あの日、心が動いた

蓮恭

文字の大きさ
上 下
27 / 32

27. サスペンスドラマだった

しおりを挟む

 いつもうちに来てくれるのが定番だったから、高橋家には足を踏み入れた事が無かった。初めて入った隣の部屋は、同じ間取りのはずなのに全く別の家で大きな違和感を感じる。

「お邪魔しまーす……」

 翼は俺の後ろでグスグスと泣いてばかりで事情が掴めない。ダイニングの方から芽衣のすすり泣く声が聞こえてくる。

 廊下を進んでダイニングへと足を踏み入れると、そこには割れた食器と散らばった紙類、そしてテーブルの向こう側にうつ伏せに倒れる高橋が見えた。

 白いワイシャツの腰の辺りには血痕が見えてドキリと胸が飛び跳ねる。こちらから見えるのは腰から下、下半身だけであとは隣に寄り添うようにして泣く芽衣の身体でちょうど見えない。けれどうつ伏せの高橋は動いている気配が無い。

「高橋さん……? 芽衣……?」

 いつの間にか握っていた翼の手は、どちらのものか分からない汗でじっとりと濡れている。ダイニングと廊下の境目で、俺と翼は動けずにいた。

「翼、お父さんは……一体どうしたんだ?」

 俺の頭は勝手に嫌な想像をしてしまう。今日たまたま休憩の時に事務のおばちゃんが見ていたサスペンスドラマのせいだ。まさか翼や芽衣が変なことをする訳がないし、早く高橋さんの元へ行かねばと思うのに足が動かない。

「悠也くん……どうしよう。父さんが……死んじゃった……」
「まさか、そんな訳……」

 大の大人がこんな状況で動けなくなるなんて意気地がない。早く高橋さんの元へ、そう思って足を踏み出す。割れた食器の破片がそこら中に散らばっているのに気づいて翼の足元を見ると、きちんとスリッパを履いていてホッとする。

「ここで待ってろ」

 万が一翼の足の裏が切れたら大変だと、廊下で待機させると俺はそろそろと倒れた高橋の方へと歩み寄った。

「芽衣、芽衣!」
「悠也くん……」
「大丈夫か? 怪我は?」
「私は大丈夫……。でもお父さんが……」

 やはり近づいても高橋は動く気配がなく、うつ伏せに倒れている。腰の辺りに血痕があるが、思ったより出血は少ない。

「高橋さん! 高橋さん!」
「う……わあああっ!」
「うわああぁぁっ!」

 うつ伏せの身体を何とかひっくり返そうとしたところで、突然高橋が目をぱちっと開けたかと思うと大声で叫んだので驚いた。思わず自分も同じように大声で叫んだものだから、芽衣はまた泣き出してしまう。

「わあぁっ!」
「高橋さん! 大丈夫か⁉︎ どうしたんだよ⁉︎」
「……明……里……さん?」

 飛び起きた高橋をよく見ると、手のひらをざっくり何かで切ったような出血をしていて。うつ伏せで身体の下になっていたその部分は、ちょうど圧迫されて少し血が固まりかけていたものの、傷口はパックリと裂けている。

 とりあえず目についたタオル掛けにあったタオルで傷口を押さえ、まだ顔が青白い高橋に状況を尋ねた。すぐそばで芽衣はグスグスと泣きじゃくっていて、俺はその頭を撫でてやった。

「一体、どうしたんだよ?」
「あれ……、明里さん? どうして……」

 結局高橋本人から簡単に事情を聞いた俺は、散らばった破片だけをとにかく掃除機で吸い取ると、後片付けはそのままに双子達も連れて近くの救急外来へ飛び込んだ。

「明里さん、申し訳ありません……」
「いや、まぁ大した事無くて良かったけど。でも結構縫ったんだから大した事あるか」
「お恥ずかしい……」
「しばらくは痛むだろうし、家事も大変そうだよな」

 高橋は翼と何らかの言い合いになり、興奮した翼が手に持っていた本をテーブルに向かって投げつけたという。

 それで置いてあった食器類が割れ、驚いた翼は部屋を飛び出そうとした。その時床に落ちていた破片を踏みつけると思った高橋は、咄嗟にそれを握って拾ったと。

 手のひらがざっくり切れて血が出た事に驚いた高橋は、そのままバタンと失神した。医師は迷走神経反射だとか何とか言っていたけど、とにかく血を見て驚いたらしい。急に倒れた高橋に驚いた翼は、とにかく血が出ているところを確認しようと血まみれの手を握り、それでも動かない高橋の身体を揺すった。

「本当焦ったよ。まるでサスペンスドラマだった」
「すみません、ちょっと血液は苦手なんです。それに、思ったより痛くて……」
「高橋さんが嫌じゃ無かったら、とりあえず抜糸までの一週間俺が家事をしようか?」
「え……、いやそんな……」

 しかし利き手の手のひらがパックリと裂けて、縫合したとはいえ痛みもあるだろうし何しろ濡らす事が出来ない。どうせ同じ事をするなら一軒分も二軒分もあまり変わらないだろうという安直な考えだった。

