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始まりは王女の名で
命の恩人と私が欺く理由
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誰もいなくなった部屋で、夜着の右袖をそっとめくる。手首には、うっすらと人の手で掴み上げたような指の痕が残っていた。
この痣は、レナザードの手によってできたもの。そして、自分を救ってくれた何よりの証。そんな命の恩人である彼と二度目に会ったのは、私がこの屋敷で目を覚ました直後だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
落城の混乱から再び目を覚ました瞬間、良く通る青年の声が部屋に響き渡った。
「ティリア!」
声と同時に、いきなり青年に抱きすくめられたのだ。突然のことで私は声を上げることすらできなかった。
「良かった。目を覚ましたんだな」
青年はもう一度良かったと繰り返し、大きく息を吐いた。それは、まるで長い苦痛からようやく解放された安堵のため息のようだった。
呆然とする私をよそに青年は息をすべて吐き出すと、腕を緩め私と視線を合わせた。私の瞳に、声の主がはっきりと目に映る。
私を覗き込む声の主は私より少し年上のようで、思わず息を呑むほど丹精な顔立ちをしていた。全体的に明るい赤茶色の髪が窓から差し込む陽の光で、毛先と瞳が金色になる不思議な色合いを持つ青年。これが屋敷の主、レナザードの第一印象だった。
さてさてそんな優男に抱きしめられれば、年頃の淑女なら頬を染めるなり、悲鳴をあげるなり、色々あるだろう。が、私はというと……。 、
なんなの、こいつ。胡散臭い
色恋に疎い私は、淑女の心得より、警戒心のほうが勝っていたのである。
そして泉のように湧き上がった警戒心のおかげで瞬時に覚醒した私は、自分の置かれている状況をすぐさま把握することができた。端的に言えば彼は私をティリア王女だと勘違いして、城から助け出したらしい。
つまり、まぁ………あれだ、幸か不幸かわからないけれど、彼はティリア王女が騎士であるモーリスと落城のドタバタに便乗して駆け落ちしたことを知らないのだ。
そして、愛おしそうに目を細める彼を見て、この救出劇はティリア王女への想いからきたものだと理解する。というわけで、胡散臭いなどと声に出したら、彼の目は、間違いなく死んでしまうだろう。
なんかごめんね感と共に今は、軽はずみな言動は控えたほうが賢明だと判断する。ただ、とき既に遅し。私は言葉にする代わりに、眉間に一本、深い皺を刻んでしまっていた。
「ティリア?どうされた?」
おずおずと問う赤茶髪の優男は、私の警戒心にまったく気付いていない。この男、わざとなのか、それとも本気で自分をティリア王女と信じきっているのかは、まだわからない。というか………そもそもこの人誰?
よく見れば、この男の身なりは、かなり豪奢なものだ。銀糸の刺繍が施された濃緑色の上着はそこそこの領主レベルの人間が身に着けるもの。更に袖口から覗く宝石が連なった腕輪は一介の騎士が、纏うものではない。この男、実は名のある人物なのであろうか。ただアスラリア国の者ではないはず。
メイドという仕事柄、城にいた頃は自国の領主や名のある人物を沢山目にしてきた。けれど、この顔に見覚えはない。それに私が知らなくても、お城の裏方の一部は女の園、これ程の美丈夫が噂にならないはずははい。
安易な推理かもしれないが、この男は他国の人間ではあるけれど、かなりバイドライル国に精通しているような気がする。なにせ、自国を滅ぼされた私達だって襲撃されることを予測できなかったのだから。それなのに彼は、あの大勢の敵兵をかいくぐり救出に来たのだ。
助けた理由は、個人的にティリア王女を手籠にでもする気なのだろうか
その発想に、ざわりと鳥肌が立つ。助けてくれた恩は感じるけれど、だからといって純潔まで捧げる気はない。
ただ、考えようによっては、自分がここでティリア王女として過ごしている間は、私は安全を確保されている。常に貞操の危機を意識して緊張感を持っていなくてはならないが。でも時を見てさっさととんずらすれば良いのだから、偽り続けるのはそんなに難しいことではないはず。
そう思った瞬間、私は赤茶髪の優男の手を取り、優雅に微笑んだ。
「私を救い出してくれてありがとう。………あの、お名前を聞いても良いかしら?」
「ああ、いきなりですまなかった。レナザードだ」
やっぱり聞いたことの無い名前だ。なら、やはり今は様子を見よう。
「そう。レナザードさま………しばらくの間、お世話になります」
《ティリア王女》に見つめられた優男は、更に嬉しそうに目を細めた。もちろん私はその瞬間を見逃さなかった。さらに優男の手を強く握りしめる。
「でも、こんな夜着のまま異性と会うべきではない、という常識は、ご理解いただけますよね?」
要約すると、《傷が完治するまで、この部屋に来るな》である。レナザードは、頑なにそれを守っている。
そんなこんなの経緯があって、あれからレナザードとは顔を合わせてはいない。もちろん貞操の危機もない。
