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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない
言葉は言霊②
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音の消えた部屋で、アシュレイさんの言葉だけがぐるぐると頭の中で反芻している。でも沢山のどうしてが浮かんでは消えて、上手く咀嚼することができない。
そんな中、唯一言葉にして聞けることがこれだった。
「そんなことが、できるんですか?」
おずおずと問いかけるが、できるできない以前に、実際のところリンさんは生きている。何だか馬鹿なことを聞いてしまったと口にしてから、ちょっと後悔する。でも、アシュレイさんは呆れることなく答えてくれた。
「本来ならば、そんなことは不可能なんだ。時空の監視者が与える力は、異世界の人間をこの世界に留めるだけのもの。つまり、生活していく力は自分で得なければならない。睡眠しかり、食事しかり。自身の手で摂取してもらわないといけないはず…………なんだけどなぁ」
最後の語尾はあやふやなものだった。でも、まさにその通りなので、思わず頷いてしまう。
バルドゥールと行き違いがあった頃、食事をボイコットした私に、彼は鬼の形相を浮かべていた。それは無理矢理抱いたところで補えるものじゃなかったからだろう。
再びリンさんに視線を移す。彼女は痩せていた。でも、末期の拒食症のような姿じゃない。髪にも艶があるし、肌は陶器のように滑らかだ。
どう見たって、リンさんは生きている。じゃあ、何で?
心を閉ざすことを選んだリンさんの決断は、何か深い意図があったのだろうか。追い込まれやむを得ずの決断ではなかったのだろうか。リンさんがこんな状態でも生きているのは紛れもない事実だけれど、その真実はリンさんしかわからない。
それを言葉にしたわけじゃないのに、アシュレイさんはちゃんと汲み取ってくれた。
「なぁアカリ、あくまでこれは私の推測でしかないが、リンはルークを独り占めしたいんじゃないかな」
「そうでしょうか」
随分と斜め上の回答に呆れすぎて、ぞんざいに返事をしてしまう。
はっきり言って、それはないだろう。二人は一度は心を通わせたかもしれないけれど、最終的にルークは嫌がるリンさんを無理矢理組み敷いて、力づくで抱いてしまったのだ。そしてそれは今でも継続されていること。
まして足枷を付けた相手を独り占めしたいと思うのだろうか。私だったら、どんな理由であれ、二度と顔を見たくないと思うし、即刻消えてほしいと願うだろう。
ただそれを今はっきり言葉にして良いのだろうか。アシュレイさんは、血のつながりがなくてもルークの家族だ。身内の悪口なんか聞きたくないだろう。
不機嫌な顔のまま黙りこくってしまった私に、アシュレイさんは少し困った顔をする。それは自分の言い分が通らないことを不服とするものではなく、どの言葉を使えばいいのかわからなくて困惑しているものだった。
そして、しばらく沈黙が続いたけれど、アシュレイさんは唐突に私に問いかけた。
「君たち異世界の女性は、時空の監視者を選ぶことができるのを知ってるよね?」
質問の意図はわからないけれど、素直に頷けばアシュレイさんはほっとした様子で言葉を続けた。
「リンだってもちろんそのことは知っている。でも彼女は一度だって他の監視者を選ぶことはなかった。匂わすことを言うこともなかった」
「……………………」
驚きすぎて声が出なった。
身体を強張らせたまま、目を丸くする私だったけれど、すぐに一つの結論に至り、高ぶる感情のまま口を開いた。
「でもそれって、力を貰うやり方は同じなんですから、他の人を選ぶ必要はないって思っていたんじゃないですか?私だって時空の監視者を選べると聞いても、嬉しくなんてなかったです。結局、やることは変わらないんですから。だったらいっそ………───………あ、そっか」
勢いのままつらつら言葉を吐き出していた私だったけれど、ここで振り出しに戻ってしまったことに気付いた。
他の時空の監視者でもやることは変わらないなら、いっそ死にたいって私は思っていた。でも、リンさんは今こうして生きている。
ずっと私はリンさんはルークに生かされているのだと思っていた。でも、アシュレイさんの話が本当なら、彼女はもうとっくに死んでいるはず。
つまりリンさんは、死ぬことは選んでいない。そしてルークから与えられる力だけを求めている。───まさについさっきアシュレイさんが言った通りだった。
考えることもしないで、感情をぶつけてしまったことが申し訳なくて、悪事を働いてしまったかのように後ろめたい気持ちになってしまう。さすがにアシュレイさんさんも呆れ果てているのだろう。ちらりと伺うように彼女を見れば、予想に反して目を細めながら私を見つめているだけだった。
「アカリ、リンが持つ倫理観や思想はきっと君のほうが近いと思う。でも、二人が間違いなく心を通わしていたことがあったという事実も、そして、リンがこうして生きている事実も認めて欲しい」
「…………はい」
頷いてから、すぐに唇を噛んだ。
