贄の神子と月明かりの神様

木島

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贄の神子の誕生

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 何とかその場では生還を果たした皓月だったが、それからの日々は文字通り怒涛の毎日だった。
 幼いすばるの身の回りの世話をするのは皓月にとって未知の世界。右も左もわからない、手探り状態の毎日だ。蛍の手助けがなければ六花に泣きついていたかもしれない。それくらい、幼子を育てると言うことは驚きと苦労の連続だった。

 神やその眷属、精霊と違い人間は何かと手がかかる。
 幼子には常に誰かの手が必要だ。放っておけば死んでしまう。食事は日に何回も必要なうえに歯が生え揃わないうちは軟らかく煮崩したものしか食べられないし、気分によっては食べたり食べなかったりする。清潔を保つために頻繁におしめを替えたり沐浴をさせなければならない。
 意思疎通は表情と行動で読み取るしかない。とにかく泣くということは言葉にできない何かを訴えたいのだということと学習した。
 そして一番大事なのは目を離さないこと。
 一瞬でも目を離した隙にハイハイで逃走している。赤子のハイハイは思ったより早い。歩けるようになると更にだ。十秒もあれば赤子は消える。それを身を以て痛感していた。

「もーほんとなんで危ない方に突き進んでくの……?勘弁して」

 皓月と蛍が二人で話していた隙によたよたと覚束ない足取りで部屋から出て、段差も気にせず一直線に庭に突き進もうとしていたすばる。寸でのところで滑り込んで止めた蛍は顔を真っ青にして廊下に這い蹲っていた。
 同じく顔を青くした皓月はしっかりと抱き上げたすばるに何度目かもわからない苦言を呈している。

「すばる、いいか。何度も言うが一人で廊下を歩くのはまだ早い。庭に落ちたら怪我をしてしまう。怪我は痛いだ。痛い、嫌だろう?」
「いたいの、いやぁ」
「そうだ。ではもう廊下は一人で歩かないな?」
「や!」
「すばる……」

 説得も空しくぷいとそっぽを向かれてしまった。
危機予測よりも好奇心が先に立つのが幼児というもの。その日からすばるは皓月の手首に繋がる紐を襷掛けにして装着することになった。
 大層不貞腐れて皓月に背を向けたまま座っているすばる。積み木の玩具は床を叩く道具と化している。皓月は何度声をかけても目を合わせてもらえずしょげ返り、蛍はそれを見てニヤニヤと笑う。篝はその様子に懐かしいものを見るように目を細め、すばるの前にしゃがみ込んだ。

「ふふふ、それ、われも蛍に着けられていたことがございます。お揃いにございますね」

 肩の結び目に触れながら言えばすばるは目を丸くして篝を見上げる。

「かがりちゃ、いっしょ?」
「ええ!われもすばる殿くらいの頃はお転婆だったのです」
「今も大して変わんないっすよ、お嬢さん」
「蛍!」

 余計なことを言うなと睨みつけるがさして効果はない。蛍は主を不機嫌にさせても気にした様子もなく、篝の隣にしゃがんですばるに微笑みかけた。

「俺達は神子さんに痛い思いをしてほしくないんすよ。だからちょっとだけ、俺達の我儘を聞いてはくれませんかね」

 あくまでも無理を言っているのはこちらだという姿勢ですばるの心を擽る作戦のようだ。困ったように眉を下げ、お願いしますと蛍は言う。そしてそれは的確にすばるの心に刺さったようだった。一度じっくり己の体に纏わりつく紐を見て、蛍と篝を見上げる。

「こうげつはー、わままま。すばる、わまままない?」
「ええ、我儘を言っているのは皓月殿。すばる殿は我儘ではございませぬ」
「おい」

 尻馬に乗って自分一人を悪者に仕立てられそうになって流石に抗議の声を上げる皓月。その不満げな顔を仕方ないなぁと言った表情で見たすばるは立ち上がって皓月の目の前に移動した。

「すばる、がまんする。えらい?」
「そ、そうか……!偉いぞ、とても。お前は本当に賢くて優しい子だ」
「えっへへ」

 堪らずわしゃわしゃと頭を撫でれば嬉しそうにすばるは笑う。もしかしたら明日にはまた嫌だと言い始めるかもしれないが、ひとまずの同意を得られたことに皓月達はほっと胸を撫で下ろした。

「誰かと手を繋いでいる時や、格子や妻戸を閉めた部屋で遊ぶ時はこれはいらない。今のようにどこの戸も開いている時と、泉の近くへ行く時はこれを付けさせてくれ」
「ずっとじゃない?」
「ああ、お前がどこか遠くへ行ってしまわないか心配な時だけだ」

 そう説明されてすばるはことりと首を傾げた。皓月の言葉のひとつがどうにも腑に落ちない。すばるは皓月の胸にぎゅっと抱き着いてからその顔を仰ぎ見て、間違いを正そうと口を開いた。

「すばる、どこいかないよ?こうげつとずっといっしょ!」
「んなっ」
「まあ!」

 なんといじらしい言葉だろうか。皓月は感動に打ち震え、篝はすばるの可愛らしい愛情表現に微笑ましいと笑みを浮かべている。四苦八苦しながらの生活でも、皓月たちとすばるの間には良好な信頼関係が築けているようだ。

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