上 下
6 / 97

悪役令息の事情 2

しおりを挟む
「ギリアン卿」

 僕が返事を返したことを確認してから男が一人こちらへ歩いてくる。学園の制服ではなく騎士服を纏った見上げるほど大きな体躯の男。短く刈り込まれた暗い赤毛が日の光を浴びて燃え立つ炎のように揺れている。
 彼の名はコンラッド・フィリップ・ラザフォード。ベッケル侯爵家の長男。武芸に秀でた彼は家督を継がず、ギリアン伯爵位を賜り十八の頃から十年、クリスの護衛騎士として王宮に務めている。
 クリスの護衛騎士。つまり先程の僕たちのやり取りを傍で聞いていたただ一人の人間と言うことである。

「先程は、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」

 目の前で立ち止まったギリアン卿に苦笑しながら首を撫でる。婚約解消の現場に居合わせるなど、彼もさぞ居心地の悪かったことだろう。

「お気になさらず。護衛騎士である私は平時は物言わぬ壁のようなもの。目も耳も塞いでおります」
「そうでしたね」

 聞いていないと答えるギリアン卿に一つ相槌を打ち、しかし、と首を傾げる。本当に何も見聞きしていないと言うのなら、このタイミングで僕の所へ来るはずがない。

「けど卿は殿下の元を離れ私の元へいらした。流石に私の動向が気にかかりましたか?」
「そうですな。些か」

 ベンチに座っていると背の高い彼を見上げる首が痛い。僕は彼に座るよう促しつつ尋ねると、ベンチの端に腰かけた彼が素直に頷いた。
 ギリアン卿は正直な男だ。クリスと同じだけ付き合いのある彼とは気心の知れた間柄。僕も少し愉快な気持ちになって、冗談めかして口を開いた。

「例えば、激昂して殿下の次の婚約者殿に危害を加えに行くとか?」
「おや、まさかそのようなことを?」
「致しません。冗談です」
「でしょうな」

 わざとらしく驚いて見せた後、つんとそっぽを向く僕に知っていたと彼は笑う。しかしその笑みはすぐに消え、痛ましいものを見るような目で静かに語りかけてきた。

「殿下にお怒りになるお気持ちはお察し申し上げる。だがあの方も、貴殿を厭うてあのようなことを申された訳ではないのです」
「わかっています」

 クリスを庇うような物言いをするギリアン卿に緩く首を振って答える。
 この人は僕たちの仲を知っていたし、護衛の仕事上あの二人の仲もよく知っているんだろう。例え主君であろうと悪いことは悪いとはっきり言うタイプのギリアン卿がこう言うってことは、あの二人が分かち難い程想い合っている証のように思えた。
 思わず溜息が出る。

「十年かけて育んだ親愛も友情も。運命的に現れた恋と愛の前には歯が立たなかったと言うこと。それは十分にわかっております」

 噂だけではない。この目で何度も見た。クリスが僕に一度だって見せたことのない顔で彼に笑いかけ、触れる姿を。逆に、手を伸ばしながらも触れることを躊躇う姿を。
 僕が手にすることができなかった恋。望むことを諦めた愛。それを二人は手に入れてしまったのだと、愕然とした。このままでは駄目だと焦燥に駆られて、必死に足掻く日々が始まったんだ。

「幼い日に友と立てた誓いは果たされなかった……やはり人生の苦楽を共にする伴侶は、親友ではなく愛する人の方が相応しいと言うことなのでしょうね」
「レッドメイン殿……」

 諦めたように小さく笑えば、ギリアン卿は困ったような何とも言えない表情で僕を呼んだ。その先がないってことは、慰めの言葉も思いつかない程ってことなんだろう。まあそうだろうな。僕だって立場が逆なら何も言えない。

「卒業して婚約が正式に解消されたら、あなたに会うこともなくなるでしょうね。寂しくなります」

 僕がクリスと婚約した時期と、ギリアン卿がクリスの護衛騎士に任命された時期はほぼ同じ。僕はギリアン卿とも十年の付き合いがあるが、婚約が解消されればクリスのみならず彼ともあと数か月で会えなくってしまう。
 寂しい気持ちを素直に吐露すると、ギリアン卿は強面の顔を優しく弛め微笑んだ。

「何を仰る。王子の婚約者でなくなろうとあなたはノリッジ公爵家のご子息。顔を会わせる機会はこの先いくらでもありましょう」
「いえ、それがそうでもないのです」
「はい?」

 僕の返答に不思議そうに首を傾げるギリアン卿。そうだよな、何せ相手は王子殿下で僕は侯爵家の息子。いくら婚約を解消したからと言って一生顔を会わせないなんてことにはならないはずだ。
 しかしながら僕には厄介な事情があって、本当にそうなりそうな気配なのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました

西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて… ほのほのです。 ※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

モラトリアムは物書きライフを満喫します。

星坂 蓮夜
BL
本来のゲームでは冒頭で死亡する予定の大賢者✕元39歳コンビニアルバイトの美少年悪役令息 就職に失敗。 アルバイトしながら文字書きしていたら、気づいたら39歳だった。 自他共に認めるデブのキモオタ男の俺が目を覚ますと、鏡には美少年が映っていた。 あ、そういやトラックに跳ねられた気がする。 30年前のドット絵ゲームの固有グラなしのモブ敵、悪役貴族の息子ヴァニタス・アッシュフィールドに転生した俺。 しかし……待てよ。 悪役令息ということは、倒されるまでのモラトリアムの間は貧困とか経済的な問題とか考えずに思う存分文字書きライフを送れるのでは!? ☆ ※この作品は一度中断・削除した作品ですが、再投稿して再び連載を開始します。 ※この作品は小説家になろう、エブリスタ、Fujossyでも公開しています。

悪役令息の死ぬ前に

やぬい
BL
「あんたら全員最高の馬鹿だ」  ある日、高貴な血筋に生まれた公爵令息であるラインハルト・ニーチェ・デ・サヴォイアが突如として婚約者によって破棄されるという衝撃的な出来事が起こった。  彼が愛し、心から信じていた相手の裏切りに、しかもその新たな相手が自分の義弟だということに彼の心は深く傷ついた。  さらに冤罪をかけられたラインハルトは公爵家の自室に幽閉され、数日後、シーツで作った縄で首を吊っているのを発見された。  青年たちは、ラインハルトの遺体を抱きしめる男からその話を聞いた。その青年たちこそ、マークの元婚約者と義弟とその友人である。 「真実も分からないクセに分かった風になっているガキがいたからラインは死んだんだ」  男によって過去に戻された青年たちは「真実」を見つけられるのか。

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

腐男子(攻め)主人公の息子に転生した様なので夢の推しカプをサポートしたいと思います

たむたむみったむ
BL
前世腐男子だった記憶を持つライル(5歳)前世でハマっていた漫画の(攻め)主人公の息子に転生したのをいい事に、自分の推しカプ (攻め)主人公レイナード×悪役令息リュシアンを実現させるべく奔走する毎日。リュシアンの美しさに自分を見失ない(受け)主人公リヒトの優しさに胸を痛めながらもポンコツライルの脳筋レイナード誘導作戦は成功するのだろうか? そしてライルの知らないところでばかり起こる熱い展開を、いつか目にする事が……できればいいな。 ほのぼのまったり進行です。 他サイトにも投稿しておりますが、こちら改めて書き直した物になります。

処理中です...