上 下
41 / 63
幕間3

4.

しおりを挟む

「……今、なんと……?」

 伏見城から戻った正成に呼び出された織之助と鈴は、正成の口から飛び出した言葉にそれぞれ目を丸くした。
 織之助が噛み砕くようにゆっくり聞きなおし、それに対して正成が静かに繰り返す。

「鈴吉を徳川に差し出す」

 正成は表情を変えずまっすぐに織之助を見て、はっきりと言い切った。 
 その視線を受け止めつつ、けれど言われた内容は受け止めることができない。

「……いったい、なぜ……」

 動揺を隠しきれず声が掠れた。

「二年前、鈴吉が襲われたことがあっただろう。その処分について問いただされた」

 わざとらしいほど淡々とした口調で語られる事の経緯は耳に入ってくるが、脳が理解することを拒んでいる。

「――……その償いとしてお前の首か、鈴吉の身柄を差し出せと言ってきた」

 唇を引き締めた織之助に、正成は一息ついて続けた。

「お前にいなくなられるのは困る」

 落ち着いてきたとはいえ、いつなにがあるかわからない世だ。
 いまだ徳川と豊臣は睨み合っているし、いつ桐城も戦禍巻き込まれるか。
 そもそも正成の右腕として名を走らせている織之助の命と、いち小姓にすぎない鈴吉の身柄。どちらを取るかは火を見るよりも明らかである。
 ――それはわかる、わかるが。

「だから……鈴吉を犠牲にするのですか」
「他になにがある」

 厳しい声で正成が織之助に問う。
 正成だって苦渋の決断だったに違いない。
 幼い頃から一緒に育ってきた兄弟ともいえる存在だと、本人が言うほどには鈴吉のことを気にかけている。
 そんな正成の心境は察せるが――それでもやはり簡単には頷けない。

「ですが鈴吉は……」
「女性だというのは伝えてある」

 先回りして答えた正成にぐっと言葉を呑む。
 女性だとわかって、なお徳川は鈴を要求したのか。

「鈴吉ではなく、鈴として徳川に行くと……?」
「そうだ」

 肯定されて織之助の顔がいっそう強張った。
 ぐるぐるとえも言われぬ不快感が腹の底を渦巻く。

「……待遇などは決まっているのですか」

 どうにかして鈴を渡さない理由を探したい。
 正成がもう散々考えた後だというのは分かっていても、だ。

「五男の信吉殿の側室に、桐野の隠していた姫として行く」

 側室、という言葉に一瞬視界が真っ暗になった。
 すぐ隣で鈴が息を呑む音が聞こえる。

「以前城に来た際、鈴吉の姿を見て惚れたらしい」
「は?」

 思わず相手が正成だということも忘れて素の反応をした。
 正成は気にしていない様子だが、表情が硬い。

「信吉殿には世継ぎもいない。……鈴吉が女なら幸いと言っている」
「そんなことを……っ!」

 子を成せというのか。鈴に。
 かっと頭が熱くなり、つい腰を上げた。
 掴みかかる勢いの織之助を止めたのは、誰でもない鈴である。

「織之助さま」

 細い指が織之助の袖を引いた。
 諌めるような強い瞳に唇を噛む。
 鈴は織之助に一度小さく頷いて、それからまっすぐ正成を見た。
 
「その話、お受けいたします」

 静かに、けれど凛とした声が部屋に響く。
 決意の強さが窺えるその言葉つきに、正成はゆっくり首を縦に振った。

「……ああ。頼む」

 そこで正成の表情が崩れた。
 ぐっと眉を寄せて奥歯を噛み、ひどく苦しい顔をしている。

「……っすまない」

 頭を下げて吐き出された謝罪に織之助は目を伏せた。
 ――どうすることもできないのだ。
 関ヶ原合戦で勝利した徳川に逆らえるほどの力は正成にはない。
 そんなことはこの場にいる誰もがわかっている。わかっているから辛い。

