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始まりは王女の名で

偽りの朝④

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 断りもなく扉を開けたのは童男を肩に担いだ大男だった。その男は精悍な顔付だが無精ひげを生やしているし、派手な蒼色の上着を肩から引っ掛けているだけの、かなり個性的な格好。この野生的な風貌が一部の女性にモテそうな男の名はダーナ。もちろん彼もこの屋敷の住人であった。

「よっ、ユズリも、ケイノフと一緒だったのか?」

 空いている手を軽く上げ、ダーナはずかずかと部屋に上がり込んできた。

 このダーナのだらしない恰好について一言いたいけれど、それよりも前に声を大にして言いたい。ちょっと待って!ここは一応、やんごとなき身分の部屋なんですよ!!と。
 
 ……でも言えない。感情のまま怒るなんて、余裕のない下々の人間がやることだ。それと単に王女らしい言葉遣いで怒る自信がないからで。ということで、心の中だけで叫ぶことにして、でも気付いてと言いたげに顔の引きつりは全面に出すことにする。
 
 あと、やんごとなき身分というのを差し引いても、ここは異性の部屋である。部屋に入る前に声を掛けるなり、事前に伺いをたてるなり色々行儀があるはずだ。

 ああもう、《スラリス》としてでも思いっきり叱責したいし、怒鳴りたい。が、《ティリア王女》である今は【ちょっと勝手に入ってこないでよっ、この馬鹿】、なんていう暴言を吐くことなどできない。言ったら全てが終わる。

 そんな私の心中など知らないダーナは、寝台まで歩を進めると、肩に担いでいた童男を降ろした。

「ひめさま、おはようございます!」

 童独特の無邪気な声が部屋に響く。この童男の名はリオン。もちろんこの子供も、この屋敷に住まう者。ちなみにものすごく可愛い。はしばし色の瞳と髪。くりっとした大きな目とお人形みたいな顔立ちは将来はイケメンになること間違いない。
 
 そんなリオンは、私が口を開く前にベッドによじ登ると、私の膝に手を置いた。

「ひめさま、今日もごはん食べないの?」 

 無垢な瞳に、じっと見つめられて、思わず苦笑してしまう。リオンにとって、この朝食は、ごはんと呼べない量であったのだろうか。

「もう、いただきましたよ」

 子供に対してなら、言葉遣いもそう気を遣わなくていい。なのでさらりと、そう答えても、リオンは納得いかない様子で唇を尖らす。その仕草も、思わず笑みがこぼれるほど可愛い。

 ただ言い訳ではないけれど、これでも私は怪我人なのだ。それを考慮したら、人並みには食べているはず。なのに不満そうにされると、どれほど食べれば納得して貰えるのであろうかと悩んでしまう。あと大食いの王女様なんて見たことも聞いたこともない。

「ひめさま、これ食べて!」

 リオンの声と共に、小包が目の前に突き出された。
 幼い子供に対して無下なことはできず、はあと曖昧な返事をしながら受け取る。おずおずと、包みを開けると、その中には枇杷の実が数個入っていた。

「主さまからなの。絶対に食べてね」

 リオンの言葉に、はっと息を呑む。《主さま》それは、この屋敷の主、レナザードのことである。

 彼の名が出た途端、ひどく落ち着かなくなる気分になる。なぜなら彼は、もっとも警戒すべき人物であり、何より私を落城から救い出した命の恩人でもあったから。

「あのね、主さまが、自分で摘んだのです。ひめさまに、早く元気になってほしいって!だから、全部食べてくださいね!!」

 縋りつかんばかりにリオンが顔を近づけてくる。その勢いに押されるように、こくこくと何度も頷いた。

「よし、リオンのお使いも済んだことだし、じゃーな、姫さん俺らはこれで」

 その言葉が合図となり、ダーナはリオンを肩に担ぐ。次いで、ケイノフもダーナと並び、一礼すると、部屋を出て行ってしまった。

 あ……、今日も誤魔化されてしまった……。

 しっかりと閉じた扉を見つめ、途方に暮れてしまう。いつもこの場所と屋敷の住人について質問すると、何だかんだと煙に巻かれてしまのだ。



 そしてユズリと二人だけになった部屋にしばしの静寂に包まれた。

「騒がしくて申し訳ありません」

 そう言ってユズリは、居住まいを正し丁寧に腰を折る。思わず条件反射でユズリに向かって、こちらこそと一礼しそうになるのを慌てて抑える。

「ねえユズリ、ケイノフへの質問と同じこと……聞いても良いかしら?」

 私の問いに、ユズリは曖昧な笑みを浮かべた。

「ここはアスラリア国からさほど離れてはおりません。そして私どもは、決してティリアさまに危害を与えるつもりはありません」

 しかし、ユズリの答えはケイノフの答えと同じものであった。がっくりと肩を落とす私に、ユズリは申し訳なさそうに眉を寄せる。

「ティリアさま、突然このようなところにお連れして誠に申し訳なく思っております。しかし、主に代わってお伝えいたします。どうかこの状況で、満足な説明を聞けずに納得できないことは重々承知しております。が、レナザードさまはティリアを護るためにいるのです。それだけは信じてくださいませ」

 必死に懇願するユズリには、悪意は感じられない。それにこれ以上ごねるのは、分が悪いと瞬時に判断する。

「………わかったわ」

 そう言うと、唇を噛んだ。とにかく、傷が治るまで自分は《ティリア王女》を演じきる。今はただそれだけのこと。
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