40 / 51
広がる世界
四
しおりを挟む
皓月は不機嫌だった。
基本的に口数は少なく愛想もなく、自分にも他人にも厳しく大神と主である六花へ忠節を尽くす忠義者。そして己の懐に入れた者にだけ甘い顔を見せる男神。それが皓月だ。
そんな男は、ここ最近自分でも理解し難いほどに虫の居所が悪かった。
彼が神籍を持つ銀狐として生まれてより千年と幾らか。これまでの月日は大神と六花を敬愛し、彼らのために刃を振るってきた。皓月は強く、速く、その刃は多くの穢れ堕ちた神や世に仇なす大妖を切ってきたのである。若い頃はかの大戦に立ち合い、生きるか死ぬかの日々を送ってきた。
皓月は己の生活に満足している。戦うことしかできないが、戦うことで敬愛する大神や六花、無辜の人々を護ることができるのならそれでいいと思っていた。神に仕える狐として生涯尽くすことに何の蟠りもなく、それが使命と信じていた。
そんな生活を続けること数百年。ある時月の神が己の役割を幾つかに分けることになり、皓月はそれまでの働きの褒美として月光を司る神としての地位を得ることになった。大神が選んだのだから皓月に否やはない。喜んで拝命し、神の使いから神へと変じたわけである。
月光は夜の闇を照らすもの。悪夢を追い払い、夜道を照らし、夜を過ごす人々が幸いであるよう穏やかに見守る面が大きい神だ。皓月は否やはないと言いつつも、武功を以て得た役職としては些か身に余るものでもあると思ってもいた。しかし皓月は根が真面目で職務に忠実な男。冴え冴えとした冷たい光を月の明かりとしながらも何とか数百年、月光の神としての職務を全うしてきたのだ。
その生き方を変えたのは一人の幼子と出会いだった。
六花に与えられた贄の神子の守護者としての役割は周囲が驚くほど皓月を変えた。神子、すばるの存在は皓月に喜びを与えた。皓月はすばるを目に入れても痛くない程に可愛がり、子を持つ親のように只管に愛した。
重すぎる使命を背負う子を命尽きるまでこの手で育て守り抜く。己の血に振り回されるだけの人生ではなく、その中でも揺るぎない喜びを得てほしい。愛するものに囲まれて、最後の息を吐くその瞬間まで幸福で満たされていてほしいと願う。皓月は彼の喜びは我が身の喜びであり、そのためならば何でもしてやろうと心に決めている。
そう、皓月はすばるが日々健やかで幸福に満たされていることを望んでいる。すばるが伸びやかに楽しげに笑っていれば皓月はそれだけで心が満たされていた。
そのはずだったのだ。
「どうしたんすかそれ。神一柱消してきたみたいな顔して」
皓月の引き結んだ口元と眉間に刻まれた深い皺を見て蛍が揶揄する。その視線の先にあるのは湖の傍の腰かけに座っている二つの人影。一人はすばるで、皓月はもう一人を先程から射殺すような目で睨み据えている。
すばるは今、参拝者が訪れるまでの僅かな時間を縫って客人と談笑していた。客人とはつまり久坂の細工職人九朗である。
「あの男は一体何をしに来ているのだ」
「神子さんのお話し相手っすね」
「話し相手なら篝がいるだろう」
「人間のお友達がいてもいいと思いません?」
こちらに目もくれずにかけられる問いに蛍は当然のように答える。既にこの問答も幾度目かだ。
「見識を広げるために人間と友諠を持つことは理解できる。しかしアレは本当に友諠と言えるのか?」
「んー……微妙っすね!」
明るくきっぱりと言い放つと不機嫌を顔に張り付けた皓月がようやっと蛍の方を向く。すばるはともかく、九朗から友情以外の感情を感じるのは皓月だけではないようだ。
すばるの横に座り、楽しげに笑って何事かを話している九朗。すばるは彼の話に時に興味深そうに、時に楽しそうに聞き入り笑っている。遠目から見れば歳の近い同性の友人と雑談をしているように見えるだろう。
「すばるの笑う顔に見惚れて視線を逸らすようなものが友情と言えるのか」
今まさに指摘した動きをした九朗を苦虫を噛み潰したような表情で睨む皓月。わかっていたことだが、今日も頗る虫の居所が悪いようだと蛍は乾いた笑いを浮かべた。
基本的に口数は少なく愛想もなく、自分にも他人にも厳しく大神と主である六花へ忠節を尽くす忠義者。そして己の懐に入れた者にだけ甘い顔を見せる男神。それが皓月だ。
そんな男は、ここ最近自分でも理解し難いほどに虫の居所が悪かった。
彼が神籍を持つ銀狐として生まれてより千年と幾らか。これまでの月日は大神と六花を敬愛し、彼らのために刃を振るってきた。皓月は強く、速く、その刃は多くの穢れ堕ちた神や世に仇なす大妖を切ってきたのである。若い頃はかの大戦に立ち合い、生きるか死ぬかの日々を送ってきた。
皓月は己の生活に満足している。戦うことしかできないが、戦うことで敬愛する大神や六花、無辜の人々を護ることができるのならそれでいいと思っていた。神に仕える狐として生涯尽くすことに何の蟠りもなく、それが使命と信じていた。
そんな生活を続けること数百年。ある時月の神が己の役割を幾つかに分けることになり、皓月はそれまでの働きの褒美として月光を司る神としての地位を得ることになった。大神が選んだのだから皓月に否やはない。喜んで拝命し、神の使いから神へと変じたわけである。
月光は夜の闇を照らすもの。悪夢を追い払い、夜道を照らし、夜を過ごす人々が幸いであるよう穏やかに見守る面が大きい神だ。皓月は否やはないと言いつつも、武功を以て得た役職としては些か身に余るものでもあると思ってもいた。しかし皓月は根が真面目で職務に忠実な男。冴え冴えとした冷たい光を月の明かりとしながらも何とか数百年、月光の神としての職務を全うしてきたのだ。
その生き方を変えたのは一人の幼子と出会いだった。
六花に与えられた贄の神子の守護者としての役割は周囲が驚くほど皓月を変えた。神子、すばるの存在は皓月に喜びを与えた。皓月はすばるを目に入れても痛くない程に可愛がり、子を持つ親のように只管に愛した。
