上 下
24 / 89
季節外れのリュシオル

★飛び込み未遂とあの日の真実(ケイノフ目線)①

しおりを挟む
 それからまたまた数日後、スラリスは井戸に映る自分の姿をじっと見つめていた。………というのは嘘で、ただ単に凝り固まった腰を伸ばしていただけである。

 実をいうと、井戸の淵に手を付きストレッチをするのが、アスラリア国にいた頃から続いているスラリスの腰痛と肩コリの解消法。井戸の淵が丁度良い高さなのだ。

 ババ臭いかもしれないが、職業病というのは誰もが抱えてる。かつてのアスラリア国の城の従業員達も皆、ベストポジションがあり暇を見つけては凝り取りをしていたのだ。

 慢性的な疲労は積み重なると大病に繋がるので、人目を避けこっそりとやる分には、誰かにとやかく言われるものではない。むしろ推奨ものだ。

 がしかし、今回は場所と時刻が悪かった。

 無心に凝りをほぐしているスラリスは、たまたま傍を通りかかったケイノフに気付けなかったのだ。スラリスの仕事を手伝おうと、声を掛けようとした途端にケイノフはぎょっと目を剥いた。

 井戸の淵に両手を置き中を覗きこんでいるスラリスは、いつその手を離してもおかしくない状況で…………それは身投げ寸前の姿にしか見えなかった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 
 ケイノフは、スラリスに気付かれないように、慎重に足音を消しながら抜き足差し足で、そっと傍に近づいた。

「早まってはなりません!」
「────……ぅわ。びっくりしました。え、ケイノフさま?どうしたのですか?」

 きょとんと振り返ったスラリスは、悲壮な影は全く見えない。

「……え?」

 身投げをするつもりではないのか、などとは口が裂けても言えない状況で、ケイノフは掴んだままのスラリスの腕を慌てて緩める。

「い……いや、その……。そっ、そのように身を乗り出しては危ないですよ」

 少し悩んで、ケイノフは苦し紛れに、子供に注意するようなことを口にした。

「そうですね。申し訳ありません。気を付けます」

 ケイノフの言葉に、スラリスは素直に頷く。が、ケイノフの早とちりは、ごまかすことができなかったらしい。くるりと瞳を動かし少し意地悪そうな笑みを浮かべた。

「ケイノフさま、私は身投げなど致しませんよ」

 スラリスはくすくすと笑いながら目を細めている。反対にケイノフは、バレていたのかと苦笑を漏らした。ただスラリスも紛らわしい行動をしていたことは自覚があるようで、きまり悪そうに口を開いた。

「………実はですね、アスラリア国にいた頃、井戸はヤバイって良く言われてたんです。いつか身投げと勘違いされるって。でもこの高さ、凝りをほぐすのにはちょうどいい高さなんです」

 そう言って、スラリスは井戸の淵をぽんぽんと叩く。

 なるほど、背の低いスラリスにはこの高さが適切なのだろう。ただ屋敷のどこを使っても良いから、井戸で凝り取りをするのだけは勘弁してほしい。そんなことを考えつつも、斜め上の真相に思わず笑みが零れる。しかし、ケイノフの笑みは直ぐに消えた。

 穏かに微笑むスラリスが、どこか淋しそうに見えたからだ。無理に笑っているのは、もう二度と故郷の地を踏むことはできないと悟っているからなのだろう。

「スラリス、やはり故郷が恋しいですか?もし仮にですよ………散って行った仲間の元へ行きたいのなら私に言って下さい。ここから出してあげます。主は少々怒るかもしれませんが、あなたを殺すことはしないはずです」

 あなたにも家族がいるのでしょう、とケイノフは付け足した。だが、スラリスは静かに首を横に振った。

「ありがとうございます。でも、私には行きたいところも、家族もいないです」
「家族が……いない?」
 
 レザナードから堅く口留めされているせいで、スラリスはアスラリア国の一部の民が安全な地にいることを知らない。だから行きたいところがないと言うのは致し方無い。ただ、その後の家族についてのスラリスの言葉は気にかかる。

 そう思った途端、ケイノフはオウム返しに問うてしまっていた。不躾な質問だとスラリスは不快な顔をするかと思いきや、表情を崩さず是と頷いたあと、その理由を説明した。

「私はアスラリア国の貧しい農民の子供でした。親は私を僅かなお金と引き換えに売ったのです。と、言っても私が売られてすぐに流行病で死んでしまいましたが」

 他人事のように自分の生い立ちを語るスラリスは、笑みは崩していないのに、どこか投げやりな口調だ。まるで過去のことは全て忘れてしまいたいと言いたいように。

 メイドという立場上、自分からこの話題を終わらすことができないスラリスは、視線を上にあげ空を見つめる。これ以上何も話したくない、ということなのだろう。

 誰にだって触れて欲しくないものがある。それがわかるケイノフは無理矢理スラリスの過去を聞くつもりはない。

「そうでしたか」
 
 そう短い言葉で締めくくり、ケイノフは話題を変えるべく口を開いた。

「何か不自由なことはないですか?」
 
 ほっとした笑みを浮かべたスラリスは、ケイノフの問いに軽く首を振って答える。

「ケイノフさま、私はここの生活に何も不自由はありません。メイドも私が勝手にやっていることなので、気になさらないでください」

 そう言い切ったスラリスは井戸から少し離れ、ケイノフと体ごと向き合った。

「でもレナザードさまは私がメイドとして歩き回るのは不快なことでしょうね……。いえ、それ以前に自分を誑かした人間が同じ屋根の下に居るなんて考えたくもないのかもしれません。今更ですが……本当に、申し訳ないことをしました」

