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4. 捨て子だから
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開け放たれた教室の窓からは、わずかにひんやりとする空気がすうっと流れ込んでくる。
四月に入っての日差しは冬のものと違ってどこか生命力に溢れていた。外よりも屋内の方が日差しがない分寒く感じ、思わずブルリと身体を震わせる。
「さむ……」
春休みの間に満開になった校庭の桜の木は、所々に緑の葉が見えてもまだ多くの花をつけていた。
そして時折サアッと吹く風が花びらを舞い散らせる度に、窓から外を覗くクラスメイト達が歓声を上げる。
くだらない。風が吹けば舞い上がる土煙の匂いが鼻につくようで、俺は一人顔を顰めた。
この時期に街を歩くと、そこかしこに植えられた桜をありがたがって見物する人々ばかり。
桜の何がそんなに有難いのか、俺にはさっぱり分からなかった。
あんなもの、テレビやなんかで花見特集やら花見セールやらするから「桜が咲いたらお花見に行こう」というのが日本人に刷り込まれているだけなんじゃないか。
別に梅でも桃でも同じような木にしか見えないし、何故桜だけが特別扱いされるのかとずっと不思議で。
多くの生徒達が新しい顔ぶれと教室に浮き足立っているのを、俺は一人だけ置いてけぼりを食らったように、どこか遠くから見ている気がしていた。
別にかっこつけている訳じゃない。俺には日々の生活がぼんやり色褪せたようなつまらないものに見えていたから、鮮やかな色彩の中で生きていて毎日が楽しそうな人間が羨ましい。
「明里くん、まーた眉間に皺が寄ってるよ。そんな顔してたらココに皺が残って、すぐオジサンになっちゃうよ」
「別に、ほっとけよ」
「もうそろそろ散っちゃうね。そのうち葉っぱだけになって……寂しいなぁ」
さっきまで俺が外を見ていたから、何を勘違いしたのか目の前の女は感慨深げにそう言った。別にこっちは桜が咲こうが散ろうがどうでもいいっていうのに。
「あ、今『どうでもいい』って思ったでしょ? ねぇ、明里くんって何部なの? 運動部? 夏が来るとすぐ引退だね」
「放課後はバイトするから、元々部活なんか入ってない」
「えー、そうなんだ。私はね、弓道部なんだ。かっこよくなかった? 一年の時の部活紹介で見た先輩達の袴姿」
隣の席だからという理由で、三年でこのクラスになった直後からしょっちゅう声を掛けてくるこの女は藤森。長い髪を耳の高さくらいで一つに結んだ姿は、言われてみれば確かに袴姿に似合いそうだ。それを意識して伸ばしているのかも知れない。
「元々部活には入るつもりが無かったから、あまりよく見てない。その時は寝てた」
「そうなの? そういえば明里くんってよく寝てるね」
こっちがいくらめんどくさそうに返事をしても、藤森は飽きずによく話し掛けてきた。だから俺も仕方なく答えてやる。このクラスで隣の席になってからの俺達は、そんな感じの関係だった。
「学校来て、その後バイトしてると疲れるんだよ」
「そうだよね。ねぇ、なんでバイトしてるの? 欲しい物があるとか?」
「生活の為。卒業したら、施設出ないといけないからな」
「施設?」
別にそこまで話してやる気は無かったのに。藤森がごく自然に問いかけてくるから、こっちはいつも調子が崩されてついついまともに答えてしまう。俺と違って人と会話するのが上手いんだろう。
「児童養護施設」
「じどうようごしせつ?」
「俺、捨て子だから」
さすがの藤森も俺の言葉に返す言葉がすぐには見つからないのか、二人の間に沈黙が落ちた。いつもうるさいくらいに話しかけてくるくせに、こう黙っていられると背中の方がムズムズする。
「別に、だからって不幸とかじゃないし。シンとするのとかやめろよ。いつもうるさい癖に」
「ごめん。初めての経験だったから」
「何が?」
「自分の事、捨て子だって人に会う事が」
「そりゃあそう多くはないかもな」
藤森という人間の言葉はいつも正直で、素直で、はっきりしていた。けれど不思議と嫌な気持ちにはならない。変に気を遣われてあやふやな言葉だけを掛けられる方が、余程イライラする。
「じゃあ進学はしないの?」
「卒業したら就職する」
「そうなんだ」
そこまで話したところでチャイムが鳴った。藤森もいつの間にか俺の方へと近寄せていた椅子を元の場所へ戻す。そう時間を開けずに先生が教室へと入って来ると、藤森は何事もなかったかのように前を向いて授業を真面目に聞いている。
結局、俺が捨て子で児童養護施設育ちだと知っても、その後の藤森の態度は変わる事が無かった。
それどころか、施設での暮らしはどんな風だとか、バイトはどこに行ってるのだとか、挙句俺が捨てられた状況まで尋ねてきた。そして俺も好奇心に満ちた藤森に聞かれるがまま、決まって真面目に答えてやる。そんな日々が当たり前のようになっていた。
じめっとした空気が肌にまとわりつく梅雨入りの頃。
放課後の教室で藤森が珍しくなかなか部活に行かないと思ったら、突然俺の腕を引っ張って教室の隅へと誘導する。教室の後方にあるロッカーの端、窓際の薄黄色をしたカーテンがまとめられたその一角で藤森は俺に向かって囁くように言う。
