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十六夜に願うのは
それは二人で過ごす夜でもあって
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嫌といえない雰囲気に押され、私は結局、一晩レナザードに付き添うことになってしまった。往生際悪く、どう考えても医師であるケイノフこそが付き添いの適任だと反論したけれど、あっさり【処置は終わったから、後はほっといても大丈夫】と、言われてしまった。
ついでにダーナをちらりと見たけれど、彼は絶対に私と目を合わせようとはしなかった。ということで、責任重大な任務を請け負うことになったのだ。これはやらかし厳禁、気を引き締めないといけない。
ただそれまでには時間が有り余っている。ケイノフとダーナからは何もしなくていいと言われたが、【嫌です】【駄目です】という押し問答の末、私はダーナの料理の味見係とレナザードの上着の洗濯をする権利をもぎ取ることができた。
屋敷を整えるための仕事を、側近達と奪い合うなんて未曾有の経験だけれど、ここ最近、驚くことばかり続いて【そんなもんだ】とさらりと流せるようになってしまった。
でもそんな自分どうよ?とツッコミを入れることはしない。このお屋敷でいちいち驚いていてはキリが無いのだ。そんなふうに悟りを開くことができた私は、もうこの屋敷のメイドとして一人前になれたみたいだ。
そして夜も老けた頃、私はケイノフとの約束を忠実に守り、レナザードの部屋に向かった。もちろんこれまた言われた通り、痺れ薬を、こっそり制服のポケットに忍ばせて。
「……レナザードさま、入ります」
レナザードは勝手に入って良いと言っていたし、一度は私もそれに甘えたけれど、やはり今回は入室許可をいただいてから入らなければならない。
「…………」
やはり返事は無い。もうレナザードは私が勝手に入ってくるものだと思い込んでいるのだろうか、それとも返事すらできない状況なのだろうか。
一瞬よぎった不吉な考えは消し去るどころか、どんどん膨らんでしまい、最終的にもしかして容体が急変したかもという妄想に襲われて、結局今回も勢い良く扉を開けてしまった。
「─────……って、あれ?」
部屋中に響き渡った扉を開ける音が消える前に、私は間抜けな声を出してしまった。
一瞬、部屋を間違えたかと疑うほど、本が溢れていた部屋が、すっきりと片付いていたから。ああ、そうか。私の後を引き継いで、ケイノフが片付けてくれていたのだ。
けれど、視界が広がり部屋の隅々まで見通すことができるのに、肝心のレナザードの姿が見えない。あんな傷を抱えて一体どこに消えた!?と慌てふためいたのは一瞬で、すぐにもう一つ扉があることに気付いた。そして気付いた瞬間、私はドアノブに手をかけていた。
「すみません、レナザードさま、勝手に入らせていただきます!」
殆ど体当たりするような勢いで扉を開けた瞬間、目の前にがらんとした空間が広がっていて、目を丸くする。
扉の奥の部屋は、本に埋もれていた続き間とは思えないくらい、何もない部屋だった。ただ大きな寝台が部屋の中央にあるだけ。
ソファもチェストも、まして部屋を飾るための絵画も置物も一切ない。唯一家具と呼べるものと言えば身だしなみを整える為にある簡素な鏡が壁に取り付けてあるのと大きな窓があるだけ。
これから初夏へと向かうというのに、この部屋だけはひどく寒々しい。そしてこの広く寂しい部屋で、レナザードは独り荒い息をしながら寝台に横たわっていた。
今更遅いと思いながらも、足音を立てないよう近づき、そっと覗き込む。熱が高いのだろう、額には大粒の汗が浮き上がり、堅く目を閉じている。でも……良かった、生きている。
「レナザードさま、傷、痛みますか?」
ほっとしたのは一瞬のことで、すぐに枕元に腰を下ろすと、額に浮いているレナザードの汗を傍にあった手ぬぐいで拭い、囁くように問いかけた。
「もう少し静かに入って来れないのか?」
薄く目を開けたレナザードの開口一番がこれだった。
「申し訳ありません。ちょっと一抹の不安に駆られて……」
「馬鹿なことを考えるな。……こんな傷、たいしたことない……っ痛」