ちなみにケイノフの診察通り私の怪我は、順調に回復した。時間がかかると言われていた足の裏の傷も、ふさがり始め、あとは日日薬に頼るのみとなった。
この痣は、レナザードの手によってできたもの。そして、自分を救ってくれた何よりの証。そんな命の恩人である彼と二度目に会ったのは、私がこの屋敷で目を覚ました直後だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
落城の混乱から再び目を覚ました瞬間、良く通る青年の声が部屋に響き渡った。
「ティリア!」
声と同時に、いきなり青年に抱きすくめられたのだ。突然のことで私は声を上げることすらできなかった。
「良かった。目を覚ましたんだな」
青年はもう一度良かったと繰り返し、大きく息を吐いた。それは、まるで長い苦痛からようやく解放された安堵のため息のようだった。
呆然とする私をよそに青年は息をすべて吐き出すと、腕を緩め私と視線を合わせた。私の瞳に、声の主がはっきりと目に映る。
私を覗き込む声の主は私より少し年上のようで、思わず息を呑むほど丹精な顔立ちをしていた。全体的に明るい赤茶色の髪が窓から差し込む陽の光で、毛先と瞳が金色になる不思議な色合いを持つ青年。これが屋敷の主、レナザードの第一印象だった。
さてさてそんな優男に抱きしめられれば、年頃の淑女なら頬を染めるなり、悲鳴をあげるなり、色々あるだろう。が、私はというと……。 、
なんなの、こいつ。胡散臭い
色恋に疎い私は、淑女の心得より、警戒心のほうが勝っていたのである。
そして泉のように湧き上がった警戒心のおかげで瞬時に覚醒した私は、自分の置かれている状況をすぐさま把握することができた。端的に言えば彼は私をティリア王女だと勘違いして、城から助け出したらしい。
つまり、まぁ………あれだ、幸か不幸かわからないけれど、彼はティリア王女が騎士であるモーリスと落城のドタバタに便乗して駆け落ちしたことを知らないのだ。
そして、愛おしそうに目を細める彼を見て、この救出劇はティリア王女への想いからきたものだと理解する。というわけで、胡散臭いなどと声に出したら、彼の目は、間違いなく死んでしまうだろう。
なんかごめんね感と共に今は、軽はずみな言動は控えたほうが賢明だと判断する。ただ、とき既に遅し。私は言葉にする代わりに、眉間に一本、深い皺を刻んでしまっていた。
「ティリア?どうされた?」
おずおずと問う赤茶髪の優男は、私の警戒心にまったく気付いていない。この男、わざとなのか、それとも本気で自分をティリア王女と信じきっているのかは、まだわからない。というか………そもそもこの人誰?
よく見れば、この男の身なりは、かなり豪奢なものだ。銀糸の刺繍が施された濃緑色の上着はそこそこの領主レベルの人間が身に着けるもの。更に袖口から覗く宝石が連なった腕輪は一介の騎士が、纏うものではない。この男、実は名のある人物なのであろうか。ただアスラリア国の者ではないはず。
メイドという仕事柄、城にいた頃は自国の領主や名のある人物を沢山目にしてきた。けれど、この顔に見覚えはない。それに私が知らなくても、お城の裏方の一部は女の園、これ程の美丈夫が噂にならないはずははい。
安易な推理かもしれないが、この男は他国の人間ではあるけれど、かなりバイドライル国に精通しているような気がする。なにせ、自国を滅ぼされた私達だって襲撃されることを予測できなかったのだから。それなのに彼は、あの大勢の敵兵をかいくぐり救出に来たのだ。
助けた理由は、個人的にティリア王女を手籠にでもする気なのだろうか
その発想に、ざわりと鳥肌が立つ。助けてくれた恩は感じるけれど、だからといって純潔まで捧げる気はない。
ただ、考えようによっては、自分がここでティリア王女として過ごしている間は、私は安全を確保されている。常に貞操の危機を意識して緊張感を持っていなくてはならないが。でも時を見てさっさととんずらすれば良いのだから、偽り続けるのはそんなに難しいことではないはず。
そう思った瞬間、私は赤茶髪の優男の手を取り、優雅に微笑んだ。
「私を救い出してくれてありがとう。………あの、お名前を聞いても良いかしら?」
「ああ、いきなりですまなかった。レナザードだ」
やっぱり聞いたことの無い名前だ。なら、やはり今は様子を見よう。
「そう。レナザードさま………しばらくの間、お世話になります」
《ティリア王女》に見つめられた優男は、更に嬉しそうに目を細めた。もちろん私はその瞬間を見逃さなかった。さらに優男の手を強く握りしめる。
「でも、こんな夜着のまま異性と会うべきではない、という常識は、ご理解いただけますよね?」
要約すると、《傷が完治するまで、この部屋に来るな》である。レナザードは、頑なにそれを守っている。
そんなこんなの経緯があって、あれからレナザードとは顔を合わせてはいない。もちろん貞操の危機もない。
ちなみにケイノフの診察通り私の怪我は、順調に回復した。時間がかかると言われていた足の裏の傷も、ふさがり始め、あとは日日薬に頼るのみとなった。
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