上 下
30 / 37
旅の再開

星降る夜、あなたに嘘を付きます②

しおりを挟む
「ちょ、ちょっと待ったっ」

 そう言いながら掴まれた腕を外そうとするけれど、びくともしない。

 仕方なく反対の手を使って外そうとすれば、それすらも掴まれてしまった。

「もう、待てません。待つことはやめたんです」

 カーディルは全部言い終わらないうちに、私を強引にその胸に抱き込んだ。
 次いで、片手を離し、そのまま私の顎をつかむ。

 空いた手で、突っぱねようとすれば、更に強く抱き込まれてしまった。そして───。

「姫さま、好きです」

 そう言って、あなたは私の唇にそっと自分の唇を重ねた。

 あの日と違って、カーディルの唇は暖かかった。そして、あの日は一度だけ触れ合わせる口づけだったけれど、今は違う。

 何度も角度を変え、カーディルは私に口付けをする。
 
 そして何かを催促するように、唇をあなたの舌で突かれ、私はそれを拒むために激しく首を横に振った。

「急に、どうして………」

 そんなことを言うの?

 やっと唇を離してくれた途端、私はカーディルにそう問いかける。

 自分でも、その声音に非難の色があるのに気付いている。そしてきっと私の表情はそれと同じものだろう。

 でも、カーディルはどこ吹く風だ。
 まるで今にも、それで?と開き直った言葉を吐きそうな勢いだ。 

「2回もあなたを失いかけたのですから……心の枷が外れるのも仕方がないではありませんか」
「……っ」

 予想もしてなかった避難する言葉が返って来て、思わず息を呑む。

「怖かったですよ。苦しかったですよ、とっても。……だから、もう我慢をすることはやめにしたんです」

 吹っ切れたあなたは、あの日と同じ表情を浮かべていた。

「姫さま、隠さないでください。もう全部わかっています。お辛かったでしょう。でも……生きて……また戻ってきてくれてありがとうございます」
 
 この人は自分が今、どんな表情をしているのかわかっているのだろうか。

 再び、息を呑む。胸が痛い。苦しい。あまりに辛くて私は、カーディルの腕の中で俯く。

「……っ」
 
 憎らしいくらいにカーディルは、どこの世界でもカーディルのままだ。

 優しい人。愛しい人。でも、その優しさは、私にはとても苦しい。

 きっと今ここにいるカーディルだって、私がもっと自分を大事にしてと言っても、このままでは何を差し置いても、私を優先するだろう。 

 そんな未来が簡単に想像できて、苦しさで喘ぐ私だったけれど、あの日と同じように身も心も蕩けてしまうような言葉が降ってくる。

「ああ……あなたは暖かい。でも、細くて脆くて……これ以上力を入れたら壊れてしまいそうですね」

 そんなことを言いながら、あなたは私を抱く腕に更に力を籠める。

 息をするのも苦しい。でも、心地よい。……この腕の中から離れたくない。私はずっとカーディルにこうして欲しかった。ずっと夢見てきたことだ。

 このまま愚かにも、この感情のまま、ずぶずぶに溺れてしまいたい。何も考えてたくない。でも、簡単に忘れてしまえるほど、あの日の叩きつける雨の記憶は生易しいものではなかった。

