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140.

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「ねぇ、僕?」


「…………?」


急におばあさんの目がこっちに向いて、話しかけられた。


「毎日お父さんが遊んでくれて、楽しい?」


「……、ぁ……」


何て答えればいいのか分からなくて、口を開きかけて閉じる。ここは嘘でも楽しいって言った方がいい?


ちらり、お母さんを見れば冷たい目が語っていた。楽しいって言え、と。


「た、楽しいです」


「そうなの~。おばちゃん、僕がお外で遊んでるの見たことがないから、あんまりそういうの好きじゃないのかなって思ってたのよ~。でもお父さんと一緒に、お家の中で遊んでたのね?」


おばあさんの朗らかで柔和な声とは裏腹に、漂う空気はピンと張りつめている。ちぐはぐな空気だ。


「お父さんが、遊んでくれてます」


「お母さんとのお遊びする?」


おばあさん、止めて。それ以上何も言わないで。


「たまに……出かけます」


嘘だよ、大嘘だ。


「いいわねぇ、家族でお出かけ」


苦しい、痛い。張りつめた空気で押し潰されそう。


「じゃあ」


耳を塞ぎたくなる。その台詞の続きは、聞いちゃいけない気がした。


「僕とお母さんとお父さんは」


おばあさんの一言一言が、ずっしりと肩にのしかかってくる。


「とっても、仲良しなのねぇ」


仲良し、っていうのは。俺の家族に1番当てはまらなくて、1番遠くにあるもの。……ああ、そうじゃない。俺の家族、じゃなくて俺が、だ。


お父さんとお母さんは普通に仲がいい。仲良くないのは、俺だ。俺だけが。


「……えっ……と」


言わなきゃ、仲良しですって言わなきゃいけないのに。その単語が喉に引っかかって口から出てこない。何も言わない俺に、おばあさんが不思議がって首を傾げる。


嘘でも仲良しと言わなきゃいけないのが辛い。だって、違うから。仲良しじゃ、ないから。


気持ちがぐらぐら揺れて、瞳を泳がせていると今まで黙っていたお母さんが『ねぇ』唐突に口を開いた。はっとして顔を上げると、お母さんはすっと口角を上げて。


「皆仲良しだって、そう思うでしょ?――――カナデ」


か、な、で。お母さんの口がそう動いた。


自分の名前を呼んでもらえても嬉しくない。お母さんが俺のことをちゃんと名前で呼ぶ時、それはいつだって周りの人間に俺とお母さんとお父さんは幸せな家族だと虚構を作り上げる時だった。





――――――――――

――…………



「…………え?か、なで?」


碧音君の口からこぼれたそれに、頭が真っ白になる。


かなで、カナデ。


今の話の流れからいくと、かなでという名前は確実に。


「奏は。俺の、名前。今の両親と暮らす前まで、だけど」


語る碧音君は、淡々としていて。私は話に追いついていくのがやっとだというのに。


「八枝奏。それが、俺の名前だった」


やえ、かなで。刹那碧音ではなく、八枝奏。奏君は碧音君で、碧音君は奏君。


同一人物。


そんな重要で大切なこと、さらっと言わないで欲しい。私の頭の中は大混乱だ。碧音君は『お前、意味分かんないって顔してる』僅かに困ったように笑い、私の頬をつねってきた。


地味に痛いけど今はそれどころじゃないのだ。


「これから名前のことについても順を追って話していくから。取り敢えず、今と昔じゃ名前が違うってことだけ、分かって」

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