上 下
9 / 20

9. ちょろい女じゃないんだから!

しおりを挟む

「申し訳ありません。私が鍵を掛けずに出て行ったばかりに……」
「仕方ないよ。それに、二口女って悲しい妖怪だよね。おばあちゃんから聞いた事あるんだ」
 
 二口女は子どもを餓死させてしまった母親の妖怪で、死んだ子どもの霊がいくらでも欲しがるから沢山食べるのだという。
 
「それはそうなのですが……。でも、香恋様の夕飯が無くなってしまいました。申し訳ありません。これもきっと貧乏神のご利益なんです」
 
 シュンとした表情の貧乏神は、ほとんど空っぽになった鍋と炊飯器を見て肩を落とした。
 
 貧乏神のご利益というのはお財布を無くすだけじゃなく、こんな風に食べ物も無くなる事があるのか。
 
「でも、それは貧乏神にはどうしようもない事でしょ? だから謝らないで」
 
 何度も謝る貧乏神を見ていると居た堪れなくなる。
 きっと今までも何度も何度も過去の住人に謝ってきたんだろう。

 その中には女の人もいたのかな?

 貧乏神が他の女の人と話したり、私にするみたいに触れたりしている事を想像して少しだけ嫉妬の気持ちが芽生えた。
 
「けれど……」
「とりあえず、昨日買った物で何か食べようよ。せっかく作ってくれたのに残念だったけど、今日はとりあえずそうしよう!」
「はい。申し訳……いや、香恋様はお優しいんですね」
 
 ドストライクなイケメンの眩しい笑顔でそう言われると、ものすごく照れ臭い。
 どうしよう、何だかいつの間にか妖怪達の思う壺のような気がしてきた。
 貧乏神の嫁候補として囲い込まれた私は、いやでも貧乏神の事を意識しまくっている。
 そもそも、貧乏神は知っていたのだろうか? 妖怪達のお節介のことを。
 
「ねえ、聞いてもいい?」
「はい、何でしょう?」
 
 昨日買ったばかりの小さな冷蔵庫の中を、腰を屈めて探っていた貧乏神がくるりと振り返ってこちらを見る。
 はらりと頬に落ちた黒髪が何ともセクシーというか、とにかくイケメン過ぎて目を合わせるのも辛い。
 
「香恋様? どうしました?」
 
 パタリと冷蔵庫の扉を閉めると、貧乏神はこちらへと向き直る。
 真剣に話を聞こうという姿勢だ。
 逆に話しにくくなってしまった私は台所のクッションフロアのレトロな模様を目で追いながら、モゴモゴと口を開いた。
 
「あの、今日彩歌市の秘密を聞いたの。職場にも沢山の妖怪が居て、皆人間と共存してるって知った。たまに個性的な衝動が抑えられなくなるみたいだけれど、それでも皆人間と変わらないんだなって思った。それでね……」
 
 貧乏神は私の話をちゃんと聞いてくれているのだと分かるけれど、真面目に聞こうとされればされる程何だか照れ臭くて。
 
「貧乏神の……嫁候補に何故か私が選ばれて、それで長手さん……手長っていう妖怪の仲介でこの部屋に住むことになったらしいんだけれど、知ってた?」
「いいえ、それは存じ上げませんでした」
 
 嘘を言っているようには見えない。
 貧乏神は真剣な眼差しをこちらに真っ直ぐ向けて、その切長な瞳は少し潤んでいるようにも見えた。
 
 私が怒っていると思ったのかな。

 そうじゃないんだと言わなければと口を開こうとした時、先に貧乏神の方が言葉を紡いだ。
 
「けれど、それならば手長に感謝しなければ。私は香恋様に出会えて初めて恋を知りました。いいえ、この強い気持ちはもはや噂に聞く愛と言っても過言では無いでしょう。私は貴女の優しさに心を奪われたのです」
 
 貧乏神はふわりと頬を緩めて、私の好きな形の口元が弧を描いた。

 反則だ、反則でしかない。

 ドストライクなイケメンにここまで言われて落ちない女がいるものか。
 いや、しかし相手は貧乏神。ご利益とやらで一万三千円を無くし、お気に入りのボールペンは割れたし、楽しみにしていた夕飯は食べ損ねた。
 これからもきっとこんな事は多々あるのだろう。

 大丈夫なのか、私。
 
「家事の出来るイケメンと貧乏、貧乏と家事の出来るイケメン……」
 
 口の中で声にならないように何度も呟いた。
 これ程までに究極の選択を迫られた事など過去にあっただろうか。
 しかも、まだ出会ってたった二日。
 それなのに、どうして私はこの貧乏神にここまで心を揺さぶられるのか。
 やはりそこのところはあまりに魅力的な貧乏神のせいだ。
 