私の言葉に、レナザードは薄く笑う。しかし、やはり傷が痛むのであろう、彼は直ぐに苦悶の表情を浮かべてしまった。
ああ、もう………どうしてそんなことを言うのだろう。幼い頃は、そんな彼に向かって頭ごなしに怒鳴りつけることができた。
でも今は、私は一晩付き添うだけのただのメイドでしかない。あの頃と同じ感情なのに、何も言えない自分がもどかしい。
きっとレナザードは朝から立っているのも、やっとだったのだろう。なのに、そんなそぶりも見せず、朝食を食べない私を気に掛けてくれた。そして身体を休めないといけないのに、この部屋で本を読ませようともしてくれたのだ。
………腹が立つ。言い様のない怒りが込み上げてくる。レナザードではなく、自分に向けて腹が立つ。
私だってもう、あの頃のような無知で無邪気だった子供ではない。それなりに月日を重ねて、それなりに色んなことを学んできたつもりだ。
だからわかってしまう。レナザードがただ単に片意地を張っているわけではない、ということも。
彼はきっと私が知らない多くのものを抱えているのだろう。おいそれと弱みを見せることのできない立場の人間なのだろう。
でもこんな時ぐらいと、思ってしまうのは、傲慢な考え方なのだろうか。いや、それで良いと思う。傲慢でも、押し付けであってもレナザードの身体を心配することは間違っていないはず。
私はレナザードの汗を再び拭うと、そっと掛布から出ているレナザードの手に自分の手を重ねる。そして彼に向かって言葉を紡ぐ。
幼い頃は感情の赴くままに口を開いていた。でも今は彼に届くように、伝わるように、一生懸命に言葉を探して、選んで───ゆっくりと口を開いた。
「辛いときは辛いと言って下さい。私はあなたの側近でもなければ、守るべきものでもありません。……ですから、弱い所を見せても大丈夫なんです」
反対の手も、レナザードの手に重ねながら、必死に語りかけた。けれど、彼の口から出た言葉はこうだった。
「お前、面白いこと言うな」
「はぁ!?」
怪我人を前にして、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
でも、そう言いたくなる気持ちは押さえ切れない。レナザードの言うことは、まったくもって面白くない。本当に自分のことになると素直じゃないのは、昔のままだ。
ついでにダーナをちらりと見たけれど、彼は絶対に私と目を合わせようとはしなかった。ということで、責任重大な任務を請け負うことになったのだ。これはやらかし厳禁、気を引き締めないといけない。
ただそれまでには時間が有り余っている。ケイノフとダーナからは何もしなくていいと言われたが、【嫌です】【駄目です】という押し問答の末、私はダーナの料理の味見係とレナザードの上着の洗濯をする権利をもぎ取ることができた。
屋敷を整えるための仕事を、側近達と奪い合うなんて未曾有の経験だけれど、ここ最近、驚くことばかり続いて【そんなもんだ】とさらりと流せるようになってしまった。
でもそんな自分どうよ?とツッコミを入れることはしない。このお屋敷でいちいち驚いていてはキリが無いのだ。そんなふうに悟りを開くことができた私は、もうこの屋敷のメイドとして一人前になれたみたいだ。
そして夜も老けた頃、私はケイノフとの約束を忠実に守り、レナザードの部屋に向かった。もちろんこれまた言われた通り、痺れ薬を、こっそり制服のポケットに忍ばせて。
「……レナザードさま、入ります」
レナザードは勝手に入って良いと言っていたし、一度は私もそれに甘えたけれど、やはり今回は入室許可をいただいてから入らなければならない。
「…………」
やはり返事は無い。もうレナザードは私が勝手に入ってくるものだと思い込んでいるのだろうか、それとも返事すらできない状況なのだろうか。
一瞬よぎった不吉な考えは消し去るどころか、どんどん膨らんでしまい、最終的にもしかして容体が急変したかもという妄想に襲われて、結局今回も勢い良く扉を開けてしまった。
「─────……って、あれ?」
部屋中に響き渡った扉を開ける音が消える前に、私は間抜けな声を出してしまった。
