あの日、心が動いた

蓮恭

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1. そんなのオウボウだよ

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 そう広くはないアパートの床という床に広げられた玩具や子ども服、洗い物だって急に増えたせいでここのところは追い付いていない。
 シンクに山積みになった食器はゆうに三日分はある。机の上にはストロー付きのパック飲料や弁当の容器などのゴミが所狭しと並んでいた。
 今のところ酷い匂いはしないし、小蝿は飛んでいないがそれも時間の問題かも知れない。
 
 一人暮らしの頃でもこうは酷くなかった。視界にゴチャゴチャした室内の様子が入る度に、自分でも少しずつストレスが溜まっていくのを感じる。
 掃除をしてもすぐに片っ端から汚され、どうして自分が散らかしたわけでもない物を片付けないといけないのかと考えると、どうにもイライラした。

「こぉら! お前ら、いい加減にしろよ! ほら! じっとしてろ!」

 朝六時半、つい先日までの俺ならまだ布団の中で寝ている時間だ。それなのに今ではコイツらのお陰で早起きする羽目になり、挙句朝からデカい声を出す事でぐんぐん体力が削られている。これから俺は体力使う仕事だっていうのに。

「こんなのやだよぉ」
「パパのへたくそ」

 こっちの都合なんかお構いなしにおんなじ声と顔で非難混じりの声を上げる双子を、なるべく怖がらせるように鋭く睨みつける。
 しかし左右非対称に結われた髪はボサボサで、確かに不恰好ではあった。
 ふたりの丸い顔の横でぴょんと跳ねたその髪型は、まるであれだ、両脇をクルクルっと捻った飴玉の包み紙。

「そんな事言うなら自分でやれよ」

 仕方ないだろう、俺は今まで髪の毛を結んだ事なんて一度もないんだから。ましてや子どもの細い髪の毛はスルスル滑って上手くまとめられない。これでも俺なりには一生懸命やったつもりなんだ。

「そんなの無理だよー」
「子どもなんだからー」
「なぁにが、『子どもなんだからー』だ! じゃあ大人のやる事に文句言うな!」

 これでも小さい子どもの面倒を見るのは慣れてるつもりだった。児童養護施設で育った俺は、幼稚園に通うような子どもの面倒だって見てた事もあったから。
 あそこでは、子どもが子どもの面倒を見るのが当然、というようなところがあった。
 
 だけどコイツらの扱いが難しいのは双子だからなのか、それとも女だからか、はたまたコイツらの母親……つまり俺の元妻がよく喋る女だったからか。とにかくこの双子と暮らし始めてまだ一週間だが、早くもストレスと疲れはピークに達していた。
 もう起きて何度目かの溜め息を吐く。長く、長く。

「そんなのだよー」
「そうだよー」

 無骨で職人気質な男ばかりの中で仕事をしていると、どうしても言葉に愛想が無くなる。
 これでも不憫な子ども相手だからとだいぶ我慢した方だ。だけどこれ以上はどうにも出来ない領域で、コイツらの満足のいくように髪を結ってやるなんて無理、絶対無理だ!
 連日の疲れとストレスは俺の理性を焼き切った。カァーッとなって腹の底から声を出す。

「うるせぇ! いい加減にしろよ! 俺だって一生懸命やってんだろうが! お前らだって少しは協力しろよ! たかが髪型くらいでいちいち……」

 思わず怒鳴りつけた時、玄関のチャイムが鳴った。まずい、早朝からあんまりうるさくしたもんだから近所の奴が文句言いに来たのかも知れない。
  
 怒鳴りつけられた双子達は、母親譲りのまぁるい瞳でじっとこちらを睨み返すようにして、全く怯む様子はない。なるほど、さすがあの朱里あかりの子だ。
 子ども相手に睨みをきかせつつ、ふうっと息を吐いて声のトーンを落とす。

「はい……」

 インターホンのモニターを確認すると、やはり隣人の男だった。努めて冷静な声を作り、それを自分の耳で確認しながら返事をした。

「あのぉ……、大丈夫ですか?」

 そう尋ねてくる隣人はまだ七時も来ていないというのにスーツ姿に眼鏡をかけ、髪型もきちんと整えられている。そして長い指でメタルフレームのブリッジを押さえつつ、恐る恐るといった雰囲気で共用廊下に立っていた。

「何が、ですか?」
「いやぁ、何やらお困りのような声が聞こえたもので……」

 このアパートは壁が薄いのか、割と子どもの声が響く。俺の怒鳴り声も響いていたのだろう。虐待を疑われたのかも知れない。

「早朝に大きな声を出してすみません。ちょっと……子どもが言う事を聞かなかったもので」

 これじゃあ明らかに虐待だと思われても仕方ないと、言った後に後悔する。他に言いようがあっただろうに、俺はいつもこうだ。言い方を間違えて損をする。あとで後悔しても遅い。
 
 案の定、モニターで見える男の表情は先程よりも訝しげなものになっている。

「もしかして、子どもさんの髪の毛が上手く結えないとかではないですか? 良かったら僕がしてあげましょうか?」
「は……?」

 いくらアパートの壁が薄いとはいえそこまで聞こえていたのかと思うと、隣近所の事も考えずに大声で怒鳴った事を今更ながらに深く反省した。

「いや、ご存知だと思いますが……僕はシングルファザーなので。そういう事に慣れているんですよ」



 







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