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終焉の始まり

★開戦と裏切り(レナザード視点)

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 時を少し巻き戻し、ここはまだバイドライル国の軍勢が屋敷を取り囲んでいる最中。そしてスラリスが去っていった直後のこと。

「あいつ……やってくれたな」

 独り部屋に残されたレナザードは、悔し気に呟いた。けれど、その表情は愛しさと喜びが隠しきれずにいる。

 溢れてくる感情を抑えきれず、くしゃりと前髪を掴んだその手首には、幾重にも宝石が連なった腕輪が巻かれている。

 ついさっきまで、その腕はには一つだけ宝石が欠けていた。けれど、今はあるべきところに全ての宝石が収まっている。

 この腕輪は代々一族の長が身に付けるもの。言うなれば長である証。元は一つだけの宝石が埋め込まれた腕輪であったが、受け継ぐたびに宝石の数は増えていった。

 一族の長になったものは、まず最初に、この宝石に願いを、祈りを、そして誓いを立てて埋め込む。そして一族が歩んできた血塗られた路を歩む覚悟を持つ。

 けれど代替わりして、レナザードが長になっても、宝石は欠けたままだった。それは、かつてのティリア王女に託したから。もちろん、託された当の本人はそのことに気付いていないけれど。

 いつか、再会を果たすことができたら。そう願いを託して幼かったティリア王女の心に宝石を埋め込んだのだ。だから少女が自分を思い出してくれるまで、腕輪の宝石は欠けたままのはずだった。それが、今元に戻った……と、いうことは。

「ったく、あいつ……あの時は、まだ忘れていやがったんだな」

 舌打ちせんばかりに呻くレナザードだったが、やはり嬉しさを隠すことはできない。けれど、緩んでしまう口元を無理矢理引き締め、レナザードは、扉の影に隠れてる二つの影を睨みつけた。

「二人とも出て来い」

 レナザードの言葉に、二つの影はあっさりと姿を表した。

「主、ご安心ください。スラリスは無事に路を渡り始めました」
「いやぁー久しぶりの大仕事だなぁ、これ」

 好き勝手なことを口にしながらケイノフとダーナが悪びれもせず、部屋の中に足を踏み入れた。ちなみに二人は既にいつもの白衣とだらしない姿ではなく、揃いの黒の衣装に着替えていた。そして手には剣。いつでも参戦できる構えだ。

 それからケイノフは、部屋に打ち捨てられているバイドライル国の使者の亡骸を横目で見ながら苦笑を浮かべた。

「感動の再会にしては、随分、血生臭い場所ですね。ここは」

 と言いつつ、この使者の侵入を許したのは、他ならぬケイノフであったが、それはわざわざ口にするものではない。

 そしてケイノフの言う通り、ここは感動的な場面にはかけ離れた場所。だが、レナザードはそれに頷くよりも前半の言葉に引っ掛かりを覚える。無意識に刻まれた眉間の皺をさらに深めるべく、ダーナがにやにやと生温い笑みを浮かべながら口を開いた。