「高橋さんには世話になってるし。こういう事しか俺には出来ないから。でも、飯の味は男料理だぞ」
「明里さん、すみません。僕……」
「とにかく、翼も心配してるからそういう事で決まりな」

 救急外来で会計を待っている時、子ども達は皆静かに身体を寄せ合って大人しくしていた。けれど翼が一番青白い顔をして心配そうにこちらの様子を窺っている。芽衣は父親が元気になったと分かるなり安心したようだが、どうやら翼はこの怪我のきっかけになった事を気にしているようだ。

「翼……、大丈夫だから。父さんはダメだなぁ。血を見ただけで倒れちゃうなんて。はは……」
「……父さん、ごめん」
「父さんこそ、ごめんな。僕が間違ってたよ。お前が正しい、また後でゆっくり話そう」
「うん……」

 どういうきっかけで喧嘩になったのかは分からないが、とにかく二人がお互い謝り合う姿に、俺はホッと胸を撫で下ろした。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

うちの息子はモンスター

島村春穂
現代文学
義理の息子と一線を越えてしまった芙美子。日ごとに自信をつける息子は手にあまるモンスターと化していく。 「……も、もう気が済んだでしょ?……」息子の腕にしがみつく芙美子の力は儚いほど弱い。 倒錯する親子の禁戒(タブー)は終わりを知らない。肉欲にまみれて二人はきょうも堕ちていく。

行き倒れ女とスモーカーのレシピ〖完結〗

華周夏
現代文学
塾講師、日比野彰の趣味は料理だ。 後輩の朝越タカラと煙草を吸いながら鍋の話をする。 今日は雪。しかも、大雪。 アパートの二階。何故か家の前で行き倒れた雪だらけの女がいた。 待つことの怖さ、 待たれることの怖さ。 愛したひとを忘れることの傲り、 愛することをやめない頑なな哀しみ。

足りない言葉、あふれる想い〜地味子とエリート営業マンの恋愛リポグラム〜

石河 翠
現代文学
同じ会社に勤める地味子とエリート営業マン。 接点のないはずの二人が、ある出来事をきっかけに一気に近づいて……。両片思いのじれじれ恋物語。 もちろんハッピーエンドです。 リポグラムと呼ばれる特定の文字を入れない手法を用いた、いわゆる文字遊びの作品です。 タイトルのカギカッコ部分が、使用不可の文字です。濁音、半濁音がある場合には、それも使用不可です。 (例;「『とな』ー切れ」の場合には、「と」「ど」「な」が使用不可) すべての漢字にルビを振っております。本当に特定の文字が使われていないか、探してみてください。 「『あい』を失った女」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/572212123/802162130)内に掲載していた、「『とな』ー切れ」「『めも』を捨てる」「『らり』ーの終わり」に加え、新たに三話を書き下ろし、一つの作品として投稿し直しました。文字遊びがお好きな方、「『あい』を失った女」もぜひどうぞ。 ※こちらは、小説家になろうにも投稿しております。 ※扉絵は管澤捻様に描いて頂きました。

12年目の恋物語

真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。 だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。 すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。 2人が結ばれるまでの物語。 第一部「12年目の恋物語」完結 第二部「13年目のやさしい願い」完結 第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中 ※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。

ライオンガール

たらこ飴
現代文学
「なあレオポルド、君の心臓を僕にくれないか?」  火の輪をくぐるライオンのように、強く勇敢であれたらーー。  アヴリルは、どこにでもいる普通の女の子だった。少し違うところがあるとしたら、ボーイフレンドが絶えないこと。好きでもない相手と付き合ってばかりで、心から愛する人には出会えない。  シドニーで暮らしていた彼女は両親の離婚により、南米アルゼンチンのブエノスアイレスに引っ越す。だがそこで待っていたのは、一人の女からの嫉妬による陰湿ないじめだった。  そんなある日、彼女はある理由からネロという青年に化けて、引きこもりの伯父ケニーとともにアルゼンチン最大のスラムであるバラックエリアに足を踏み入れ、銃撃戦に巻き込まれる。  命からがら逃げた二人が乗り込んだのは、イギリスから来たサーカス団『ミルキーウェイ・トレインサーカス』が移動に使うためのサーカス列車だった。  サーカスの最終公演地が大切な友人であるオーロラが引っ越したロンドンと聞き、アヴリルはネロの姿のままで旅に同行することに決める。  動物の世話や雑用をするという条件でロンドンまで乗せてもらうことになるものの、クラウンを演じることになり、冷酷で非道な団長の下練習が始まる。  喜びや痛みを分かち合える仲間たちと出会い友情を育む中で、アヴリルの中にこれまでとは違う感情が生まれ始める。 ※作中に出てくるパフォーマンスは宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』プリシオン海岸のクルミ発掘の場面をモチーフにしていますが、実際の内容とはかけ離れた寸劇になっていることをご了承ください。 ※参考文献は最終ページに記載しています。 ※この物語はフィクションです。実在の人物、団体などとは一切関係ありません。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...