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季節外れのリュシオル

★季節外れのリュシオル【レナザード視点】

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 スラリスからティリアとの出会いを聞きたいと言われた瞬間、大切な宝物を無遠慮に触られたような気がして《お前には関係ない》と言いかけた。

 が、スラリスは真剣な表情で自分が口を開くのを待っている。決して野卑な感情で聞いているわけではないようだ。自分の昔話を聞いて何を得たいのかはわからないが、彼女が必要とするなら、と思い話すことにした。

 ただティリアとの出会いを語る前に、スラリスに聞きたいことがある。

「スラリス、お前はリュシオルを知っているか?」

 まさかいきなり問いかけられるとは思っていなかったのだろう。隣に座るスラリスは、飛び上がらんばかりに驚いた。

 おっかなびっくりのその様子に、吹き出すのを堪えながら続きを待っていると、スラリスはおたおたと視線を彷徨わせながら口を開いた。

「は、はい。あ、あの、見た事あります……かなり昔ですが。確か、東洋の言葉ではホタルですよね?」
 
 そう言いながらスラリスは人差し指をぴんと立てて、くるくる回し始めた。

 ………多分、リュシオルが飛ぶさまを表現しているのだろう。ちょっと違うような気がするが、ホタルという単語がでてきたから間違いないだろう。

 夏の訪れを告げる幻想的な光を放つそれは、特定の地域にしか生息しない希少な昆虫だ。スラリスが知っていたことにも驚きだが、更に見たことがあるのにもっと驚いた。

 反対に自分の驚いた顔を見てスラリスは間違ったことを言ったのかもと不安げな様子だ。すぐにスラリスに正解だと伝え、そのまま庭に視線を向けた。ただ視界に映るのは春の庭ではなく、あの日のおぼろげな記憶の景色だった。
   
「ティリアと出会ったのは、ケイノフとダーナが俺の側近になる以前だから、かなり昔のことだ。ほんの一時期、ティリアと共に過ごした時期があったんだ。……まあ、共に過ごしたといっても、彼女にとっては記憶に残らない僅かな時間だったがな」

 そうスラリスに話しかけながら、初めて出会った頃の自分とティリアに想いを馳せた。
 
「俺は王族でもなければティリアと血縁関係があったわけでも、親同士に繋がりがあったとか、そういう訳ではなかった。ただ偶然に知り合っただけだ。……悪いが詳しい場所やどういう知り合い方をしたかは話せない。許せ」

 詳細を語れないのは、ティリアの了承を得てないから、というのもあるが、何より自分が異形のものだということをスラリスに知られたくないから。

 一番肝心なところを曖昧にしてしまったけれど、スラリスは不満げにするそぶりも見せず、とんでもないと両手を前に出し、首と共にぶんぶんと激しく振った。

 そこまで委縮しなくてもと思うが、多分これがスラリスの素なのだろう。くるくると変わる表情がとても新鮮でもう少し見ていたかった。だが、スラリスから先を続けて下さいという言葉で、再び過去の思い出を紡ぐ。

「ティリアと話すことと言えば、いつもとりとめもないものだった。実は、俺も覚えていない」

 少しおどけてそう言えば、スラリスもつられて口元を綻ばせる。打てば返ってくるスラリスの反応に素直に話をするのが楽しいと感じてしまう。

「ただ何を話したのか、どれだけ長く一緒に居れたか。それはあまり重要ではなかったんだ。まぁ……本来、男女が惹かれ合うのに、そこが一番大事なのかもしれないけどな」

 再びおどけた口調でスラリスに同意を求めれば、今度はスラリスからは少し翳りのある笑みが返ってきた。どうやら、生々しい色恋については、興味がなかったようだ。

 コホンと咳ばらいをして、再び庭に視線を移せば、ティリアと共に過ごした日々が先ほどより鮮明に思い出すことができた。

 スラリスには話せないが、自分達異形の者は産まれた時から身の内にもう一つ禍々しいものを潜めている。

 それは一生己の身の内から離すことができず、気を抜けばそれに取り込まれてしまうのだ。だから幼少の頃から、強靭な精神と肉体を手に入れるべく厳しい訓練が必要とされる。

 今ならそれがどれだけ大切なものか理解できるが、幼い自分にはそれがただ辛く苦しいものでしかなかった。何もかもが嫌で、逃げ出したかった。いや、本当に逃げたのだ。そして逃げた先にあった薄汚い小屋で、ティリアと出会ったのだ。

 会い続けていた期間はひと月ほどだっただろうか。ただ会える回数も時間も僅かで、それでも会える時間は特別なものだった。

 けれど、この時間は限りがあるもの。ティリアが王女だということは人伝ひとづてで知っていた。彼女だって、近いうちに自分の為に時間を作るのは難しくなるだろう。

 そう遠くないうちに、たった一つの自分の居場所が消えてしまう、そう勝手に追い詰められた自分はある時、ティリアに弱音を吐いてしまった。この先、自分には絶望する未来しかない。だから、一緒に逃げて欲しいと。

 しかしティリアは、きょとんとした表情でこう言ったのだ。

【そんなこと言われても、わからないよ。だって……私は、あなたの未来を見たことないもん】

 縋るような思いで吐いた言葉だったのに、随分とあっけらかんとした返事が返ってきた。

 突き放されたと落胆してもおかしくないその言葉は、自分には雷に打たれたような衝撃が走るものだった。

 見方を変えれば、未来など誰も見たことのないもの。不安を感じるのは、眩しくて先が見えないだけのこと。そう考えれば、未来はきっと明るいもので、自分の手で開けるものだと解ったのだ。

 そうしたら、自分は声に出して笑っていた。嬉しかったのだ。求めた言葉は違っていたが、それ以上の言葉をティリアは自分に与えてくれたから。

 その時、自分は堅く心に決めたのだ。大切なことを気付かせてくれたティリアを護る自分になりたいと。

 そしてもう一つ思い出した。この想いが胸に宿った時は、切なくなる程に美しい夕日が二人を照らしていた。

「ティリアを救い出したのは、あの日ある約束をしたからだ」
「………約束、ですか?」

 聞いてみて良いものかどうか悩んだ末、スラリスは恐る恐るそう問うてきた。だから、あいつらには内緒だぞと前置きして、口を開いた。
 
「君を護れる自分になる、と。だからあの日、ティリアを助けようとした」

 そこまで言ってはっと気付く。その直後、自分はスラリスをティリアと勘違いして城から連れ出したことを。そしてその後、どうなったかといえばどうもこうもない、今に至るのだ。ただその過程で、色々口にするのが阻まれることがあった。

 そこには触れない方が良い。スラリスだって好き好んで聞きたい話ではないだろう。という結論に至り、早々に切り上げようと少し早口になって強引に締めくくった。

「まぁあれだ、出会いは偶然だっが、俗世の表現をするなら初恋というものだったんだ。ティリアはな、ずっと俺にとって季節外れのリュシオルのような存在なんだ。………スラリス、これぐらいで勘弁してくれ」
「はい、レナザードさま。あの………話してくれて、ありがとうございました」

 そう言ってほほ笑んだスラリスの眼差しはとても優しげで、彼女がいるそこだけがまるで陽だまりのように暖かかそうだった。

 そんな彼女の髪に頬に触れてみたいとレナザードは思った。

 それはティリアを抱こうとしたあの晩の激しい欲求ではなく、彼女のことをもっと知りたいという強い意志からくるものだった。
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