「お願いです、謝らないでください」

 慌てて鈴が正成に声をかけた。

「常陸国水戸を治めるお殿様の側室なんて玉の輿じゃないですか」

 無理して明るく振る舞っているのが痛いほど伝わり、どうしても頷くことができない。
 それは織之助も正成も同じだった。
 苦い顔の二人に鈴が困ったように笑う。

「……もー。織之助さまも正成さまも心配しすぎです」

 その表情が穏やかで胸が詰まった。
 自分なんかよりもずっと覚悟を決めている鈴に、何も言えなくなる。

「信吉さまって前に迷子になってた方でしょう。お優しい人でしたよ」

 口をつぐんだままの織之助と正成に向かって、鈴はやはりすべてを受け止めたような微笑みを浮かべた。

「だからそんな暗い顔しないで笑って送り出してください」
「……ああ」

 正成はぎこちなく笑顔を返したが織之助は笑えなかった。
 三人それぞれに思うところがあり、沈黙が部屋を満たす。
 その沈黙を破ったのは正成だった。

「……織之助と話がある。鈴吉……いや、鈴は先に戻るといい」
「……わかりました」

 ぺこりと頭を下げて鈴が腰を持ち上げた。
 その姿が部屋から無くなり、襖が閉じられたのを見届けてから、正成がそっと息を吐いた。

「織之助」
「……はい」

 名前を呼ばれて静かに応える。

「……すまない。俺の力が及ばず、拒否しきれなかった」
「正成様はなにも悪くありません」

 どう考えてもこちら落ち度があるようには思えない。
 徳川の卑劣なやり口に膝の上で握っていた拳により力が入る。
 正成は、そんな織之助を見て「……おまえが」と小さくつぶやいた。

「おまえが……鈴と駆け落ちでもするのなら、それはそれでいいと思っている」
「え……?」

 まさかの提案に織之助が目を丸くした。

「徳川だってなにも本気で鈴が欲しいわけではあるまい。……ただ、桐野を従えさせたという事実が欲しいだけだ」

 ちょうどよく信吉が鈴を気に入り、それで白羽の矢がたっただけのこと。
 鈴と織之助が消えたと言っても激怒はしないだろう。

「ですが……」

 言葉を濁した織之助に正成がふんと微かに鼻を鳴らした。

「さっきはおまえがいなくなったら困ると言ったが、士郎だっている。人生なんだかんだでなんとかなるものだ……というのは父の受け売りだが」
「正成様……」

 気遣われていることがひしひしと伝わってきて胸が痛くなる。
 けれど――

「いえ。私は正成様に生涯お仕えすると決めております」

 はっきりと言い切った織之助に正成は苦笑いを浮かべた。

「まあ、おまえは頷かないだろうと思ったが」
「はい。今ここで腹を掻っ捌いて、この首を徳川に差し出していただくことはできますが」
「やめろ」
「……でしたらやはり鈴に行ってもらうしかありません」

 それは自分に言い聞かせているような口ぶりだった。
 大きく息を吐いたのは正成で、その瞳がまっすぐ織之助を映す。

「いいんだな」
「……はい」

 織之助は静かに、けれどしっかりと頷く。

「――わかった」

 正成の重々しい声がやけに大きく聞こえた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

【続】18禁の乙女ゲームから現実へ~常に義兄弟にエッチな事されてる私。

KUMA
恋愛
※続けて書こうと思ったのですが、ゲームと分けた方が面白いと思って続編です。※ 前回までの話 18禁の乙女エロゲームの悪役令嬢のローズマリアは知らないうち新しいルート義兄弟からの監禁調教ルートへ突入途中王子の監禁調教もあったが義兄弟の頭脳勝ちで…ローズマリアは快楽淫乱ENDにと思った。 だが事故に遭ってずっと眠っていて、それは転生ではなく夢世界だった。 ある意味良かったのか悪かったのか分からないが… 万李唖は本当の自分の体に、戻れたがローズマリアの淫乱な体の感覚が忘れられずにBLゲーム最中1人でエッチな事を… それが元で同居中の義兄弟からエッチな事をされついに…… 新婚旅行中の姉夫婦は後1週間も帰って来ない… おまけに学校は夏休みで…ほぼ毎日攻められ万李唖は現実でも義兄弟から……

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】

remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。 干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。 と思っていたら、 初めての相手に再会した。 柚木 紘弥。 忘れられない、初めての1度だけの彼。 【完結】ありがとうございました‼

二人の甘い夜は終わらない

藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい* 年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...