重すぎる使命を背負う子を命尽きるまでこの手で育て守り抜く。己の血に振り回されるだけの人生ではなく、その中でも揺るぎない喜びを得てほしい。愛するものに囲まれて、最後の息を吐くその瞬間まで幸福で満たされていてほしいと願う。皓月は彼の喜びは我が身の喜びであり、そのためならば何でもしてやろうと心に決めている。
そう、皓月はすばるが日々健やかで幸福に満たされていることを望んでいる。すばるが伸びやかに楽しげに笑っていれば皓月はそれだけで心が満たされていた。
そのはずだったのだ。
「どうしたんすかそれ。神一柱消してきたみたいな顔して」
皓月の引き結んだ口元と眉間に刻まれた深い皺を見て蛍が揶揄する。その視線の先にあるのは湖の傍の腰かけに座っている二つの人影。一人はすばるで、皓月はもう一人を先程から射殺すような目で睨み据えている。
すばるは今、参拝者が訪れるまでの僅かな時間を縫って客人と談笑していた。客人とはつまり久坂の細工職人九朗である。
「あの男は一体何をしに来ているのだ」
「神子さんのお話し相手っすね」
「話し相手なら篝がいるだろう」
「人間のお友達がいてもいいと思いません?」
こちらに目もくれずにかけられる問いに蛍は当然のように答える。既にこの問答も幾度目かだ。
「見識を広げるために人間と友諠を持つことは理解できる。しかしアレは本当に友諠と言えるのか?」
「んー……微妙っすね!」
明るくきっぱりと言い放つと不機嫌を顔に張り付けた皓月がようやっと蛍の方を向く。すばるはともかく、九朗から友情以外の感情を感じるのは皓月だけではないようだ。
すばるの横に座り、楽しげに笑って何事かを話している九朗。すばるは彼の話に時に興味深そうに、時に楽しそうに聞き入り笑っている。遠目から見れば歳の近い同性の友人と雑談をしているように見えるだろう。
「すばるの笑う顔に見惚れて視線を逸らすようなものが友情と言えるのか」
今まさに指摘した動きをした九朗を苦虫を噛み潰したような表情で睨む皓月。わかっていたことだが、今日も頗る虫の居所が悪いようだと蛍は乾いた笑いを浮かべた。
10
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
モブだった私、今日からヒロインです!
まぁ
恋愛
かもなく不可もない人生を歩んで二十八年。周りが次々と結婚していく中、彼氏いない歴が長い陽菜は焦って……はいなかった。
このまま人生静かに流れるならそれでもいいかな。
そう思っていた時、突然目の前に金髪碧眼のイケメン外国人アレンが…… アレンは陽菜を気に入り迫る。
だがイケメンなだけのアレンには金持ち、有名会社CEOなど、とんでもないセレブ様。まるで少女漫画のような付属品がいっぱいのアレン……
モブ人生街道まっしぐらな自分がどうして?
※モブ止まりの私がヒロインになる?の完全R指定付きの姉妹ものですが、単品で全然お召し上がりになれます。
※印はR部分になります。
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
社畜くんの甘々癒やされ極上アクメ♡
掌
BL
一週間働き詰めだった激しめ好きのお疲れマゾ社畜リーマンくんが、使用したデリヘルで爽やかお兄さんから甘々の褒められプレイを受けて甘やかされ開眼し、愛撫やラブハメで心身ともにとろっとろに蕩かされて癒やされアクメしまくる話。
受け攻めはふたりとも名前がなくネームレスです。
中日祝日、癒やされましょう!
・web拍手
http://bit.ly/38kXFb0
・X垢
https://twitter.com/show1write
当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!
犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。
そして夢をみた。
日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。
その顔を見て目が覚めた。
なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。
数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。
幼少期、最初はツラい状況が続きます。
作者都合のゆるふわご都合設定です。
1日1話更新目指してます。
お気に入り登録、しおり、いいね、コメント励みになります。
(スマホ投稿じゃないのでエールがよくわからない。ただ、メガホン?マークがカウントされている。
増えたら嬉しい。これがエールを頂いたってことでいいのか…?)
お楽しみ頂けたら幸いです。
***************
2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます!
100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!!
2024年9月9日 お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます!
200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!!
悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました!
スパダリ(本人の希望)な従者と、ちっちゃくて可愛い悪役令息の、溺愛無双なお話です。
ハードな境遇も利用して元気にほのぼのコメディです! たぶん!(笑)
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる