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十六夜に願うのは

★渇望と気付けなかった過ち(レナザード視点)

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  この身は自分でありながら自分のものにあらず。この身は全て守るべきものの為にある。そう、心以外は全てを捧げ続ける決意で自分は一族の頂点となった。

 だから自分には欠けたものなどあってはならない。常に完璧が当たり前。ましてや、弱音を吐くなど言語道断だ。………そう思ってきたし、そう自分に言い聞かせてきた。例え、それがどれほど孤独で侘しいものだとしても。

 なのにスラリスはそんな固く閉ざした自分の心を、あっさりとこじ開けてくれた。新鮮なまでの驚きを言葉にするなら、この一言につきる。

「面白い」

 思わずそう口にした瞬間、スラリスは目を丸くし、むっとした表情を浮かべた。が、それすら苦痛を忘れさせてくれるものだった。彼女の飾らない言葉は、とても単純でわかりやすく、自分の心に何の抵抗も無く染み込んでいった。

 そして少し首を持ち上げ、感情のままに偽らない表情を見てせくれるスラリスを覗き込んだ。

「ああ、かなり痛い。やっぱりケイノフに言われた通りにすれば良かったな」

 素直な気持ちを口にした途端、再び痛みが和らいだ気がした。そして小さく息を付き、スラリスをちらりと見る。ついさっきまでの不機嫌な表情が一変して、今度は嬉しそうに何度も頷いている。

 皮肉なものだ。彼女を喜ばせようとあれこれと悩んだ挙げ句、何一つうまくいかなかったのに、格好悪く弱音を吐いた途端に望んだ顔を見ることができるとは。やはりスラリスの望むものはわかりにくい。

 そんな怪我人に向かって満面の笑みを浮かべる彼女を見て、やっとケイノフとダーナに並ぶことができたことを知る。────でも、まだ足りない。

 唐突に浮かんだその思いは、留まることなく溢れ出てくる。そう、もっとスラリスに近づきたい。彼女に触れたい。そして、この心をスラリスで満たしたい。

 だが熱で鈍っている思考では、その明確な答えを導き出すことができない。それがとても、もどかしい。

「レナザードさま、お辛いですか?ケイノフさまをお呼びしましょうか?」

 ままならない思考に苛立ちを覚えて顔を顰めた途端、スラリスの気遣う声が聞こえてきた。視線を動かせば、スラリスの瞳は不安そうに揺れていた。

「いや、呼ぶな。ケイノフを呼んでも、しかめっ面で俺に小言を言うだけだ。動けない状態であいつの嫌味を聞いたことがあるか?あれは相当堪えるぞ」

 冗談交じりにそう言えば、スラリスの瞳からは不安な色は消え、そうですかと神妙に頷く。が、堪え切れず彼女は豪快に吹き出した。そして、慌てて神妙な顔つきに戻るスラリスを見て、今度は自分が吹き出しそうになる。

 不思議な気持ちだ。スラリスと共にいると、たわいもないことが可笑しく思える。それは彼女を取り巻く世界が穏やかなせいなのだろうか。いや、違う。決して彼女は綺麗なものだけを見て、生きてきたわけではない。

 それに気付いた途端、何故かその笑顔が痛々しいものに思えた。

「無理して笑うな。お前も……弱音を吐いて良いんだぞ」

 感じたまま口にした言葉に、スラリスはできません、と小さく首を振る。

「つまらぬ意地を張るな。ここには俺しかいない。何でもいい……ここで吐き出せばいい」
「………できません」

 先ほど自分に向けられた言葉を、そのままスラリスに返してみたが、あっさり拒まれてしまった。まったく強情な奴だ、と苦笑が漏れる。自分には弱音を吐けと言ったくせに。

「俺だってお前に弱音を吐いたんだ。お前だけ言わないのはズルいぞ。………それとも俺には言いたくないのか?」

 そう言えばスラリスの顔が強張り、くしゃりと歪む。始めて見るその表情は、とても痛々しく小さな子供のようだった。

「不満なんて何もないんです。愚痴なんて絞っても出てきません。そのことが皆に申し訳ないんです」

 【皆】とはアスラリア国の共に過ごした仲間のことを指しているのだろう。その時、唐突に気付いた。スラリスはずっと寂しかったのだ。孤独だったのだ。

 よくよく考えれば、彼女の故郷は滅ぼされてしまったのだ。しかも彼女は籠の中の鳥のように、この屋敷に閉じ込められている状態。アスラリア国の仲間の安否を知りたくても、自分の足で探すことすらできないのだ。

 なのに、スラリスはそのことについて不満を漏らしたことはない。ただの一度も。

 もちろん屋敷を出るなと命じたのは他でもない自分だ。ただ永遠に閉じ込めるつもりはない。今すぐとは言えないが、それでもそう遠くない未来、彼女に全てとはいかないが、仲間の安否のことも自分たちのことも、できうるかぎり真実を伝えるつもりでいる。

 けれど、これは自分にとって都合の良い話でしかない。何も知らないスラリスにとっては、この先のことが何もわからない状態だったのだ。さぞかし不安だっただろう。

 肘を付き、半身を起こすとスラリスを抱き寄せる。一瞬、スラリスの体はそれを拒むように身をよじる。が、少し腕に力を込めれば、おとなしく自分の胸にもたれ掛かった。

「大丈夫だ。死ぬはずだったお前が生きているんだ。他の連中だって生き延びているに決まっている」

 これもまたスラリスから貰った言葉をそのまま返してみた。そうすれば今度は、素直にそうですよね、と頷いてくれた。

「俺の前では、飾らなくていい。弱いままでいい」

 スラリスの髪を撫でながら、無意識に零れた自分の言葉に少しだけ驚いた。この手で殺そうとしたこの彼女のことを、こんな気持ちで抱き寄せるなど想像もしてなかったから。

 それにしても、どうしてスラリスはティリアではないのだろう。

 ティリアがどのような者でも良かった。相容れない一族の娘でも、物の怪であっても。いっそ、血のつながった兄弟であっても。それでよかったというのに。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 今になって気付く。あの頃、もうすでにスラリスは自分にとって特別な存在だったのだ。なのにティリアの幻影に囚われていた自分はそれに気付くことができなかった。

 今でも思う。あの時気付いていたなら、あんな形でスラリスを傷つけることもなかったというのに。
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