上 下
29 / 34
【現在】居候、ときどき助手編

✯.暗殺者が望むもの

しおりを挟む
 愛しき人からの口付けを受け、この上ない幸福に満たされる。そして、色鮮やかになった世界が廻り出す。


 彼女を手にするまでに、どれほど悩み苦しんだのだろう。望みを口にしたら最期だと、地に落ちると分かっていながら手放せなくなると頭ではわかっていたのだが。


 突然目の前に現れたミドリに特別な思いを抱いても、いずれは元の世界に戻るものだと、そしてその時は手を伸ばすことはせず笑って見送ってやれると思っていた。

 だがまさに絵空事だった。

 戦争が終わり、いざ彼女が元の世界に戻ることに現実を帯びてきた途端、気が狂いそうなほどミドリが欲しかったのだということに気付かされた。


 ようやく手に入れた彼女と共に迎える朝を、きっとこれから先、何度も繰り返し思い出すことになるのだろう。胸の痛みと共に……。


 ミドリの前では誠実であろうとしている自分だが、一つだけ嘘をついた。醜く歪んだ自分勝手な嘘を。

【王様の魔法が成功して私が日本に帰ってたら、デュアはどうしてたの?】

 彼女の問いに、自分はズルい手を使って誤魔化した。本当の答えは、どうもこうもない。魔法が成功してもしなくても、ミドリが元の世界に戻ることはなかったのだから。

 ミドリは逃げ出さずに向き合うことを知っている。そしてそれを行動にすることができる強い人間だ。

 けれど自分は愛しき人に嫌われることを恐れ、汚い大人のごまかしをしてしまった。

 それほどまでに彼女を求める自分がいる。そして、この世には等価交換という言葉がある。何かを得るには、それ相応の対価が必要になるということ。

 ならば、この国で最も尊き存在の女性を手に入れるためには、どれくらいの代価が必要となるのだろうか。いや、この身で払えるものならば、何でも差し出すつもりだ。

 そう覚悟を決めて1年前のあの晩、自分はこの国で唯一無二の存在である男の元へと足を運んだ。

 ミドリを手に入れる為の契約を結ぶために。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 夜の帳が下りた王城は、深い闇に閉ざされて自分の足音だけが響く。

 真っすぐに向かった先は、この国の王の間。部屋の前で立ち止まれば、音もなく扉が開く。ノックをする必要もない。なぜなら、この空間は王が監視魔法が張り巡しているからだ。そもそも不審者など、立ち入ることはできない。
 
  

「やあ、そろそろ来る頃だと思ってたよ」

 ゆうに3人は腰かけられる壮麗な椅子に、足を組んでこちらを見る王に自分は、入室の挨拶も、臣下の礼を取ることもなく、真っすぐ向き合う。

 無駄な会話をするつもりはない。俺は、用件だけを口にした。

「王の代弁者となろう」

 瞬間、王はすっと目を細めた。
 
「で、君はそれと引き換えに何を望むんだい?」

 その言葉だけで、これが取引とわかるぐらい、この男との付き合いは長い。だから俺は、迷うことなく望みを口にした。

「聖女ミドリを俺にくれ」
「……そうか、やっと腹をくくったようだね。間に合って良かった」

 僅かな間の後、王はぐっと拳を握り、ゆっくりと手を開いた。その手の中には黒く鈍く光る、王の代弁者の証が現れた。

 数歩進み、王と向き合いそれを無言で受けとる。

 手渡された黒い鉄の塊は、引き金を引くだけで、人の命を奪えるこの国で唯一無二の最も残酷な武器だった。

「あの娘、明日、元の世界に戻るつもりだよ。しかもご丁寧にも皆の記憶から自分の存在を消した後に、ね」
「やっぱりか」

 ひじ掛けに肘を置き、顎を乗せながらこちらを見る王は、意地の悪い笑みを浮かべている。けれど、自分は別段、驚きはしない。

 自分の懐にあるのは、ミドリから贈られた藤色のリボン。もともと彼女が元いた世界で身に付けていたもの。まるで今生の別れのように差し出された瞬間、彼女が元の世界に戻ることを心に決めていることを察していたのだ。

