視感を覚えるなぁーこの感じ。でも、なんかちょっと違う。

 どこが違うのだろう。あ、そっか。前後が逆だった。

 そう思った途端、背後から感情を殺した硬い声が聞こえる。

『シンシア殿 、私の前を歩くなら、それ相応の覚悟があってのことだろうな』

 怒りというよりは、どこか呆れた感じのその言葉に、ヤバイと本能が警鐘を鳴らす。

 すぐさま全力疾走で距離を取ろうとしたけれど、お腹に強い力を感じて、ふわりと身体が浮く。

『君の覚悟は受け取った。なら、存分に私の鍛錬に付き合ってもらおう』

 横柄なその口調で、後ろにいた人物が司令官さまだったことを知る。

 ああ、そっか。司令官さまは身体を鍛えたくて、私を担いだだけなんだ。って、うわぁぁぁ反対の腕で、ノラも担いでいるよ、このイケメン。

 え?それって、バランス取るためですか?っていうか、私、砂袋扱いされてますよね。でも、一人と一匹を軽々抱えて足場の悪いこの道をしっかりとした足取りで歩けるなんて、マジですごいわ、このイケメン。

 きっと、こういう日々の鍛錬が、司令官さまの鉄板胸板を作ったんだろうな。凄いな。

 そんなことを考えながら、そぉっと視線をあげれば、司令官さまは無表情のまま黙々と歩いている。そして、そのまま視線をずらせば、ノラと目が合った。そして、その瞬間────。

ォメェェェェーお前ぇぇぇぇー』と恨めし気に鳴かれてしまった。

 いや、ノラよ………そんなこと、私に訴えないで、司令官さまに訴えてよ。

「────………ちゃん」

 っていうか、司令官さま、私を持ち上げたのって鍛錬の為だったっけ?なんか違うニュアンスで言っていたような気がするけど。……なんだ、そっかぁ。残念。

「────……シアちゃんっ」

 ん?私、こんな扱いをされて、がっかりしているの!?え、え?なんで?どうして?

「もうっ、シンシアちゃんっ。起きてってばっ!」

 その尖った声で、思考が散って、私は自分が夢を見ていたことを知った。


 

「………先生?」

 薄く目を開ければ、心配そうにこちらを覗き込むケイティ先生が視界いっぱいに映り込む。美人のドアップでのお目ざめは、なかなかの迫力だ。

 びっくりして飛び起きた私は、次の瞬間、トンカチで頭を殴られた衝撃に襲われ、その場で蹲る。 

「………………あったま、痛ぁい」
「ん?どうしたの?って、シンシアちゃん、───……うわっ、お酒臭いっ」

 朝日が燦々と降り注いでいる温室は眩しくて、こめかみが更に痛む。

 目元を隠しながら、うーうー呻いていた私だったけれど、ケイティ先生の言葉で、はっと我に返った。

「アジェーレさんから貰ったチョコ………あれに、お酒が入ってたんだと思いま……あ、それです。それそれっ……ううっ、痛っ」

 少し離れた場所に転がっているチョコの空き箱に気付いて、指さしながらケイティ先生に説明をする。

 途端に、ケイティ先生は信じられないといった表情に変わった。 

「まさか、シンシアちゃんこれだけで二日酔いになっちゃったの!?」
「………そのようです」
 
 驚愕しているケイティ先生に向かって首肯する。

 そして私は頷きながら、背中から嫌な汗が流れっぱなしだ。……昨晩、司令官さまにした無礼千万のあれやこれやを思い出してしまったから。

 やだもう、お酒って怖い。でも、首がまだくっついていて良かった。

 そっと自分の首に手を当て、繋がっていることを確認していれば、ケイティ先生と目が合う。そして先生は、はっと何かに気付いたように、恐る恐る私に問いかけた。

「もしかして、お酒初めて?」
「はい。お酒は、初体験です。で、もって初体験……マジで痛いです……。私、もうお酒は飲みません」

 心の底から反省しながらそう言えば、なぜかケイティ先生は、ぷっと吹き出した。

「シンシアちゃん。それ、主語を抜かして、司令官に言ってみて。絶対に面白いことになるからっ」
「………嫌ですよぉ」

 情けない声で拒絶の意を伝えれば、ケイティ先生は露骨にがっかりした顔をした。そして、そのまま隣の医務室へと消えて行った。

 …………先生、ご期待に沿えずごめんなさい。でも、実はもう、司令官さまは私の飲酒を知っておられます。でも言わない。

 言わないけれど、私は別の意味で頭を抱えてしまいたくなる。

 だって、私、酔いにまかせて、司令官さまに膝枕ねだったんだよ?お手々をもみもみしちゃったんだよ?そして、明日からまた秘書業務に戻るんだよ?

 どんな顔をして、司令官さまに会えば良いのだろう。っていうか、明日まで私、自分の首がくっついている保証がない。

 ここは先手必勝で、司令官さまに謝罪に行かなければ。……行きたくないけど。

「ねえシンシアちゃん、二日酔いには、迎え酒が利くけど。軽く呑んでおく?」

 私が生きるか死ぬかの選択で苦悶していれば、明らかにアルコール度数の高そうな酒瓶と、グラスを手にしてケイティ先生は戻ってきた。

 ただ、私を心配してくれての提案のはずなのに、軽いノリで聞いてくるし、グラスが2つあるのはなんでだろう。

 まさか、先生朝から飲む気でいらっしゃいますか?勤務中の飲酒、ダメ、絶対。私みたいに後で後悔することになりますよ。

「いえ……水、下さい」

 本当なら、記憶喪失になるお薬が欲しい。そして、こっそり司令官さまに飲ませたい。

 でも、それを口にしようものなら、ケイティ先生の好奇心を刺激して、根掘り葉掘り聞かれてしまうだろう。

 そして、施設中に私の失態があっという間に広がってしまうこと間違いない。それは、ちょっとどころか、かなり困る。

 そんなことを考えて青ざめる私に、ケイティ先生は残念そうにお酒を片付けて、水を差しだしてくれた。
 
 それからケイティ先生は、腕を組んで、壁に掛けられている時計をチラッと見てから口を開く。

「で、今日はちょっと早く来たから、まだ始業時間には時間があるわよ。どうする?部屋に戻ってお風呂はいってくる?ここにもバスルームがあるから、使っても良いけど?」
「では、お言葉に甘えて、お借りして良いですか?」
「もちろんっ。あ、じゃあその間に、朝食貰ってくるね。一緒に食べましょう」
「ご迷惑をお掛けしてごめんなさい。重ね重ね、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる私に、先生は律義ねと言って笑った。





 それから朝食を終えた私は、二日酔いで、ぐわんぐわんする頭を抱えながら、実家から届いた苗をせっせと薬草園に植え替える。
 
 ただ、頭の中は、昨晩の失態をどう司令官さまに謝罪しようかということで、いっぱいだった。
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