 そして、一時の熱情で、約束を敗れるほど、私の誓いは脆いものではなかった。
 
 私は過ちを繰り返したくは、ない。

 ……これは、夢だと思い込もう。

 そして私は自分の守りたいものを必死に心の中で思い描く。今の感情に引きずられないように。

 私は、もうあなたを二度と失いたくない。だから。愛情なんていらない。求めない。

 私の出した結論は、結局のところこれだった。笑いだしたくなるほど、悲しいものだった。
 
「カーディル、あのね。私、あなたのこと、好きじゃないの」

 こつんとあなたの胸に額をあてて、軽い口調でそう言えば、私を抱きしめている腕がびくりと跳ねた。

 きっとカーディルは、私がこんなことを口にするなんて、想像すらしてなかったのだろう。

 ああ、良かった。あなたの腕の中にいれて。あなたの傷付く顔を見ないで済んだ。

「そうですか」
「そうなんです」

 そうだよ。好きじゃない。そんな言葉よりもっと重い気持ち。愛している。

「でも、私はあなたのことをお慕いしています」
「嫌です」

 そう。そんなの嫌。困る。

 そんな気持ちでいたら、また私を庇って死んでしまう。そう言葉で伝えられない私は、あなたの衣を握りしめて、強く首を横に振る。何度も、何度も。

「嫌………ですか。これは、なかなか手厳しいですね」

 あまりの悲しい声に思わず顔を上げれば、あなたは心の底から傷付いた顔をしていた。

 そんな表情を見て、私の胸が痛まないわけはない。大好きな人にそんな顔をさせたくない。いつでも笑っていて欲しい。

 でも、なにより、その表情が動かなくなってしまうのが、何より嫌だ。恐ろしい。

 だから、私は、カーディルがもっともっと傷付く言葉を吐く。

「私、他に好きな人がいるんです」
「………っ」

 カーディルから目を逸らさずにそう言いきる。そして、カーディルが何か言葉を紡ごうとする。

 それを遮るように、私は慌てて口を開いた。

「でも、その人は死にました。そして、私の恋する気持ちも死にました」

 言い切った瞬間、あの時の血まみれのあなたの姿を思い出し、胸に刃物を突き入れられたかのような衝撃に襲われた。

 心臓の鼓動が一拍止まる。

 そのまま自分の心臓が止まってしまう不安にかられて、私は両手を胸に当てた。

 ───トクン。トクン。

 良かった。心臓は止まっていない。

「だから、もう……誰も好きになりません。好きでい続けるのは、あの人だけです」

 私が好きなのは、カーディル。あの叩きつける雨の中、好きだと言ってくれたあなた。

 そして今目の前にいるカーディルは、私が絶対に守ると誓った愛おしい人。

 それは同じ意味を持つのかもしれない。

 でも、私にとったら天と地ほどの差がある……と、自分に言い聞かせる。

 失ったら2度と取り戻すことができないのだ。そして何より私は、あの日の絶望と喪失感を2度と味わいたくない。
 
 だからどうか、カーディル。嘘つきな私をどうか許してください。

「───………そうですか。わかりました」

 私の祈りが通じたのか、カーディルは長い間の後、ゆっくりとそう言ってくれた。

 次いで、ぱっとあなたは腕を離す。さっきまでの温もりは、まるで嘘だったかのように呆気なく消えてしまった。

 そして、その寂しさを感じる暇もなく、片足を一歩後ろに引いて、あなたは完璧な騎士の礼をとった。

「どうぞ、身分を弁えず、このようなことを言った自分をお許しください」

 頭を上げたあなたは、もういつもの側近兼護衛の顔をしていた。
 
 次いで、くるりと私に背を向ける。

「ねぇ、待って、どこに行くの?」

 慌てて声を掛けた私に、あなたは振り返ってこう言った。

「私が傍に居たら、眠ることができないでしょう。外で見張りをしています───………ゆっくり休んでください。……リエノーラさま」

 姫さま、ではなく名を呼ばれてしまった。不覚にも心臓がとトクンと跳ねる。

 でも、利恵───その名を呼ばれなくて良かった。

 そんなことを思いながら、私は地面に捨て置かれていたあなたの香りが残るマントを抱きしめて、必死に嗚咽を堪えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

当麻月菜
恋愛
娼館に身を置くティアは、他人の傷を自分に移すことができる通称”移し身”という術を持つ少女。 そんなティアはある日、路地裏で深手を負った騎士グレンシスの命を救った。……理由は単純。とてもイケメンだったから。 そして二人は、3年後ひょんなことから再会をする。 けれど自分を救ってくれた相手とは露知らず、グレンはティアに対して横柄な態度を取ってしまい………。 これは複雑な事情を抱え諦めモードでいる少女と、順風満帆に生きてきたエリート騎士が互いの価値観を少しずつ共有し恋を育むお話です。 ※◇が付いているお話は、主にグレンシスに重点を置いたものになります。 ※他のサイトにも重複投稿させていただいております。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

夫に離縁が切り出せません

えんどう
恋愛
 初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。  妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

運命の歯車が壊れるとき

和泉鷹央
恋愛
 戦争に行くから、君とは結婚できない。  恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。    他の投稿サイトでも掲載しております。

処理中です...