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始まりは王女の名で

偽りの朝②

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 突然だけど私の人生は、この数日で全てが変わってしまった。

 自国のアスラリア国が滅び、一介のメイドである私がティリア王女の身代わりになったけれど死に損なってしまい、知らない屋敷で見知らぬ人達に介抱されている。

 たった16年という短い人生の中で、変わることがないと思っていたものが一変してしまい、いきなり知らない世界に飛び込んでしまったみたいだ。まだ心も体も追いつけない。

 けれどきっと仲の良かったメイド達も私と似た心境なのだろう。だって自分の国が滅んでしまったのだから。

 今まで国が消えることなど、考えたこともなかった。小さい不満を飲み込むくらい毎日が楽しくて、目が廻るくらい忙しくて、こういう毎日がずっとずっと続くと思っていた。

 でもそれは現実に起こってしまった。あまりにもあっけなく、惨く。

 なぜアスラリア国が滅んでしまったのかは分からない。逃げ惑う誰かが和睦を結んでいた隣国のバイドライル国が突然、裏切ったと悲痛な声で叫んでいたけれど、真相は闇に葬られたまま。
 
 でも確かなことは軍事力も乏しく、些少な鉄と金が取れるという以外何もない小国が消えるのは、ほんの僅かな刻で充分であったということ。

 奇襲の知らせを聞いたのと、国王でありティリア王女の父、ドゥルゲ国王の首が刎ねられたのは、ほぼ同時であった。

 そして同盟を結んでいたバイドライル国は大国で、鷲と剣の紋章を象った旗をはためかし、あっという間にアスラリア国の月桂樹と斧を象った紋章を踏みつぶし、灰にしていった。

 その後、私の記憶は炎と煙に巻かれて、殆どが思いせない。

 落城寸前の炎の中、至る所で自国と敵国の人達が入り混じり、同じ部屋で一番の親友であるリシェルと手を取り合って、剣や弓矢をかいくぐって城外へと逃げようとしていた。けれど突然腕を強く掴まれ、私一人だけ別の部屋へと連れ込まれてしまったのだ。

 混乱の最中、履いていた靴がいつの間にか脱げてしまった私は、くるくると視界が移り変わる中、割れたガラスの破片を踏みつけてしまい、痛みに顔を顰める。

 けれど、そんなことは些末なことと捨て置かれ、私の腕はぐいぐいと引っ張られ、とある部屋に連れ込まれた。扉が開いた瞬間、どんっと背中を押されつんのめった私の視界に、見知った顔の二人が飛び込んできた。

『探したぞ、スラリス』

 そう私に声を掛けた男性は、この国の一番の剣豪と呼ばれている騎士モーリスだった。彼は硬い表情だったけれど逃げ惑う人々のように悲壮感はなかった。場違いな男に一瞬違和感を覚えたが、その理由はすぐに理解できた。すぐ横にいる女性のおかげで。

『ごめんなさい、スラリス』

 鈴のような可憐な声と漆黒の髪の持ち主はこのアスラリア国の王女ティリアだった。そして彼女とモーリスはしっかりと手を繋いでいた。

 恋愛に疎い私でもそれだけで、この二人がそういう関係だということが瞬時にわかった。

 でも、落城中に他人の色恋を見せつけられても、どうリアクションすれば良いのだろうか。とりあえず、お似合いですねという常套句を並べ立てれば良いのだろうか?

 首を捻る私だったけれど、この状況下において、それはさすがにあり得ないことで……。

『スラリス、悪いがお前は、王女の代わりとして死んでもらう』
『はい!?』

 目をひん剥いた私に、モーリスはつかつかと歩み寄ると、無理矢理、毒と短剣を握らせた。

『時間が無い、どちらで自害をしてもかまない』

 そう言い捨てると、二人はあっという間に部屋を出て行ってしまった。最後にティリア王女は振り返って【ごめんね】という言葉を残してくれたけれど。

 遥か昔、私はティリア王女の身代わりとして教育を受けていた時期があった。まぁ本当に短い間だったけれど。けれど、素質無しと判断されお払い箱になったのだ。それが私がメイドになった経緯でもあるのだけれど。

 一度は不適任と判断されたやんごとなき王女様の身代わりができる重役が再び復活できても、この状況では押し付けられた感満載で、まったくもって嬉しくない。

 さて、そんな私はその後どうしたかというと、もたもたし過ぎたせいで、自害する直前にこの屋敷の者に連れ去られてしまったのであった。  

 言い訳だけれど突然、服毒自殺か短剣で自傷行為をしろといわれてすぐさま選べる人間なんて早々いないと思う。


 そして再び目を覚ました私は、知らない屋敷でベッドに寝かされ、落城の際に負った傷も既に手当をされていた。

 まだ生きていることに安堵するけれど、助け出された理由も目的も全くわからない。ただ一つ解ることは、この屋敷の者は、ティリア王女の存在を知っているということだけ。

 
 と、いうのが今の状況であり、この屋敷の者達を欺き続けるのが、現在、私が生き延びる唯一の手段であった。



 と、そんな風に意識を飛ばしていたら────。

「ティリアさま、お熱いうちに、お召し上がりください」

 いつの間にかベットの脇には朝食のミルク粥が用意されていて、ユズリは私に匙を差し出している。それを受け取りながら、そっと辺りに目を配る。

 この部屋は、客間ではなく二間続きの豪華な部屋。奥の部屋は多分、くつろぐための長椅子やちょっとした書き物をするための文机などがあるのかもしれない。でも今いるこの部屋は身なりを整えるための化粧台とベッドあるだけの簡素な部屋。

 落城の際に負った火傷が癒えていない私は、庭までは足を延ばすことはできないが、外から花の香りが風に乗ってくる。きっと庭には、春の花が咲いているのだろう。

 そう、ここはティリア王女と偽っている以外は、かつてないほど居心地が良く、三食昼寝付きの穏かな時間が流れる世界でだった。

「ティリアさま、お口に合いませんでしたか?」

 ユズリの声で、はっと我に返った。匙を持ったまま、自分は再びぼんやりしていたらしい。

「大丈夫です。……いただきます」

 と言ったものの四六時中寝ているせいか、あまり食欲はない。けれど、丹精込めて作ってくれたものを残すのは忍びない。何とかミルク粥を空にして、ごちそうさまと手を合わせる。

「もう良いのですか?」

 ユズリからみれば、自分はまだまだ小食らしい。ユズリは何か言いたそうに口を開きかけたが、声に出すことはせず、食後のお茶の用意を始めた。

 流れるような手つきでポットに茶葉を入れるユズリをぼんやりと眺めていたら、今度は扉越しに青年の声が聞こえてきた。 
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