妖怪と人間

ドライパイン

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妖怪の提案-0

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ガタゴトと揺れる電車がスピードを落とす。男はようやく目を覚ました。
「…………ああ、もう降りなきゃ」
 終電でようやく帰れる日が続く。土曜日の休みなんて存在しない。日曜日に泥のように眠ってなんとか回復を図るも、6日の疲れが1日でなんとかなるわけがなかった。
 酷く重い足取りで、電車からホームに降り立つ。周りのスーツ姿たちも似たような表情だ。自分だけではないというのが、果たして救いになるのか彼にはわからなかった。
 駅のホームを出て、10分ほどかけてアパートに戻ってゆく。途中のコンビニに弁当を買おうと立ち寄った。好きな牛カルビ弁当がなく、ため息と共に割引の海苔弁当を掴む。
「温めますか?」
「…………お願いします」
 こんな生活、長持ちしないのは分かっている。でもどうしたらいいのか。この閉塞した生き方がずっと自分に続けられるのか。レンジの音と、コンビニ内の音楽だけが楽しそうに響いていた。
「……様、お客様?」
「あ、ああ。有難うございます」
「いえ、有難うございます」
 ぼうっとしていた。コンビニとアパートは目と鼻の先だ。温めてもらった弁当をかっこむ。その最中に、パソコンの電源と服の着替えを何とか済ました。電気ケトルも、先に仕掛けておく。テレビはあるものの、この時間帯から見たいものがあまりない。ニュースにも興味がわかない、スポーツは元から知らない。
 空っぽになった弁当ガラをゴミ箱に押し付けるように棄てる。沸いたお湯で安いインスタントコーヒーを淹れた。湯気が、一人だけの部屋に漂う。チビチビと口をつけつつ、パソコンでお目当てのページを開く。
「新作はなし、か」
 好きなジャンルの情報をつぶやきや投稿サイトで探ってみるが、進展はないようだ。ハァとため息をつき、座椅子にもたれかかる。自分はなぜこのジャンルに惹かれたのだろう。
「もしかしたら」
 自分は、自分でありたくなかったのかなぁ。
 部屋着に着替えて、眠そうな眼で歯ブラシを動かす。それが終わったら、やっと部屋の電気を落として郷という日が終わる。日付は既に進んでいた。明日も仕事が山のようにある。それを思うと、もう二度と布団から起き上がりたくなかった。
「何で自分、生きてんだっけ」
 闇に染まった部屋で、ひとりごつ。パソコンの明かりがともったまま、眠りについた。