 そう言って今にも泣きそうな顔で頭を下げようとするスラリスを、ケイノフは爽やかな笑みを浮かべて止めた。

「あっ、若のことは気にせずとも良いのです。本当に。まぁ、なんていうか、単なる《こじらせ》ですから」 

 ケイノフの言葉に、スラリスはあんぐりと口を開けたまま固まった。

 しばらくその状態であったが《お風邪をこじらせましたか》と呟いた。その発想は面白いので、訂正はしないでおこうとケイノフは無言を貫いた。

 それにしてもこちら側では既に過去の事となっているあの一件を、スラリスがまだ引きずっていることに、ケイノフは驚く。と同時に視界の隅に二つの人影が現れた。

 一人はダーナ。もう一人は推して知るべし。

 これは良い機会だと、ケイノフは心の中で指を鳴らした。そして彼自身も聞いてみたいことがある。ただそれはスラリスとっては、随分と意地悪な質問になるけれど。

 それを知りながら敢えて聞く自分は意地が悪いと思いつつ、ケイノフは遠くにいる二人にも聞こえるよう声量を上げて口を開いた。

「そんなに悔いているのなら、どうして自分から偽りの王女だと告げたのです?ずっとティリア王女として、偽り続ければよかったではないですか?」

 あの晩の出来事の詳細をケイノフもダーナも知らない。ただ【こいつはティリアじゃない、偽物だ】そうレナザードから短い説明があっただけ。

 だからあの時、スラリスが何を思って自分の口から偽物だと言ったのかを自分の主に聞かせてやりたい、いや聞いて欲しいのだ。もちろんケイノフ自身も興味がある。

 そんなケイノフの思いを知らないスラリスは、視線を彷徨わせ何か言葉を探しているようであった。が、一つ息をつき真っ直ぐケイノフを見つめて口を開いた。

「見てしまったのです。レナザードさまの傷を。とても……ひどい怪我でした」

 二つの影は動かない。間違いなく次に紡ぐスラリスの言葉を待っているのだろう。ケイノフも二人と同様、急かすことなくスラリスが再び口を開くのを静かに待った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

誕生日に捨てられた記憶喪失の伯爵令嬢は、辺境を守る騎士に拾われて最高の幸せを手に入れる

八重
恋愛
記憶を失ったことで令嬢としての生き方を忘れたリーズは17歳の誕生日に哀れにも父親に捨てられる。 獣も住む危険な辺境の地で、彼女はある騎士二コラに拾われた。 「では、私の妻になりませんか?」 突然の求婚に戸惑いつつも、頼る人がいなかったリーズは彼を頼ることにする。 そして、二コラと一緒に暮らすことになったリーズは彼の優しく誠実な人柄にどんどん惹かれていく。 一方、辺境を守る騎士を務める二コラにも実は秘密があって……! ※小説家になろう先行公開で他サイトにも公開中です ※序盤は一話一話が短めになっております

ヴァルプルギスの夜が明けたら~ひと目惚れの騎士と一夜を共にしたらガチの執着愛がついてきました~

天城
恋愛
まだ未熟な魔女であるシャナは、『ヴァルプルギスの夜』に一人の騎士と関係を持った。未婚で子を成さねばならない魔女は、年に一度のこの祭で気に入った男の子種を貰う。 処女だったシャナは、王都から来た美貌の騎士アズレトに一目惚れし『抱かれるならこの男がいい』と幻惑の術で彼と一夜を共にした。 しかし夜明けと共にさよならしたはずの騎士様になぜか追いかけられています? 魔女って忌み嫌われてて穢れの象徴でしたよね。 なんで追いかけてくるんですか!? ガチ執着愛の美形の圧に耐えきれない、小心者の人見知り魔女の恋愛奮闘記。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~

咲桜りおな
恋愛
 前世で大好きだった乙女ゲームの世界にモブキャラとして転生した伯爵令嬢のアスチルゼフィラ・ピスケリー。 ヒロインでも悪役令嬢でもないモブキャラだからこそ、推しキャラ達の恋物語を遠くから鑑賞出来る! と楽しみにしていたら、関わりたくないのに何故か悪役令嬢の兄である騎士見習いがやたらと絡んでくる……。 いやいや、物語の当事者になんてなりたくないんです! お願いだから近付かないでぇ!  そんな思いも虚しく愛しの推しは全力でわたしを口説いてくる。おまけにキラキラ王子まで絡んで来て……逃げ場を塞がれてしまったようです。 結構、ところどころでイチャラブしております。 ◆◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◆  前作「完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい」のスピンオフ作品。 この作品だけでもちゃんと楽しんで頂けます。  番外編集もUPしましたので、宜しければご覧下さい。 「小説家になろう」でも公開しています。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。

真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。 狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。 私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。 なんとか生きてる。 でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

氷の騎士は、還れなかったモブのリスを何度でも手中に落とす

みん
恋愛
【モブ】シリーズ③(本編完結済み) R4.9.25☆お礼の気持ちを込めて、子達の話を投稿しています。4話程になると思います。良ければ、覗いてみて下さい。 “巻き込まれ召喚のモブの私だけが還れなかった件について” “モブで薬師な魔法使いと、氷の騎士の物語” に続く続編となります。 色々あって、無事にエディオルと結婚して幸せな日々をに送っていたハル。しかし、トラブル体質?なハルは健在だったようで──。 ハルだけではなく、パルヴァンや某国も絡んだトラブルに巻き込まれていく。 そして、そこで知った真実とは? やっぱり、書き切れなかった話が書きたくてウズウズしたので、続編始めました。すみません。 相変わらずのゆるふわ設定なので、また、温かい目で見ていただけたら幸いです。 宜しくお願いします。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

処理中です...