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初めから何となく察するものがあったが、やはりシグルドは鬼教官だった。
最初の体力作りはまだ良かった。俺だって運動経験が全くないわけじゃない。高校の頃の部活を思い出すなと呑気に走り込みや筋トレに取り組んでいたものだ。
しかし今ならわかる。それが良くなかった。俺がそれなりの基礎体力があると判断したシグルドは一足飛びに負荷を増やし、にこやかな表情で毎日俺を追い込んだ。
「ふむ、思ったより体力筋力がありますね。次からは護身術も進めていきましょう。ある程度基礎を身に付けたら今度は剣も持っていただきます。よろしいですね?」
「へぁい……」
「オークラ様、返事ははっきりと大きな声で」
「はいっ!」
俺は訓練開始3日目で奴を鬼と呼ぶことに決めた。もちろん心の中だけで。
これがほぼ毎日、午前中の出来事。昼飯と少しの休憩の後、午後からは教育係の授業が待っている。
「さぁ、今日もまず前回の復習から始めますね。ナルグァルドの歴史から質問しますので、質問に答えてください」
「はい。よろしくお願いします」
教育係として呼ばれたのはオングストレーム侯爵家っていう貴族のご婦人だ。元はアルフォンスの母親、つまり王妃様の教育係だった人で、その優秀さを認められてアルフォンスの教育係も勤めあげた。その繋がりで今回俺の教育係に任命されたというわけだ。
オングストレーム夫人は齢七十を超えた老婦人だが長いグレイヘアをまとめ上げ、ピシッと伸びた背筋と凛とした佇まいが美しくとても若々しい。
それに彼女は本当に凄腕だったようで、俺のポンコツっぷりを見ても匙を投げることなく厳しくも懇切丁寧わかりやすい授業を続けてくれた。流石は王族の教育係なだけはある。
「では今日はここまで。明日はマナーの講義を行いますのでそのつもりで準備をしておいてください」
そう告げてピンと伸びた背筋のまま部屋を去っていく夫人の背中が眩しい。頭の位置が変わらないし体幹も一切ぶれない。マナーを習っても俺があのレベルにまで到達するには一体何年かかることやら。頭痛がしてくる気がして強く眉間を揉みしだいた。
「オークラ様、お疲れ様です!お茶をお持ちしましたよ」
「あっ、アトラ君ありがとう~!もうこれが一番の癒しだよぉ」
「本当ですか?嬉しいです!」
三時間ほどみっちりとこなした講義が終わると漸くひと息つける。休憩にとアトラ君が持ってきてくれるお茶とお菓子が心に染み渡る。
にぱっ、と花が咲いたような笑顔に疲れ切った心と体が癒されるようだ。八重歯がチャーミングだねえアトラ君。
あ、次はアトラ君になれないか試してみようかな。年齢的に少年のコスプレは避けてきたから新境地だ。
「アトラ君、俺今度はアトラ君になる練習してもいい?」
「僕ですか?いや、でも……」
「ダメですよ。あなたは今ヨハンソン子爵のメタモルフォーゼを特訓中でしょう?」
「シグルド!い、いつの間に」
「講義中からいたでしょう。あなたの護衛ですから」
ヨハンソン子爵のメタモルフォーゼを完全に身に付けなければ許可できないとシグルドは言う。
ヨハンソン子爵とは俺が研究所に立ち入る際に身分を借りる王宮の文官で、元々研究所の経理関係を担当している。俺は今スキルで彼に変身する訓練中なのだ。
ヨハンソン子爵はどっちかというと俺寄りの男、つまりあんまり特徴のない顔立ちの人物で、とっかかりを掴めず習得は難航している。しかし当のヨハンソン子爵は忙しいらしくてなかなか捕まらず、見本は絵姿のみ。時間がかかるのも当然なのだ。
疲労感から大きな溜息を吐くと、シグルドが申し訳なさそうに眉を下げる。そして深々と頭を下げた。
「我々もあなたに多大なる負担をかけている自覚はあります。ですが、これもあなたの身を守るため。どうかご理解ください」
「大丈夫、わかってるよ。だから頭なんか下げなくていいって!」
慌てて頭を上げるようにシグルドに言う。両肩を掴むと彼は苦笑しつつ姿勢を正した。
シグルドは訓練中は鬼だが、それ以外の場面では常に紳士だ。こうやって毎日休む暇のない俺の体を気遣ってくれるいい奴だと思う。まあそれで訓練が軽くなることはないんだけど。
「ま、俺もこの若さで死にたくないし頑張るよ。女神様に頼まれたし、エンプリオの卵を何とかして早く元の世界に帰りたいしね」
「え?」
「えっ?!」
「ん?何?」
なんでそんな驚いてるの?別の世界から飛ばされてきたんだから、やることやったら帰りたいって思うのは当然だろ。目を丸めている二人に首を傾げると、シグルドも不思議そうな顔で問いかけてきた。
「元の世界に帰る方法、知ってるんですか?」
「いや、俺は知らないけど。記録は残ってんじゃないの?前にも二人異界人来てるんだよな?」
ナルグァルドにはなくても異界人が来た国には残ってるんじゃないだろうか。ヤカ国なんて三十年前の話だし、関わった人だって存命だろう。そう思って問い返すが、何故か二人の顔色は芳しくない。
これはもしや定番のパターンというやつだったり……する?急に不安になって、目の前のシグルドの腕を掴んだ。
「ちょっと待って。え……帰ってないの?」
二人は俺の問いに気まずそうに視線を逸らす。そして無言でゆっくりと頷いた。
「過去の御使はお二人とも、ドラゴンの災害を防いだ後もこの世界で過ごされたと伝わっています」
「そんな」
まさか、帰れないの……?!