<<起きなさい>>

「……?」
 寝入るのが早かっただろうか、妙にリアルな夢だと思う。突然誰かに呼ばれたような気がするが、このまま眠ってしまう。明日も早いのだ。

<<おーきーなーさーいー!>>

 なんだかハッキリ聞こえる。寝つきが悪いのだろうか、リラクゼーション音楽でも聴くかとヘッドホンを手にして再び目を閉じる。

『おーきーろー!』

 今度はパソコンの方からハッキリと音がした。動画サイトの時報だろうか、うっとうしい。仕方ないと立ち上がり……

「なんだ、この画面?」
 直前まで開いていたページとはうって変わり、真っ黒なウィンドウになにかのキャラアイコンがちっこく写っている。Sky_phoneの通話画面のようだとぼんやりしつつ考える。
『やーっと目が覚めた! こちとら1時間も呼びかけたって言うのに!』
 右下の時間トレイをみると、確かに寝入ってから1時間経った午前2時。出社まであと4時間と考えるとまた憂鬱になる。
『そんな顔しないの! 明日からそんな生活しなくてもよくなるんだからね!』
 カメラ機能でこちらのことが見られているのか、と思いマウスで通話を止めようとする。……X印もない。通話ミュートも、カメラ停止機能も見られなかった。
『ちょ、ちょっと。いきなり切ろうなんてアンタなかなか珍しい若者じゃない! 人の話はちゃんと聞きなさいって言われなかったの!?』
「こちとらお前みたいなイタズラウイルスヤローに構ってるほど体力ないんだよ、明日も仕事だっつーの」
『ヤローってアンタ、私はおん』
 面倒になって、タスクマネージャも起動しないことを確認してすぐにコンセントを外した。ようやくこれで眠れる、とベッドに向かった。
「……誰?」
 ベッドに先客が正座で座っていた。しかも会ったこともない少女。
「いきなり通話切らないでよ! わざわざこっちに来ないといけなくなったじゃない!」
 携帯電話を探す。さっさと通報しないといけない。
「ちょちょちょ、お願いします待って」
「通話した覚えのない人間がいきなりパソコン越しに話しかけてきて、挙句の果てに部屋にいきなりいたら普通の人はビビるかキレるわ!」
「人間!? とんでもないわね、私は大妖怪よ!」
「しかも妖怪を名乗る大法螺吹きときやがった!」
「わーっ、大妖怪は言い過ぎたけど本当に妖怪なんだって」
 ドゴン、と部屋に響く音。思わずおびえたような表情になる。きょとんとした顔の不審少女をわき目に、隣の住民からの全力の壁ドンと怒号が聞こえる
『明日! 会議! 早く寝ないと死ぬ! おめーら黙って寝ろ!』
 金切り声に近い隣のOLからの訴え。朝出会うときはもうちょっとお淑やかなのに、夜騒ぐととんでもなく怖い。とりあえず不審少女に人差し指をたてると、神妙な面持ちで彼女はうなづいた。


「で、アンタは一体誰なんだよ」
 一度消した電気を付け直し、今度はお隣さんに気をつけながら小声で話す。座椅子は仕方なく譲ってやった。人の年齢とかを見た目で判断するのは得意ではないが、高校生ぐらいの背丈だろうか。服装はポロシャツにジーンズと、どうも垢抜けてなさが目立つ。
「あなたの願いを叶えに来た、妖怪よ」
 ドヤ顔の少女を今度こそ怪訝な目で見つめる。
「信じていない目ね」
「今の説明で信じた人間が居るのか」
「な、なにぶん初めての下山修行なもので……」
 とにかく、と話を切り上げようとする。
「俺は明日も明後日もそのまた次も仕事で忙しいの、夜はさっさと寝かせてくれ」
 それを口にした瞬間、目の前の少女がニヤリと嗤った様に見えた。
「ずぅっと、こんな生活を続けるつもりかしら?」
「どういうこったよ」
「このままやりたくない仕事を、辛い生活を、楽しくない人生を。この先何十年も続けるつもり?」

――――答えられなかった。決して勉強が好きだったわけでもない。高校も大学も、良い所に勤めて沢山の蓄えを得て。それが自分の幸せにも、周りの幸せにもなると思って。結局はそれは自分の道を自分で決められないということだ。世間で言う有名どころに勤められたのは良いものの、やりがいというものを未だ感じられていない。つまらないし、しんどい。程度は異なるものの、今までの人生と同じだった。自分が誰かよりも幸せだとか、不幸だとか。そんなことが段々と分からなくなって、恵まれているか恵まれていないかで判断するようになった。周りから、自分は恵まれているのだ。だから頑張らなければならない。そう自分に言い聞かせて、長いこと生きてきたような気がする。このまま、死ぬまで同じように出来るだろうか。

 そんなことを、見透かされてしまったのだろうか。思わず俺は、壁にもたれかかる。ザラザラした感触を頭と背骨で受け止めつつ、目の前の少女を見つめなおした。
「それが、どうしたっていうんだ? 人がどんな人生を送ろうと勝手だ」
「あなたのパソコンの履歴を調べさせてもらったわ」
 ちょっと待て、今なんていったアンタ。
「おいあんた、ふざけたこと言ってんじゃ……」
「アナタの気質。特に性的欲求をかなり倒錯した方法で満たすのは人間としてもなかなか珍しいわ」
「貴様ッ!」
 さっきまでの深刻な考えはあっさり吹き飛んだ。隣の住人に配慮して静かに、そしてしなやかに玄関のチェーンと鍵をしっかりかける。
「逃さん……お前だけは……ネットの履歴を見ることは人の歴史ごと殺すのと同罪……!」
「ちょっ、キャ、アンタ人の話は最後まで」
 ドゴン、と今度は明らかにグーパンで殴ったような音が聞こえた。
「ご、御免なさい!」
「すいませんでした!」
 2人そろって壁の向こうにお辞儀した。