想像もつかなかった事実に胸がちくちくと刺すように痛む。ルークとの関係を大事にしたいと思いつつ、私は心のどこかで彼を侮辱していたことが、ものすごく恥ずかしい。そして掴みどころのない悲しみが胸いっぱいに広がる。
心を閉ざしても、ルークを選び続けるリンさんは何を思っているのだろう。そしてルークは物言わぬリンさんから、いつか拒まれることを恐れながら力を分け与えているのだ。そしてリンさんがルークを拒んだ時こそ、本当に彼女の命が消えてしまう時なのだろう。
知らなかった二人の歴史は、私が思っていたより複雑でとても難解なものだったのだ。それを知った今、色の無い虚無感が私の心を吹き抜けていく。気付けば私は、両手を胸に当てて俯いてしまっていた。
「アカリ、君が胸を痛める必要はないんだよ」
優しいアシュレイさんの声が、陽だまりのように降ってくる。次いで、胸に手を当てていた私の両手に暖かいものが触れた。ああ、アシュレイさんが、私の手を握ってくれたんだ。
「リンが壊れてしまったのは、間違いなくルークに責がある。どんな経緯で彼女がそうなってしまったかはわからない。でも一つ言えるのは、ルークが馬鹿だったから、リンが壊れてしまったんだ」
「………………はぁ」
ズバリ馬鹿だと言われると、頷いて良いのか悪いのか判断に困る。
のろのろと俯いた顔を上げた私に、アシュレイさんは、はっきり言って良いぞと意地悪く笑う。
そんなことを言われても頷けるわけがない。再び俯くことはしなかったけれど、曖昧な表情を浮かべた私に、今度はアシュレイさんは、どれぐらい馬鹿だというとな、と前置きをしてから、私に問いかけた。
「リンがどうして日中ずっとソファに座らせているのかわかるか?」
「床ずれを予防する為だと思います」
即答した私にアシュレイさんは微妙な顔をした。
「着眼点はなかなか良い。というか、正解。けれど、今回に限っては違うと言わせてくれ」
「………はぁ」
「ルークはな、リンがずっと寝台で過ごすのは辛いだろうと思ってそうしているんだ。無理矢理抱いたあの場所は彼女にとって辛いものでしかないだろうからって。しかも、わざと寝台を視界にいれないようソファの位置をずらす徹底ぶりだ。…………馬鹿だろ?」
「馬鹿ですね」
間髪入れずに頷いた私にアシュレイさんは声を上げて笑った。
「だろ?やらかしてから後悔する。そして、今更遅いと思っても、精一杯できることをしようと悪足搔きをする。だったら、最初からそんなことしなければ良いのにと思わず口にしたくなるようなことを、アイツはものの見事にしでかしてしまうんだ」
そう言ってアシュレイさんは、何だか頭痛を覚えたように、こめかみをぐりぐりと揉んだ。私も、以前、売り言葉に買い言葉で部屋を飛び出したことを思い出して、同じようにこめかみに手を当ててしまう。
どうやら私はあの時、ルークと同じ土俵に立っていたようだ。でも、あの時はああする他なかったので………まぁ良しとしよう。
そんな都合の良い解釈をして、胸におさめた瞬間、アシュレイさんがぽつりとこう言った。
「あいつは寂しいことに、誰より淋しがりで誰より愛情深い。なのに、大事にするやり方を知らないんだ」
「大事にするやり方を知らない?」
オウム返しに問うた私に、アシュレイは私の頭に顎を置いて、そのまま軽く私を揺すった。
「ああ、そうだ。あいつの両親はルークが物心つく前に既に他界している。しかも、唯一の肉親である兄………まぁ私の夫、アルは、家督を継ぎ家を存続させるのに精一杯だったんだ。誰が悪いわけでもない。両親だって好き好んで死んだわけじゃないし、アルだってまだ幼かった。が、結果としてルークは愛されること知らずに生きてしまうことなったんだ」
「そう………なんですか」
知らなかった。
ずっとルークは大切に育てられてきたと思っていた。優しい両親と、頼れるお兄ちゃん。家族に愛されてきたから、私の嫌味もさらりと流せる器があって、いつでものほほんとした笑みを浮かべているのだと思った。
でも、そうじゃなかった。
彼にも間違いなくあったであろう、幼少の時代。子供だったルークがこの広い屋敷でポツンと独りぼっちでいる姿を想像して、私は何だか不意に泣きたくなった。
そんな中、唯一言葉にして聞けることがこれだった。
「そんなことが、できるんですか?」
おずおずと問いかけるが、できるできない以前に、実際のところリンさんは生きている。何だか馬鹿なことを聞いてしまったと口にしてから、ちょっと後悔する。でも、アシュレイさんは呆れることなく答えてくれた。
「本来ならば、そんなことは不可能なんだ。時空の監視者が与える力は、異世界の人間をこの世界に留めるだけのもの。つまり、生活していく力は自分で得なければならない。睡眠しかり、食事しかり。自身の手で摂取してもらわないといけないはず…………なんだけどなぁ」
最後の語尾はあやふやなものだった。でも、まさにその通りなので、思わず頷いてしまう。
バルドゥールと行き違いがあった頃、食事をボイコットした私に、彼は鬼の形相を浮かべていた。それは無理矢理抱いたところで補えるものじゃなかったからだろう。
再びリンさんに視線を移す。彼女は痩せていた。でも、末期の拒食症のような姿じゃない。髪にも艶があるし、肌は陶器のように滑らかだ。
どう見たって、リンさんは生きている。じゃあ、何で?