最初の体力作りはまだ良かった。俺だって運動経験が全くないわけじゃない。高校の頃の部活を思い出すなと呑気に走り込みや筋トレに取り組んでいたものだ。
しかし今ならわかる。それが良くなかった。俺がそれなりの基礎体力があると判断したシグルドは一足飛びに負荷を増やし、にこやかな表情で毎日俺を追い込んだ。
「ふむ、思ったより体力筋力がありますね。次からは護身術も進めていきましょう。ある程度基礎を身に付けたら今度は剣も持っていただきます。よろしいですね?」
「へぁい……」
「オークラ様、返事ははっきりと大きな声で」
「はいっ!」
俺は訓練開始3日目で奴を鬼と呼ぶことに決めた。もちろん心の中だけで。
これがほぼ毎日、午前中の出来事。昼飯と少しの休憩の後、午後からは教育係の授業が待っている。
「さぁ、今日もまず前回の復習から始めますね。ナルグァルドの歴史から質問しますので、質問に答えてください」
「はい。よろしくお願いします」
教育係として呼ばれたのはオングストレーム侯爵家っていう貴族のご婦人だ。元はアルフォンスの母親、つまり王妃様の教育係だった人で、その優秀さを認められてアルフォンスの教育係も勤めあげた。その繋がりで今回俺の教育係に任命されたというわけだ。
オングストレーム夫人は齢七十を超えた老婦人だが長いグレイヘアをまとめ上げ、ピシッと伸びた背筋と凛とした佇まいが美しくとても若々しい。
それに彼女は本当に凄腕だったようで、俺のポンコツっぷりを見ても匙を投げることなく厳しくも懇切丁寧わかりやすい授業を続けてくれた。流石は王族の教育係なだけはある。
「では今日はここまで。明日はマナーの講義を行いますのでそのつもりで準備をしておいてください」
そう告げてピンと伸びた背筋のまま部屋を去っていく夫人の背中が眩しい。頭の位置が変わらないし体幹も一切ぶれない。マナーを習っても俺があのレベルにまで到達するには一体何年かかることやら。頭痛がしてくる気がして強く眉間を揉みしだいた。
「オークラ様、お疲れ様です!お茶をお持ちしましたよ」
「あっ、アトラ君ありがとう~!もうこれが一番の癒しだよぉ」
「本当ですか?嬉しいです!」
三時間ほどみっちりとこなした講義が終わると漸くひと息つける。休憩にとアトラ君が持ってきてくれるお茶とお菓子が心に染み渡る。
にぱっ、と花が咲いたような笑顔に疲れ切った心と体が癒されるようだ。八重歯がチャーミングだねえアトラ君。
あ、次はアトラ君になれないか試してみようかな。年齢的に少年のコスプレは避けてきたから新境地だ。
「アトラ君、俺今度はアトラ君になる練習してもいい?」
「僕ですか?いや、でも……」
「ダメですよ。あなたは今ヨハンソン子爵のメタモルフォーゼを特訓中でしょう?」
「シグルド!い、いつの間に」
「講義中からいたでしょう。あなたの護衛ですから」
ヨハンソン子爵のメタモルフォーゼを完全に身に付けなければ許可できないとシグルドは言う。
ヨハンソン子爵とは俺が研究所に立ち入る際に身分を借りる王宮の文官で、元々研究所の経理関係を担当している。俺は今スキルで彼に変身する訓練中なのだ。
ヨハンソン子爵はどっちかというと俺寄りの男、つまりあんまり特徴のない顔立ちの人物で、とっかかりを掴めず習得は難航している。しかし当のヨハンソン子爵は忙しいらしくてなかなか捕まらず、見本は絵姿のみ。時間がかかるのも当然なのだ。
疲労感から大きな溜息を吐くと、シグルドが申し訳なさそうに眉を下げる。そして深々と頭を下げた。
「我々もあなたに多大なる負担をかけている自覚はあります。ですが、これもあなたの身を守るため。どうかご理解ください」
「大丈夫、わかってるよ。だから頭なんか下げなくていいって!」
慌てて頭を上げるようにシグルドに言う。両肩を掴むと彼は苦笑しつつ姿勢を正した。
シグルドは訓練中は鬼だが、それ以外の場面では常に紳士だ。こうやって毎日休む暇のない俺の体を気遣ってくれるいい奴だと思う。まあそれで訓練が軽くなることはないんだけど。
「ま、俺もこの若さで死にたくないし頑張るよ。女神様に頼まれたし、エンプリオの卵を何とかして早く元の世界に帰りたいしね」
「え?」
「えっ?!」
「ん?何?」
なんでそんな驚いてるの?別の世界から飛ばされてきたんだから、やることやったら帰りたいって思うのは当然だろ。目を丸めている二人に首を傾げると、シグルドも不思議そうな顔で問いかけてきた。
「元の世界に帰る方法、知ってるんですか?」
「いや、俺は知らないけど。記録は残ってんじゃないの?前にも二人異界人来てるんだよな?」
ナルグァルドにはなくても異界人が来た国には残ってるんじゃないだろうか。ヤカ国なんて三十年前の話だし、関わった人だって存命だろう。そう思って問い返すが、何故か二人の顔色は芳しくない。
これはもしや定番のパターンというやつだったり……する?急に不安になって、目の前のシグルドの腕を掴んだ。
「ちょっと待って。え……帰ってないの?」
二人は俺の問いに気まずそうに視線を逸らす。そして無言でゆっくりと頷いた。
「過去の御使はお二人とも、ドラゴンの災害を防いだ後もこの世界で過ごされたと伝わっています」
「そんな」
まさか、帰れないの……?!
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