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番外編 心配性ユーゴのクリスマス(後編)
しおりを挟むユーゴの悲痛な叫びに、サラとレーヴは頭を抱え、アルバートは何故か赤面し、アフロディーテは女神らしからぬ黒い笑顔を浮かべていた。
そしてイネスはというと、アメジストのような美しい瞳をまん丸にして、ぷっくりとしたバラ色の唇は大きく、これでもかというほどにあんぐりと開いていた。
「父さん……。一体何言ってるの? 私がアルバートと結婚? まさか! そんな訳ないじゃない!」
イネスがユーゴの言葉を完全に否定すると、どうしてかアルバートが敏感に反応する。
「……そんな訳ない……のか……」
今度はアルバートがガックリと肩を落としてしまう。
そんなアルバートへ、サラとレーヴ、そしてアフロディーテは慰めの眼差しを注いだ。
「あのね父さん、私決めたの。アルバートと一緒に来年、騎士の入団試験を受けるわ」
「騎士の……入団試験……だと?」
漆黒の髪はユーゴと同じ、目元はサラと同じ紫色で、しかし幼い頃には無かった意志の強さが表れていた。
「そう、今日はその事をアフロディーテ様に報告に来たの。私は、アルバートと一緒に必ず騎士になって頑張るって決めたから」
「いつから、そんなことを?」
「父さん、本当はね、幼い頃から思っていたの。父さんのような強い騎士になって、この国を守っていきたいって。そして、アフロディーテ様と約束してたの」
そこで、イネスはアフロディーテの方をチラリと見た。
そしてその後、母親であるサラの方を見て力強く頷く。
「私が自分の道を決められる歳になって、それでも騎士になりたいと思っていたら、その時には必ず、アフロディーテ様に報告するって」
力強い眼差しには、幼い頃の泣き虫で気弱で、常に庇護の対象であったイネスの面影は無い。
艶めく漆黒の髪と、女神と同じ紫色の瞳、美しく逞しく成長した娘は、いつの間にかユーゴの手を離れていた。
「サラも、レーヴも知っていたのか?」
ユーゴは肩でハアッと大きく息を吐くと、固唾を飲んで見守る妻と息子の方を見やった。
「んー、私はねぇ、イネスがユーゴみたいな騎士になりたいって言うから、それならと思って……」
「母さん、父さんが騎士団に出仕してる間に、イネスに剣の稽古をつけてたよ。父さんから稽古をつけてもらった事もあるんだって言ってさ」
「あっ、レーヴ! 駄目だよ、それは内緒だったのに!」
どうやら女騎士のサビーヌ時代の経験を活かして、サラはイネスと鍛錬に励んでいたらしい。
「サラ……、危ないからもう剣は持つなとあれほど……」
「だって……」
また心配性を発動したユーゴに、イネスはキッパリと宣言した。
「父さん、私は騎士団長ユーゴ・ド・アルローと、女騎士サビーヌであった母さんの娘よ。きっと立派な騎士になってみせる。アフロディーテ様の強力な加護もあるんだから。それなら父さんも安心でしょ?」
「なるほど、それで俺より先に女神のところに来たのか。その殺し文句で俺を説得するつもりだったんだな」
サラがユーゴの腕を引いて、美しい色の瞳を潤ませ、『お願い』と言うように小さく頷いた。
ユーゴは愛する妻のこの表情にとても弱い。
「分かった。やりたいならやってみろ。だが、そこのアルバートにだけは絶対に負けてくれるなよ」
ギロリ、と現役騎士団長の三白眼に睨まれたアルバートは、苦笑しながらもイネスの事が丸く収まったようで、どこかホッとした様子である。
「アルバートになんか負けないわ。だって今でも私の方が強いんですもの」
きっとアルバートは、イネスに対して本気で剣を向ける事などできないだろう。
だって昔から、アルバートはイネスの事をとても大切に想ってきたのだから。
その想いに気づかない鈍感さは、やはり父親似なのかも知れない。