一瞬、部屋を間違えたかと疑うほど、本が溢れていた部屋が、すっきりと片付いていたから。ああ、そうか。私の後を引き継いで、ケイノフが片付けてくれていたのだ。
けれど、視界が広がり部屋の隅々まで見通すことができるのに、肝心のレナザードの姿が見えない。あんな傷を抱えて一体どこに消えた!?と慌てふためいたのは一瞬で、すぐにもう一つ扉があることに気付いた。そして気付いた瞬間、私はドアノブに手をかけていた。
「すみません、レナザードさま、勝手に入らせていただきます!」
殆ど体当たりするような勢いで扉を開けた瞬間、目の前にがらんとした空間が広がっていて、目を丸くする。
扉の奥の部屋は、本に埋もれていた続き間とは思えないくらい、何もない部屋だった。ただ大きな寝台が部屋の中央にあるだけ。
ソファもチェストも、まして部屋を飾るための絵画も置物も一切ない。唯一家具と呼べるものと言えば身だしなみを整える為にある簡素な鏡が壁に取り付けてあるのと大きな窓があるだけ。
これから初夏へと向かうというのに、この部屋だけはひどく寒々しい。そしてこの広く寂しい部屋で、レナザードは独り荒い息をしながら寝台に横たわっていた。
今更遅いと思いながらも、足音を立てないよう近づき、そっと覗き込む。熱が高いのだろう、額には大粒の汗が浮き上がり、堅く目を閉じている。でも……良かった、生きている。
「レナザードさま、傷、痛みますか?」
ほっとしたのは一瞬のことで、すぐに枕元に腰を下ろすと、額に浮いているレナザードの汗を傍にあった手ぬぐいで拭い、囁くように問いかけた。
「もう少し静かに入って来れないのか?」
薄く目を開けたレナザードの開口一番がこれだった。
「申し訳ありません。ちょっと一抹の不安に駆られて……」
「馬鹿なことを考えるな。……こんな傷、たいしたことない……っ痛」
私の言葉に、レナザードは薄く笑う。しかし、やはり傷が痛むのであろう、彼は直ぐに苦悶の表情を浮かべてしまった。
ああ、もう………どうしてそんなことを言うのだろう。幼い頃は、そんな彼に向かって頭ごなしに怒鳴りつけることができた。
でも今は、私は一晩付き添うだけのただのメイドでしかない。あの頃と同じ感情なのに、何も言えない自分がもどかしい。
きっとレナザードは朝から立っているのも、やっとだったのだろう。なのに、そんなそぶりも見せず、朝食を食べない私を気に掛けてくれた。そして身体を休めないといけないのに、この部屋で本を読ませようともしてくれたのだ。
………腹が立つ。言い様のない怒りが込み上げてくる。レナザードではなく、自分に向けて腹が立つ。
私だってもう、あの頃のような無知で無邪気だった子供ではない。それなりに月日を重ねて、それなりに色んなことを学んできたつもりだ。
だからわかってしまう。レナザードがただ単に片意地を張っているわけではない、ということも。
彼はきっと私が知らない多くのものを抱えているのだろう。おいそれと弱みを見せることのできない立場の人間なのだろう。
でもこんな時ぐらいと、思ってしまうのは、傲慢な考え方なのだろうか。いや、それで良いと思う。傲慢でも、押し付けであってもレナザードの身体を心配することは間違っていないはず。
私はレナザードの汗を再び拭うと、そっと掛布から出ているレナザードの手に自分の手を重ねる。そして彼に向かって言葉を紡ぐ。
幼い頃は感情の赴くままに口を開いていた。でも今は彼に届くように、伝わるように、一生懸命に言葉を探して、選んで───ゆっくりと口を開いた。
「辛いときは辛いと言って下さい。私はあなたの側近でもなければ、守るべきものでもありません。……ですから、弱い所を見せても大丈夫なんです」
反対の手も、レナザードの手に重ねながら、必死に語りかけた。けれど、彼の口から出た言葉はこうだった。
「お前、面白いこと言うな」
「はぁ!?」
怪我人を前にして、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
でも、そう言いたくなる気持ちは押さえ切れない。レナザードの言うことは、まったくもって面白くない。本当に自分のことになると素直じゃないのは、昔のままだ。
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