「香恋様、急いで答えを出す必要はありません。私はただ香恋様に好きになって頂けるよう最善を尽くすのみですから」
「そう……、ありがとう」
 
 今日は色々な事があった。
 わざわざこんな時に答えを出さずとも良いだろう。
 
 貧乏神もこう言ってくれている訳だし。

 とりあえず場の雰囲気に流されて「実は私も好きになっちゃった」と言いそうになっていた自分を叱咤して、一旦冷静になる事に成功した。
 
「とりあえず今日はパスタでもいいですか? 昨日買った特売のパスタで何か作りますね」
 
 そう言ってスーパーで買ったプライベートブランドの激安パスタをフリフリとして見せてくるその仕草さえカッコいいのは、もはや罪だ。
 
 いつまで私の冷静さは保つのだろうか。

 こんな素敵な貧乏神を前にすると、いつかうっかりして「私も貴方が好き」とポロリと言ってしまいそうだけれど、ただの交際ではなく結婚ともなれば話は別。
 そもそも同居人だという始まりから、既に結婚の事まで考えてしまっている時点で随分チョロイなとは思うけれど、まだたった二日なんだから。
 これから実はマイナス面の方が多く見えて来るかも知れない。

 とにかく返事はすぐに出さずに様子を見よう。
 逆に、一緒にいるうちに貧乏神の方が私という女にガッカリするかもしれないんだから。
 
「香恋様、夕飯出来ましたよ。お待たせしました」
 
 思ったよりも長く考え事に耽っていたようで、気付けば美味しそうなパスタが出来上がっていた。
 パスタの上に目玉焼きの乗っかったもので、初めて見るそのパスタは貧乏神によるとイタリアで『貧乏人のパスタ』と言うらしい。「少し自己流にアレンジしました」と言っていたが、とんでもなく美味しかった。
 お陰で思わず「好きです」と言いそうになったが、その言葉は美味しいパスタと共に何とか飲み込んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

明治あやかし黄昏座

鈴木しぐれ
キャラ文芸
時は、明治二十年。 浅草にある黄昏座は、妖を題材にした芝居を上演する、妖による妖のための芝居小屋。 記憶をなくした主人公は、ひょんなことから狐の青年、琥珀と出会う。黄昏座の座員、そして自らも”妖”であることを知る。主人公は失われた記憶を探しつつ、彼らと共に芝居を作り上げることになる。 提灯からアーク灯、木造からレンガ造り、着物から洋装、世の中が目まぐるしく変化する明治の時代。 妖が生き残るすべは――芝居にあり。

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜

瀬崎由美
キャラ文芸
鮎川千咲は短大卒業後も就職が決まらず、学生時代から勤務していたインターネットカフェ『INARI』でアルバイト中。ずっと日勤だった千咲へ、ある日店長から社員登用を条件に夜勤への移動を言い渡される。夜勤には正社員でイケメンの白井がいるが、彼は顔を合わす度に千咲のことを睨みつけてくるから苦手だった。初めての夜勤、自分のことを怖がって涙ぐんでしまった千咲に、白井は誤解を解くために自分の正体を明かし、人外に憑かれやすい千咲へ稲荷神の護符を手渡す。その護符の力で人ならざるモノが視えるようになってしまった千咲。そして、夜な夜な人外と、ちょっと訳ありな人間が訪れてくるネットカフェのお話です。   ★第7回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

美しすぎる引きこもりYouTuberは視聴者と謎解きを~訳あり物件で霊の未練を晴らします~

じゅん
キャラ文芸
【「キャラ文芸大賞」奨励賞 受賞👑】  イケメン過ぎてひねくれてしまった主人公が、兄や動画の視聴者とともに事故物件に現れる幽霊の未練を解きほぐす、連作短編の「日常の謎」解きヒューマンストーリー。ちょっぴりブロマンス。  *  容姿が良すぎるために散々な目にあい、中学を卒業してから引きこもりになった央都也(20歳)は、5歳年上の兄・雄誠以外は人を信じられない。 「誰とも関わらない一人暮らし」を夢見て、自宅でできる仕事を突き詰めて動画配信を始め、あっという間に人気YouTuberに。  事故物件に住む企画を始めると、動画配信中に幽霊が現れる。しかも、視聴者にも画面越しに幽霊が見えるため、視聴者と力を合わせて幽霊の未練を解決することになる。  幽霊たちの思いや、兄や視聴者たちとのやりとりで、央都也はだんだんと人を信じる気になっていくが、とある出来事から絶望してしまい――。  ※完結するまで毎日更新します!

処理中です...