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悪役令息の事情 2
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「ギリアン卿」
僕が返事を返したことを確認してから男が一人こちらへ歩いてくる。学園の制服ではなく騎士服を纏った見上げるほど大きな体躯の男。短く刈り込まれた暗い赤毛が日の光を浴びて燃え立つ炎のように揺れている。
彼の名はコンラッド・フィリップ・ラザフォード。ベッケル侯爵家の長男。武芸に秀でた彼は家督を継がず、ギリアン伯爵位を賜り十八の頃から十年、クリスの護衛騎士として王宮に務めている。
クリスの護衛騎士。つまり先程の僕たちのやり取りを傍で聞いていたただ一人の人間と言うことである。
「先程は、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
目の前で立ち止まったギリアン卿に苦笑しながら首を撫でる。婚約解消の現場に居合わせるなど、彼もさぞ居心地の悪かったことだろう。
「お気になさらず。護衛騎士である私は平時は物言わぬ壁のようなもの。目も耳も塞いでおります」
「そうでしたね」
聞いていないと答えるギリアン卿に一つ相槌を打ち、しかし、と首を傾げる。本当に何も見聞きしていないと言うのなら、このタイミングで僕の所へ来るはずがない。
「けど卿は殿下の元を離れ私の元へいらした。流石に私の動向が気にかかりましたか?」
「そうですな。些か」
ベンチに座っていると背の高い彼を見上げる首が痛い。僕は彼に座るよう促しつつ尋ねると、ベンチの端に腰かけた彼が素直に頷いた。
ギリアン卿は正直な男だ。クリスと同じだけ付き合いのある彼とは気心の知れた間柄。僕も少し愉快な気持ちになって、冗談めかして口を開いた。
「例えば、激昂して殿下の次の婚約者殿に危害を加えに行くとか?」
「おや、まさかそのようなことを?」
「致しません。冗談です」
「でしょうな」
わざとらしく驚いて見せた後、つんとそっぽを向く僕に知っていたと彼は笑う。しかしその笑みはすぐに消え、痛ましいものを見るような目で静かに語りかけてきた。
「殿下にお怒りになるお気持ちはお察し申し上げる。だがあの方も、貴殿を厭うてあのようなことを申された訳ではないのです」
「わかっています」
クリスを庇うような物言いをするギリアン卿に緩く首を振って答える。
この人は僕たちの仲を知っていたし、護衛の仕事上あの二人の仲もよく知っているんだろう。例え主君であろうと悪いことは悪いとはっきり言うタイプのギリアン卿がこう言うってことは、あの二人が分かち難い程想い合っている証のように思えた。
思わず溜息が出る。
「十年かけて育んだ親愛も友情も。運命的に現れた恋と愛の前には歯が立たなかったと言うこと。それは十分にわかっております」
噂だけではない。この目で何度も見た。クリスが僕に一度だって見せたことのない顔で彼に笑いかけ、触れる姿を。逆に、手を伸ばしながらも触れることを躊躇う姿を。
僕が手にすることができなかった恋。望むことを諦めた愛。それを二人は手に入れてしまったのだと、愕然とした。このままでは駄目だと焦燥に駆られて、必死に足掻く日々が始まったんだ。
「幼い日に友と立てた誓いは果たされなかった……やはり人生の苦楽を共にする伴侶は、親友ではなく愛する人の方が相応しいと言うことなのでしょうね」
「レッドメイン殿……」
諦めたように小さく笑えば、ギリアン卿は困ったような何とも言えない表情で僕を呼んだ。その先がないってことは、慰めの言葉も思いつかない程ってことなんだろう。まあそうだろうな。僕だって立場が逆なら何も言えない。
「卒業して婚約が正式に解消されたら、あなたに会うこともなくなるでしょうね。寂しくなります」
僕がクリスと婚約した時期と、ギリアン卿がクリスの護衛騎士に任命された時期はほぼ同じ。僕はギリアン卿とも十年の付き合いがあるが、婚約が解消されればクリスのみならず彼ともあと数か月で会えなくってしまう。
寂しい気持ちを素直に吐露すると、ギリアン卿は強面の顔を優しく弛め微笑んだ。
「何を仰る。王子の婚約者でなくなろうとあなたはノリッジ公爵家のご子息。顔を会わせる機会はこの先いくらでもありましょう」
「いえ、それがそうでもないのです」
「はい?」
僕の返答に不思議そうに首を傾げるギリアン卿。そうだよな、何せ相手は王子殿下で僕は侯爵家の息子。いくら婚約を解消したからと言って一生顔を会わせないなんてことにはならないはずだ。
