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13. 朱里、あのさ……
しおりを挟む月に一回だけ、養育費を渡す為に朱里と会う。DMのやり取りは毎日で無いにしろ、そこそこ頻繁にある。
内容は子どもの事や近況、元義母が入院したという事など。気まずかったのは最初だけで、そのうち当たり前にやり取りするようになった。
離婚後少しした頃の通話で朱里は、「嫌いになって離婚した訳じゃなかった」と言った。「だったら何故」と聞きたいのに言葉が出なくて黙っていたら、朱里が「今更ごめん」と小さく言って話は終わった。
離婚から五年が経った俺にも、未だに朱里の気持ちがよく分からない。
病院で准看護師として働きながらも保育園に通う双子の子育てを一人で立派にこなす朱里は、俺なんかの事を別に必要としていないように思える。
なのにDMや通話で子どもの事や近況を知らせてきたり、こちらの身体を心配したりするのは何故なのか。
それでも、毎月渡す養育費だけがギリギリのところで俺達を繋いでいるような気がして、その為にあれからずっと必死で働いていた。
「これ、今月の分。今日は仕事、休みなのか?」
「ありがとう。ちょっと今日は体調が悪くて休んだの」
昼間のファミレスで一ヶ月ぶりに会った朱里は少し顔色が悪いように見え、肩をさすったり揉んだりしながらレモンティーを飲んだ。相変わらずレモンティーは好きみたいだ。
時々咳も出ているから、もしかしたら風邪を引いているのかも知れない。
「大丈夫か? どこが調子悪いんだ?」
「うーん、持病の喘息発作がね。そのせいか、とにかく肩こりが酷くて。頭も痛いし、目眩がするの」
「病院で診てもらったのか?」
「接骨院でマッサージと施術してもらったら、いつもなら治るんだけどね。何だか今回はしつこくて。咳の方は今からかかりつけの内科を受診しようと思ってる」
体調の悪そうな朱里と長話をしない方がいいだろうと、この日は早々に店を出る。
この店は藤森の家から近いからと、歩いて来たらしい朱里に思わず声を掛けた。
「病院、連れて行ってやるよ」
「え……。いいの?」
チラリと未だ左腕に嵌めた腕時計を確認して、少し朱里の表情が明るくなったように見えたのは、そうだったらいいと思った俺の錯覚だったのか。
とにかく目眩がするという朱里を車の助手席に乗せて、近くの病院へと車を走らせた。
「ねぇ、悠也」
「何だ?」
「誰か、好きな人とか出来たの? こんなファミリーカー買ってるし。車は持ってなかったよね?」
最近買ったばかりの車は、鉄工所の社長や同僚達の趣味である釣りへ一緒に行く為に買ったミニバンだった。たまたま大人数の乗れる車が安く手に入ったからこれにしただけで、別に深い意味はない。
「いや、出来てない。社長とか、同僚と一緒に釣りに行く事があるからこれを買っただけだ」
「……そうなんだ」
俺に好きな相手がいないと知って、少しホッとしたように見えたのが嬉しく感じる。
やっぱりまだ俺は朱里の事が好きだった。だからいつまでも未練がましく、左腕にはあのミリタリーウォッチを嵌めている。
朱里さえ許してくれればもう一度やり直せないかと、悪いところがあるなら直すから頼むと言いそうになる。
あれから五年が経って、俺は以前より自分の気持ちを他人に伝える事が上手くなった。一般常識もそれなりに学んだし、人としてやっと「普通」に近付いたと思う。
今ならきっと、家族を持てるんじゃないかという自信すらあった。もしかしたら……。
「朱里、あのさ……」
ハンドルを握る手と声が少し震えた。朱里が指定した内科の医院まであと五分というところだ。ちょうど信号待ちで車が止まった。
祈るような気持ちで次の言葉を紡ごうとした時、隣に座る朱里の様子が急変する。
「朱里? おい、大丈夫か⁉︎」
「いた……い、めちゃくちゃ……痛い」
青い顔に脂汗を浮かべた朱里は、眉間に皺を寄せて胸に手をやり身体を縮こませている。どう見ても普通の痛がり様では無かった。
焦った俺は信号を見るのも忘れて名前を呼ぶ。
「朱里! おい!」
プッと後続車からクラクションを鳴らされてハッとした。こんな所でいたところで俺にはどうしようもない、少し冷静になりとにかく病院へ向かう事にした。
「朱里、病院に着いたぞ! 動けるか?」
「むり……、胸と背中……痛すぎて……」
朱里のかかりつけ医らしい病院へ到着したものの、車から降りられるような様子では無く、とにかく激しい胸と背中の痛みを訴えている。
「先生に言ってくる! ここで待ってろ!」
「……悠也、ごめ……んね」
「すぐ戻るから!」
急いで受付へと走り事情を説明する。
幼い頃から朱里を知っているという医師は、看護師に血圧だの何だのを測らせたりした。
そして座席でのたうち回るように痛みを堪える様を診て、すぐに院内へ走って戻った。
「藤森さーん! すぐに救急車が来ますからね! 頑張ってください!」
少し離れたところで、その様子をただただ見ているしか無かった俺は、ただごとではないという事だけは分かった。
医師も看護師も、まるでドラマか何かのように慌ただしく動いている。もうその中心にいるはずの朱里の姿はチラチラとしか見えなくて、俺は嫌な汗が背中を伝った。
「朱里……」
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