心を閉ざすことを選んだリンさんの決断は、何か深い意図があったのだろうか。追い込まれやむを得ずの決断ではなかったのだろうか。リンさんがこんな状態でも生きているのは紛れもない事実だけれど、その真実はリンさんしかわからない。
それを言葉にしたわけじゃないのに、アシュレイさんはちゃんと汲み取ってくれた。
「なぁアカリ、あくまでこれは私の推測でしかないが、リンはルークを独り占めしたいんじゃないかな」
「そうでしょうか」
随分と斜め上の回答に呆れすぎて、ぞんざいに返事をしてしまう。
はっきり言って、それはないだろう。二人は一度は心を通わせたかもしれないけれど、最終的にルークは嫌がるリンさんを無理矢理組み敷いて、力づくで抱いてしまったのだ。そしてそれは今でも継続されていること。
まして足枷を付けた相手を独り占めしたいと思うのだろうか。私だったら、どんな理由であれ、二度と顔を見たくないと思うし、即刻消えてほしいと願うだろう。
ただそれを今はっきり言葉にして良いのだろうか。アシュレイさんは、血のつながりがなくてもルークの家族だ。身内の悪口なんか聞きたくないだろう。
不機嫌な顔のまま黙りこくってしまった私に、アシュレイさんは少し困った顔をする。それは自分の言い分が通らないことを不服とするものではなく、どの言葉を使えばいいのかわからなくて困惑しているものだった。
そして、しばらく沈黙が続いたけれど、アシュレイさんは唐突に私に問いかけた。
「君たち異世界の女性は、時空の監視者を選ぶことができるのを知ってるよね?」
質問の意図はわからないけれど、素直に頷けばアシュレイさんはほっとした様子で言葉を続けた。
「リンだってもちろんそのことは知っている。でも彼女は一度だって他の監視者を選ぶことはなかった。匂わすことを言うこともなかった」
「……………………」
驚きすぎて声が出なった。
身体を強張らせたまま、目を丸くする私だったけれど、すぐに一つの結論に至り、高ぶる感情のまま口を開いた。
「でもそれって、力を貰うやり方は同じなんですから、他の人を選ぶ必要はないって思っていたんじゃないですか?私だって時空の監視者を選べると聞いても、嬉しくなんてなかったです。結局、やることは変わらないんですから。だったらいっそ………───………あ、そっか」
勢いのままつらつら言葉を吐き出していた私だったけれど、ここで振り出しに戻ってしまったことに気付いた。
他の時空の監視者でもやることは変わらないなら、いっそ死にたいって私は思っていた。でも、リンさんは今こうして生きている。
ずっと私はリンさんはルークに生かされているのだと思っていた。でも、アシュレイさんの話が本当なら、彼女はもうとっくに死んでいるはず。
つまりリンさんは、死ぬことは選んでいない。そしてルークから与えられる力だけを求めている。───まさについさっきアシュレイさんが言った通りだった。
考えることもしないで、感情をぶつけてしまったことが申し訳なくて、悪事を働いてしまったかのように後ろめたい気持ちになってしまう。さすがにアシュレイさんさんも呆れ果てているのだろう。ちらりと伺うように彼女を見れば、予想に反して目を細めながら私を見つめているだけだった。
「アカリ、リンが持つ倫理観や思想はきっと君のほうが近いと思う。でも、二人が間違いなく心を通わしていたことがあったという事実も、そして、リンがこうして生きている事実も認めて欲しい」
「…………はい」
頷いてから、すぐに唇を噛んだ。
想像もつかなかった事実に胸がちくちくと刺すように痛む。ルークとの関係を大事にしたいと思いつつ、私は心のどこかで彼を侮辱していたことが、ものすごく恥ずかしい。そして掴みどころのない悲しみが胸いっぱいに広がる。
心を閉ざしても、ルークを選び続けるリンさんは何を思っているのだろう。そしてルークは物言わぬリンさんから、いつか拒まれることを恐れながら力を分け与えているのだ。そしてリンさんがルークを拒んだ時こそ、本当に彼女の命が消えてしまう時なのだろう。