 思わず苦い表情をしつつ、再び少女と相対した。
「人の履歴覗き見たことは今日は不問にする。さっさと帰れ」
「さっきの続きだけど、履歴にも関する事。アナタ、今の人生を変えたくない?」
「意味が分からん」
「明日起きたら、アナタは別の人として生きるの」
「……俺はもう寝るから、はよ出て行け」
 もう不貞寝気味にもぐりこんでやった。布団の暗い空間の中、少女がまだ語りかけてくる。意図的に無視した。
「話あんまり聞いてくれなさそうだし、今日のところは『おためしの術』で良いかな……」
 何か分からない言葉を呟いている。それを聞くと、不思議と眠気が増してきた。疲れのせいだろう、見知らぬ少女のことなんて忘れて寝てしまう。


 別の人として生きるの。


 妙に頭に残った。



 ピピピ、とデジタルの目覚まし時計がなる音で瞼が開く。
 目覚まし時計の時間を見る。――――出る予定よりも1時間遅い。
 しまった、と叫ぶ前に玄関を飛び出した。寝ぼけていたのでなぜか服らしきものは身に着けている。ヒゲや顔洗いはコンビニで買って適当に済ませてやる、今は急がなくては。階段を降りようとしたところ、バッタリと隣の人と出くわした。
「あっ、昨日はすいません!」
「いえ。天宮ちゃん、今日は早いんですね?」
 天宮『ちゃん』?
 ふと違和感を感じて、自分の手をじっと見る。骨ばっていた自分の手とは思えないほど、妙になめらかに見える。目線を下に向かわせると、自分の着ているものはワイシャツ。胸の部分には、薄っぺらい胸板ではなく膨らみがあった。
 胸の、膨らみ?
「高校っていつもこんな時間からあるんですっけ、ああっ、昨日は私こそすいませんでしたっ」
 目の前のOLがわちゃわちゃしているが、俺はそれどころではない。全身に違和感を感じている。
「ちょっとごめんなさいっ!」
 お隣さんを無視して、一度自分の部屋に戻る。何か予感めいたものを感じつつも、入社してから身だしなみを整えるために買った姿見を見る。

 ……目の前には、近くの高校の学章をつけた女の子が居た。
 右手を顔に持っていく。鏡の少女も同じ動きをした。
 現実を受け入れられない。

「とりあえず、電話、しなきゃ」

 携帯は机の上においてあった。黒色単色の無骨なボディを気に入っている。パスワードを解除し、電話帳を開いた瞬間に再び驚く。見たこともないメモリーが大量に保存してあった。逆に、登録してあった会社の電話番号は見つからない。なんとかどこかにしまっておいたメモから、上司の電話番号をかける。
 数コールもせずに、電話がつながった。
「もしもし」
 どこか不機嫌そうな上司の声を聞いて、どう自分の欠席を言い訳すればいいか考えていなかったかを思い出し焦る。
「あの、天宮良太の……身内のものです。兄が急に体調を崩して、電話に出られないほどで」
 自分でもまずい言い訳だと理解していた。家族調査されたら、あっさり嘘の電話と分かる。
 わずかに沈黙が続いた。上司から電話がくる。
「掛け間違いですか? うちの部署は天宮という者はおりませんが」
 体温が一気に下がった。
 失礼します、と向こうから電話が切られる。携帯電話を置いて、全身が脱力してしまって床に座り込む。
人間完全にパニックに陥ると、何も出来ないのだなとどこか冷めた考えが浮かぶ。
「スンスン、髪の毛の伸びぐあいも良好。5度目ともなるとなかなか上手い事いくものね!」
 後ろを振り向くと、昨日の少女が。
 完全に呆けている俺に対して、彼女は言ってのけた。
「アナタ、今日一日女子高生やってみなさい!」
「……なにいってんだアンターッ!?」
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