8 / 51
贄の神子の誕生
七
しおりを挟む
何とかその場では生還を果たした皓月だったが、それからの日々は文字通り怒涛の毎日だった。
幼いすばるの身の回りの世話をするのは皓月にとって未知の世界。右も左もわからない、手探り状態の毎日だ。蛍の手助けがなければ六花に泣きついていたかもしれない。それくらい、幼子を育てると言うことは驚きと苦労の連続だった。
神やその眷属、精霊と違い人間は何かと手がかかる。
幼子には常に誰かの手が必要だ。放っておけば死んでしまう。食事は日に何回も必要なうえに歯が生え揃わないうちは軟らかく煮崩したものしか食べられないし、気分によっては食べたり食べなかったりする。清潔を保つために頻繁におしめを替えたり沐浴をさせなければならない。
意思疎通は表情と行動で読み取るしかない。とにかく泣くということは言葉にできない何かを訴えたいのだということと学習した。
そして一番大事なのは目を離さないこと。
一瞬でも目を離した隙にハイハイで逃走している。赤子のハイハイは思ったより早い。歩けるようになると更にだ。十秒もあれば赤子は消える。それを身を以て痛感していた。
「もーほんとなんで危ない方に突き進んでくの……?勘弁して」
皓月と蛍が二人で話していた隙によたよたと覚束ない足取りで部屋から出て、段差も気にせず一直線に庭に突き進もうとしていたすばる。寸でのところで滑り込んで止めた蛍は顔を真っ青にして廊下に這い蹲っていた。
同じく顔を青くした皓月はしっかりと抱き上げたすばるに何度目かもわからない苦言を呈している。
「すばる、いいか。何度も言うが一人で廊下を歩くのはまだ早い。庭に落ちたら怪我をしてしまう。怪我は痛いだ。痛い、嫌だろう?」
「いたいの、いやぁ」
「そうだ。ではもう廊下は一人で歩かないな?」
「や!」
「すばる……」
説得も空しくぷいとそっぽを向かれてしまった。
危機予測よりも好奇心が先に立つのが幼児というもの。その日からすばるは皓月の手首に繋がる紐を襷掛けにして装着することになった。
大層不貞腐れて皓月に背を向けたまま座っているすばる。積み木の玩具は床を叩く道具と化している。皓月は何度声をかけても目を合わせてもらえずしょげ返り、蛍はそれを見てニヤニヤと笑う。篝はその様子に懐かしいものを見るように目を細め、すばるの前にしゃがみ込んだ。
「ふふふ、それ、われも蛍に着けられていたことがございます。お揃いにございますね」
肩の結び目に触れながら言えばすばるは目を丸くして篝を見上げる。
「かがりちゃ、いっしょ?」
「ええ!われもすばる殿くらいの頃はお転婆だったのです」
「今も大して変わんないっすよ、お嬢さん」
「蛍!」
余計なことを言うなと睨みつけるがさして効果はない。蛍は主を不機嫌にさせても気にした様子もなく、篝の隣にしゃがんですばるに微笑みかけた。
「俺達は神子さんに痛い思いをしてほしくないんすよ。だからちょっとだけ、俺達の我儘を聞いてはくれませんかね」
あくまでも無理を言っているのはこちらだという姿勢ですばるの心を擽る作戦のようだ。困ったように眉を下げ、お願いしますと蛍は言う。そしてそれは的確にすばるの心に刺さったようだった。一度じっくり己の体に纏わりつく紐を見て、蛍と篝を見上げる。
「こうげつはー、わままま。すばる、わまままない?」
「ええ、我儘を言っているのは皓月殿。すばる殿は我儘ではございませぬ」
「おい」
尻馬に乗って自分一人を悪者に仕立てられそうになって流石に抗議の声を上げる皓月。その不満げな顔を仕方ないなぁと言った表情で見たすばるは立ち上がって皓月の目の前に移動した。
「すばる、がまんする。えらい?」
「そ、そうか……!偉いぞ、とても。お前は本当に賢くて優しい子だ」
「えっへへ」
堪らずわしゃわしゃと頭を撫でれば嬉しそうにすばるは笑う。もしかしたら明日にはまた嫌だと言い始めるかもしれないが、ひとまずの同意を得られたことに皓月達はほっと胸を撫で下ろした。
「誰かと手を繋いでいる時や、格子や妻戸を閉めた部屋で遊ぶ時はこれはいらない。今のようにどこの戸も開いている時と、泉の近くへ行く時はこれを付けさせてくれ」
「ずっとじゃない?」
「ああ、お前がどこか遠くへ行ってしまわないか心配な時だけだ」
そう説明されてすばるはことりと首を傾げた。皓月の言葉のひとつがどうにも腑に落ちない。すばるは皓月の胸にぎゅっと抱き着いてからその顔を仰ぎ見て、間違いを正そうと口を開いた。
「すばる、どこいかないよ?こうげつとずっといっしょ!」
「んなっ」
「まあ!」
なんといじらしい言葉だろうか。皓月は感動に打ち震え、篝はすばるの可愛らしい愛情表現に微笑ましいと笑みを浮かべている。四苦八苦しながらの生活でも、皓月たちとすばるの間には良好な信頼関係が築けているようだ。