しかしながら僕には厄介な事情があって、本当にそうなりそうな気配なのだ。
僕が返事を返したことを確認してから男が一人こちらへ歩いてくる。学園の制服ではなく騎士服を纏った見上げるほど大きな体躯の男。短く刈り込まれた暗い赤毛が日の光を浴びて燃え立つ炎のように揺れている。
彼の名はコンラッド・フィリップ・ラザフォード。ベッケル侯爵家の長男。武芸に秀でた彼は家督を継がず、ギリアン伯爵位を賜り十八の頃から十年、クリスの護衛騎士として王宮に務めている。
クリスの護衛騎士。つまり先程の僕たちのやり取りを傍で聞いていたただ一人の人間と言うことである。
「先程は、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
目の前で立ち止まったギリアン卿に苦笑しながら首を撫でる。婚約解消の現場に居合わせるなど、彼もさぞ居心地の悪かったことだろう。
「お気になさらず。護衛騎士である私は平時は物言わぬ壁のようなもの。目も耳も塞いでおります」
「そうでしたね」
聞いていないと答えるギリアン卿に一つ相槌を打ち、しかし、と首を傾げる。本当に何も見聞きしていないと言うのなら、このタイミングで僕の所へ来るはずがない。
「けど卿は殿下の元を離れ私の元へいらした。流石に私の動向が気にかかりましたか?」
「そうですな。些か」
ベンチに座っていると背の高い彼を見上げる首が痛い。僕は彼に座るよう促しつつ尋ねると、ベンチの端に腰かけた彼が素直に頷いた。
ギリアン卿は正直な男だ。クリスと同じだけ付き合いのある彼とは気心の知れた間柄。僕も少し愉快な気持ちになって、冗談めかして口を開いた。
「例えば、激昂して殿下の次の婚約者殿に危害を加えに行くとか?」
「おや、まさかそのようなことを?」
「致しません。冗談です」
「でしょうな」
わざとらしく驚いて見せた後、つんとそっぽを向く僕に知っていたと彼は笑う。しかしその笑みはすぐに消え、痛ましいものを見るような目で静かに語りかけてきた。
「殿下にお怒りになるお気持ちはお察し申し上げる。だがあの方も、貴殿を厭うてあのようなことを申された訳ではないのです」
「わかっています」
クリスを庇うような物言いをするギリアン卿に緩く首を振って答える。
この人は僕たちの仲を知っていたし、護衛の仕事上あの二人の仲もよく知っているんだろう。例え主君であろうと悪いことは悪いとはっきり言うタイプのギリアン卿がこう言うってことは、あの二人が分かち難い程想い合っている証のように思えた。
思わず溜息が出る。
「十年かけて育んだ親愛も友情も。運命的に現れた恋と愛の前には歯が立たなかったと言うこと。それは十分にわかっております」
噂だけではない。この目で何度も見た。クリスが僕に一度だって見せたことのない顔で彼に笑いかけ、触れる姿を。逆に、手を伸ばしながらも触れることを躊躇う姿を。
僕が手にすることができなかった恋。望むことを諦めた愛。それを二人は手に入れてしまったのだと、愕然とした。このままでは駄目だと焦燥に駆られて、必死に足掻く日々が始まったんだ。
「幼い日に友と立てた誓いは果たされなかった……やはり人生の苦楽を共にする伴侶は、親友ではなく愛する人の方が相応しいと言うことなのでしょうね」
「レッドメイン殿……」
諦めたように小さく笑えば、ギリアン卿は困ったような何とも言えない表情で僕を呼んだ。その先がないってことは、慰めの言葉も思いつかない程ってことなんだろう。まあそうだろうな。僕だって立場が逆なら何も言えない。
「卒業して婚約が正式に解消されたら、あなたに会うこともなくなるでしょうね。寂しくなります」
僕がクリスと婚約した時期と、ギリアン卿がクリスの護衛騎士に任命された時期はほぼ同じ。僕はギリアン卿とも十年の付き合いがあるが、婚約が解消されればクリスのみならず彼ともあと数か月で会えなくってしまう。
寂しい気持ちを素直に吐露すると、ギリアン卿は強面の顔を優しく弛め微笑んだ。
「何を仰る。王子の婚約者でなくなろうとあなたはノリッジ公爵家のご子息。顔を会わせる機会はこの先いくらでもありましょう」
「いえ、それがそうでもないのです」
「はい?」
僕の返答に不思議そうに首を傾げるギリアン卿。そうだよな、何せ相手は王子殿下で僕は侯爵家の息子。いくら婚約を解消したからと言って一生顔を会わせないなんてことにはならないはずだ。
しかしながら僕には厄介な事情があって、本当にそうなりそうな気配なのだ。
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