「主、同じ女性に二回も恋に落ちる気持ちって、どんな気持ちなんすかぁ?」

 瞬間、レナザードはかっと目をひん剥いて叫んだ。

「お前ら全部、知っていたのか!?」

 その怒声に、ケイノフとダーナは同時に互いの顔を見合わせた。

「それがどうかされましたか?」
「やだなぁ主、今更、何言ってるんですかぁ」

 苦笑しながら、あっさり答える二人は、全く悪びれる様子はない。

「……おっ、お前達───」
「お言葉ですが主、アスラリア国からスラリスを救って直ぐにそれをお伝えしたら、主はスラリスに対して今と同じような想いを持てましたか?」

 レナザードの言葉を遮って、ケイノフは真っ直ぐに問いかける。その言葉にレナザードは、はっとケイノフの伝えたいことを瞬時に悟った。

 幼少の頃に出会った少女が、ティリア王女ではなくスラリスと知ってしまったら、間違いなくレナザードは拒まれるのを恐れ、スラリスに対して一線を置いていただろう。

 壊れ物を扱うように、ずっと大切にし続けるが、自分の全てを見せることはできなかったであろう。これぞまさしく【ぐうの音も出ない】というやつだ。

 わなわなと唇を震わすレナザードに、ケイノフはこれ以上ないほどの満面の笑みを浮かべ、賭けの勝敗を伝えた。

「さて我が主。賭けは私の勝ちで良いですね」

 そう言われたレナザードは、覚えてやがったかと舌打ちと共に吐き捨てるが、もちろんそれをご丁寧に拾うものは誰もいない。そして、ケイノフは畳み掛けるように、勝った際の褒美を口にした。

「では、向こう半年、傷の手当てを大人しく受けてくださいね。もちろん薬湯についても、きちんと飲んでいただきます」

 嬉しそうに声を弾ませるケイノフに、レナザードは苦虫を一万匹噛み潰した表情を浮かべたが、すぐにダーナに向かって、死なば諸共感あふれる命令を下した。

「ダーナ、お前は向こう半年、ケイノフの治験係だ」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと」
「あ、それはありがたい。新薬を開発したんですが、なかなか試せる相手がいなくて困っていたんです」
「主、それひど過ぎないですか!?俺、下手したら死にますよ!」
「うるさい。黙って命令を受け入れろ」

 そんな、緊張感のない会話は、再び降り注いだ火矢で中断された。そこで、三人の表情は一変する。

「あれこそ、無粋な奴らだ」

 レナザードは窓まで歩を進めてちらりと庭を見つめ、ちっと舌打ちすると、鋭く矢の方向を睨む。

 火矢は次々に、庭に降り注ぎ、スラリスが丹精込めた花々が一瞬で燃え上がる。炎に煽られる花は、悲鳴を上げているようだ。

 だから戦は嫌いなのだ。全てを壊しつくすまで終わらない。壊した先に何も無いと知りながらも、それでも繰り返すこの愚行にうんざりする。奴らは知っているのだろうか、この花を咲かすのに、どれだけ手を荒らすのか、どれだけの時間を要するのかを。

 自分の手が痛むのも気にせずに丁寧に雑草を毟り、毎日水を撒いていたスラリスの姿が目に浮かぶ。

 きっとこの惨状を見たら、スラリスは泣くのだろうか。それとも怒りを剥き出しにするのだろうか。いやきっと彼女なら、ひとしきり落ち込んだ後、もう一度種を蒔くのだろう。けれど───。

「花を汚した罪は重い」

 呟いたレナザードの言葉に賛同するように、ケイノフとダーナはレナザードの両脇に立つ。

 そんな三人をよそに、火矢は次々と屋敷に降り注ぐ。そしてガシャンと窓硝子が砕けたと同時に、一本の火矢がレナザードに向かって飛んで来た。

 レナザードはその矢を避けることなく素手で掴んだ。それを握力だけで折り、無表情に床に投げ捨てた。けれど、それは地面に着くこと無くふわりと浮かび上がり、外へと消えていった。

「さぁ主さま、お急ぎ下さいませ。スラリスをお迎えに行かなければなりませんからね」

 その声の持ち主は、一陣の風と共に降り立つ、レナザードの身の内に潜むもの。手にはレナザードの剣を掲げ持っている。

 レナザードは差し出された剣を手にすると、そこにいる側近ともう一人の自分に向かい静かに口を開いた。

「行くぞ」

 それは開戦の合図だった。戦端の幕が切って落とされた瞬間、この場にいる全員が今までに無い、冷笑を浮かべた。

 バイドライル国の兵は知らない。彼らが憤怒を超えると、冷笑を浮かべるということを。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 篝火に照らされ、屋敷の周囲だけは昼間のように明るい。屋敷の外塀から降り注ぐ矢は、まるで強風に煽られた赤い花びらのようにも見える。