「女神よ、娘が世話になってすまない。これからも、何か悩んでいる時には助けてやって欲しい。頼む」
そう言って頭を下げたユーゴに、アフロディーテはいつものように悠然と微笑んだ。
「当然よ、サラもイネスも、レーヴも私の愛し子なんだから」
こうして女神の神殿を出たあと、イネスとレーヴ、そしてアルバートはクリスマス気分をもう少し味わってから帰ると言う。
「父さんも母さんも、今日はクリスマスだし、もう少し二人きりで過ごしなよ」
レーヴに言われて、サラはユーゴをクリスマスのデートに誘った。
まだ街は賑やかな灯りに包まれて、人々の往来も多い。
「ねぇユーゴ、たまには二人でお散歩しながら帰ろうよ」
ふわっと優しい色合いの瞳を向けてくる、相変わらず美しい妻のお願いにユーゴは抗えず、子ども達とは別行動で帰ることにした。
ランタンが彩る通りを、昔と変わらず屈強なユーゴの腕に寄り添って歩くサラは、とても幸せそうである。
「ねぇユーゴ、怒ってる? 私がイネスの夢を黙っていたこと」
「いや、俺がいつまでも子離れ出来なかったのが悪かった。もうイネスも十六なんだからな。それにしても、騎士という夢は意外だったな」
神殿での取り乱し様が嘘の様に、穏やかな表情のユーゴは、やはり可愛い娘のことを心の底から応援する事にしたらしい。
「あのね……実は、レーヴも将来なりたいものが決まっているの」
「レーヴも? 何を目指しているんだ?」
「騎士団専属の薬師なんだって」
思ってもみなかったサラの言葉に、ユーゴは目を見開いて暫し言葉を失くした。
薬師というだけでもこの国では貴重な存在で、騎士団にも常駐の薬師は居ない。
「二人とも、何故……」
やっと絞り出す様に出た疑問の言葉に、サラは母親らしい優しい笑顔で答えた。
「あのね、二人とも騎士のユーゴの事をとっても大好きで、尊敬してるの。だからイネスは騎士に、レーヴは薬師として、ユーゴが団長を務める騎士団を、助けていきたいんだって」
「……そうか」
ユーゴは一言呟いたきり、目線を下ろしてじっと何かを考えていた。
その時、フワリと揺れるサラの淡い薄紅色の髪に、真っ白な雪がハラリと一欠片舞い落ちる。
「雪……か」
「えっ、本当? どこ?」
ユーゴがサラの髪に付いた雪に触れると、雪の欠片はシュッと一瞬でただの雫になってしまう。
「子どもたちも……、ずっと庇護すべき存在のままではないのだな」
サラの髪を一房掬い取り、そう独りごちたユーゴを見上げる様にしたサラは、どこかホッとしたような温かな笑顔を向けた。
サラの見たユーゴの顔は、寂しさを含みながらも、子ども達の成長を感じて、どこか嬉しそうでもあったから。
「ユーゴ、子どもたちはいつか旅立っていくけれど、私はずーっとユーゴと一緒だよ」
サラがそう言ってユーゴの頬に手を伸ばすと、そこにすり寄るようにしたユーゴは、突然の宣言をしてサラを驚かせた。
「そうだなぁ、俺も騎士団を引退したらサラと一緒にパン屋でも始めるか」
「えー、ユーゴパン作れるの?」
「いや、生地をこねるくらいは……。パンはサラがルネだった時の経験を活かしてくれれば良いだろう」
「それもいいね。二人でパン屋をして、騎士団の駐屯地に売りに行こうか」
シンシンと、空から静かに雪の花たちが舞い降りて来る。
周囲の皆が降り始めた雪を見上げている隙に、ユーゴはサラの額にそっと唇を寄せた。
「考えようによったら、これからは愛しい妻と二人っきりの時間が増えるというのは喜ばしいことだな」
「……そうだね」
「そうと決まれば早く暖かな我が家へ帰るとしよう。少しでも早く二人っきりになりたい」
いつかのようにそう言うと、頬をほんのり桃色に染めた美しい妻をさっさと縦抱きにして、雪が舞い落ちるランタンの灯りの中を、急ぎ邸宅へと向かう騎士団長ユーゴであった。
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