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56. 右か左か、の回

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「姉ちゃん、知ってただろ? あの時あの店で賢太郎に再会した時、あれが賢太郎だってこと」
「……分かったよ。アンタがあれほど仲良くしてた子だったからね。でも、アンタは覚えてなかったから……」

 姉ちゃんも色々考えて悩んできたんだろう。未だに時々ガキ大将で暴君だけど、根は優しいんだから。俺がまた傷つかないように、あの時も何も言わずに様子を見ていてくれたんだ。

(今は賢太郎と付き合ってて、俺は何も辛い事なんか無いのに、まだ記憶の事を話してなかったばっかりに姉ちゃんはまだ気にしてたんだ)

 目の前でいつもの勢いを無くし、どこかシュンとしてしまった姉ちゃんを見たら、元気付けようとして焦った俺はまた大事な時にしくじってしまう。

「姉ちゃん、もう大丈夫だから。俺、賢太郎と付き合ってるから」
「……え?」
「え? いや、あの、間違えた!」

 仲直りしたからって言おうとして、本当に盛大に間違えた。順を追って話すつもりが突然核心をついてしまって、文字通り頭を抱えた。両手で頭を抱えた俺を見て、姉ちゃんは地を這うような低い声で尋ねてくる。

「付き合ってるって……、恋人として? じゃないわよね?」
「う……」
「ねぇ! どうなの?」

 姉ちゃんは見た事がないくらいに顔を真っ赤にして真剣な顔で俺に問う。どうしてだ、と怒ってるんだろう。正直責められたら、辛い。家族には、否定して欲しくない。

「こ、恋人として。付き合ってる。ごめん」
「……まじ?」

 こういう時の沈黙は恐ろしく長く感じる。それは誰もが一度は聞いた事がある表現だと思うけど。本当に長く感じるんだから不思議だ。どちらが口を開くか、お互いに測りかねているような空気が重苦しい。

「それで、アンタはどっちなの?」
「は?」
「右か左かどっちなのって聞いてるの!」

 姉ちゃんが壊れた。ものすごい勢いで訳のわからない事を言って唾を飛ばしてくる。思い切り肩を掴まれてガクガクと揺らされると頭がクラクラした。油断するとさっき食べたバターチキンカレーが飛び出しそうだ。

「ね、姉ちゃん……。吐きそう……」
「あ、ごめん。つい興奮して」

 ふと気付くと遠巻きにこちらを見ている生徒たちが数人いた。喧嘩でもしていると思われたんだろうか。

「とにかく、続きはまた家に帰ってからでもいいだろ」
「ねぇ、母さんは知らないんだよね⁉︎」
「当たり前だろ。記憶が戻った事は話したけど、賢太郎との事はまだ……」

 何故かじーっと俺の方を見つめる姉ちゃんは、それから肩で大きく息を吐いた。それがどういう意味なのか分からないけど。

「まぁいいわ。とりあえず今日はアンタの晴れ舞台なんだから。それに集中しなさい」
「うん。分かった」

 今はどちらにしても詳しく話せる環境じゃないし、この場所にも生徒や保護者がチラホラ見え始めた。それにもうすぐクラスに戻らなければならない時間が近付いているから、さっさと賢太郎のクラスのブースへ向かった。

「へぇー! 賢太郎くんのクラスは段ボールアートなのね」
「そういえば姉ちゃんが高校の時の文化祭も毎年段ボールアートだったよな?」
「あの頃はこんなに色々な企画や出し物は無かったからねぇ」

 そう言って教室いっぱいのご当地ゆるキャラをかたどった段ボールアートを見つめる姉ちゃん。

「八年も離れてりゃあ文化祭も変わるよね」
「八歳も年上に見えないよ。今日の姉ちゃんは」
「ふふっ……それ、褒めてるのかどうかビミョーだね」

 小学生の頃、姉ちゃんの高校の文化祭に毎年母さんに連れ出されて行っていたあの頃は、美味しい出店が沢山あるお祭りだとはしゃいでいたのを思い出した。

「母さんも、あの頃は無理に仕事を休んででも行事に来てたなぁ。そうやって母親らしい事したかったのかもね」
「そうなんだ……」
「きっと大事なものを失いかけて気づいたんだよ。この方法じゃだめだって。あの頃は母さんも私も、ちょっとおかしくなってたから」

 姉ちゃんの言う失いかけた大事なもの、とはきっと大怪我をして心配をかけた俺のことだろうと思う。

「だから改めてごめんね、光」
「俺は別に感謝しかしてないよ、二人には」
「……そっか」

 それから姉ちゃんは劇が発表される体育館に席取りの為に移動して、俺は午後の発表に向けてクラスに戻った。





 
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