知らなかった二人の歴史は、私が思っていたより複雑でとても難解なものだったのだ。それを知った今、色の無い虚無感が私の心を吹き抜けていく。気付けば私は、両手を胸に当てて俯いてしまっていた。
「アカリ、君が胸を痛める必要はないんだよ」
優しいアシュレイさんの声が、陽だまりのように降ってくる。次いで、胸に手を当てていた私の両手に暖かいものが触れた。ああ、アシュレイさんが、私の手を握ってくれたんだ。
「リンが壊れてしまったのは、間違いなくルークに責がある。どんな経緯で彼女がそうなってしまったかはわからない。でも一つ言えるのは、ルークが馬鹿だったから、リンが壊れてしまったんだ」
「………………はぁ」
ズバリ馬鹿だと言われると、頷いて良いのか悪いのか判断に困る。
のろのろと俯いた顔を上げた私に、アシュレイさんは、はっきり言って良いぞと意地悪く笑う。
そんなことを言われても頷けるわけがない。再び俯くことはしなかったけれど、曖昧な表情を浮かべた私に、今度はアシュレイさんは、どれぐらい馬鹿だというとな、と前置きをしてから、私に問いかけた。
「リンがどうして日中ずっとソファに座らせているのかわかるか?」
「床ずれを予防する為だと思います」
即答した私にアシュレイさんは微妙な顔をした。
「着眼点はなかなか良い。というか、正解。けれど、今回に限っては違うと言わせてくれ」
「………はぁ」
「ルークはな、リンがずっと寝台で過ごすのは辛いだろうと思ってそうしているんだ。無理矢理抱いたあの場所は彼女にとって辛いものでしかないだろうからって。しかも、わざと寝台を視界にいれないようソファの位置をずらす徹底ぶりだ。…………馬鹿だろ?」
「馬鹿ですね」
間髪入れずに頷いた私にアシュレイさんは声を上げて笑った。
「だろ?やらかしてから後悔する。そして、今更遅いと思っても、精一杯できることをしようと悪足搔きをする。だったら、最初からそんなことしなければ良いのにと思わず口にしたくなるようなことを、アイツはものの見事にしでかしてしまうんだ」
そう言ってアシュレイさんは、何だか頭痛を覚えたように、こめかみをぐりぐりと揉んだ。私も、以前、売り言葉に買い言葉で部屋を飛び出したことを思い出して、同じようにこめかみに手を当ててしまう。
どうやら私はあの時、ルークと同じ土俵に立っていたようだ。でも、あの時はああする他なかったので………まぁ良しとしよう。
そんな都合の良い解釈をして、胸におさめた瞬間、アシュレイさんがぽつりとこう言った。
「あいつは寂しいことに、誰より淋しがりで誰より愛情深い。なのに、大事にするやり方を知らないんだ」
「大事にするやり方を知らない?」
オウム返しに問うた私に、アシュレイは私の頭に顎を置いて、そのまま軽く私を揺すった。
「ああ、そうだ。あいつの両親はルークが物心つく前に既に他界している。しかも、唯一の肉親である兄………まぁ私の夫、アルは、家督を継ぎ家を存続させるのに精一杯だったんだ。誰が悪いわけでもない。両親だって好き好んで死んだわけじゃないし、アルだってまだ幼かった。が、結果としてルークは愛されること知らずに生きてしまうことなったんだ」
「そう………なんですか」
知らなかった。
ずっとルークは大切に育てられてきたと思っていた。優しい両親と、頼れるお兄ちゃん。家族に愛されてきたから、私の嫌味もさらりと流せる器があって、いつでものほほんとした笑みを浮かべているのだと思った。
でも、そうじゃなかった。
彼にも間違いなくあったであろう、幼少の時代。子供だったルークがこの広い屋敷でポツンと独りぼっちでいる姿を想像して、私は何だか不意に泣きたくなった。
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