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28. すみませんでした!
しおりを挟む「明里さん、すみませんでした!」
あのサスペンスドラマ騒動の次の日、日曜日の朝っぱらからうちを訪れた高橋はそう言っていつかのようにガバリと背中を折った。
「僕、明里さんに嫉妬していたんです。それで子どもっぽい態度を取ってしまって……」
「へ……嫉妬? 子どもっぽい態度って、朝来なくなったり避けたりした事か?」
「はい、その通りです。本当に……今考えるとお恥ずかしい限りなんですが」
リビングでギャーギャー騒ぐ双子達と芽衣、そして翼の姿をチラリと見てから、俺は改めて高橋にダイニングチェアに座るよう促した。
「実は……昨日翼と久々に喧嘩しまして」
「ああ、そうみたいだな。それは何となく」
やっとダイニングチェアに腰掛けた高橋は、一度メガネをクイっと直した。そして言いづらそうにしながらも何とか言葉を紡ぎ出す。
いつも大人で余裕で優しさの権化みたいな高橋が語った内容は、全くもって子供じみていて、思わず苦笑いが漏れる。
「翼が明里さんにどんどん懐いて、近頃はほとんど口も聞かない父親の僕に話さないような事を打ち明けている。そう考えると段々と自信が無くなってきてしまって。僕は父親なのに、まるで明里さんに翼を取られるように感じたというか」
「つまりはヤキモチだろ」
「そうです。嫉妬したんです、明里さんに。それでついあんな態度を取ってしまって。明里さんが悪い訳じゃないって分かっているのに。勝手に嫉妬する気持ちはどうしようも無かったんです」
高橋もそれだけ翼の事が大切で、父親としてしっかりしなければという気持ちが強いのだろう。
「昨日は『どうして悠也くんを避けるんだよ。悠也くんの所へ行っちゃダメって何でだよ』と翼に問い詰められて……」
「それで言い合いになったのか」
「はい……お恥ずかしながら。僕は明里さんに懐く翼を、無理矢理自分の方へ向かせようとしていたんですね」
翼がうちに来なくなったのは高橋が禁止していたからなのか。
突然翼との距離が開いて、少し寂しい気持ちになっていた俺は納得する。
「でも、お陰で本音と本音でぶつかり合えたんです。翼とあんな風に喧嘩したのは初めてでした。翼の気持ちをしっかりと本人の口から聞いたのも久しぶりで」
「それは良かった」
「僕は……いつの間にか翼を傷つけていたんですね。いつまでも大事に守ってるつもりだったのに、ちゃんと話す事を避けていた。傷つけまいとした事が逆に翼の不安になっていたなんて」
どんな話を高橋と翼がしたのかは分からない。
けれど、今朝芽衣を連れてうちを訪れた二人は、心から分かり合えてスッキリとしたように見えた。
「それに……いくら年数が経っても、僕ら家族は本当の意味で妻の死を乗り越えられていなかったんだと分かったんです。皆が妻を失った喪失感をそれぞれ抱えていたのに、僕が臆病だったばかりにそれについて話し合いをする事もせず、バラバラに対処しようとしていたから」
高橋はリビングで遊ぶ翼と芽衣の方へと穏やかな視線を向ける。
俺と双子達が三人で団子みたいになって泣いて、一緒に朱里の死を受け入れた日の事を思い出した。
俺達には偶然早く訪れたその機会が、優しさが故に踏み込めずにいた高橋達に今になって訪れたということらしい。
憑き物が落ちたみたいな顔で笑う高橋を見て、「翼も、もう大丈夫だ」と確信した。
「それは、良かった。本当に」
「明里さんには散々シングルファザーとしての先輩風を吹かせていたのに、僕の方が助けられて情けないですよね。はは……」
「いや、高橋さんには本当感謝してるよ。多分高橋さんが居なかったら、今の俺達家族はどうなってたか分からないし。俺もシングルファザーってのを甘く見てた所があったと思う」
強い覚悟だけではやっていけなかった。
教えてくれて、助けてくれる存在があったからやって来れた。
少なくとも俺はそうだった。
「さぁ、折角の日曜日だし弁当作って遊びに行くか!」
立ち上がってリビングに聞こえるようにそう告げると、子ども達が歓喜の声を上げる。一階の住人は耳が遠い老人と、その隣がこれまた耳が遠い老夫婦で助かった。
「すみません……僕、お手伝い出来ずに」
「その代わり、治ったら同じだけ手伝いよろしく」
「あ、はい! もちろん、分かってます!」
「ほんっと高橋さんって真面目。そんなの嘘に決まってるだろ」
俺より一回りも年上の高橋が「そうだったんですね」と、揶揄われた事にすら嬉しそうに笑う。翼と仲直り出来てよほど上機嫌らしい。
翼の方も、もう芽衣との確執なんか全く感じさせない表情だ。あっちも何か心境の変化があったんだろう。
「心が動いた……か」
心が動いた時、周りに劇的な変化が訪れる事を俺は知っていた。
嬉しいような、切ないような気持ちが胸から口の方へと溢れて、嗚咽が洩れそうになるのを飲み込む。
代わりにおにぎりを握る手が滲んで見えた。背中の方から聞こえる皆の声に耳を傾けながら、俺は六人分の弁当を作った。
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