「ある意味、雅な光景だな」 

 レナザードはふんっと、鼻を鳴らしながら剣で無造作に火矢を払い落とす。
 スラリスが屋敷を離れて四半刻も経たないうちに、屋敷は業火に塗れ、その中でレナザード達は戦を繰り広げていた。敵はおよそ二百。数でいうなら、レナザード達は圧倒的に不利な状況だ。が、しかし───。

「敵方も頑張りますね。三人に二百とは、かなりの気合の入れ方ですね」

 ケイノフはその華奢な容姿に似合わず、豪快に剣を振り上げ、塀からよじ登ってきた敵兵を一瞬で切り裂いた。

「窮鼠猫を噛むってか?」

 ダーナも剣を片手に、額に手をあて敵方を仰ぎ見る。
 しかし、その動きに無駄はない。次々に襲い来る敵兵を軽々と、なぎ倒していく。

「それを言うなら、熟慮断行だ」

 ひらりと、屋根に上ったレナザードは、敵兵の数を確認しながら面倒臭そうに吐き捨てた。

「いえ、単に往生際が悪いだけでしょう」
「……確かに」

 すっぱりと一刀両断するケイノフの言葉に、レナザードとダーナは同時に頷いた。と、明らかな人数の差であったが、三人は軽口を叩きながら、余裕綽綽と戦っている。

 レナザード達は恐ろしく強かった。その強さは、数で敵うものではない。端から切って捨てていくその荒行は、傍からみれば、鬼神と称される強さであった。

 片手間で応戦しても、夜明けまでにはケリが付くだろう。本来なら一気に片付けるのは面白くないと、真綿で首を絞めるようにじわじわと、撫で斬りにするものだが、今回は帰りを待つ者がいる。早々に終わらせなければならない。

 とはいえ、あちらが仕掛けてきたという事実は忘れてはいない。人間ごときに謀られたのだ。それなりの報復はさせてもらおう。

 そんなことを考えつつ、先ずは花を燃やした弓兵達を、あの世とこの世を繋ぐ河岸へと導いてやろうとレナザードは一気に弓兵へと切り込もうとしたその時───。

「主さま~!!」

 突然、場違いな甲高い声が戦場に響いた。

 何事かと眉をしかめたレナザードは、ふわりと屋根から飛び降りた。次いで、声のする方へ駆け出していく。しかしすぐ驚愕で、思わず息を呑んだ。

 そこには、リオンが血まみれで倒れ込んでいた。長い耳、ふかふかの茶色の毛に覆われた丸みを帯びた体。そして長いしっぽ。そう、本来の姿のままで。

 レナザードは、すぐに剣を放り出し、リオンを腕に抱きあげた。

「リオン、……しっかりしろ!これは、どういうことだ!?」
「ゆ…ユズリ……がおかしいの。スラリスを傷つけようとしてた。ごめんなさい、主さま、僕、ユズリを止めることもできなかったし、スラリスも護れなかったです……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 そう息も絶え絶えに呟くリオンは、もう子供の姿を保てない程に弱っている。

 リオンはその見た目とは裏腹に凶暴な妖獣だ。レナザード達と同様に、人間ごときの力では傷を負わせることなどできるわけがない。

 つまりリオンに傷を負わせたのは……ここに居ない異形の者、一人しかいない。そこまで考えレナザードは信じられない、と眉間に深い皺を刻んだ。

 そんな筈はない、有り得ないことだと、まるで自分に言い聞かせるようにレナザードは強く頭を振った。けれどどんなに強く頭を振ろうとも、なぜ裏切った、その言葉だけがぐるぐると頭の中で暴れている。

 ユズリが何を思って、こんな愚行に及んだのかレナザードはどう考えてもわからなかった。

 なぜなら、ユズリはレナザードにとって、数少ない心を許せる存在であり、最も血の近い者なのだから。両親が死んだ今、レナザードにとってユズリは、唯一の家族だった。

 異母兄弟であっても、かけがえのない妹なのだから。
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