 だからこそ、ここに自分がいる。

「彼女は元の世界になど、戻さない。皆の記憶が消えたと同時にかっさらう。ミドリの記憶を俺だけ残しておいてくれ」

 瞬間、王は豪快に声を上げて笑った。

「いいね、それ、面白すぎる。あの娘の驚く顔が目に浮かぶよ。じゃ、さっそく、前払いをしようか」

 王は懐から何かを取り出し、こちらへと放った。片手でそれを受け取れば、この国の紋章が彫られた化粧箱で、そして蓋を開ければ側近の証であるブレスレット。同じものを既に自分は嵌めてある。

「これは?」

 訝しげに眉を寄せた自分に、王は腕を組みながらこう答えた。

「今のを外して、これに付け替えれば私の魔法は無力化される。ま、当日は怪しまれないように裏方警護とでも偽って、その辺の物陰にでも隠れていればいいさ」

 まるでちょっとしたイタズラを思いついたような顔をする王に向かい自分はどんな顔をしているのだろう。

 人一人の人間の人生を大きく狂わそうとしているのに、この王はさも可笑しそうに口の端に笑みを浮かべるだけだった。

「手に入れてごらん。この国の至宝を」 

 艶やかに笑う王の目に、微かにミドリに対する恋慕が見えた。
 
 目の前に居るのはこの国で最も尊き存在であり、誰も逆らうことのなどできない最高の権力者であり、そしてこの国でもっとも秀でた魔術師などだ。

 けれど、そんなことは知ったことではない。一人の女性を前にすれば、所詮、騎士でも王でも一人の男に成り下がるもの。


 王がミドリを諦めるという選択肢を取った、けれど自分はミドリを力づくで奪うことをきめた。

 ……そう、それなのに、奪い去ろうとした少女は、一目散に逃げだしてしまったのだった。

 王に悪態ついて逃げ出した彼女を咄嗟に呼び止めてしまったけれど、彼女は気付きもしないで背を向けて走り去ってしまったのだ。まさに風のように。

 それから忙しい政務の合間を縫って、何度もミドリのことを探しに方々へ足を運んだ。けれど、彼女は雲のように、また風のようにひらりと姿をくらまし、捕まえることができなかった。
 
 日に日に心配は募るばかり。鬱々とした日々を過ごしながら、再会する日々を切望していた。そしてそれから1年後、彼女と再会を果たすことになる。

 ……そうまさか、よりによって、なぜこんな時に、と思うようなタイミングで。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「アイツらしいちゃ、アイツらしいよなぁ……」


 ベッドの脇にあるテーブルに投げ出したままの拳銃───という名の武器を手にする。

 朝日を浴びて鈍く光るこれは、王の代弁者の証。
 確実に人の命を奪うもの、そしてこの国の秩序を保つためのもの。

 それでは、そろそろ始めようか。

 この世界は力づくで奪った愛しき人の鳥かご。ならせめて、居心地よく彼女の笑顔が曇ることのないように、そして彼女が生きていくこの地が、穏やかであるよう願いを込めて────。

 それがせめてもの贖罪であり、自分の命が続く限りこの血塗られた道を歩み続ける為の道しるべとなる。

 ミドリは自分が王の代弁者になったことに深い罪悪感を抱いている。けれど、これは自分が望んだ形。

 自分には自分の幸せがある。

 彼女がこれから先、生き続けるこの世界を住みよくできるよう携われることができるのだから。



 窓から差し込む朝日に目をやり、眩しくて目を細める。
 
 彼女が望むものは全て叶えてやりたい。けれど、叶えられないもの……というか、抑えきれないものがあるのも事実。

「ま、俺が待てる間は待ってやる。だけど、なるべく早く覚悟を決めてくれよ」

 こんなにも大切にしたいと思ったのは初めてで、だからこぞミドリが壊れないように傷つかないように我慢ができる。手を出したい欲望をそれこそ必死で抑え込むことができる。

 でも、結局のところ口付けだけでは足りず、体はミドリを欲し疼いている自分がいる。

「……愛してるよ、ミドリ」

 けれど不思議と心は満たされている。……今のところは。

 ミドリが考えているより、自分はそんなに大人ではない。きっとあっという間に追いつかれてしまうのだろう。

 自嘲気味に笑みを浮かべ、そっと彼女の残像に口付けをした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。

鈴木べにこ
恋愛
 幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。  突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。  ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。 カクヨム、小説家になろうでも連載中。 ※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。 初投稿です。 勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و 気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。 【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】 という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

処理中です...