「私、明里くんが好きなの。私達、付き合わない?」
まだクラスメイトが何人か残る教室で、そう唐突に告白する藤森に、俺は思わず顔を顰めた。
四月に入っての日差しは冬のものと違ってどこか生命力に溢れていた。外よりも屋内の方が日差しがない分寒く感じ、思わずブルリと身体を震わせる。
「さむ……」
春休みの間に満開になった校庭の桜の木は、所々に緑の葉が見えてもまだ多くの花をつけていた。
そして時折サアッと吹く風が花びらを舞い散らせる度に、窓から外を覗くクラスメイト達が歓声を上げる。
くだらない。風が吹けば舞い上がる土煙の匂いが鼻につくようで、俺は一人顔を顰めた。
この時期に街を歩くと、そこかしこに植えられた桜をありがたがって見物する人々ばかり。
桜の何がそんなに有難いのか、俺にはさっぱり分からなかった。
あんなもの、テレビやなんかで花見特集やら花見セールやらするから「桜が咲いたらお花見に行こう」というのが日本人に刷り込まれているだけなんじゃないか。
別に梅でも桃でも同じような木にしか見えないし、何故桜だけが特別扱いされるのかとずっと不思議で。
多くの生徒達が新しい顔ぶれと教室に浮き足立っているのを、俺は一人だけ置いてけぼりを食らったように、どこか遠くから見ている気がしていた。
別にかっこつけている訳じゃない。俺には日々の生活がぼんやり色褪せたようなつまらないものに見えていたから、鮮やかな色彩の中で生きていて毎日が楽しそうな人間が羨ましい。
「明里くん、まーた眉間に皺が寄ってるよ。そんな顔してたらココに皺が残って、すぐオジサンになっちゃうよ」
「別に、ほっとけよ」
「もうそろそろ散っちゃうね。そのうち葉っぱだけになって……寂しいなぁ」
さっきまで俺が外を見ていたから、何を勘違いしたのか目の前の女は感慨深げにそう言った。別にこっちは桜が咲こうが散ろうがどうでもいいっていうのに。
「あ、今『どうでもいい』って思ったでしょ? ねぇ、明里くんって何部なの? 運動部? 夏が来るとすぐ引退だね」
「放課後はバイトするから、元々部活なんか入ってない」
「えー、そうなんだ。私はね、弓道部なんだ。かっこよくなかった? 一年の時の部活紹介で見た先輩達の袴姿」
隣の席だからという理由で、三年でこのクラスになった直後からしょっちゅう声を掛けてくるこの女は藤森。長い髪を耳の高さくらいで一つに結んだ姿は、言われてみれば確かに袴姿に似合いそうだ。それを意識して伸ばしているのかも知れない。
「元々部活には入るつもりが無かったから、あまりよく見てない。その時は寝てた」
「そうなの? そういえば明里くんってよく寝てるね」
こっちがいくらめんどくさそうに返事をしても、藤森は飽きずによく話し掛けてきた。だから俺も仕方なく答えてやる。このクラスで隣の席になってからの俺達は、そんな感じの関係だった。
「学校来て、その後バイトしてると疲れるんだよ」
「そうだよね。ねぇ、なんでバイトしてるの? 欲しい物があるとか?」
「生活の為。卒業したら、施設出ないといけないからな」
「施設?」
別にそこまで話してやる気は無かったのに。藤森がごく自然に問いかけてくるから、こっちはいつも調子が崩されてついついまともに答えてしまう。俺と違って人と会話するのが上手いんだろう。
「児童養護施設」
「じどうようごしせつ?」
「俺、捨て子だから」
さすがの藤森も俺の言葉に返す言葉がすぐには見つからないのか、二人の間に沈黙が落ちた。いつもうるさいくらいに話しかけてくるくせに、こう黙っていられると背中の方がムズムズする。
「別に、だからって不幸とかじゃないし。シンとするのとかやめろよ。いつもうるさい癖に」
「ごめん。初めての経験だったから」
「何が?」
「自分の事、捨て子だって人に会う事が」
「そりゃあそう多くはないかもな」
藤森という人間の言葉はいつも正直で、素直で、はっきりしていた。けれど不思議と嫌な気持ちにはならない。変に気を遣われてあやふやな言葉だけを掛けられる方が、余程イライラする。
「じゃあ進学はしないの?」
「卒業したら就職する」
「そうなんだ」
そこまで話したところでチャイムが鳴った。藤森もいつの間にか俺の方へと近寄せていた椅子を元の場所へ戻す。そう時間を開けずに先生が教室へと入って来ると、藤森は何事もなかったかのように前を向いて授業を真面目に聞いている。
結局、俺が捨て子で児童養護施設育ちだと知っても、その後の藤森の態度は変わる事が無かった。
それどころか、施設での暮らしはどんな風だとか、バイトはどこに行ってるのだとか、挙句俺が捨てられた状況まで尋ねてきた。そして俺も好奇心に満ちた藤森に聞かれるがまま、決まって真面目に答えてやる。そんな日々が当たり前のようになっていた。
じめっとした空気が肌にまとわりつく梅雨入りの頃。
放課後の教室で藤森が珍しくなかなか部活に行かないと思ったら、突然俺の腕を引っ張って教室の隅へと誘導する。教室の後方にあるロッカーの端、窓際の薄黄色をしたカーテンがまとめられたその一角で藤森は俺に向かって囁くように言う。
「私、明里くんが好きなの。私達、付き合わない?」
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