幼いすばるの身の回りの世話をするのは皓月にとって未知の世界。右も左もわからない、手探り状態の毎日だ。蛍の手助けがなければ六花に泣きついていたかもしれない。それくらい、幼子を育てると言うことは驚きと苦労の連続だった。
神やその眷属、精霊と違い人間は何かと手がかかる。
幼子には常に誰かの手が必要だ。放っておけば死んでしまう。食事は日に何回も必要なうえに歯が生え揃わないうちは軟らかく煮崩したものしか食べられないし、気分によっては食べたり食べなかったりする。清潔を保つために頻繁におしめを替えたり沐浴をさせなければならない。
意思疎通は表情と行動で読み取るしかない。とにかく泣くということは言葉にできない何かを訴えたいのだということと学習した。
そして一番大事なのは目を離さないこと。
一瞬でも目を離した隙にハイハイで逃走している。赤子のハイハイは思ったより早い。歩けるようになると更にだ。十秒もあれば赤子は消える。それを身を以て痛感していた。
「もーほんとなんで危ない方に突き進んでくの……?勘弁して」
皓月と蛍が二人で話していた隙によたよたと覚束ない足取りで部屋から出て、段差も気にせず一直線に庭に突き進もうとしていたすばる。寸でのところで滑り込んで止めた蛍は顔を真っ青にして廊下に這い蹲っていた。
同じく顔を青くした皓月はしっかりと抱き上げたすばるに何度目かもわからない苦言を呈している。
「すばる、いいか。何度も言うが一人で廊下を歩くのはまだ早い。庭に落ちたら怪我をしてしまう。怪我は痛いだ。痛い、嫌だろう?」
「いたいの、いやぁ」
「そうだ。ではもう廊下は一人で歩かないな?」
「や!」
「すばる……」
説得も空しくぷいとそっぽを向かれてしまった。
危機予測よりも好奇心が先に立つのが幼児というもの。その日からすばるは皓月の手首に繋がる紐を襷掛けにして装着することになった。
大層不貞腐れて皓月に背を向けたまま座っているすばる。積み木の玩具は床を叩く道具と化している。皓月は何度声をかけても目を合わせてもらえずしょげ返り、蛍はそれを見てニヤニヤと笑う。篝はその様子に懐かしいものを見るように目を細め、すばるの前にしゃがみ込んだ。
「ふふふ、それ、われも蛍に着けられていたことがございます。お揃いにございますね」
肩の結び目に触れながら言えばすばるは目を丸くして篝を見上げる。
「かがりちゃ、いっしょ?」
「ええ!われもすばる殿くらいの頃はお転婆だったのです」
「今も大して変わんないっすよ、お嬢さん」
「蛍!」
余計なことを言うなと睨みつけるがさして効果はない。蛍は主を不機嫌にさせても気にした様子もなく、篝の隣にしゃがんですばるに微笑みかけた。
「俺達は神子さんに痛い思いをしてほしくないんすよ。だからちょっとだけ、俺達の我儘を聞いてはくれませんかね」
あくまでも無理を言っているのはこちらだという姿勢ですばるの心を擽る作戦のようだ。困ったように眉を下げ、お願いしますと蛍は言う。そしてそれは的確にすばるの心に刺さったようだった。一度じっくり己の体に纏わりつく紐を見て、蛍と篝を見上げる。
「こうげつはー、わままま。すばる、わまままない?」
「ええ、我儘を言っているのは皓月殿。すばる殿は我儘ではございませぬ」
「おい」
尻馬に乗って自分一人を悪者に仕立てられそうになって流石に抗議の声を上げる皓月。その不満げな顔を仕方ないなぁと言った表情で見たすばるは立ち上がって皓月の目の前に移動した。
「すばる、がまんする。えらい?」
「そ、そうか……!偉いぞ、とても。お前は本当に賢くて優しい子だ」
「えっへへ」
堪らずわしゃわしゃと頭を撫でれば嬉しそうにすばるは笑う。もしかしたら明日にはまた嫌だと言い始めるかもしれないが、ひとまずの同意を得られたことに皓月達はほっと胸を撫で下ろした。
「誰かと手を繋いでいる時や、格子や妻戸を閉めた部屋で遊ぶ時はこれはいらない。今のようにどこの戸も開いている時と、泉の近くへ行く時はこれを付けさせてくれ」
「ずっとじゃない?」
「ああ、お前がどこか遠くへ行ってしまわないか心配な時だけだ」
そう説明されてすばるはことりと首を傾げた。皓月の言葉のひとつがどうにも腑に落ちない。すばるは皓月の胸にぎゅっと抱き着いてからその顔を仰ぎ見て、間違いを正そうと口を開いた。
「すばる、どこいかないよ?こうげつとずっといっしょ!」
「んなっ」
「まあ!」
なんといじらしい言葉だろうか。皓月は感動に打ち震え、篝はすばるの可愛らしい愛情表現に微笑ましいと笑みを浮かべている。四苦八苦しながらの生活でも、皓月たちとすばるの間には良好な信頼関係が築けているようだ。
10
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
病弱な悪役令息兄様のバッドエンドは僕が全力で回避します!
