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番外編 心配性ユーゴのクリスマス(中編)

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 神殿の周囲に開かれた賑やかなクリスマスマーケットには目もくれず、そして神殿前に設置された沢山のろうそくで作られたロマンチックなモニュメントにも一切感嘆の声を上げることなく、真剣な面持ちのイネスとアルバートは神殿の中へと足を踏み入れた。

 夢見がちな恋人達は、このような特別な日に愛の女神アフロディーテを前に、お互いの永遠の愛を誓うというのが近頃流行しているという。

 そんな事もあって、神殿の内部もいつもより恋人達の甘い空気が漂って、ごった返していた。

「イネス、大丈夫か? はぐれるなよ」
「うん、凄い人ね」
「まあ、今日はクリスマスだからな……」

 ギュッと握られた手に、イネスは何とかアルバートとはぐれる事なく、人気のない神殿内部のとある場所まで来た。

 人々が多く集うのは神殿の女神像前で、この中庭の外れには何もない為に、周囲には誰も居ない。

「アフロディーテ様」

 イネスがそこで女神の名を呼べば、手を繋いだアルバートと共に一瞬で姿が消えた。

 少し遅れてユーゴとサラ、そしてレーヴが同じ場所に到着した時には、すでにイネスとアルバートの姿は無く、しかし慣れた様子でサラはアフロディーテの名を呼んだ。

 すると、三人もその場から忽然と姿を消し、残ったのは中庭のザワザワと揺れる木々の葉擦れの音のみだった。

 ユーゴ達がアフロディーテの神殿の奥にある空間の一本の柱の影に到着した時、既に祭壇の前でイネスとアルバートは跪き、アフロディーテに祝福を受けていた。

 その姿を認めたユーゴが、我慢出来ずに飛び出そうとするのをサラとレーヴが押さえつける。

「何をするんだ! イネスが、イネスが!」

 そう言って抱きつくようにして身体を押さえつけるサラとレーヴを、誤って傷付けるのを恐れながらも、何とか抜け出そうとするユーゴに、祭壇の前のイネスとアルバートが気付いてしまう。

「え……父さん?」
「ほら、やっぱりついてきてただろ?」
「まさか、本当に?」

 振り向く二人の向こうでは、女神アフロディーテが勝ち誇ったようにして笑みを浮かべている。
 その恐ろしい程の美しい微笑みは、今のユーゴにとっては絶望の証でしかなかった。

「そんな……。遅かったのか……」

 がくりと膝をついて呆然とするユーゴに、ゆっくりと近づいて来たアフロディーテが、普段通りの歌うような声で話し掛ける。

「あらユーゴ、久しぶりじゃない。サラとイネス、それにレーヴは会いに来てくれるけれど、貴方はなかなか忙しいみたいね」

 同時に、アフロディーテはユーゴのそばで苦笑いするレーヴと、ガックリと肩を落とすユーゴを心配して寄り添うサラへと、柔らかな視線を向けた。

「アフロディーテ様、ユーゴをあまりいじめないで下さい。ユーゴったら、イネスが心配で今にも倒れそう」
「まあ、私は何もしていないわよ。ただ、あの若い二人に女神の加護と祝福を授けただけ」
「……そうだ、そうだった! イネス! どういう事なんだ? 何故俺の許可も無しにそのような……!」

 アフロディーテの言葉にハッと我に返ったのか、ユーゴはゆっくりと近づいて来るイネスとアルバートへ、鋭い眼差しを向けながら問い詰める。

「父さん……、だって父さんはすごく心配性だから、私の話をきちんと聞かずに反対するでしょう?」
「そ、そんなことは……! いや、それにしたって……!」

 ユーゴはイネスの言葉に、なかなか上手く返せずモゴモゴ言っている。
 このような姿は、国民から尊敬される屈強な騎士団長とはとても思えない程に弱々しい。

「だって! 私が幼い頃、自転車に乗りたいと言った時だって、危ないからと言ってずっと補助輪を付けられたままだったし! アカデミーに入学した時だって、徒歩五分の距離でアルバートだって一緒なのに、毎日ついて来てたし! それに、今日だってこっそり来てるじゃない!」

 未だ冷たい石の床に膝をついたままのユーゴは、イネスの言葉に呆然としていた。

 確かに娘可愛さに、少々過保護が過ぎるかと思う事もあったが、あの大人しく引っ込み思案なイネスが、ここまで強く主張する事など稀だったからだ。

「ユーゴ、イネスはもう十六歳だよ。この国で十六際といえば結婚も出来るし、自分の未来は自分で決められる年齢なの」
「父さん、姉さんの事をとても心配するのは分かるけどさ。姉さんだっていつまでも子どもじゃないんだ」

 サラとレーヴが、ユーゴの左右からそっと腕を取り、立てるように促す。
 冷たい床に膝をついていたユーゴは、やっとのことで立ち上がる事が出来た。

「イネス……。お前は小さくて、可愛くて。引っ込み思案で人見知りで、俺がついてないと、すぐに泣いてはモフモフ姿になってしまって……」

 ケサランパサランの姿は、いつか悪い人間に見つかって捕まってしまうかも知れないからと、女神に頼んで普通の人として生きていくことになった。

 あの時も、イネスは心配する父親の気持ちを汲み取って選択したのではなかったか。

「お前の事を、俺は心配し過ぎて自由に生きる邪魔をしていたのか」

 ユーゴは、イネスを初めてこの神殿に連れて来た時のことを思い出しているのだろうか。

 どこか遠い目をして、隣に立つサラの肩を抱き、まだ少しだけユーゴの方が背が高いが、それでも随分と大きくなったレーヴの頭を撫でた。

「ユーゴ、イネスもユーゴの気持ちは分かっているんだよ。とっても愛されている事も、だからこそ心配しちゃうことも」

 サラがそう語りかければ、いつも優しくて強くて勇敢で、だけど時々厳しくも頼れる父親のユーゴは、ほんの少しだけ涙ぐんだように見えた。

「親父さん、イネスのことは俺が……」

 そうアルバートが告げようとした時、目にも止まらぬ速さでユーゴが両耳を両手で塞いだ。

「いやだ! やっぱり聞きたくない! イネスが! 可愛いイネスがお前と結婚するなんて!」

 




 



 
 

 






 










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