松原硝子
BL
三枝貴人は総合病院で働くゲーム大好きの医者。
ある日貴人は乙女ゲームの制作会社で働いている同居中の妹から依頼されて開発中のBLゲーム『シークレット・ラバー』をプレイする。
ゲームは「レイ・ヴァイオレット」という公爵令息をさまざまなキャラクターが攻略するというもので、攻略対象が1人だけという斬新なゲームだった。
プレイヤーは複数のキャラクターから気に入った主人公を選んでプレイし、レイを攻略する。
一緒に渡された設定資料には、主人公のライバル役として登場し、最後には断罪されるレイの婚約者「アシュリー・クロフォード」についての裏設定も書かれていた。
ゲームでは主人公をいじめ倒すアシュリー。だが実は体が弱く、さらに顔と手足を除く体のあちこちに謎の湿疹ができており、常に体調が悪かった。
両親やごく親しい周囲の人間以外には病弱であることを隠していたため、レイの目にはいつも不機嫌でわがままな婚約者としてしか映っていなかったのだ。
設定資料を読んだ三枝は「アシュリーが可哀想すぎる!」とアシュリー推しになる。
「もしも俺がアシュリーの兄弟や親友だったらこんな結末にさせないのに!」
そんな中、通勤途中の事故で死んだ三枝は名前しか出てこないアシュリーの義弟、「ルイス・クロフォードに転生する。前世の記憶を取り戻したルイスは推しであり兄のアシュリーを幸せにする為、全力でバッドエンド回避計画を実行するのだが――!?
聖女召喚!・・って俺、男〜しかも兵士なんだけど・・?
バナナ男さん
BL
主人公の現在暮らす世界は化け物に蹂躙された地獄の様な世界であった。
嘘か誠かむかしむかしのお話、世界中を黒い雲が覆い赤い雨が降って生物を化け物に変えたのだとか。
そんな世界で兵士として暮らす大樹は突然見知らぬ場所に召喚され「 世界を救って下さい、聖女様 」と言われるが、俺男〜しかも兵士なんだけど??
異世界の王子様( 最初結構なクズ、後に溺愛、執着 )✕ 強化された平凡兵士( ノンケ、チート )
途中少々無理やり的な表現ありなので注意して下さいませm(。≧Д≦。)m
名前はどうか気にしないで下さい・・
奴隷商人は紛れ込んだ皇太子に溺愛される。
拍羅
BL
転生したら奴隷商人?!いや、いやそんなことしたらダメでしょ
親の跡を継いで奴隷商人にはなったけど、両親のような残虐な行いはしません!俺は皆んなが行きたい家族の元へと送り出します。
え、新しく来た彼が全く理想の家族像を教えてくれないんだけど…。ちょっと、待ってその貴族の格好した人たち誰でしょうか
※独自の世界線
もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
衝撃で前世の記憶がよみがえったよ!
推しのしあわせを応援するため、推しとBLゲームの主人公をくっつけようと頑張るたび、推しが物凄くふきげんになるのです……!
ゲームには全く登場しなかったもふもふ獣人と、騎士見習いの少年の、両片想いな、いちゃらぶもふもふなお話です。
ひとりぼっち獣人が最強貴族に拾われる話
かし子
BL
貴族が絶対的な力を持つ世界で、平民以下の「獣人」として生きていた子。友達は路地裏で拾った虎のぬいぐるみだけ。人に見つかればすぐに殺されてしまうから日々隠れながら生きる獣人はある夜、貴族に拾われる。
「やっと見つけた。」
サクッと読める王道物語です。
(今のところBL未満)
よければぜひ!
【12/9まで毎日更新】→12/10まで延長
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる